67.怒り
◎◎カザマ◎◎
まさか異世界に来てゾンビと戦う羽目になるなんて考えたことなかった。
ここはそんなホラー展開とは縁がないと思っていたのに!
瞳孔が開いた濁った瞳と目が合うたびに泣きそうになる。実際に目が合っているかどうかは問題ではない。
赤黒く汚れた衣服と、肌にこびり付いた血液がより恐怖を引き立てる。
死体とはいえ、ひとを斬る感触はぞっとするものだった。しかし、斬らなければ、戦わなければやられるのこちらのほうである。
無我夢中で戦っていると、途中で気付いた。僕が斬り伏せたゾンビは起き上がってこない。他のみんなの攻撃を食らったゾンビは、再生して復活しているのに。
しかしその理由を考える余裕はなかった。とにかく目の前の敵の攻撃を捌き、倒すだけで精一杯だ。
「カザマ!多分、勇者の剣ならゾンビを倒せる!」
ミライの声が聞こえた。が、目の前にゾンビがいるので返事をする余裕がない。
戦い続けていると、遠くから悲鳴が上がった。反射的に声のした方に顔を向ける。距離があるのでここからでは何が起こっているのかわからない。
少しだけ周囲に目を配る余裕ができたので、素早く視線を走らせる。
僕をサポートするように、セレネとカーネリアが側で戦ってくれている。二人にゾンビが接近しないように、モニカが槍と盾を使って立ち回っていた。
フェンは素早く動き回り、ゾンビの動きを撹乱している。
アイオスは悲鳴が聞こえた方角を気にしているようだが、僕達を放っていくことができず迷っているようだ。
ミライはほぼ自己流の剣捌きでゾンビを倒していく。マリーナがいいタイミングでミライの動きをサポートする。弟の動きをよく見てくれているみたいだ。
僕かミライ、どちらかがいればこの場のゾンビは片付けられる。
「ミライ!ここは僕が抑えるから行って!」
戦う手を止めず、弟に向かって叫ぶ。
「自分はここに残ります。マリーナ、フェン、アイオス。ミライと行ってください!」
セレネとカーネリアを守ってくれているモニカがそう言ってくれた。僕だけでは二人を守りきれないかもしれないので助かる。
ミライが仲間三人を連れて町の中心に向かうのを視界の隅に確認し、目の前の敵に向き合う。
襲いかかってくるゾンビの数が減ってきた。あと何体か倒して、他の冒険者達にこの場を任せても大丈夫そうなら、ミライ達を追いかけよう。
少し肩で息をしながら、さらにゾンビを斬り倒す。何体倒しても慣れない。精神的ダメージが蓄積する。
僕は勇者だ。僕を信じて共に戦ってくれる仲間がいる。折れそうになる心を必死に奮い立たせ、新たに現れたゾンビに向き直る。
道端に転がる木箱を大剣で薙ぎ払いながら進んでくるそのゾンビの姿を目に映し、僕は息を呑んだ。
背の高い男のゾンビだ。他のゾンビとは圧倒的に存在感が違う。生前のスペックが違うからだろう。
くすんだ橙色の短い髪。暗い肌色に、額には二本の角。背には黒い翼を広げている。手には大剣を持ち、身に纏う砂で汚れた黒い鎧の胸部には、刺された跡がある。
見慣れた姿とは違うが、共に旅をした仲間の顔を見間違えたりはしない。
「············ガルグ」
かつて仲間だと信じていた、魔王の配下である魔族の名を呼ぶ。
この場に残ってくれた三人の仲間も、ガルグの姿を認めて瞠目する。
少し考えればわかることだった。ガルグがこの大陸で命を落とし、死霊術師が動き出した。その遺体が利用されないはずがない。
生者とは違う、やや不自然な動作で大剣が持ち上げられる。その切っ先は僕へと向いていた。
もう自分の意志を持たない彼が意図したことではない。ただ単に、一番近くにいる僕を標的に定めただけだ。
そうだとしても、このガルグを倒すのは自分でなければならないと思った。
勇者の剣を正中に構え、変わり果てたかつての仲間を見据える。
こちらの胸中など完全に無視して、ガルグは真っ直ぐ突っ込んできた。単純な斬撃、しかしそれは今まで受けたどんな攻撃よりも重かった。
