【第26話】王都散策と萌芽
王都の喧騒が、賑やかなカフェの窓ガラスを通して微かに届く。玖須田は、使い慣れたいつもの席で、コーヒーを一口すすり紫煙を吐き出す。ザインの力を吸収した後の異質な感覚は、まだ完全に消え去ってはいないが、不思議と体には馴染み始めていた。目の前には、まだどこか戸惑いの表情を浮かべるイリュージアがいる。彼女は、一口もつけられていないハーブティーを前に、所在なさげに指を組んでいた。
「で? 聞きてぇことはそれだけか?」
玖須田が問いかけると、イリュージアはびくりと肩を震わせた。
「あのねぇ、いきなり『過去のお前は幻影魔法しか取り柄がなかったくせに魔王とバトって死んだ』って言われても、簡単には納得できないでしょ!?」
彼女は、まるでそれが信じられない現実であるかのように、両手をぶんぶんと振り回す。その様子は、以前にも増して大げさになっている気がした。
「幻影魔法だけってのは誤解だ。確かに当時はそれがメインだったが、お前は魔導士で魔法少女(笑)だ。それも、俺が知る限り、トップクラスのな」
玖須田は、淡々と答える。イリュージアの瞳がわずかに揺れ、何かを思い出そうとしているかのように虚空を見つめた。
「魔法少女……いい響きじゃない?でも……確かに、私の知らない魔法が、頭の奥でうずいているような感覚がするわ……」
彼女はそう呟きながら、胸元に手を当て、何かを確かめるようにギュッと握りしめた。玖須田は、その表情の変化を見逃さなかった。記憶の欠片が、少しずつ彼女の中で形を取り始めているようだ。
「俺たちがいたのは、お前らがいた世界とは別の世界だった。そこで俺たち……お前と俺と、あとはまあ、何人かいたんだが、冒険者として活動してたんだよ。で、魔王とガチで殺り合って、結果的にその世界のお前等と魔王は斃れた。俺は死ぬ間際、お前ら全員の魂を預かって、世界を渡り歩いてきたって訳だ」
玖須田は、一切の感情を込めずに事実を語った。イリュージアは、その言葉一つ一つに驚き、そして混乱を深めていく。
「え、ちょっと待って? 全員の魂を預かったって……それ、どういうこと? 私、本当に死んだの? じゃあ、今ここにいる私は何なの? 幽霊!?」
混乱のあまり半泣きになり始めたイリュージアに、玖須田はため息をついた。このババアは、こういう時だけは妙に人間臭い。
「幽霊なわけねぇだろ。お前はちゃんと生きてる。今までは魂が欠けていたんだ。んで、魂が完全に馴染んでねぇから、記憶が曖昧なだけだ。時間が経てば、全部思い出すだろ」
「そんな無責任な……!」
イリュージアがさらに食ってかかろうとした、その時だった。カフェの扉が勢いよく開き、一人の女性が飛び込んできた。質素だが質の良い街服を身につけた見慣れた顔。アンポンス王国の王女、エルヴィーナだ。彼女は、周囲の視線も気にせず、一直線に玖須田たちのテーブルへと向かってくる。
「玖須田様!いらっしゃいましたか!ご無事でしたのね!」
エルヴィーナは、安堵したように息をつくと、玖須田の隣の席に座り込んだ。その顔には、微かな汗が滲んでいる。
「おう、エルヴィーナ。ご苦労さん」
玖須田が軽く返すと、エルヴィーナは少し目を尖らせた。
「ご苦労さん、ではありませんわ! 私、心配で心配で……!それより、大変ですわ、玖須田様!」
エルヴィーナは、周囲を気にするように声を潜め、身を乗り出した。
「魔王軍が……一時的に戦線を下げたようですわ!」
その言葉に、玖須田は僅かに眉を上げた。予想外の展開だ。
「ほう? どういう風の吹き回しだ?あとなんだその喋り方」
