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【第17話】嗜虐と労いと想い

──城塞都市グリムヴォルフを目指して進み始めて三日が経過した。



ゼファーの転移魔法を使い、可能な限り距離を稼いできたが、それでもまだ道のりは遠い。度重なる転移に、ゼファーの顔に疲労の色が窺え、今にも倒れそうだった。それでも玖須田の有無を言わさぬ圧に、彼は黙々と魔法を使い続けている。


途中街や村により食料等を調達した。

夜になり、四人は焚き火を囲んで食事を摂っていた。道中、ろくに会話もなかったが、凍てつくような空気は少しずつ溶け始めていた。京極とゼファーは、魔王軍大将であるラグナを当初は警戒していたが、彼女が自らの身の上を語り始めたことで、多少は打ち解けたらしい。何かしら通じ合うものがあったのだろう。


そうなると当然、会話の矛先は玖須田へと向かう。


「なぁ、玖須田さん。アンタはどんな力を持ってこの世界に来たんだ?」


京極とかいう、いかにも真面目そうな同じ日本人が、警戒の色を残しつつも、ズカズカと核心に触れてきやがった。玖須田は、焚き火に燃える薪を適当に蹴り、火の粉を散らす。……まぁ、別段隠しているわけでもないし、少しだけ答えてやることにした。


「……俺自身は特に『神』とかいう胡散臭いやつに、力なんて貰ってねぇよ」


玖須田の言葉に、京極とゼファーは眉をひそめた。この世界に召喚された勇者は、誰もが等しく神から与えられた特別な能力を持つ。それが常識だった。


「そのまんま身一つでほっぽり出されてよ。生きるために死ぬほど努力して得た《喧嘩士》くらいなもんさ」


玖須田は、ニヤリと笑った。それは、彼にとっての真実であり、同時にこの世界の住人には理解できない、異質な強さの根源でもあった。


「それは……なんというか、意外だな。この世界に来る時にスキルを貰えたと思うんだが……」


京極は困惑したように問い返した。彼の知る召喚された勇者と、あまりにもかけ離れた玖須田の言葉に、どう反応すればいいのか測りかねているようだった。


「そうそう、天界に白髪のジジィがいたろ?」


玖須田は、面白そうに問い返す。ラグナは、玖須田の言葉にぴくりと反応した。彼女もまた、この世界の神々がどのようにして玖須田を召喚したのか、その詳細を知らない。


「あいつならもう天界にいないぜ」


玖須田は、焚き火の炎を見つめながら楽しげに続けた。彼の声は、まるで他人のことでも話すかのように、どこまでも淡々としていた。しかし、その内容が、京極とゼファー、そしてラグナの耳に届いた途端、彼らの顔から血の気が引いた。


「俺様がこの世界に蹴り落してやったからな」


玖須田がそう言って笑うと、周囲の奴らは目をかっぴらいて驚愕しやがった。まさに、恐怖と理解不能が入り混じった、最高のリアクションだ。京極は息を呑み、ゼファーは顔を青ざめ、ラグナは信じられないものを見るように玖須田を見つめている。


「カスみてぇな断末魔を出して落ちてくジジィは滑稽だったぜ」


呆気に取られて何も喋れない周囲に、玖須田は少し気分を良くしたのか、口元に薄い笑みを浮かべた。焚き火の炎が、その横顔を赤く照らす。


「それに俺自身は、大した『スキル』や『力』なんて持ってねぇんだ」


玖須田の言葉に、京極もゼファーも、そしてラグナも、再びその耳を疑った。彼らは、玖須田の圧倒的な力、神をも蹴り落とす規格外の存在を目の当たりにしてきた。それなのに、彼は「大した力を持っていない」と言うのか。


「ほとんどは貰いもんさ」


そこまで語ると、玖須田は懐から取り出した煙草に火をつけ、紫煙を夜空に吐き出した。煙は、そのまま闇に溶けていく。


「過去の仲間たちのな。今はもう死んじまっていねぇが、今際(いまわ)の時に貰った……いや、俺としては預かってるって方が正しいか。まぁ、そんな感じだ」


玖須田は、木製のコップに注がれた蒸留酒をグビリと喉を鳴らして飲んだ。その表情は、どこか遠い目をしており、普段の傲慢さとは異なる、わずかな(かげ)りを帯びているように見えた。彼の言葉は、彼らが想像し得なかった、玖須田の過去の一端を垣間見せるものだった。


京極とゼファーは、玖須田の言葉の意味を理解しきれずにいた。「貰った」力。そして「過去の仲間」。その言葉は、彼らが考えていた「勇者」という存在の概念を、根底から覆すものだった。特に、彼らの頭の中には、王国の砦防衛戦で伝え聞いた、玖須田の圧倒的な『力』がフラッシュバックしていた。あれが、彼自身の力ではないとでも言うのか?


