【第16話】俺が動けば世界が動く
ちょっと短めです。
自室で寛いでいると、王城の兵士たちが慌ただしく行き交う喧騒が、いつもより騒がしく聞こえてきた。嫌な予感がしたわけじゃねぇが、この王城の連中が揃いも揃って慌てふためくなんざ、滅多にあることじゃねぇ。
しばらくして、帝国の勇者、京極とゼファーが王城に駆け込んできたという報せが届いた。それだけで、何が起きたか大体察しはついたが、わざわざ迎えに行くのも面倒なんで部屋で寛いでいると、ジジィことアンポンス国王からの召集命令が届いた。まぁ、予想通りだな。
謁見の間に入ると、そこにはすでに国王と幹部たち、そして青い顔をした京極とゼファーがいた。京極は、荒い息を整えながら、声を絞り出すように報告しやがった。
「アンポンス国王陛下……申し上げにくいのですが……ディアガル帝国北方城塞都市グリムヴォルフが……魔刃ザイン率いる魔王軍に陥落しました」
その言葉が響いた瞬間、謁見の間は静寂に包まれた。国王の顔から血の気が引く。グリムヴォルフ陥落。この世界の連中にとっては、まさしく青天の霹靂であり、アンポンス王国にとっても、帝国の防衛線が崩壊したことを意味するらしい。
そんなこと知ったこっちゃねぇ、一番問題なのは俺様が壊すべき世界を勝手に壊しやがったバカがいることだ。
「まさか……!グリムヴォルフが、あの鉄壁の城塞が……!」
重臣の一人が、信じられないといった様子で呟いた。
ゼファーは、冷静さを装いながらも、その声には焦りがにじみ出ていた。
「帝国の《剣聖》アルド・ヴァルクハルト、《巨盾》ブロン・アイアンハイド、そして《魔導士》佐藤美閖の三勇者は、からくも転移で脱出しましたが、被害は甚大です。ザインは、以前とは異なる新たな能力を習得しており、それが陥落の決定打となりました」
京極は、言葉を選びながら、さらに付け加えた。「そして、帝国陛下より、我々アンポンス王国に……共同戦線の提案がなされました」
共同戦線。その言葉が、謁見の間に再びざわめきを生んだ。長年対立してきた帝国が、王国に助けを求めてきたのだ。それは、現状がいかに絶望的であるかを物語っていた。
だが、その背後には、この期に及んでなお、帝国の威信と主導権を確保しようとするバカの思惑が透けて見えた。やれやれ、つまらねぇ権力争いをしてやがる。
玖須田は、その報告を聞きながら、ゆっくりと立ち上がった。その目は、静かに、しかし燃えるような光を宿していた。
「……勝手に俺の『世界』を壊しやがって……」
低い、しかし謁見の間に響き渡る声で、玖須田は呟いた。彼の言葉に、国王も幹部たちも、京極もゼファーも、誰もが息を呑んだ。その場にいた者たちは皆、彼の言葉の真意を測りかねていた。
「今からそいつのとこ行って、ぶっ殺してくる」
玖須田の言葉が、氷のように冷たく響いた。そして、彼は何の躊躇もなく、京極とゼファーの襟首を掴んだ。
「おい、案内しろ」
京極とゼファーは、あまりの唐突さに、何も言えずに目を剥いたまま玖須田に引きずられるようにして謁見の間を出ていく。国王も幹部たちも、ただ呆然とそれを見送るしかなかった。
「お、おい!待ってくれ!」
その時、玖須田の足元にいたラグナが、慌てた様子で叫び、彼の後を追って走り出した。まるで、忠実な犬が主人の後を追いかけるように。
玖須田にとって、世界の危機などどうでもいい。ただ、自分の「おもちゃ」を、勝手に、それも自分の意図しない形で壊されたことへの、純粋な、そして身勝手な怒りだけが、彼の行動を突き動かしていた。
◇
玖須田の言葉は、まるで絶対零度の氷塊が胸に突き刺さるようだった。京極は、その瞬間、自分が何をすべきか、何を言うべきか、一切の思考が停止した。ただ、玖須田の冷え切った眼差しと、有無を言わさぬ腕力に支配される感覚だけがあった。
襟首を掴まれ、意識する間もなく謁見の間から引きずり出される。同行していたゼファーも同様だ。彼の顔も、京極と同じく青ざめ、呆然と宙を見つめていた。まるで、操り人形のように、俺たちは玖須田の意のままに廊下を進んでいく。
(な…なんだ、こいつは!?)