「んん!それが……詳細は不明ですが、ザイン大将の魔力が急激に消失したことが確認され、それを機に、他の幹部たちも一斉に撤退を開始したと……」
大仰に咳ばらいをして一睨みするエルヴィーナは、興奮気味に語る。玖須田は、フッと笑みを漏らした。ザインの魂を吸収した影響が、魔王軍全体に及んだということか。面白い。
「それはそうと、エルヴィーナ。なんでテメェがここにいるんだ? 俺の所有物が、こんなところで油売ってていいのか?」
玖須田がニヤニヤしながら言うと、エルヴィーナは一瞬、顔を赤らめ、それからすぐに冷静な表情を取り戻した。
「わ、わたくしは王女として、街の状況を確認に……! それに、玖須田様こそ、許可なく勝手に王都を離れて、一体何をなさっていたのですか!」
「だからなんだよその喋り方…。もうちょいハッキリした喋りしてたろ」
「王城の中ではないのですよ、時と場合によって話し方も変わりますわ」
エルヴィーナは、どこか玖須田の口調に似た、堂々とした態度で言い返した。民を慈しみ国を憂う王女としての矜持が、彼女の言葉の端々から感じられる。しかし、その中に、玖須田の傍若無人な態度に影響を受けたような、わずかな反骨精神が垣間見えた。
その時、カフェの扉が再び開いた。京極と、顔色の悪いゼファー、そしてバツが悪そうなラグナが、カフェの中を見回している。玖須田たちのテーブルを見つけると、彼らは安堵したようにこちらへ向かってきた。
「玖須田さーん! やっぱりここにいましたか!」
京極が朗らかに声を上げる。ゼファーはまだ顔色が悪く、ラグナは相変わらず不機嫌そうだ。
「なんでお前らもいるんだよ」
玖須田が呆れたように言うと、京極は苦笑した。
「いや、玖須田さんがいなくなったと思ったら、イリュージアさんもいなくてですね。王女様も心配されていましたし、これはもしや、玖須田さんがイリュージアさんを連れ去ったのではと……」
京極の言葉に、イリュージアは「連れ去ったって、人聞きの悪い!」と抗議の声を上げた。エルヴィーナは、京極の言葉に頷きながらも、玖須田をじっと見つめている。
「玖須田様……わたくし、あなた様の行動にはいつも驚かされますわ」
「これはこれは王女様、ご機嫌麗しく」
京極が恭しく頭を下げるが、すぐさま切り替えて玖須田に向き合う。
「王城は堅苦しくてね、良い感じの宿屋で休もうと思たんですよ。そしたら急に茶をしばきたくなりましてね、ここを見つけたって訳なんですよ」
いけしゃあしゃあと喋る京極を流しラグナを見る。
「んで、お前は?」
「私はここで暫く茶を楽しみたいと思ってな。たまたまだ。」
玖須田はラグナの言葉にニヤリと笑った。
「そりゃいいが、菓子ばっか食ってると太るぞ」
「なっ!?」
玖須田の言葉に、ラグナは分かりやすく赤面した。魔王軍の元大将が、そんなことで動揺するとはな。イリュージアがそれを見て、呆れたようにため息をついた。
「ひどいわよね、ラグナさん。私とティータイムを楽しみましょう!」
イリュージアがラグナの隣に座り、まるで旧友のように話しかけた。ラグナも少しだけ顔色を戻し、小さく頷いた。どうやら、この二人も奇妙な繋がりができたようだ。
カフェの一角で、玖須田一行はそれぞれのドリンクを前に、テーブル席を2つ占領していた。
「……というわけで、玖須田。ザイン大将の撤退により、城塞都市の戦況は落ち着きました。ですが、王都周辺ではいまだ魔物の残党が徘徊しており、市民の不安は拭えませんわ」
エルヴィーナは、玖須田の瞳を真っ直ぐに見つめた。その眼差しは、王女としての責務と、民への深い慈愛に満ちている。