ラグナは、玖須田の言葉を静かに聞いていた。彼の「預かっている」という言葉が、魔族の魂の概念と結びつく。もしや、玖須田が自身の「世界」と呼ぶものが、彼の過去の仲間たちの魂と関係しているのではないか。そんな想像が、彼女の脳裏をよぎる。


「だから俺ァ、返してやりてぇんだ……それが何度世界をぶっ壊すことになってもな……」


うつらうつらと、しかし確固たる意志を秘めた声で、玖須田はそう呟いた。彼の目には、普段見せる傲慢さとは異なる、遠い過去への執着が宿っているようだった。再び木製のコップを傾け、残り少ない蒸留酒を喉を鳴らして飲み下す。そして、残り僅かとなったタバコをひと吸いすると、そのまま地面にぐりぐりと押し付けた。


「いけねぇ……ちょっと飲みすぎだな……」


独りごとのように呟くと、彼は何事もなかったかのように立ち上がった。京極たちが戸惑う中、玖須田は焚き火のそばに広げてあった厚手の布に、すぐさま身をくるめる。その動きは淀みがなく、まるで普段からそうしているかのように自然だった。


「明日夜の警戒してやるからな、おやすみ……」


そう言い残すと、玖須田はあっという間に寝息を立て始めた。わずか数秒で、深い眠りに落ちたようだ。


京極たちは、その急な行動に言葉を失った。つい先ほどまで、世界の根源に迫るような狂気的な言葉を吐いていた男が、まるで子供のようにあっさりと寝入ってしまう。そのあまりのギャップに、彼らの困惑は頂点に達していた。


(この男は……本当に、何を考えているんだ?)


京極は、呆れたように玖須田の寝顔を見つめた。その寝顔は、つい先ほどまで冷徹な光を宿していたとは思えないほど、穏やかで無邪気に見えた。その不可解さが、かえって玖須田という存在の底知れなさを物語っていた。


ゼファーは、疲労困憊の体でなんとか立ち尽くしていたが、玖須田の寝顔に、どこか安堵したような息を漏らした。少なくとも、彼が寝ている間は、あの無茶な転移を強いられることはないだろう。


ラグナは、玖須田のすぐそばで座り込み、彼の寝顔をじっと見つめていた。その瞳には、恐怖と憎しみ、そして理解不能な感情が複雑に混じり合っている。彼の「預かっている」という言葉と、「世界をぶっ壊す」という宣言が、ラグナの脳裏をぐるぐると巡っていた。この男の行動の全てが、その一言に集約されているような気がしてならなかった。彼の狂気が、どこか悲劇的な目的を帯びているのかもしれない。


焚き火の炎が、静かに夜の闇を照らす。玖須田のいびきだけが、その場の奇妙な静寂を破っていた。




──翌朝



連続で転移魔法を使わされ、もはや限界を超えていた俺の体は、深い眠りの淵からゆっくりと覚醒しようとしていた。全身が軋み、頭は鉛のように重い。視界はぼんやりと霞んで、焚き火の煤けた温かさだけが、微かに感じられる。


重い瞼をなんとか持ち上げると、薄く開いた目の先に、焚き火の上に何か……掛けられているのが見えた。ぼんやりとした視界を数度の瞬きで鮮明にする。


それは、まさしく熊だった。


くま? なぜ、焚き火の上に……?


むくりと体を起こすと、すでに俺以外の三人が食事を摂っているのが目に入った。玖須田はいつもの無表情で熊肉を貪り、京極とラグナも静かにそれを口に運んでいる。彼らの周りには、焼けた肉の香ばしい匂いが漂っていた。


「……すまない、いろいろと理解が追い付いていないんだが……何があった?」


俺は、混乱する頭を抱えながら尋ねた。昨夜の玖須田の言葉と、その後の疲労と眠りに、まだ脳がついていけていない。


「おはよう、起きたか」


熊肉をケバブのように薄く切り落としたものを食べながら、京極が説明してくれた。


「実はな、今朝がた物音がして目を覚ますと、玖須田さんが先に起きててな……熊を引きずって帰ってきてたんだ」


京極の言葉は、まるで現実感を伴わなかった。熊。引きずって。まるで散歩でもしてきたかのような口ぶりだ。


「すまん、それだけではよく分からん……」


なおさら混乱していると、今度はラグナが、淡々とした口調で説明を始めた。


「私が夜の警戒をしていると、干し肉や他の食材の匂いを嗅ぎつけてきた熊が寄ってきたんだ。玖須田を起こすのも少し可哀そうだと思ってな、追い払おうとしたら玖須田が起きてきた」


ラグナの言葉は、京極よりも具体的だったが、それでも俺の理解を助けるものではなかった。玖須田が起きる。それと熊に何の関係が……。


「そして、熊の前まで近づいて、吠える前に一撃で首を落とした。それだけだ」


京極は困ったように肩を竦め、ラグナはいつもの冷静な表情のまま、再び熊肉を口に運んでいる。彼らにとっては、玖須田の行動はすでに「日常」の一部になっているかのようだった。


