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【第19話】屈辱と愉悦

怒りに駆られた私は、崩壊した城塞を文字通り飛び越え、あの忌々しい濁った魔力の源へと向かっていく。丘に立つその人影も、私が接近していることに気づいたらしい。まるで私を侮るかのように、単身で突っ込んでくる。


距離が縮まるにつれて、時間が奇妙にゆっくりと引き延ばされていくように感じられた。そして、奴の表情がはっきりと見えた。それは……不愉快な笑みだった。何がおかしい? なぜ、この状況で笑っていられる? 魔王様の右腕として、このザインが絶対に許しがたい笑みだ。


激突する刹那、この身勝手な愚か者を切り裂いてやろうと、私は剣を抜き放ち構えた。


あと三歩でこちらの剣の間合いに入る──二歩──一歩。


引き延ばされた感覚の中で、その不愉快な男を切り裂く──ことはなかった。


私の視界は、次の瞬間、奴の巨大な拳で埋め尽くされていた。何人もの魂を屠ってきた、堅く岩のような……それが、私の魔力で構築したヘルムを正面から叩き潰した。


「ぐぷッ!?」


脳髄まで響く衝撃と共に、押し込まれた拳によって、私は駆けてきた方へと、凄まじい勢いで殴り返された。肉体が悲鳴を上げる。歪んだ視界から鉛色の空が覗く。


認めよう。このザインが、恐れたことを。認めよう。その強さを。


しかし、ここで終わるわけにはいかない。私は、屈辱と激痛に耐えながらも身体を起こす。あの時と同じように、自身の魔力と魂で構築した刃を、自らの胸へと貫いた。


「剣を交わせ──」


これは、始まりだ。私を侮辱した愚か者への、真の絶望を刻む、血塗られた戦いの始まりだ。





あのクソ魔人は、俺の一撃でよほどトサカに来たらしい。馬鹿みてぇに一直線に突っ込んでくるのが見えた。まるで、俺の挑発にまんまと乗せられた獲物みてぇだ。


(フン、単純な野郎だな)


「俺様の『オモチャ』を勝手にぶっ壊すとどうなるかってのを、死ぬまで叩き込んでやるぜ」


そう言い放ち、俺も同じように正面から突っ込んでやることにした。如何にお前より上で、正面から叩き潰される屈辱を味合わせられるか、楽しみで仕方がない。思わず口角が上がってしまう。


俺の表情をみたクソ魔人の雰囲気が、さらに鋭さを増した。奴の持つ剣が、振り下ろされる──いい間合いとタイミングだ。まともなやつなら、この状況でビビッて減速するだろう。お互い全速力で駆けている状況では、こんな真っ向からの攻撃は最悪の悪手だ。向こうがタイミングをズラし、もう半歩踏み込むだけで簡単に殺られる。


だが、ぶっ飛んでる奴は、そんな常識とは無縁だ。


半身になった俺の背中を、奴の刃が空を切るように通過していく。大きく引き絞っていた拳を、頑丈そうなヘルムに叩きつけ、そのまま押し込んだ。鈍いドラム缶をぶっ叩いたような音を響かせた後、やつはまるでボロ人形のようにぶっ飛んで転がり、仰向けになってお空を見上げている。涙がこぼれねぇといいけどな。





屈辱と激痛に耐えながらも私は構え直し、あの男へと向き直る。すると奴はニヤリと笑い、私を侮辱するかのように、その瞳には底知れぬ愉悦が宿っているのが見えた。


私は、再び『剣聖』と対峙した時のように、黒い魔力の粒子でガントレット、グリーヴ、そしてポレインを形作り、肉体に装着した。漆黒の武具が私の四肢を覆い、その力を増幅させる。


(フン、初見であの剣聖すら捌ききれなかった変則的な攻撃……貴様に捌けるか、試してやろう)


