そこにやさしいオトナはいるのか(あぶらやのらぶ後編)
SNSから始まった衣満莉の恋が、家族の災厄を招き寄せる経緯を描きます。
長くなりそうなので、二分割しました。
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『御影橋を北向きに渡って三つ目の交差点。越えた先にあるコンビニ、エルマートの駐車場でボクは明日昼メシを食べる。クルマは会社の黒いジープ。たぶん十二時半から一時の間。ゆっくり話せるほどの時間はなくて、顔を合わせるだけになりそう。それでもよかったら。もしも来られるなら。ぜひ来てほしいな、マリちゃんに会ってみたいから』
むしろそのほうがいいかも。
わたしはほっとした。SNSでおしゃべりするだけのオトナから、ついに会おうと誘われたのだ。お昼休みのコンビニ駐車場。御影橋から三つ目の交差点のエルマート。なんとなく見覚えのある店。御影橋を渡って北側へ行くことはあまりなかった。べつに禁じられているわけじゃないけど。高層マンションが立ち並ぶその地域は、わたしの生活圏内からだいぶ外れている。近いのになんだか遠い。そんな場所。
お昼どきのエルマートは思ったより混み合っている。ひっきりなしに人が出入りする。男も女もオトナも子どもも、いろんなお客がいる。なんとなく、安心できる感じ。
だからわたしは混み合う店の中でお客の間に紛れ込む。十二時半より少し前に来て。目当ての雑誌を探すみたいに端から一冊ずつ、手に取っては戻して。そうしたら待つほどもなく十二時二十五分、大きな黒いジープが駐車場に止まった。あれが会社のクルマだなんて、なんか変な感じ。
店に入って来たサカタを、わたしはチラとも見なかった。ずっと背を向けていた間、うなじと後頭部の皮膚がびりびりした。虫眼鏡で集めた太陽光に炙られたみたい、熱くて痛かった。
黒いジープが止まったのは駐車場の端っこ、店から遠い位置だ。そこまでの距離を大股できびきびと、サカタはアスリートのような身ごなしで歩いた。細身仕立てのスーツを着ているせいでなおさらに、そう見えた。
そのくせ履いている革靴はボートのように長く、爪先がツンと上向きだ。わたしはおとぎ話の挿絵で見た魔法使いの靴を思い出す。もう少し勢いつけて助走したら、あの人は宙を飛んで行けるかも。魔法使いのように。わたしはサカタのその靴が気に入った。なんだか愉快な気分になれた。
それにしても。
手に取った文芸雑誌をぱらぱらとめくりながら、わたしはサカタの意図を図りかねる。勤務中の昼休み、会社のクルマと言うけどあんなに目立つ大きなジープで現れるなんて、いったいどういうつもりなのか。つらつらと考えあぐねた末に、仮説を並べてみる。
①意外にもサカタは、隠し事のない公明正大かつ純朴な、善意の人であるのかも、確率は極小だけど。
②単に無頓着で目立ちたがり屋のサカタは、SNSで知り合った女の子にカッコいいところを見せたい一心でジープなのだ、確率は中くらいか。
③最悪のパターン。ただ言ってみただけ、あれホントに来たの?なんてビックリされちゃってジロジロ見られたり、もしかしたら案外あり得るかも。
どれなんだろう、この三択の。人生は選択と決断の連続で出来ていると、だれかが歌っていたような。じゃなくて、どこかのポスターで見たのだったか。いずれにしてもまことにその通りと思うわたしは、この期に及んで怖じ気づいた。どっちとも、選べないし決められない。こんなの最低だった。
黒いジープの運転席のサカタは、前方にあるなにかを一心に見つめ、おにぎりご飯を頬張っている。遠すぎるうえにウィンドウ二枚越しなので、前方のなにを見ているのかさっぱりわからない。ましてや、どんな具のおにぎりご飯を食べているか、皆目見当もつかない。
後になって思い返すとそのことは、サカタという人物を推し量るうえで、案外重要なヒントになったかも知れない気がした。
SNSで会話している女の子と初めて会うつもりの昼休みに、どんな具のおにぎりご飯を選んで食べるのか。その選択からサカタという人物の日常や価値観や、金銭感覚や虚栄心の度合いなどが透けて見えたのでは。わたしはせっかく店内にいたのに、さりげなくレジに近づくという行動力がないばかりに、それを知る機会を逃した。いまさら気づいたって、なんにもならないのだが。
