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レプリカントはルーツを語る(あぶらやのらぶ 中編)

 わたしのアンダーアーマーのダウンコートを着ただれかが、そこにいる。衣満莉(いまり)は目を凝らして見た。うずくまる黒ラブのらぶの前に、フードを被った黒のダウンコートが同じようにうずくまって大型犬と向き合い、その鼻先になにやら差し出し、しきりと話しかけている。


 でもね。

 見ず知らずの者がどんなに策を弄したところで、あの頑固な年寄り犬を懐柔するなんて絶対に無理、そうと決まっている。

 衣満莉は思う。いまにもらぶは、激しく吠え始めるだろう。もしかすると相手の隙をついて、チェーンの長さの許す限り跳びつき、押し倒すかもしれない。わたしのアンダーアーマーを着ただれかが、そうなる前にさっさと逃げ出すくらい、機を見るに敏ですばしっこい人物なら、話はべつだけど。


 すると。

 黒ラブのらぶが、くぅんと甘えるような鼻声で鳴いたのだ、驚いたことに。太く重たいチェーンをじゃらじゃらいわせ、立ち上がっただれかのあとを追って行く、呆れたことに。番犬の役目をケロリと忘れ、地面に這わせたワイヤーに沿ってチェーンをすべらせ移動する。まるで、いそいそと道案内をするように。そこにいる、だれかのために。


 だれかって、あの女の子はたしかナオミという名前だ。自分の代わりにポリタンクを持って行かせるのでよろしくと、佳乃子が言ったのだ。だけど自分の子どもじゃない、シティポリスのダイブツ刑事から預かった子どもなのだとつけ加えた。そんなこと、衣満莉にはどうでもいい話だったが。


 事件がらみで一時保護の必要な子どもを、佳乃子はときどき預かっているらしい。なんだってまたそんな厄介なことを。思わず口にしたら佳乃子は、自分がそうしたいからだとあっさり答えた。なんとも殊勝なことに。


 佳乃子ちゃんてやさしいヒトなのね。衣満莉はそう言っておいた。もちろん言っておいただけ、丸ごと真に受けたりはしない。お父さんとはずいぶん違うのね。なんてそんな余計なことも言いはしない。真実であっても。


 ナオミという女の子がこちらへ向かってくる。左に大型犬を従え、右手にポリタンクと小さなポリ袋を提げて。闊達にきびきびと歩いてくる。その姿にいわゆる女の子っぽさは感じられない。道案内をするはずのらぶが、嬉々としてシッポをふりまわし、軽快な足取りでつき従う。あり得ない眺めだった。


 ナオミという子はぴたりと閉じている。防犯カメラのモニターごしに見た、衣満莉の第一印象だ。アンダーアーマーのダウンコートのファスナーを、顎の下まできちんと閉めている。昔々、衣満莉もそうしていたように。小学生みたいでカワイイと、バイト先の同僚が笑った。イメージモデルの着こなしとまるで違うから、つまりはダサくてオシャレじゃないから。同僚バイトが言いたかったのは、それだ。


 厚みがあってすらりと着こなすのはちょっとむずかしい、アンダーアーマーのダウンコートが、ナオミという子にはしっくりとフィットして見えた。とりわけ肩から胸もとへ流れるラインが綺麗だ。ぴたりと閉じているのに。大きく開いてアピールするよりむしろ、閉じた胸もとのほうが綺麗に見えるとは。あの子はそのことを知っているのかしら、あんなに若いのに。


 俄然、興味が湧いた。もともと佳乃子がおつかいに寄こした子どもになんか、興味はなかった。会わずに済ませたいと思ったくらいだ。それなのにいまは、モニターの映像から目が離せない。だって、あんまり素敵に着こなしているから。わたしのアンダーアーマーのフードつきダウンコートを。

 あの子はいったい、どこのだれなのだろう。


                ***


 あぶらやさんには黒ラブのらぶがいた。佳乃子さんが言ったとおりに。けれど、朝の六時に聞こえた鳴き声からイメージした犬とはまるで違った。儚くもか細くもない、手ごわそうな大きな犬だったのでビビった。


 おっかなびっくり、佳乃子さんから言われたとおりに喋りかけた。あたしなんかに咬みついたってちっとも美味しくないからね、佳乃子さんが作ってくれたボイルチキンのほうがずっと美味しいよ、佳乃子さんのこと、知ってるよね?