このザインの真の力を見せてやる。私は人間離れした速度で加速し、玖須田へと肉薄した。地を蹴る轟音が背後で爆発するかのようだ。


まず、顔面めがけてフックを放つ。だが、奴は驚くほど軽く躱した。


躱した先へと、私のガントレットから漆黒の刃が伸び、追撃を繰り出す。奴はそれを、紙一重で躱す。刃を出さない蹴り、突き、フェイントが入り混じり、まるで舞うような、しかし全てが殺意のこもった攻撃の嵐が降り注ぐ。さらに、蹴りから不可視の斬撃が飛び、アッパーカットの軌道に合わせてガントレットの刃が伸び、距離感を不規則に変える。


これほどまでに多様な攻撃を、しかもこの速度で躱し続けるなど、常軌を逸している。やつは、その全てを悉く見切っていた。奴の動き、魔力の流れ、そして次に放つ攻撃の軌道……全てが、私の視覚に映し出される。


にもかかわらず、どれもこれも、奴は悉く躱し続けている……!


私が放つ渾身の攻撃が、悉く玖須田に躱されていく。理解しがたい動きだ。私の苛立ちが募る中、奴の口元が再び歪んだ。


「ぬりぃ攻撃ばっかしてんなぁ、俺がお手本をみせてやるよ」


そう言い放つと、奴は私の攻撃の隙を縫うように、カウンターで拳を突き出してきた。その拳には、先ほど私を打ち砕いた時と同じ、濁った黒い魔力が宿っている。


(腕ごと切り落としてくれる……!)


私は迷わず、同じように拳を正面からぶつけ、その魔力ごと切り裂いてやろうと構えた。私の魔力で強化された拳ならば、奴の肉体など容易く両断できるはずだ。


拳同士が激突する直前──(今だ!)


私は咄嗟に、ガントレットから漆黒の魔力の刃を生成し、拳をぶつけると同時にその刃を伸ばした。奴の拳を切り裂き、その腕ごと断ち切る完璧な奇襲。


しかし、その時だった。


奴は、私の刃が伸びるよりも速く、ぶつけるはずだった拳を瞬間的に引き、まるで鞭のように逆の腕をしならせたのだ。私の意表を突いた、その拳は、生成したばかりの刃の軌道を外し、私の肘を真逆から正確に殴りつけた。


肉体が嫌な音を立て、私の肘はありえない方向に折れ曲がった。激痛が脳髄を灼く。腕が、完全に使い物にならなくなった。


(馬鹿な……見切っただと!?)


私の攻撃を見切っただけでなく、刃の生成すら予測し、それを躱した上で、最も効果的な一点、伸びきった腕を狙って反撃してきたというのか。この男の強さ、その異常性が、私の理解を遥かに超えていた。


「おら、こんなんじゃまだ終わらねぇぞ」


奴の、冷徹な声が響く。折れ曲がった肘の激痛に視界が歪む中、奴の鋭いジャブが私の頬を打ち据えた。咄嗟にガードしようとしたが、潰された腕側では満足に防げるはずもない。


ニヤリと笑う奴の顔が見えたかと思うと、嵐のようなラッシュが私を襲った。左の脇腹、右頬、左頬、そして腹。身体が木の葉のように揺さぶられ、脳が揺れる。魔力で強化した肉体は、ただ殴られるだけに耐えることしかできない。


(まだ……まだだ……!)


殴られ続けた私の体は「く」の字に折れ曲がり、頭が自ずと前に出てしまう。その瞬間、奴の手が私の髪を掴んだ。視界が揺れ、次の衝撃。顎に膝が叩き込まれ、私の体が宙へと跳ね上がる。その無防備な腹部に、奴の廻し蹴りが情け容赦なく食い込んだ。


意識が遠のくほどの衝撃と共に、私は再び城塞都市へと吹き飛ばされた。地を転がるような無様だけは決して見せまいと必死に耐えはしたが、こみ上げる嘔吐感には抗えず、四つん這いになって胃の中のものを吐き出してしまった。


たかが人間に、このような……! このような無様を……!