俺は、目の前で美味しそうに焼かれている熊肉と、その隣で無表情に食事を続ける玖須田を見比べた。この男の常識は、俺たちの理解を遥かに超えている。昨夜の狂気的な告白といい、今朝の熊といい、玖須田という存在は、常に俺たちの想像の斜め上を行く。


むしゃむしゃと無言で熊肉を食べていた玖須田は、混乱で固まっている俺を一瞥した。


「心配すんな、全自動血抜き魔人がいい感じにしてくれてるぞ」


それだけ言うと、玖須田は再び食事に集中しだした。その言葉が指す「全自動血抜き魔人」がラグナのことであると理解するまでに、ほんの数秒を要した。ラグナは、その呼称に眉をひそめながらも、否定することなく淡々と熊肉を食べている。


「まぁ、私は自身の血液と魔力を操作して強化できるからな。たかだか野生の熊くらいどうでもない」


なんでもないことのように言い放つラグナに、玖須田はぶっきらぼうに茶々を入れた。


「俺らが寝てるときに殺すなり逃げるなり出来たのに、なんだかんだ根はいいやつだよな」


その言葉に、ラグナは露骨に嫌そうな顔をする。


「馬鹿を言わないでくれ……私がそんなことしようとすれば、すぐさま返り討ちだろう?」


ラグナの問いに、玖須田はニヤリと笑いかけた。その笑みは、まるで悪戯が成功した子供のようだった。


「当たり前だ。なんど寝込みを襲われたことか……」


玖須田の言葉に、京極も面白そうにニヤリと笑い、同調しだす。


「おいおい、随分と積極的だねぇ。血盟の魔人様も夜には血が滾っちゃたのか?」


ニヤニヤと笑う二人を相手に、ラグナは慌てて否定した。その顔は、ほんのり赤みを帯びている。


「バッ……! バカバカしい! 寝首を掻いてやるにきまっているだろう!!」


慌てて否定すれば、余計それらしく見えてしまうのに……。この魔人も、玖須田に感化されてしまったのだろうか。俺は内心、そんなことをひとりごちた。


否定するラグナをよそに、玖須田は、焼けた熊肉の乗った木の皿を俺に向けて差し出した。


「散々こき使ってるからな。この熊はお前への労いだ。食ったらまたこき使ってやるから、しっかり栄養補給しとけ」


労い、という言葉の裏に隠された容赦ない未来を予感し、俺は思わず肩を落とした。だが、何とも言えない複雑な気持ちのまま、木の皿に盛られた熊肉を噛みしめた。薄く切られた肉は若干の筋っぽさはあるものの、玖須田が言った通り、血抜きが完璧だった。その味に、疲労困憊の体に少しだけ力が戻るのを感じた。


この旅は、俺の想像をはるかに超えるものになりそうだ。



──数日後


度重なる転移魔法で、俺の体はもはや悲鳴を上げていた。だが、玖須田は一切容赦することなく、ゼファーをまるで魔力電池のように酷使し続けた。疲労困憊の末、ようやく辿り着いた目的地が、俺たち一行の眼下に広がる、そのあまりに悲惨な光景だった。


都市は、まるで巨大な刃で両断されたかのように、真っ二つに分断されていた。街の喧騒とは違う、魔物の悍ましい咆哮や、建物が崩れ落ちる鈍い音が、遠くからここまで生々しく聞こえてくる。街中には、すでに住民や兵士の姿はほとんど見えず、大規模な戦闘が続いている様子がないことが、彼らの運命を明確に教えてくれているようだった。


「で? ここをぶっ壊したクソの首魁はいんのか?」


不機嫌そうに、誰にともなく問う玖須田の声が、俺たちの背筋を凍らせた。彼にとって、この惨状はただの「おもちゃ」が壊された結果でしかないのだろう。京極が言葉を選ぶ中、俺は震える声で答えた。


「分からん。だが、まだ多くの魔物が都市内にいる様子から、『ザイン』がいる可能性は高い」


玖須田は本当に人などどうでもいいのだろう。彼の興味は、この都市の惨状にも、そこで失われた数多の命にも向いていなかった。ただ、自分以外がこの都市を落としたことのみが気に食わない様子だった。その歪んだ思考に、俺は改めて身震いする。


(いずれ王国と帝国がぶつかる時がくれば、玖須田とラグナは敵になる……)


そんな未来が、京極の脳裏をよぎる。しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。この圧倒的な戦力を、帝国のために利用しなければならない。目の前の絶望的な状況を打破するには、この狂気を纏った男の力を借りるしかないのだ。


今は……先延ばしにしてでも、帝国のために『鋭盟の魔刃─ザイン』を屠ってもらう。それが、俺たちがこの旅で果たすべき、唯一の使命だった。俺たちは、玖須田の気まぐれな暴力が、せめて人類の存亡に役立つことを願うばかりだった。

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