召喚された災厄
アンポンス王国──謁見の間
王が座す玉座の背後から陽光が差し込み、広間を柔らかく照らしていた。
王を中心に、重鎮たちが神官長による“召喚の儀”を固唾を呑んで見守っている。
──ついに、これで最後か。
アンポンス六世は、胸中で苦々しく呟いた。
召喚に必要な触媒も、聖材も、すでに尽きかけている。
この儀が失敗すれば、もはや我が国に未来はない。
民は戦乱で困窮し、不満は募るばかり。徴兵で働き手は減り、荒れ果てた農地は回復の兆しすら見えぬ。
貴族らには増税を避けるよう働きかけてきたが、強欲な者どもは民を搾取し、私腹を肥やすことしか考えておらん。
強く出れば内乱、黙認すれば崩壊。選べる道など、とうに無い。
──せめて、異世界の勇者さえ現れてくれれば。
もはや賭けでしかない。だが、その賭けにすがるしか術がない自分が、情けなくてたまらなかった。
そのとき──ふと、日の光が陰った。
さきほどまで燦燦と降り注いでいた陽光は、いつの間にか青白い魔法陣の光に取って代わられていた。
神官長に目を向けると──あれほどの男が、額どころか頬にまで汗を垂らしている。
髪は肌に張りつき、明らかに異常な様子だ。
「どうかしたのか」
声をかけかけた、その瞬間──
異変が、起きた。
魔法陣が、唸るように輝きを増した。
そして──光の中心から、ひとりの老人が姿を現した。
みすぼらしい身なりのその男は、虚ろな目を広間に彷徨わせたまま、ふらりと片手を差し出す。助けを求めるように──いや、何かに縋るように。
誰もが言葉を失い、謁見の間を沈黙が支配した。
だが次の瞬間、魔法陣が異音とともに赤黒く染まりはじめる。空気が震え、何かが“間違っている”と本能が警鐘を鳴らした。
異変は、そこからだった。
老人の背後──闇を裂くように、男が現れた。
身の丈はゆうに二メートル。鋭く刈り上げた側頭部に、黒髪を一房にまとめて後ろへ流している。
目元には黒いガラスのような異様な装具。
柄物の上着を乱れなく着こなし、黒く染められたズボンと革靴を履いたその姿は、この世界のどの戦士とも似つかぬ異質な存在だった。
威圧感。異物感。そして──圧倒的な“何か”。
王も重臣たちも、言葉を失ったまま、その男の登場をただ見つめるしかなかった。
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──気がつきゃ、変な穴から出ていた。
ドン、という鈍い着地音とともに、足元が固くなる。
見りゃ、石造りの床。天井はやたら高ぇし、柱やら金ピカの飾りやら──どう見ても、どっかの城って感じだ。
んで、目の前にはズラッと並んだ連中。王様風、神官風、騎士風、その他もろもろ。
どいつもこいつも、アホみてぇに口を開けて、目ぇひん剥いて、まるで魂抜かれた魚みたいなツラしてやがる。
──何だよその顔。こっちのセリフだっての。
「おい、ここはどこだ? んでもって、あんたらは?」
丁寧語も敬語もいらねぇ。知らねぇ奴に、こっちが合わせてやる義理はねぇ。
「…黙ってねぇでなんか言えや」
誰一人返事をしやがらねぇで──
まるで、神か悪魔でも見たみてぇな目で、俺を見てやがる──けど、あいにく俺はどっちでもねぇ。
一番偉そうなヤツ──たぶん王様か何かなんだろうな──が、コイみてぇに口をパクパクさせて何か言おうとしていた。
けど出てくんのは空気ばっかで、あまりにも情けねぇ姿に、思わず吹き出しちまった。
その俺の笑いが気に障ったのか、ゴツい鎧を着た厳ついオッサンが前に出てきて言いやがった。
「王の御前であるぞ」
そいつが何者かなんて知るか、そっちがその気なら、こっちも付き合ってやるか。
そいつの前にズイッと顔を寄せて、睨みつけながら言ってやった。