京極の脳裏には、先ほどまで議論していたグリムヴォルフ陥落の絶望的な状況が、一瞬で吹き飛んでいた。ザインの新たな能力、帝国の危機、共同戦線……。それら全てが、今目の前で俺たちを引っ張っていくこの男の異様な存在感の前には、霞んでしまう。
「ぶっ殺してくる」──彼はそう言った。何のために?世界の平和のためか?帝国の復讐のためか?いや、違う。彼の言葉には、そんな大義名分は微塵も感じられなかった。ただ、「俺を不快にさせやがって」という、極めて個人的で身勝手な怒りだけが、その瞳に宿っていた。
王城の廊下を、玖須田は一歩も迷わず進んでいく。兵士たちが俺たちの異様な姿に気づき、慌てて道を空ける。その誰もが、玖須田のただならぬ雰囲気に気圧され、目を逸らすことすらできないでいる。
「待ってくれ!」
背後から、聞き慣れた声が聞こえた。ラグナだ。四つん這いの姿勢は解かれているものの、その顔には未だ恐怖と混乱の色が残っている。それでも、彼女は必死に俺たちを追ってくる。まるで、鎖が切れた忠実な犬が、主人の後を追いかけるように。
京極は、一瞬だけラグナと視線を交わした。その瞳には、かつての魔王軍大将としての威厳はなかったが、それでも、この状況で玖須田を追いかける彼女の行動に、京極は微かな理解不能な感情を覚えた。
◇
(この男は一体……何なんだ?)
ゼファーもまた、隣で混乱の表情を浮かべている。彼の冷静沈着な《影》の顔は、どこへやら。ただ、玖須田の圧倒的な理不尽さに圧倒されているだけだ。
玖須田は、城の門番を一瞥しただけで、何の言葉も発することなく外へと出た。門番たちは、彼の視線を受けただけで体が竦み上がり、門を開けることすら忘れていた。
城門を蹴り開け城の外に出ると、王都の喧騒が俺たちを包み込んだ。しかし、玖須田の周囲だけは、まるで別の世界のように、静寂に包まれていた。彼は、一切の躊躇なく、魔王軍が侵攻している北方へと歩き出す。
「どこへ行くか分かってるのか!?」
京極は、半ば反射的に叫んだ。このままでは、目的地も告げられずに、意味もなく魔王軍の真っ只中に放り込まれる可能性がある。
玖須田は、足を止めることなく、冷淡な声で言った。
「テメェらが案内するんだろ。迷ったら殺すぞ」
その言葉に、京極とゼファーは再び言葉を失った。この男に、交渉の余地はない。彼にとって、俺たちはただの「道具」なのだと。
「おい、誰か転移魔法使えねぇのか?」
玖須田の問いかけに、京極とゼファーは顔を見合わせた。長距離の転移魔法となると、勇者の中でも美閖とゼファーくらいか、だがゼファーは美閖と違い時間が必要となる。ましてや、すぐに移動できる者などこの場にはいなかった。
「……一応、俺が使えるがな」
静かにそう呟いたのは、ゼファーだった。声は低く、どこか呆れたような響きを含んでいる。立ち尽くす彼の背後で、風がざわめくたび、彼の気配が一瞬だけ鋭さを増すようだった。
その言葉に、玖須田はちらりと振り返り。無造作に言葉を投げる。
「城塞都市を落としたやつんとこまで、どれくらいで行ける?」
問う声には焦りも熱もなかった。ただ、目的地を設定するGPSのような無感情さがあった。
ゼファーは腕を組み、少し顎を引いて考え込む。地図と地脈の構造、転移の座標、現在位置……彼の頭の中であらゆる情報が一瞬で組み上がっていく。
「……ザインがまだ城塞都市にいると仮定して……転移込みで十日ほど、だな」
「結構かかるんだな」
玖須田が片眉を上げてつぶやいた。文句を言うでもなく、納得した様子でもない。
「まぁいい。じゃあそこに連れてけ」
命令だった。頼みでも、提案でもない。ただ決定事項として、既に完了しているかのような口調。
ゼファーの眉が、ピクリと動いた。さすがに我慢の限界に近いらしい。彼は深く息を吐き、じっと玖須田を睨む。
「……さっきから思っていたが、凄まじいまでの自己中心だな、お前は」
「俺様が最強だからな、世界の中心も俺様なわけよ」
その顔には、悪びれた様子もなければ、反省の色もない。ただ一つ、肩の力の抜けた笑みを浮かべていた。
それは開き直りでも挑発でもなく、ただ「そういう人間なんだ」という、どうしようもない肯定だった。
ゼファーは言葉を失ったまま、苦い沈黙を飲み下す。正論をぶつけても意味はないだろう。玖須田は、正しさで動く男ではないのだ。
まぁ今考えても仕方ないことだ…。
玖須田の身勝手な怒りと、その怒りに突き動かされる常軌を逸した行動は、アンポンス王国と帝国や周辺に大きな混乱をもたらすだろう。そして、俺たち異世界から召喚された勇者たちもまた、彼の「おもちゃ」として、否応なしにこの狂気の舞台へと引きずり込まれていくのだった。