72.最後の戦い、開始
◎◎ミライ◎◎
そこは、かなり広い空間だった。
ラグズが掘った空間ではない。はるか昔からずっと、地下深くに存在していた場所だろう。
光球の光を反射するのは、一面に並んだ鉱石。黒い水晶のようなそれが光を反射して妖しく輝いている。
足元を見下ろしてみると、明らかに人工的に造られた床だった。光沢のある黒い表面。黒い大理石に似ている。
見た目だけなら、この空間は美しかった。
「この黒い鉱石·····全部、魔石?」
呟いてアイオスに目を向けると、彼は一面の黒い鉱石を見上げて呆然としていた。魔石が発見されたと聞いていたが、まさかこれほどの規模とは思わなかったのだろう。
無色の聖鉱石とは対象的な、黒い鉱石。黒いのは瘴気を内包しているからか。床も魔石で造られたものである可能性が高い。
しかし、一面の魔石に驚いている場合ではなかった。壁のほうから堅いものが砕かれる音がして、そこに視線を向けると蠢く巨体があった。
ベヒーモス、という巨大な獣の名前が頭に浮かんだ。
この世界にはベヒーモスと呼ばれるモンスターはいない。俺の世界の架空の生き物の知識だ。
そのベヒーモスのような下半身に、これまたゲームや漫画に出てくるような悪魔のような男の上半身。
たがその上半身は、俺の知る魔王ラグズの姿ではなかった。膨張して肥大化した筋肉、広がった黒い大きな翼、伸びて円形になった額の角。つり上がった赤い瞳に、唇の端から覗く牙。
かつて見た変異した姿とはまた違う。前よりもひどい。もう顔すら原型を留めていなかった。
「······え?もしかして、あれが魔王······?」
カザマが確認するように問う。
それ以外に考えられないが、疑いたくなる気持ちがわからなくはない。
「ラグズ······」
その巨体に、アイオスは憐れむような視線を送る。自業自得とはいえ、こんな姿になりたかったわけではなかっただろうに。
ラグズの顔がこちらを向いた。するとその口に黒い鉱石が咥えられていることに気付く。
ばきっ、という音がしてそれが砕かれた。まるで飴玉でも咀嚼するかのように魔石を食らっている。
魔石を食ってどうするのか、食ったらどうなるのか。この場の誰もがそう思っているに違いない。
少なくとも、俺達にとって良いことなどひとつもない。
いつ戦いの火蓋が落とされてもいいように、それぞれ武器を構えて戦闘態勢に入る。アイオスとセレネさんが支援魔法をかけてくれた。
魔石を飲み込んだラグズは身体ごとこちらを向いて上体を反らし、
「――――――――――ッ!!!」
鼓膜が破れるのではないかと思うほどの声量で吠えた。慌てて耳を押さえる。
俺達が怯んだ瞬間、正面の床から出現した何かが襲ってきた。床から生えてきたように見えた真っ黒なシルエットのそれは、ひとの形をしている。
それは手に長い剣のようなものを握っていた。これも真っ黒に塗りつぶされていて輪郭しかわからないが、恐らく長刀。それを大きく振りかぶり、斬りつけてきた。
その刃から逃れるように後方へ下がる。しかし、先程の雄叫びのせいで耳の良い獣人三人の反応が遅れた。
「マリーナ!」
耳を押さえたままの彼女の腕を引いて剣の軌道から離す。姉のカーネリアはモニカが、フェンはアイオスがサポートして下がらせた。
黒い剣閃が通り過ぎた後、カザマが勇敢にも未知の敵に斬りかかる。数合打ち合って、カザマは下がった。
黒い何かはすぐには追撃して来ない。こちらの様子を伺っているのだろうか。
そもそも、あれは何だ?見覚えのあるようなシルエット。手に持つ長刀を見て思い出すのは、かつて戦った魔王ラグズが手にしていた得物だ。
「もしかして、あれって魔王?」
「ラグズが生み出したものだろうな」
俺の言葉にアイオスが返事を返す。よく見れば確かに、こんな輪郭の男だった気がする。
「自身の影を創り出した、ということか」
まだ少し耳の調子が悪いのか、側頭部を押さえながらフェンが言った。
本来のラグズと同じ強さなのか?今のところ魔法では攻撃してこないが、使ってこないと決めつけるのは早急すぎるだろう。
強いことには違いないだろうが、こちらは八人。みんなで協力すれば倒せる。そう思った直後、その考えは覆された。
新たに二体の影が出現したのだ。
「!」
合計三体のラグズの影。
一体につき二人から三人でかからなければならない計算になる。
「ミライ、カザマ!お前達は連携に慣れた仲間と共に一体ずつ片付けろ。俺はひとりでいい!」
どうするか考えるより先にアイオスが判断し、言葉が終わるとすぐに影の一体に斬りかかった。
「カザマ!そっちのやつはまかせた!
