5.勇者の地下道(2)
「あれか?」
近づいてみると、意外と小さい建造物だった。
中に入って地下へ続く階段を見て、そういや『勇者の地下道』だから地下ダンジョンか、と納得した。
石造りのダンジョンは、所々ひび割れている。
崩落したりしないよな?
階段の向こうは地上の光が届かないので暗い。そう思っていると、セレネさんの杖に光が灯った。
その光は杖を離れ、彼女の頭より高い位置に浮き上がる。同じ光の玉を三個従え、セレネさんは言った。
「これで視界は確保できます。降りましょう。地下道はそれほど広くありませんが、暗闇に潜むモンスターには注意してください」
草原を渡ったときと同じフォーメーションで、地下道を進む。
時折羽音と鳴き声が遠くから聞こえる。コウモリでもいるのだろうか。
「マリーナ、前方の天井を炎魔法で焼いてください」
しばらく歩いたところで、セレネさんがマリーナに指示を出した。
「了解!」
マリーナに生み出された炎が勢いよく天井を舐め、熱風が肌を刺す。
炎が通り過ぎた天井から鳴き声が上がり、結構な数のモンスターが落下した。
炎に照らされたそれは、俺の想像通りコウモリの形をしていた。ただし、サイズはイメージした三倍くらい。
「よく気付いたな、セレネさん···」
知らずに通り過ぎようとしたら、この大量のコウモリ型モンスターに襲われていたかもしれない。
「慣れればミライも、モンスターの気配がわかるようになりますよ」
本当だろうか。いや、わかるようにならないとこの先やっていけないに違いない。
「このモンスターは毒を持っていますから、もし噛まれたら解毒剤を飲んでくださいね」
これは、モンスターの種類や特徴についても勉強していく必要がありそうだ。
異世界に来てまで覚えることが山程あるなんて。
内心でため息をつきながら、先へ進む。
やがて、さらに地下に降りるための階段を発見した。セレネさんが迷いなく降りていくのでそれに続く。
降りた先は小部屋になっていた。
四角い部屋の四隅に燭台が設置してあったので、マリーナが火を付ける。
中心は数段高くなっており、魔法陣が描かれてあった。
その奥には石棺が並んでいる。なぜここに並べてあるのか。疑問に思ったが、開けるのも怖いので考えないことにした。
天井を見上げると、何かの絵が描かれている。大分色褪せ消えかけているが、もしかして精霊の絵だろうか。
「ここで精霊を喚びます」
魔法陣の上に立つセレネ。杖を正中に構える。
「お二人は少し下がっていてください」
俺とマリーナは魔法陣から少し離れた場所に立ち、セレネさんを見守る。
目を閉じたセレネさんの足元の魔法陣が薄く光を放つ。
徐々に明るさを増した光はセレネさんを包み込み、光の柱となった。
眩しい、と思ったのも束の間、今度は徐々に光が収束し、魔法陣だけに光が残った。
セレネさんは変わらず中心に立っている。その背後に、さっきまではいなかった存在が浮いていた。
これが精霊。姿はヒトの形に近い。
半透明で向こうが透けて見える。実体は無いのだろう。
精霊はセレネさんを抱きしめるように両腕を回す。半透明のその身体が重なり、セレネさんの中に入るように消えた。
「精霊がセレネさんの身体に···」
「自分の身体を、一時的な依代にしたのね」
閉じていた瞳が開かれ、俺達を見る。
そして、口を開いた。
「我を喚んだ理由を述べよ」
「!!」
セレネさんから、違う誰かの声がする。彼女の口を借りて、精霊が話しているのだ。
マリーナを見ると、彼女もちょっと驚いていた。
精霊召喚に立ち会うのは初めてらしい。
俺は精霊に視線を戻し、唇を湿らせた。
「俺は異世界から召喚された者だ。この世界で戦うための力が欲しい」
ストレートに要求をぶつけると、精霊は目を細めた。
「勇者と呼ばれる者か。しかし、幾月か前にも、異世界者に力を与えたばかりだが」
カザマのことか。兄も同じようにここで力を授かったのだ。
「二人目が召喚されたとなると···ふん、大方くたばったか」
その言い方に、頭に血が昇る。
「······ッ!!」
そんな俺の様子を見て、精霊は小馬鹿にするように笑う。
「小僧、それがモノを頼む態度か?礼儀知らずめ」
言い方も腹が立つが、セレネさんの顔でそんな表情を浮かべる精霊に嫌悪感を覚える。
「ミライ、今は堪えて。力を授からないと困るでしょう」
マリーナが囁く。
彼女の言う通り、精霊の機嫌を損ねて力を貰えなくなっては非常に困る。
怒りを堪えて、頭を下げる。
「···どうか、俺に戦う力を与えてください。お願いします」
数秒、精霊は黙って俺の頭部を見下ろしていた。
「まぁ、良かろう。して、代償に何を差し出す?」
「代償?」
顔を上げ、驚きの声を上げる。
そんなの聞いてない。セレネさんが言い忘れた?いや、彼女がそんなミスをするとは思えない。
マリーナを見ると、彼女も知らないと頭を振る。
「タダで力が貰えると思うたか?」