吐き出したものを拭うこともせず、私は憎悪に燃える瞳で玖須田を睨みつけた。この屈辱、この痛み、決して忘れはしない。


私の周囲に渦巻く魔力を凝縮し、半身たる剣を生成した。それは、私の憎悪と怒りを象徴するかのように、黒く、禍々しい光を放っている。


「ならば、遠距離から切り刻んでくれる!」


私は、その剣を大きく振りかぶり、玖須田めがけて無数の斬撃を放った。それは、まるで黒い奔流のように、奴を飲み込もうと押し寄せる。先程までの接近戦とは異なり、この距離ならば、奴の常軌を逸した動きも、ある程度は予測できるはずだ。


奴が、その斬撃の嵐を軽々と躱している間に、私は右手に我が半身たる刃『盟断(めいだん)』を呼び出し、そこに魔力を込める。四方へ伸びる独特な円柱の鍔からは、漆黒の魔力が勢いよく噴き出し、刃は暗い輝きを纏ってゆく。


(ただの斬撃で躱されるなら……”面”で斬撃を放ってやればいい)


私は『盟断』を構え、深く息を吸い込んだ。


鋭盟(エッジリンク)漣断(れんだん)!」


私の放った斬撃は、まるで水面に起こる波紋が瞬く間に広がるように、空間を覆い尽くすほどの漆黒の斬撃の波となって、玖須田へと殺到した。最早、躱すことは許さない。この波紋は、奴を確実に捉え、細断するはずだ。


勝利を確信した、その瞬間だった。


奴が、ニヤリと笑った。


私の斬撃の波紋が迫る中、玖須田はただ、指を揃え、まるで冗談のように構えている……手刀……だと!?馬鹿な。この「漣断」を、そんなもので受け止めようというのか。


だが、私の思考を嘲笑うかのように、奴の手を濁った魔力が覆い始めた。それは、禍々しい輝きを放つ漆黒の刃と化し、振り下ろされたその手刀が、私の渾身の斬撃とぶつかった。


キン、という甲高い、しかしどこか現実離れした音が、私のすぐ横を通り過ぎていく。そして、遅れて、私の肉体を貫くような激しい衝撃が突き抜けた──ありえない。私の「漣断」が、真っ二つに裂かれたのだ。あの、広大な斬撃の波が、たった一本の手刀によって。


振り下ろされた手刀が、ゆっくりと元の位置へと戻っていく。口角を上げたままの奴の顔は、最早人間には見えなかった。私の理解と常識を遥かに超えた、恐ろしい化け物だ。


「う、うわああああぁぁぁぁぁ!!!」


私は、生まれて初めて、文字通り恐怖に叫んだ。魔王様が「真の力」と認めたこのザインが、目の前の人間一人に、ここまで無様に打ちのめされるとは。これ以上、この場に留まることなどできない。


私は、背を向けた。魔王軍の幹部であるこの私が、人間から逃げるなど、天地がひっくり返ってもありえないことだ。だが、私は逃げた。城塞都市へと、臆病な人間たちのように……。




あのクソ魔人は尻尾を巻いて逃げていきやがった。まるで、地面を這いずり回る哀れな虫けらのように、自分がぶっ壊した城塞都市へと逆戻りしていく。


だが、そんな簡単に逃がしはしねぇ……。


この俺様の『おもちゃ』を勝手にぶっ壊しやがったこと。そして、俺の『遊び』の邪魔をしたこと。その全ては、ありったけの痛みと、身も蓋もない屈辱、そして、最後には完璧な死をもって償ってもらわないとな……。


ニヤリと、愉快で仕方がないとばかりに口角を吊り上げる。


俺は、崩壊した城塞都市へと、ゆっくりと歩き出した。まだまだ続く『遊び』に、胸が高鳴るのを感じていた。

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