「──じゃあてめぇは、俺が何者か知ってて言ってんのか?」
睨まれてビビるかと思いきや、意外にもそいつは目を逸らさず、真正面から返してきた。
「失礼ながら貴殿が何者かはわかりませんが、おそらく勇者様とお見受けします。ですが、あちらに座すは我が主──アンポンス王。
如何に勇者様とて、無礼は許されません」
へぇ。案外、筋通してるじゃねぇか。思わず口角が吊り上がった。
だからわざと茶化してやった。
「アンパンだか、アンポンタンだか知らねぇが──いいこと教えてやるよ。
この場で一番偉ぇのは、この俺様だ」
その瞬間、そいつの眉間にピキッと血管が走った。
あー、来るなコレ──と思った瞬間、本当に殴りかかってきやがった。
だから、先に動いてやった。
振り上げた拳が届くより早く、俺の平手打ちがそいつの横っ面を引っ叩いた。
見事な吹っ飛びっぷりだった。ゴツい鎧を響かせながら蹴飛ばした小石みてぇに転がってな。
……期待して損したわ。威勢だけは一人前だったのによ。ちっ、つまんねぇ。
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私はロラン・ヴァルシュタイン、アンポンス王国近衛騎士団の団長を務めている。
王国の命運を賭けた勇者召喚の儀、その成否が国の未来を左右する以上、不測の事態に備えて常に警戒をしていた。
──突如、召喚陣が輝いたかと思えば、現れたのは老人と男だった。
威風も神聖さもない。
異様に荒々しく、傍若無人……いや、むしろ獣のような気配すら纏っている。
床にドンと音を立てて降り立ったその男は、辺りをぐるりと睨みつけた。
こちらの陣営が王、神官、騎士、貴族──それぞれ礼装に身を包んで整列しているというのに、男は眉一つ動かさない。
むしろ呆けた我々を見て、鼻で笑いやがった。
「おい、ここはどこだ? んでもって、あんたらは?」
口調も態度も無礼極まりない。
だが、最も驚かされたのは──その眼だった。
底が見えない。
畏れも、迷いも、常識すら感じられぬ、真っ黒な穴のような視線。
……死を何度も乗り越えた、なんてそんな"生易しい"ものじゃない。
陛下は困惑し、声を発することすらできず、ただ口を開けて空を噛む。
だが勇者と思しき男は無礼にも王を笑った。
その事実に、私は一歩、前に出た。
「王の御前であるぞ」
──威圧で黙らせるつもりだった。
だが、そいつは俺の目前まで歩み寄り、睨み返してきた。
「──じゃあてめぇは、俺が何者か知ってて言ってんのか?」
……面食らった。
だが、騎士として、剣を握る者として、目を逸らすわけにはいかない。
「失礼ながら貴殿が何者かわかりませんが、おそらく勇者様とお見受けします。ですが、あちらに座すは我が主──アンポンス王。
如何に勇者様とて、無礼は許されません」
これは、忠義と矜持の言葉。
礼節の線を引く一手だった──そのはずだった。
しかし、男は口の端を吊り上げて言い放つ。
「アンパンだか、アンポンタンだか知らねぇが──いいこと教えてやるよ。
この場で一番偉ぇのは、この俺様だ」
……血が、逆流した。
怒りではない。屈辱でもない。
ただ、本能的に、許せなかった。
次の瞬間、気づけば私は拳を振り上げていた。
王の前であろうと構わない。礼儀の問題ではない──これは、騎士としての決断だった。
だが。
振り上げたその瞬間、視界が揺れた。
……張り飛ばされたのは、俺の方だった。
横っ面に鋭く突き刺さる平手の衝撃。
鎧ごと吹っ飛ばされ、床にたたきつけられる。
息が、詰まる。
音が、遠のく。
理解が、追いつかない。
──何が、起きた……?
背後で騒ぎ出す声が聞こえる。
だが、床に這いつくばった俺はただ、あの男の姿を見ていた。
あれが──勇者。
いや、あれはもはや「災厄」だ。