モニカ!一緒に頼む!」
叫んで、最初に現れた真ん中の影に挑みかかった。
モニカと並走し、息を合わせて左右から攻撃を加える。
影は俺の剣を長刀で弾き返し、モニカの槍を身を捻って躱す。
モニカは躱された槍を横に薙ぎ、影の胴を打った。
顔が黒く塗りつぶされているため、影の表情はわからない。というかそもそも感情や痛覚はあるのだろうか。
大したダメージは入らなかったが、僅かに態勢が崩れた。そこに、マリーナとフェンによる炎と闇魔法の攻撃が降り注ぐ。
影の形が崩れ、一見倒したように見えたのたが、すぐに元通りの人型を形作った。
再生するのか。やりにくいな、と感じながら相手の動きを注視する。
モニカが、振り下ろされた長刀を盾で受ける。彼女が持ちこたえているうちに、俺は再び影に向かって攻撃した。
俺の斬撃が影の背中を斬った。しかし、妙な手応えだ。斬ったという感触はあるが、それは人体を斬った感触ではなかった。
多分、ひとではないからだ。魔法で創り出された影。紛い物。もしかしたら、これは瘴気で出来ているのかもしれない。
俺の斬撃により影が揺らいだ。すかさずモニカが槍を突き出して反撃。マリーナとフェンの魔法も追い打ちをかける。
影の形が再び崩れる。だがやはり再生するか······と思ったら、今度は影が形を変えはじめていた。周囲の瘴気を取り込んで膨張し、一回り大きなシルエットとなる。
肥大化した両腕の片方は太く長く伸びている。背中には広げた翼。長く伸びて尖った角。
見覚えのあるシルエットだった。
「第二形態まで再現しなくていいよ!」
伸びた方の腕が鞭のようにしなり、俺達に襲いかかった。広範囲の攻撃に一時後退を余儀なくされる。
「フェン、あの影って瘴気で出来てる気がするんだけど」
後退先にいたフェンに考えを伝える。
「だとすれば、勇者の剣が特効だが。さっき斬った手応えはどうだった?」
「うーん······予想よりも柔らかく斬れた感じ。あんまりダメージが通っている感じはしなかった」
「ダメージが少なく見えるのは凝縮した瘴気だからかもしれん。しかし、この調子では倒すのに時間がかかるな」
のんびり戦っている場合ではない。離れた場所ではカザマ達やアイオスも同じ敵と戦っている。ラグズ本体の存在も忘れてはならない。
「ねえ、あたしに任せてみてくれない?」
俺とフェンの会話にマリーナが割って入った。影の動きに注意しながら話を聞く。
「瘴気だけで出来てるわけじゃないと思うわ。魔力が結合剤の役割を果たしているはず。だから魔力ごと、再凝集できないくらいに霧散させてしまえばいいのよ。さっき、あたしとフェンの魔法で形が解けたでしょう?特大の魔法で吹き飛ばしてしまえばいいわ」
「では、自分達はマリーナの魔法の詠唱が完了するまで時間を稼ぎます」
モニカはマリーナを守るように彼女の前に立つ。
「わかった。マリーナ、任せたぞ。フェン、行こう!」
モニカを守りに残し、俺とフェンで影の注意を引くために前に出る。
敏捷性の高いフェンが先に仕掛けた。爪を振るい、影を切り裂く。反撃の拳をひらりと躱し、短く魔法を詠唱する。
俺はフェンとは反対側から影に接近し、連撃を与えた。すかさず反撃に出ようとした長い腕を、フェンの魔法が拘束する。動きを止めた敵に向かって、二人でさらに攻撃した。