「玖須田。厚かましいお願いであることは重々承知しております。ですが、どうか、わたくしの護衛をお願いできませんでしょうか。わたくし、この目で王国の村や町の被害の状況を確認し、市民の不安を解消したいのです。それに……あなた様の規格外の力があれば、市民もどれだけ心強く思うことでしょう。そして……わたくしが、あなた様を退屈させないことを、お約束いたしますわ」
彼女の言葉に、玖須田は口角を吊り上げた。退屈させない、か。この王女、なかなか俺のツボを心得ている。しかも、この体中に渦巻く、ザインの魂がもたらした異様な熱と高揚感。これを試してみるのも悪くない。もしかしたら、新たな「愉悦」が見つかるかもしれない。
「まぁ、たまには民の顔でも拝んでやるか。ただし、俺の邪魔はするなよ」
玖須田が不遜に言い放つと、エルヴィーナの顔がパッと輝いた。
「ありがとうございます、玖須田!では、まずは王都の現状を把握するために、いくつか場所を巡りましょう!わたくしがご案内いたしますわ!」
エルヴィーナは嬉々として立ち上がり、すぐにでも出発したがっているようだ。玖須田は、カフェの入り口を振り返り、京極たちに軽く顎をしゃくった。
「お前らはここで好きにしろ。ただし、妙な真似はするんじゃねぇぞ」
「ははは、心得てますよ」京極が笑って返した。
玖須田は微かに気温が下がったような感覚を覚えた。ここしばらく少し冷え込んだ気がするが…気のせいか?今はそれよりも、目の前の『愉悦』の方が優先だ。
「行くぞ、エルヴィーナ。あまり待たせるなよ」
「はい!喜んで!」
「んで?どこに連れてってくれるんだ?」
玖須田は、カフェの扉を開けながら、隣を歩くエルヴィーナに問いかけた。王都のメインストリートは、魔王軍の直接的な襲撃は受けていないため、建物に大きな損壊はない。だが、市民の顔には、隣接する城塞都市の惨状と、いつ自分たちの身にも降りかかるかわからないという不安の色が濃く残っていた。それでも、軍や騎士団の厳戒態勢の下、街は少しずつではあるが活気を取り戻しつつある。
エルヴィーナは、そんな街の様子を慈しむような眼差しで見つめ、それから玖須田に微笑みかけた。
「まずは、わたくしの慰問でございますわ。城塞都市での戦況が報告されて以来、王都の民は不安を募らせております。わたくしが直接顔を出し、この王国が安全であることを示したいのです」
彼女は、淀みなく答えた。王女としての務めを全うしようとするその姿は、玖須田の傍若無人さに影響を受けつつも、彼女自身の確固たる信念があることを示している。
「慰問、ねぇ」
玖須田は興味なさそうに鼻を鳴らした。そんな「善行」には微塵も興味がない。だが、彼の内側で渦巻く異質な力は、この街のあらゆる「感情」を、以前よりも鮮明に拾い上げていた。不安、希望、そして微かな狂気。それらが混じり合うさまは、ある意味で彼にとっての「愉悦」になり得る。
「その後は、王都内の治安状況や、警戒態勢の確認などをいたします。それから……玖須田が興味を持つような場所があれば、そちらへもご案内いたしますわ」
エルヴィーナは、玖須田の顔色を窺うように付け加えた。彼女なりに、玖須田を「退屈させない」という約束を果たそうとしているのだろう。
「ふぅん。ま、いいんじゃねぇか。面白いもんが見れるならな」
「そこは任せてください。それと最初に教会から行きます。玖須田も必ず気に入る物がありますよ」
教会ねぇ…やっぱり護衛を引き受けたのは失敗だったか?少しの後悔を胸に足取り重く教会へと歩き出した。
忙しすぎて更新が遅くなってしまい申し訳ないです…。
なるべく早めに更新できるように頑張りますので今しばらくご容赦を…!