 黒ラブのらぶは、見た目よりずっと人懐こい子だとわかった。というか、佳乃子さんのボイルチキンの美味しさに目が眩んで、あたしを受け入れたんだろうな。だとしても、全然わるい気はしないけど。


 あぶらやさんには衣満莉さんという人もいるはずだった。あたしはらぶと並んで歩きながら、レンガ倉庫の戸口に立っている人が衣満莉さんかどうか、考えあぐねる。だんだんと近づいていく。なんか違う感じがする。なぜかって衣満莉さんという人は、佳乃子さんよりいくつか年上のオバサンなのだから。それでも絶対にオバサンと呼んじゃダメよ、忘れないでいて。佳乃子さんは言った。うん、忘れていない。それでも、あそこにいる人がだれなのか、やっぱりわからない。


 くよくよと思い煩っているあたしに、オジサンのほうから喋りかけてきた。間近で見ればその人は、薄ネズミ色の作業服と帽子、ゴム長靴を身につけて紛れもなくオジサンだった。


「あんたはだれだ?どこから来た?灯油が要るのか?」

「えっと。テンテンハイツの佳乃子さんの店から来ました。灯油を売ってください」

 ポリタンクを差し出すと薄ネズミ色のオジサンは、軽く眉をひそめて宙を見つめ、約五秒間静止した。のち、ぽっと明かりが灯ったように了解の顔つきになった。

「注文は聞いてる。18ℓ。現金で二千円。支給割り当て枠外の緊急扱いだ」


 レンガ倉庫の戸口から引き出された給油ノズルが、18ℓのポリタンクに灯油を満たした。あっという間だった。こんなんで足りるの?不安になった。その間もオジサンとらぶはおさおさ怠りなく、周囲を警戒している。なるほど。灯油の盗難被害は、売る側のあぶらやさんこそ深刻なのかも知れない。さもありなん。

 あれ?あたしの帰り途。重いポリタンクを提げてようやっと、ふらふら歩く女の子ひとり。灯油を強奪するには恰好のターゲットだ。あたし、テンテンハイツまで無事に帰り着けるだろうか。


 薄ネズミ色のオジサンが喋りかけてきた。

「あんたらみんな、どこから来たのか、知ってるか?」


 ここから先は雑談に切り替わったようだ。見た目と違ってオジサンは、意外とお喋り好きらしい。それにしてもあんたらとは、だれとだれのこと?困っているあたしの顔色を読んだか、オジサンは助け舟を漕ぎ出した。


「あんたの親とかジイサンバアサンとか、その前にいた先祖とか、一切合切ひっくるめて、あんたらだ」

 その辺のワードはあたしにとって最大の弱点だった。ちょっとムカついた。

「そんなの知らない。親の顔も知らないのに。先祖なんている気がしない」


 するとオジサンはまたしても宙をにらみ、約五秒間静止した。この感じ、なんか見覚えがある。お母さまのスィートルームにいた頃、ときどき見かけたヒトたち。人のようで人とはなにかが違う、ヒトたち。レプリカントと呼ばれていた。


 このオジサンはどうやら、あのヒトたちと近いレベルタイプのようだ。情報を分析して次の動作に移るまでに、約五秒の間を要するところが同じだった。レプリカントにはいろいろなタイプがある。お母さまが教えてくれたことを、あたしは大車輪でおさらいした。


 国家機密に関わるほどの高機能な個体は、当然のごとく非売品だ。けれど限定的シンプル機能で便利屋用途の個体なら、買うこともできる。相当に高いけど。どれくらい高いか、お母さまは教えてくれたのだったか。


 あの頃のあたしはレプリカントなんて関心がなかった。聞いたかも知れないけど覚えていない。あたしはつらつらと思い巡らす。たとえば世界ランクでトップクラスの富豪なら、どんなタイプでも何体でも、好きなだけ買えるんだろうな。それじゃ、一般的ネイティブニッポン人は一家に一体、レプリカントを買えたりするんだろうか。


