55.きょうだい(1)
◎◎ミライ◎◎
女性陣より少し遅れて温泉がある建物に行くと、入り口の扉に『只今の時間、勇者様御一行貸し切り中』と書かれた札が下げてあった。
「いいのかなぁ」
「いいんじゃないか。カザマは気にしすぎだって」
カザマはちょっと申し訳なさそうにしていたが、何時間も貸し切るわけではないので少しくらいは問題ないと思う。混む時間帯じゃなさそうだし。
外側は煉瓦造りの建物だったが、内装は主に木材で出来ていた。
脱衣所を抜けて湯殿へ入ると、暖かく湿った空気が肌に触れた。広い浴槽にはたっぷりと湯が張られている。
かけ湯をしてから湯船に浸かり、手足を伸ばす。お湯の熱さが指先からじんわりと広がった。
「異世界にも温泉ってあるんだなぁ」
隣で湯に浸かるカザマに話しかける。
「そうだね。この世界って、宿によっては風呂がない所もあったからびっくりしたよ」
「それな。あと、水道じゃなくて井戸水だったり」
「僕らの常識じゃ考えられなかったよね」
異世界での苦労を語り合えるのはカザマだけだ。共感者がいると嬉しい。
「君たちの世界とこちらの世界の違いを聞くのはやはり面白いな。総合的な生活の利便性はそちらの方が上かもしれない」
少し離れた場所で湯に浸かるフェンが話に加わる。
フェンの周囲の湯面が揺れているのは、尻尾が動いているからだろう。
ライフラインや交通関係などは、俺達の世界の方が発達している。こちらの世界でその辺の発達が遅いのは、魔法があるせいではないかと思う。
台所で火を使う時や、風呂の湯を沸かす時も魔法を使う。火魔法の適性がないひとも珍しくはないので、店ではマッチなどの着火アイテムが販売されている。
「アイオス、温泉どう?」
アイオスに目を向けると、浴槽の縁に背を預け、濁り湯を見つめていた。
「······少し熱すぎる気はするが、悪くない」
ぼうっとしているようにも見えたが、返事があったのでそうではないらしい。しかし、どことなく眠そうに見える。
「アイオス、最後に寝たのいつだ?」
昨夜は俺と同じく寝ていなかったはず。
「砂漠の大陸で一泊したときも寝ていなかったな。変化魔法が解けるからという理由で」
フェンがそう言うなら、最低二日は寝ていないことになる。
「時間転移した最初の夜は少し寝た」
それは、ほとんど休息を取れていないということではないか。
「まさか、ここでも寝ないつもりか?」
「できる限りは」
「······馬鹿?」
「万が一、俺の正体がばれて困るのはお前達も同じだろう」
だとしても、ずっと寝ずにいられる奴なんていないだろうに。
「まったく。しっかり部屋の鍵をかけてカーテンも引いておけば、簡単にはばれないだろう。私達も気を付けるから、ちゃんと休息は取りたまえ」
「そうだぞ。逆に、限界がきて公衆の面前で魔法が解けるほうが困る」
「······」
フェンに続いて俺も説得するが、アイオスは頷かない。
「······アイオスって、ほんとに魔族なんだよね?」
声量を落としてカザマが言う。俺達の他には誰もいないので声を潜めなくても大丈夫だとは思うが。
「魔族姿のアイオスは見たんだろ?」
「うん、見たけど。魔法でヒト族に化けてるって言うより、魔法で魔族に化けてるって言われた方が納得できるっていうか······」
確かにこちらの姿でいることの方が多いので、俺もたまに彼が魔族であることを忘れそうになる。
「ご、ごめん。失礼だったよね」
カザマは謝るが、アイオスは気にした様子はない。
「今なら、ガルグが宿で同室になるのを頑なに嫌がった訳がわかるよ。正体がばれるのを避けるためだったんだね」
「·····一緒に旅をしていた間のガルグって、どんなだった?」
俺は敵としてのガルグしか知らない。カザマの前では善人の皮を被っていたんだろうか。
「無愛想で淡々と喋るひとだったよ。結構厳しかった。情けない姿を見せるなとか、それでも勇者かとか、戦闘に関してもかなり注意されたけど······僕のためを思って怒ってくれてるんだと思ってた。でも実際は、標的である勇者がこんな情けない男で苛々してたのかな······」
カザマにとっては、裏切られてもガルグは仲間だったのだ。ガルグが斃されてまだ一日しか経っていない。まだ心の整理がついていないだろう。