拘束を解いた影が拳を床に叩きつけた。振動で軽くたたらを踏んだ俺に向かって、魔弾が飛来する。
やはり魔法も使ってきた。態勢を崩しつつも、なんとか身を捻って魔弾を躱す。しかし次に飛んできた長い腕による薙ぎ払いは避けられなかった。
足が宙に浮いたと思った次の瞬間、身体が吹っ飛んだ。「ミライ!」というフェンの叫びに、起き上がりながら「大丈夫!」と返す。ちゃんと防御したし、受け身も取った。ダメージは少ない。
離されてしまった距離を詰める。素早く動き回るフェンを追って、影は腕を振り回していた。ラグズと同じ形だが、知能は同じではない。目の前の動く標的を優先して攻撃しているようだ。
背後から斬撃を加えると、標的が俺にチェンジする。すると今度はフェンが攻撃を加え、また標的がチェンジ。それを繰り返しながら攻防を繰り広げていると、背後から声がした。
「ミライ、フェン!引いてください!マリーナの準備ができました!」
俺とフェンは即座に後退。影は俺達を追ってくるが、素早さはこちらのほうが上だ。
盾を構えるモニカの元まで戻ると、詠唱を終えたマリーナが杖を掲げた。
「くらいなさい!あたしの最強魔法よ!」
彼女の眼前にあるのは巨大な魔法陣。輝きを発するそこから、ラグズの影に向かって魔法が放たれた。
白い炎の塊が影の全身を飲み込み、次の瞬間爆発した。
爆発による轟音が地下空間に響く。一瞬、視界が白く塗り潰された。
凄まじい威力だ。すぐに回復した視界の中に、さっきまで相対していた影の姿は無かった。
木っ端微塵になったらしい。再び現れる様子もない。
「マリーナ、やったな!」
大量の魔力を消費して、やや疲弊した表情のマリーナとハイタッチを交わす。
「まだ前哨戦よ。本番はこれからなんだから」
フェンから受け取った魔力回復薬を口に含みながらマリーナは言う。
カザマ達とアイオスはどうなっただろう。
戦いの音がする方向を見ると、カザマ達が戦う影は最初の人型のままだった。カザマが影と剣を打ち合わせ、セレネさんがサポート。カーネリアは後方で詠唱中だ。
一方、アイオスが戦っている影は変形していた。俺達が戦ったラグズ第二形態ではなく、そのシルエットは元の影の何倍ものサイズに巨大化したドラゴンだった。上空に跳び上がったアイオスが敵の攻撃を回避しているのが見えた。
カザマは一人で前衛をつとめているので少々辛そうだ。俺かモニカがあっちに行ったほうがいいかもしれない。一人で戦うアイオスにも加勢したい。
しかし、どちらに加勢することも叶わなかった。
影の一体を倒した俺達のパーティの頭上から、巨体が降ってきたからだ。
潰されないように慌てて退避する。光球に照らされたその巨体は、さっきまで魔石を食らっていたラグズ本体だった。
影を倒したからか、マリーナの魔法による轟音のせいか、俺達を敵と見なして直接襲いに来たらしい。
見た目に似合わず身が軽いようだ。翼が羽ばたき、巨体が浮く。その大きな翼がひとつ空を打つたびに風が起こる。
カザマ達もアイオスも、影なんかに負けるはずがない。すぐに倒してこちらに加勢してくれるだろう。俺達は一足先に魔王ラグズと戦闘を開始した。