 だとしても。

 あたしはあぶらや燃料店の外観を見まわした。控えめに言ってもかなり侘びしい。全然お金持ちには見えない。それでもあぶらやさんは、このオジサンレプリカントを買えたの?考え始めたら、なんだかドキドキしてきた。


 オジサンレプリカントが唐突に、喋り始めた。

「…あぶらやの先祖は昔々、シコクコーチの船問屋だった。地道に堅い商売をやってそこそこ栄えた大店になった。そしてジダイがメイジに代わった頃、ひとり娘に婿をとったら…」


 オジサンレプリカントの問わず語りを聞きながら、あたしはお母さまの忠告を思い出している。もしも彼らレプリカントが、自分の家族やルーツについて語り始めたら。決して遮ってはいけない。つまらなそうにシラケた顔をしてもいけない。家族とルーツについて語ることは、彼らのアイデンティティを構築すること。彼らの栄養。彼らの動力。そのすべてなのだから。


 五秒間静止グセのあるオジサンレプリカントは、訥々と語り続けた。あたしはお母さまの忠告に従い、目を輝かせて耳を傾ける。頷いたり笑ったり驚いたりを、ストレートに表して。するとオジサンレプリカントの語り口は、よりいっそうの熱を帯びてゆく。


「…そいつはとんだ放蕩者で、呑む打つ買うの三拍子が揃った遊び人だった。あげくに賭場で大負けしたら進退窮まって、刃傷沙汰をやらかした。五人だか十人だか、戦国時代のサムライ並みに斬り殺して逃げた。栄えた大店はあえなくつぶれた。なんら責めを負ういわれのない妻子と近親縁者たちが、生まれ故郷から追い出された。やむなく泣く泣く、はるばる旅してこのホッカイドー州に、流れ着いたというわけだ…」


「へえ。なんか、すごいハナシ聞いたみたいな」

 ほかに言いようが思いつかなかった。最適な気はしなかったがとりあえずそう言って、あたしも約五秒間静止した。リズムがつかめてきた。


「…だから、あぶらやの家系にはふた通りの血筋がある。コツコツ働いて勤勉な商人の血と、派手好きで放埓なぶち壊し屋の血だ。二百年近く経っても未だに混じり合わず薄まらず、中くらいはない。どっちかなんだな…」


 オジサンレプリカントはまた五秒間、口をつぐんだ。それからあたしをまじまじと見た。

「あんたは、いい子だな。ウチの衣満莉さんもあんたぐらいの年の頃には、なかなかいい子だったんだがな…」


「ガンジさん。くだらないお喋りはそれくらいにしといて」 


 衣満莉さんと思われる女性の声がした。振り向くと、シャネルっぽいスーツのサクラピンクとルージュのショッキングピンクが、飛び込んできて目がくらんだ。勝手に地味目のオバサンを想像していたので、完全に意表を突かれた。

 絶句するあたしを放置してピンクづくしの衣満莉さんは、ガンジさんという名前であるらしい、オジサンレプリカントに向かって言った。


「18ℓのポリタンク、この子には重すぎるでしょ。佳乃子の店、灯油ナシで困ってるでしょ。これは今すぐ、ガンジさんが届けてあげたらどうかしら」


「ああ。それがいいな。そうしよう」

 ガンジさんはポリタンクをひょいと持って歩き出し、三歩目で立ち止まる。

「この子も一緒に届けるか?二千円は貰ったのか?」

 ピンクづくしの衣満莉さんはガンジさんの目を覗き込み、噛んで含めるようにやさしく言い聞かせる。まるで、赤ちゃんに対する保育士のように。


「このナオミちゃんは、わたしの部屋で暖まってから帰るの。ホットチョコレートを淹れてあげるわ。二千円はちゃんと貰うから大丈夫。これは今日だけのことじゃなくて、明日も明後日もあることだからね」


 ガンジさんは小首を傾げ、約五秒後にニンマリした。

「これは、ただの一回目だな?」

「そうよ。二回目や三回目があるただの一回目。さあ、早く行ってあげて」

 ガンジさんはポリタンクを持って歩き出し、らぶは番犬の位置についた。


 あたしは暖かい部屋へ。

今日は起きてからずっと、暖かさに触れていなかった。身体が芯まで冷え切っている。ピンクづくしの衣満莉さんに招かれて入った部屋は、外観と比べたら意外に上質でゴージャス、なにより暖かかった。汗ばむほどに。