こと程左様に、わたしはいつも後になって気づき、真相を知るのだった。
とりわけサカタとの関わりにおいて、わたしに働いたのは後知恵ばかりだ。なにもかもを、サカタひとりのせいにするつもりで言うのじゃない。ただ、不思議でならないのだ。わたしはサカタのことを完全無欠のヒーローだなんて、チラとも思いはしなかった。ましてや、愛してるだの惚れただのと世迷言も言えない。なにか違う気がしている。
それなのに、従ってしまった。先行する登山者が狭く危険な山道で立ち止まり、身を反らして後続者に道を譲るように。わたしは一歩下がってサカタの前進を赦した。これから起こりそうなことを予感していたのに。行く手を遮ろうとはしなかった。
雑誌コーナーのディスプレイに身をひそめ、わたしは黒いジープの運転席を注視した。見ないではいられなかった。一心におにぎりご飯を頬張っては咀嚼するサカタのしぐさが、あまりにも闊達でおいしそうで、部活帰りの中学生みたいなのだ。ジープに乗り降りする姿の印象では、だいぶ年上のオトナだったのに。ずっと昔にお祖母ちゃんから言われたことが頭をかすめた。
『衣満莉のつくったゴハンをおいしそうに食べてくれるダンナさんと一緒になれたら倖せってもんだよ』
わたしのつくったゴハンじゃない、コンビニおにぎりだけど。とってもおいしそうに食べる人が、そこにいたのだ。
お祖母ちゃんはとっくに逝ってしまった。サカタをどんな人物と思うか、意見を訊いてみることはもうできない。そのことに気づいたわたしは途方に暮れる。でも。おにぎりご飯を実においしそうに食べるあの横顔を見たら、お祖母ちゃんは言ってくれたかも知れない。
『あの人はきっといい人だよ』
けれども、駐車場に止まったジープの位置は遥かに遠い。文芸雑誌を手にしたわたしは、いまさらのこのこ出て行けない。
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『マリちゃんは自分で言うよりずっと可愛いよ。なんか、うれしかったな。〈文芸キラ星〉に面白い記事は載ってたかい?今日のことは全部チャラにするよ。明日また初めからやり直そう、もう一度』
翌日の十二時三十分。わたしはエルマート前のバス停に立つ。次のバスが来るのはおよそ一時間後。立っているのはわたしひとり。歩道沿いに植わった名前も知らない木に、可愛いらしい白い花がたくさん咲いている。
きのうサカタがおにぎりご飯を食べながら見つめていたのは、この花だったかも知れない。こんなに綺麗だもの、だれだってきっと目を奪われる。サカタとわたしの共通点をひとつ、見つけた気分。同じ綺麗な花を同じように綺麗と思って、見惚れてしまうところ。
風に揺れるたおやかな白い花びらを、つぶさに眺めた。ふだんのわたしはしないことだ。そうして、白い花の芯部はほのかな薄桃色であることを発見した。角度を変えた見ようによっては、薄桃色にも見える花だった。
黒いジープがわたしの前に滑り込み、ドアハンドルの位置をピタリと合わせて止まった。わたしはごく当たり前のことをするように、ドアハンドルを引いた。大きなジープのシートの高さに面食らった。怯んだ。スマートにカッコよく登れる気は、全然しなかった。
サカタが笑いながら手を差し伸べてくれたけど、どうにか自力で登りきった。ドアが閉まるや否や、ジープは走り出す。大きくてもすばしっこい野生動物のように。なんて速い逃げ足。そんなフレーズが浮かんだ。
「マリちゃん、あの花にさわったりしなかったよね?」
サカタの第一声は思いがけなく真摯に響いた。片方の眉を吊り上げ、どこか痛むのを堪えるような顔をして。わたしはまたしても面食らう。ややあって、サカタはあの白い花のことを言っているのだと、気づいた。
「綺麗だから見ていただけ。花を取ったりなんかしてない」
「あー。そういうことじゃなくて。あれはキョウチクトウだから、けっこう危ない毒があるんだ。マリちゃん風下にいただろ、風に吹かれた花びらがどっかにくっついたりしてない?手、見せてごらん」
毒があるって、なにそれ?