「ええと···」
困惑する。代償って何でもいいのか?価値のあるものじゃないと駄目なのか?そんなもの持っていない。
「む···エルフの女が代償を払うと言うておる」
「えっ?」
「ふむ、良いのか?では、相応の加護を与えよう。感謝するのだな、小僧」
俺を置いて話が進んでいく。
「待ってくれ!セレネさん、何を差し出したんだ!?」
返事はなかった。変わりに、魔法陣から伸びた光が俺の身体を包む。
身体が軽くなる。腰に帯びた剣の重さが気にならなくなった。
感覚の変化に驚く。
これが、力を授かったってことなのか。
幽体離脱でもするように、セレネさんの身体から精霊が出ていく。
光が消え、部屋を照らすのは燭台の火だけになった。
セレネさんの身体が傾ぐ。
「セレネさん!」
慌てて駆け寄る。自分でも驚くほどの俊敏さで、彼女が床に落ちる前に抱きとめることができた。
瞼が開き、青い瞳が俺を見る。
「ミライ···聞いて、ください」
弱々しい声。今にも息絶えそうな。
「一体何を代償に!?」
「わたくしの生命力のほとんどを···」
「なんてことを!?生命力のほとんどを捧げるなんて、死んでしまうわよ!?」
同じく駆け寄ったマリーナが驚愕の表情を浮かべる。
「ミライ···貴方に魔王討伐を強要して、ごめんなさい···
身勝手なわたくし達を、恨んでもいいのです。
これで、貴方はこの世界で生きていける力を手にしました。
他人の言葉に惑わされず、自由に進んでください···」
「そんな、遺言みたいなこと!」
俺は腕に力を込めた。今の俺なら、女性ひとり軽々運べる。
「マリーナ、セレネさんを運ぼう!村に戻って、治療を」
しかし、セレネさん自身はそっと首を振って拒絶した。
「いいえ、もう、いいの···」
「駄目だ、セレネさんっ!」
虚ろなその瞳は、もう俺達を写していなかった。
最期に、逝ってしまった仲間に囁く。
「···カザマ···カーネリア···ごめん、なさ、い···」
セレネさんの身体から力が抜け、俺の腕にかかる重さが増した。
「セレネさん?そんな、なんで···」
呆然と呟く。
マリーナは口元を押さえ、嗚咽を漏らす。
「···っ、セレネさんっ···」
わからなかった。なぜ、彼女は命を捧げた?俺がカザマの弟だから?カザマを守れなかった罪滅ぼしのつもりか?
最期の言葉を思い出す。
仲間を失った絶望に耐えられなかった?
死んでしまっては理由を聞くこともできない。
薄暗い地下室で、マリーナのすすり泣く声だけが響いていた。
⚫⚫⚫
やがて落ち着いたマリーナが、目元を拭って立ち上がった。
「ミライ···辛いけど、あたし達、行かなくちゃ···」
「ああ···わかってる···」
腕の中のエルフの女性は、まるで眠っているように見える。
今さら、奥に石棺が置いてある意味を理解した。代償に命を捧げた場合を考えて設置されているのだろう。
代償が命だけとは限らない。他にも方法があったはずだ。もっと早く気が付いていれば、止められただろうか。
「セレネさんの遺体···ここに置いていくのか?」
石棺を見ながら、マリーナに問う。
「そうするしかないわ。故郷が近くて、連れて帰れるならそうするけど···どこなのかわからないし」
こんな暗い場所に、光のような彼女を置いていかなければならないことが悲しかった。
「遺品だけ回収して持ち帰るのが一般的なの。確か、セレネさんは王都の宮廷魔術師だって聞いたことがあるわ。もし王都に立ち寄ることがあったら、王宮の誰かにその遺品を預けましょう」
「遺品って···どれを?」
「身分が証明できるものや、遺髪かしら」
マリーナはセレネさんの胸元のブローチを指す。
「王宮の紋章が入っているから、多分王宮魔術師の証だと思うわ」
ブローチを外す。裏返すと肩書と名前が刻印されている。
マリーナが開けてくれた空の石棺に、セレネさんの身体を横たえる。
彼女の杖も一緒に棺に納め、蓋を閉める前に黙祷する。
別れを告げた俺達は、部屋の燭台をひとつ拝借する。セレネさんにはもう頼れない。
燭台はマリーナに持ってもらい、ひとつ上の階へ戻る。
階段を登ってすぐ、モンスターの羽音が耳朶を打った。
「!」
反射的に上だ、と思った。鞘走る音を響かせ、俺は剣を抜いた。
斜め上の暗闇に、動めく影が見えた。その影を狙って切り払う。
軽い手応えを感じた。
ぼとり、と鈍い音がしてモンスターが落下する。俺が切ったのは翼の部分だったらしく、まだ生きている。
片翼でもがくそいつに剣を突き立て、息の音を止める。
そこまでの動作に躊躇うことはなかった。
セレネさんを失って心が麻痺していたのもあるが、命をかけた彼女の為にも、戦うことを躊躇うわけにはいかないと思った。
「行こう、マリーナ。これからは俺が前に出て戦うから、魔法で援護してくれるか?」
「ええ。頼りにしているわ、ミライ」
異世界での俺の戦いは、始まったばかりだ。