何と声をかけていいのかわからず俺が黙っていると、カザマは明るい声を出した。
「まぁ、その分セレネとカーネリアは優しく励ましてくれたけどね」
「美人のお姉さん二人にチヤホヤされてたってこと?良かったな、カザマ。好きだろ、年上のお姉さん」
「人聞きの悪いこと言わないでくれる!?それ、二人の前で言ったら怒るからね!」
もう怒ってるけど。
「事実だろ。お前の初恋相手は近所の年上のお姉さんだったし、初カノは二つ上の先輩。最終的にフラれたけど」
カザマの好みのタイプは間違いなく年上の女性だ。
「······首絞めていい?」
「やめろって!」
真顔になったカザマの両手が伸びてきたので、首をすぼめて抵抗する。
「彼女がいたことないミライに言われたくないね!」
「付き合った人数が多ければいいって話じゃないだろ!」
カザマの手から逃れ、少し距離をとって湯船の中で軽く蹴りを入れる。すると当然カザマもやり返してきて、薄く濁った湯の中で小競り合いを繰り広げることになった。
「······何やってるんだね、君たち」
フェンが呆れたように言うまで小競り合いは続いた。
「今は可愛げがないけど、昔は僕を『兄ちゃん』って呼んでくっついて来てたんだよ。おもちゃとか服とか、僕とお揃いがいいって親に強請ったり」
仕返しのようにカザマは俺の幼少期をバラす。
「いつの頃の話だよ。幼稚園時代だろ」
「こんな生意気に育って、兄ちゃん悲しい」
「何言ってんだ。ていうか、年一コしか違わないのに兄貴面すんなって。身長だってそんなに変わんないし」
「僕の方が一センチ高いよ」
「逆だろ。俺の方が一センチ高い」
どんぐりの背比べ、第二回の小競り合いが始まるかと思いきや、ふと聞こえてきた笑い声に俺とカザマだけでなくフェンも動きを止めた。
笑っていたのはアイオスだった。が、みんなの視線が集中したことでその笑みはすぐに消え、気まずげに顔を逸らす。
「······すまない。笑うつもりは」
「愉快なやり取りに笑いたくなる気持ちはわかる」
フェンも笑いながら言う。俺とカザマは目を合わせ、ちょっと恥ずかしくなって黙り込む。
「······俺の兄姉も、似たようなやり取りをしていたのを思い出した」
珍しく、アイオスが自発的に自分のことを話しだした。
「兄姉は双子だったんだが、生まれた順が数分しか違わないのだから上も下も無いと言い合っていた」
「そのお兄さんとお姉さんは、今どうしてるの?」
カザマの何気ない質問。彼はアイオスの家族がもういないことを知らない。
「もういない。死んだ」
「あ、ごめん······」
「いや、いい。もうずいぶん昔のことだ」
俺とカザマのやり取りのせいなのか温泉の効果なのかはわからないが、アイオスは穏やかな表情で話している。
「意外。アイオスって弟だったんだ」
いたなら下のきょうだいだろうと勝手に思っていた。
同じ弟としてちょっと親近感が湧く。
「フェンは?きょうだいはいないのか?」
せっかくなのでフェンにも聞いてみることにする。
「······私か?まぁ、いるにはいるが」
なんだか歯切れが悪い。
「何人きょうだい?」
「さぁ······」
「さぁって、どういう意味?」
前に年齢を聞いた時の返答は「忘れた」だった。まさかきょうだいの人数も忘れたというのか。いや、それはさすがに。
フェンは濡れた獣耳をぺたりと伏せた。
「······私の父に当たる男が相当な女好きでな。連れて来る女はころころ変わるし、知らない女が父を訪ねてきたと思ったら『子ができたから引き取れ』と幼子を押しつけてきた。
ある日突然、私のきょうだいを名乗る人物が訪れたこともあったな。本当に血の繋がりがあるのか、真偽は定かではないが」
なんか予想外の家庭事情が飛び出してきた。
「そういうわけだから、どこで腹違いのきょうだいが増えていても驚かない」
俺もカザマもアイオスも、どういう反応をしていいか分からず口を噤む。
“父に当たる男”と表現したということは、好色な父親を好ましく思っていないのだろう。
「成人してすぐ家を出て冒険者になり、父とは縁を切った。あれは碌でもない男だったが、肉親の中で唯一祖父だけは尊敬できる。私の錬金術の師でもあるからな」
ひとの過去は聞いてみないとどんなエピソードが飛び出してくるかわからないものだな、と思った。