 ダウンのベンチコートを脱いだ。ピンクづくしの衣満莉さんが大切そうに受け取り、ハンガーに掛けてくれた。暖まって人心地のついたあたしは、衣満莉さんのピンクのルージュが、唇から大きくはみ出していることに気づく。シャネルっぽいスーツの前ボタンは一個ずれていたし、タイトなスカートのファスナーもおよそ45度左に寄り過ぎだ。


 あたしは思う。

 衣満莉さんはこのシャネルっぽいサクラピンクのスーツに着替えてメイクをしたとき、ずいぶん急いで慌てたみたいな。でも当人はそのことにちっとも気づいていないみたいな。心の内にある何事かに囚われてふわっとうわの空、その関心はもっぱらあたしに向いているみたいな。


「よく似合ってるわね、このダウンコート」

「それ、あたしのじゃないです。佳乃子さんが貸してくれたの」

「そうでしょうとも。わたしが佳乃子にあげたんだもの。だいぶ昔に」


 それを聞いたら、なんだか腑に落ちた。このベンチコート、間近に見れば所々ステッチがほつれていたし、袖口は擦り切れ、そこかしこに油染みもあった。本心を言うと、ほかのコートがあれば着るのはパスしたい代物だ。それくらい古ぼけている。それでも佳乃子さんは毎日着ていた。わりとお洒落な人なのに、このコートだけは別格扱いだった。


「あのね。佳乃子はベンチコートって言ったかも知れないけど。これはアンダーアーマーのロングフーディっていうダウンコートなのよ。覚えておいて」


 マグカップに入ったホットチョコレートとは、ココアのような飲みものだった。なにがどう違うのかわからない。でもとにかく、甘くて熱くて美味しくて、あたしを幸せな気分にしてくれた。

 だからピンクづくしの衣満莉さんが、そんなにも好き(みたい)なアンダーアーマーのダウンコートを、佳乃子さんにあげちゃったのはなぜなのか。全然腑に落ちなかったけど、口には出さない。あたしの口は、熱いホットチョコレートで満たされている。


 訊くまでもなく、ピンクづくしの衣満莉さんは進んで語り始めた。

「あのときの佳乃子はまだ、ほんの子どもだった。ちょうどあなたと同じくらいの。そしてあの日も今日と同じくらい、冷え込んだ朝だった。それなのに佳乃子ったら、ショート丈の薄っぺらなボアコートなんか着て、帽子も手袋もしていなかったんだから」


「えっと。その。あのときって、どんなとき?」

「だからね。佳乃子がウチを訪ねてきて、わたしたちが初めて会った日よ」

「えっえっ?初めて会った子に、ダウンコートをあげちゃったの?そんなことって、ある?」

「あのね。そんなに驚く?わたしのこと、おバカだと思ってる?」

「じゃないけど。びっくりしたので。ハナシが全然わからないから」

「そっか。つまり佳乃子はね、自分の父親を捜しに来たのよ。あちこち訪ね歩いてウチにも来たわけ。たぶん、今もずっと捜してるんじゃないかな」


                *** 

 

 あの寒い朝。

 世界が凍りついてしまってもう二度と、温まることはないように思えた朝。わたしとしてはそれでいい、むしろそうであってほしいと願った朝のことを、いつかだれかに語り聞かせる日が来るなんて、夢にも思わなかった。なんて凡庸な言い草。わたしの悪夢。繰り返し上映されるB級映画。終わりのないサスペンスドラマ。不出来なのに悲劇性だけは満載。だからって、断崖絶壁の告白シーンを演じるつもりは、さらさらない。


 油谷衣満莉さんですかと佳乃子に問われたとき。答えるまでもなくこの子はちゃんと知っている、そう確信した。即座に。わたしとサカタのこと。この子はちゃんと知っていてここへ来たのだ、父親を捜しに。


 思った通り、上擦った調子で佳乃子は言った。うちのお父さんがどこにいるか知りませんか?(アンタが知らないはずはないでしょ)。思いつめたまなざしがわたしを射すくめ、捕らえた。逃がすものかと言わんばかりに。もちろん、知るもんかと撥ねつけた。