思いながらも赤信号で止まったとき、わたしは両手の平をかざして見せた。ほら、なんともないでしょ。サカタはわたしの手首をつかんでぐいと引き寄せ、じっくりと検めた。学校医のセンセイの健診よりも、よほど念入りな検め方だった。
この前こんなふうにわたしの手を取ったのは、だれだったかしら。やっぱりお祖母ちゃんだったかな。何年も前にいなくなったお祖母ちゃんと、きょう会ったばかりのサカタだけ。気づいたら、少し寂しい気持ちになった。
次の赤信号で止まったとき、サカタはわたしの顔も引き寄せて検めた。ありきたりな接近法。ダサ。思わないでもなかったけど、されるがままでいた。どこも痛くはなかった。それでもサカタの生真面目な顔と声に言われると、もしかしてかぶれたりしてるかも、なんて心配になってくる。
大きな黒いジープは御影橋から遠く離れる。聳え立つマンション群の街並みも通り過ぎる。何町の何条何丁目なのかもうわからない。馴染みのない風景、よそよそしい街。十八歳のこの年まで、白い花の名前を知らずにいたわたし。ましてや毒があるなんて気づきもしなかった迂闊なわたしを、連れ去ってゆく。でも。わたしは怖がったりなんかしない。
「あんな綺麗な花に毒があるなんて、ウソみたい」
「あるよ、ウソじゃないって。花も葉っぱも枝も、全部にあるんだ。燃やせば煙と灰でも中毒するくらいだから、マジで危ない。ホントに全然さわってないんだよね?」
知らなかった、そんなこと。
わたしの不満はふつふつと膨れ上がる。だって親たちも祖父母も学校の先生たちも、だれも教えてくれなかった。級友との間で話題になったこともない。キョウチクトウの白いお花は綺麗だけど危ない毒があるのでさわってはいけません。そんなような注意事項を聞いたり読んだりした覚えは、どの学年でも一度もないのだ。
もしかしたら。知らないのはわたしだけだったりする?あら衣満莉ちゃんは知らなかったのわりとジョーシキなのに、なんて。わたしは置いてきぼりにされた気分にストンと落っこちる。これって、ホントにわたしだけかも。
それでもまだ、半信半疑だ。サカタはわたしをかついで怖がらせ、からかっているつもりなのかも。SNSでの口調はいつも、やや過剰にふざけ気味だから。こんなオトナなのに。小学校のクラスに一人か二人はいたような、お調子者の男子児童を思い出させる。だからこそ、すらすらと気安くおしゃべりしちゃったんだけど。
「マリちゃんがキョウチクトウの毒にやられてなくてホントによかったよ。あれに中毒したらそりゃもうキツイからな。七転八倒の苦しみってやつだぜ」
「中毒したことが、あるみたいな」
「あるよ。だいぶ昔だけど。小学校の炊事遠足のときにさ…」
スイジエンソクって、なにそれ?サカタはマジ顔で答える。なにってスイジする遠足だよ、ほかにないだろ?わたしの頭の中で、スイジが炊事に変換されるまで一分ほどかかる。炊事って料理することだよね?しかしそれでもなお、腑に落ちてこない。
小学生が道具や食材を持ち寄り、遠足に行った先の野外で料理するなんて。そんなバカらしくも厄介な仕事を、一体全体どこの教師がやりたがる?わたしの想像が及ぶかぎり、現場は散乱と混乱の極み、怒声と嬌声の阿鼻叫喚が飛び交うだろう、きっと。だれかが怪我をする。だれかなにかを壊す。料理なんか出来上がるわけがない。
「ところが出来たのさ、けっこう旨いカレーが」
得意げに言ってのけるサカタを横目に見て、この人はいったい何歳なのだろうとわたしは訝る。十八歳のわたしより、だいたい十個か十五個は年上だろうと思ったけど。炊事遠足なんて、そんなのいつの時代のこと?ひょっとしたらサカタって、昭和の人だったりする?