「く······ッ!」
歯を食いしばって、その一撃を勇者の剣で受け止めた。セレネのかけてくれた支援魔法がなければ押し負けていたかもしれない。
生きているガルグが相手なら、このまま僕の剣を弾き、追撃してきたかもしれない。だがゾンビとなった彼は、ただ単純な斬撃を繰り返すだけだった。
勇者の剣が折れてしまいそうだと感じながら、一撃一撃をしっかり受け止める。
「カザマ、援護するわ!」
カーネリアの魔法がガルグに向かって放たれる。僕は後方へバックステップすることで余波を回避する。カーネリアの魔法は強力すぎて、たまに味方にも被害が出るのだ。
身体の一部が損傷しても、ゾンビの肉体は再生していく。映像を巻き戻したような光景だ。
再生能力は厄介だが、再生している間、ゾンビの動きはやや緩慢になる。
さっきまで打たれっぱなしだったので、今度はこちらから斬りかかった。大剣で受け止められたが、様々な角度から斬撃を加える。
ガルグの大剣が下がった。チャンスに見えたので、空いた右胸に斜め上からの斬撃を与えた。僕が与えた傷は再生しない。この調子で、と思ったらガルグの左拳が死角から飛んできて肩を殴られた。
「!」
激痛と共に身体が吹っ飛び、建物の壁に当たって止まった。かろうじて武器は手放さなかったが、骨が折れたかもしれない。
だが、戦えなくなるという不安はなかった。こういう時はいつも、セレネが助けてくれる。
すぐさま回復魔法がかけられ、肩の痛みが和らいだ。
「大丈夫ですか?」と言って助け起こしてくれた彼女に礼を言って、勇者の剣を握り直して軽く振る。
ガルグの姿を探すと、近くの冒険者に狙いを変更していた。モニカが冒険者達に被害が出ないように前に出て戦い、カーネリアが味方に当たらないように加減して魔法を放っている。
僕はガルグの方へ走った。背後から剣を振り下ろす。防御も避ける動作もなく、あっさりと攻撃は命中した。再生能力を備えているため、回避動作をとる命令の優先度が低いのかもしれない。
ああ、やはりこれはもうガルグではないのだ。僕の知る彼はこんなに弱くない。
生前の目的を達成できないまま斃れ、死してからは死霊魔術によって操られるガルグ。
志半ばで斃れたことは、きっと悔しかったことだろう。しかしガルグの目的が達成されるということは、逆に僕が志半ばで斃れるということだ。
彼と、本当の仲間になれなかったことが悔しかった。本当の気持ちを知ることができなかったのが悲しかった。
勇者の剣で斬り倒すという形でしか、彼を解放できないことが苦しかった。
大きく振り回されたガルグの大剣が弧を描く。ぎりぎりで躱して、勇者の剣をガルグの左胸に突き込んだ。すぐさま引き抜いて、反撃を受け流す。
格段に動きが鈍った。右へ左へと身体を揺らしながら、それでも攻撃を継続するガルグ。
これ以上、こんな彼の姿は見ていたくなかった。強く一歩を踏み出し、その身体を袈裟懸けに斬り裂いた。
それがとどめだった。大剣が音を立てて石畳に落ち、後を追って身体が倒れる。もう起き上がってくることはない。
なのに、その遺体に冒険者達の武器が次々と突き立てられた。
「止めろ!!」
怒りが湧き上がった。あらん限りの声で叫び、驚いてこちらを見るこの世界の住民達を睨みつける。
「たとえ敵対する魔族でも、死者をいたぶる真似はするな!勇者の前で、そんな行いは許さない」
気迫が伝わったのか、戸惑った表情を見せながら冒険者達は武器を引いてくれた。
「僕は元凶である死霊術師を斃しに行く。みんなは町と住民に被害が広がらないように抑えていてほしい。
魔族達の遺体は後で丁重に葬る。死者を冒涜するなんてこと、みんなはしないよね?死霊術師とは違うんだから」
冒険者達が頷くのを確かめ、セレネ、カーネリア、モニカに目配せする。
「行こう」
向こうでミライ達が戦っている。きっと、そこに死霊術師もいるはずだ。