 寒さにこわばり青ざめた佳乃子の唇がわなわなと震えた。わたしを見据えたまなざしに浮かんだ確信が揺らぎ、大粒の涙とともに流れ落ちた。するとそこにいたのは、ただ途方に暮れる子どもだった。


 非情な振る舞いをした後には。

 人間だれしもほんの少しだけ、いいヒトを演じて帳尻を合わせたくなるものだ。だれよりまず、自分を騙して信じさせなくちゃならない。本当のわたしは、そんなに悪いやつじゃないの。決してあんなこと、望んでしたわけじゃないわ。悪天候のせいで月曜日のせいで大キライなあいつのせいで。心ならずも、ああなってしまっただけ。なんて、陳腐な言い訳。

 あのときわたしは佳乃子に対して、それをやったのだと思う。


 三シーズンも着用したのでくたびれてはいたけど。それでもまだ大好きだったアンダーアーマーのダウンコートを、わたしは凍える佳乃子に着せてやった。これ、あげるからね。つい口がすべったと言うほかはない。父親と親しかった仕事仲間のだれそれや、よく通ったという歓楽街のそこかしこを、これから訪ね歩くつもりだと言う佳乃子に、くれてやったのだ。


 いつの間にかテンテンハイツに住みつき、唐揚げ弁当屋を始めた佳乃子を、ときたま通りで見かけることがあった。この冬は一度だけ、幹線道路の横断歩道を渡っている姿を見た。のろのろと重そうな足取りの年増女が、舗装のひび割れを睨みながら歩いていた。実年齢よりずいぶん老けて見えた。丸めた背中に羽織った黒っぽいベンチコートが風にはためき、いまにも飛んでしまいそうだった。


 もちろんそれは、ただのベンチコートじゃなかった。わたしがうっかりくれてやった、アンダーアーマーのダウンコートだ。気づいた途端に胸の奥がざわざわと騒いだ。取り返したいわけじゃないけど、狂おしく騒いだ。


 佳乃子がいまもあれを着ていたなんて、意外すぎた。むしろ、とっくに可燃ごみに出してくれた方がよかった。それは、わたしの勝手な言い分。たっぷりといわく付きのアンダーアーマーのダウンコートを、ナオミというおつかいの子どもに着せて寄こしたのは、佳乃子の勝手なやり方。というか宣戦布告のつもり、だったかも。


 それにしてもこの子ども。ナオミという女の子。

 わたしが淹れてやったホットチョコレートのマグカップを、大切そうに両手で包み持ったその仕草。なんか可愛い。昔々に飼ったことがあるハムスターを思い出させる。よく似て可愛らしい。


 すぼめた唇でホットチョコレートをひとくち啜るたび、ナオミはにっこりと微笑む。美味しいと言葉で百万回言うよりも伝わる微笑みだ。いつまでも眺めていたくなる。ナオミ。用もないのに呼んでみたくなる、そんな可愛らしさ。


 こんなにも無垢で愛らしく見える子だから。わたしは忌まわしい事実を端折ってごく簡潔に、語り聞かせる。父親を捜しに来た佳乃子があんまり寒そうだったから着古したダウンコートをあげたの、ただそれだけのこと。


 もしも。

 ナオミのような女の子が家族にいたら。わたしの家族の中に。わたしの代わりに。あれほどの諍いにはならずに済んだかもしれない。このわたし、衣満莉がナオミのように無垢で愛らしい娘だったら。


 この子を家族の中に迎えたい。

 素晴らしい閃きを得て、わたしは舞い上がる。なんてステキな思いつき。だってガンジさんはわたしを拒絶する。衣満莉が自分の娘だってこと、読み込んでくれようとしない。


 型落ちでもレプリカントは高価な買い物だ。両親と弟の三人分、いっぺんに揃えるなんてムリだった。だからまず一体、父親を選んでみたけれど。どこまでもガンジさんでしかない、この体たらく、万事休すだった。


 ナオミはいい子だと、ガンジさんは言った。ナオミは可愛い。衣満莉も思う。珍しく意見の一致をみた。家族って、やっぱりいいものじゃない?きっと、そう言い合えるときがくるわ、ナオミがいれば。






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