こんなにも怪しく眉唾な話を、サカタは淀みも迷いもなくすらすらと語る。その語り声はジープの走行音や街の喧騒にも紛れず、抜きん出てクリアに響き渡る。わたしの鼓膜にするっと到達して、打ち震わせる。
なんていい声なの。
そこはたしかに認めるほかなかった。この声でささやかれたら、いかに支離滅裂な企てであろうと、美しいロジックに聴こえそうだ。たとえ矛盾だらけの破天荒なスピーチでも、ピカイチの説得力を纏って迫りくるだろう。抗いようはなく、聞き流すのさえむずかしい。歴史上のカリスマたちがきっと備えていたにちがいない特質。世にも稀なる“シャーマンヴォイス”だ。
なんてことに。
そのときほんの少しでも気づいていたら、こんなふうにはならなかったと思うけど。よくよく注意して見れば、目につくはずの綻びがそこかしこにあったはずだとも思うけど。なんと言いつくろってもサカタは結局、不完全で欠落だらけの人物だった。響きのよい声を持っていたけれど、ただそれだけ。人の心を揺さぶる美しい歌声を響かせることはできない。本物のカリスマたちとは比べようもなくカラッポ、まるで違っていた。なのに。
十八歳のわたしはそのとき、肝心なところをなにひとつも見ていなかった。大きな黒いジープの中でころころと笑い転げるばかり。まるで、タガが緩んではずれそうなビア樽みたいに、危なっかしく。だって。堅牢に防護されたその空間にいると、自分が最強のパワーを持っている気分になった。無敵のトランスフォーマーを操っているような気分に。いっさいの理屈は抜きで、ひたすら愉快だったのだ。
ハチャメチャな炊事遠足の顛末は、果たしてどうなったか。続きを聴かせてとわたしはサカタにせがむ。ホントに聴きたい?うん、マジで聴きたい。言った後で、本当はサカタの語る声を聴いていたいからだと気づいた。
スプーンを忘れた小学生のサカタは、やむなく手近の小枝を折り取って代用しようと思いつく。けれども、自分ひとりが不自由な小枝の代用スプーンでカレーを食べるのは、どうにも癪だった。
そこで、面白おかしく得意の嘘八百をかまして、級友たちにも勧めた。これで食ったらカレーがうんと旨くなるぜ。食ったやつはアタマがめっちゃよくなるんだ。カレーの中に隠れた葉っぱを見つければ大当たり、あのアイドルの握手会に行けるかも。なんてね。夾竹桃の小枝をスプーン代わりにしてカレーを食べたら。
ふざけ半分に追随した三名の男子が、サカタと一緒に仲よく中毒した。やっぱりね。わたしの相槌でサカタは調子づく。胃腸がもんどり打って暴れまくり、吐き戻して垂れ流して一昼夜も苦しみ抜いたと熱く訴える。
オレたち可哀想すぎるだろ。そうね、すっごく痛かったの?そりゃもう、メチャクチャ痛かったさ。ヤケドしたみたいに?あー、ヤケドはしたことないけど、死にそうなくらい痛くてビビった。でも、死ななかったね。そうだ、死ななかったよ、オレはね。
だれが何人死んだの?わたしはジョークのつもりで言っただけなのに。サカタの“シャーマンヴォイス”はその心地よさを保ったまま、不穏な言葉を放つ。木の枝なんかでカレー食べるのヤダとか、ぶーたら文句たれたやつがひとり死んだ。けど、オレは死ななかったのさ。
わたしはふっと黙り込む。軽口をきけなくなる。中毒したというサカタの痛みにうっかり同調したせいだ。あの痛みを思い出してしまった。忘れていたつもりだったのに。遥かに遠い昔のことなのに。
とはいえ、未だ消えずに残る傷痕。衣満莉がオトナになった頃にはきっときれいに消えてるさ。そう言ったのは祖父ちゃんだった。救急車呼ぶだの病院へ連れて行くだの大袈裟に騒ぐなと、母さんを叱ったのは父さんだ。ウチの子どもがストーブの上の鍋を落としてヤケドしたなんぞ、人聞きの悪いハナシを他所でするなと。
パニクってオロオロするばかりの母さんを押し退け、わたしをお風呂場に運んで水浸しにしてくれたのはお祖母ちゃんだった。あの水浸しがなかったらこの傷痕はもっと深く大きく、見るに堪えないものになったはずだと、だいぶ後になってから知った。
次いでわたしがサカタに語り聞かせた。
ウチには薪ストーブがあったの。燃料店だから。薪を売ってたから。お客にパンフレットを見せるよりも、実際に使ってるストーブを見てもらえば手っ取り早くてわかりやすいだろ。言い出しっぺは祖父ちゃんだったらしい。だからウチの店先の事務所兼居間の真ん中には薪ストーブがデンとあって、一年の半分くらい薪が焚かれていた。
わたしは薪ストーブの温もりが好きだった。薪を入れ過ぎたせいでガンガン燃えているときは、ちょっと怖かったけど。いまにもストーブが破裂して赤い炎が噴き出しそうな勢いだったから。炎が熾火になって鎮まり、家中にほのかな温もりが満ちている夕暮れどき。晩ごはんを待ちながら、ぬくぬくごろごろしていられるひとときが、わたしは好きだったのだ。
なにがどうしてああなったのか、実際のところはよく覚えていない。分数計算の宿題をしているうちにうつらうつらして。気づいたらストーブにのったシチュー鍋の中身がわたしの上に降ってきた。わたしの左脚の太ももの裏側に、熱々のクリームシチューがたっぷりかかった。終わったばかりの宿題のプリントにもシチューの飛沫が飛び散っていた。汚しちゃったどうしよう。最初に思ったことはそれだった。激しい痛みはそのあとで襲って来た。