40.騎士の心
◎◎モニカ◎◎
気付いたときには、木剣が目前に迫っていた。
「!?」
「はああああああッ!!」
裂帛の気合と共に振り下ろされたそれが、額に直撃した。
「······っ!?」
思わず額を押さえる。足元で何かが落ちる重い音が聞こえ、視線を落とすと訓練用の槍が転がっていた。
「モニカ!気を抜くな!」
叱責の声が飛んできた。声の主は副団長だった。
「すみません!············え?あれ?」
反射的に謝って、現状に気付いて首を傾げる。
正面には同僚の女性騎士。
先程自分の額に容赦のない一撃を食らわせた犯人である。
「大丈夫、モニカ?ごめん、避けると思ったから」
申し訳なさそうに謝ってくる。
額当てを付けてはいるが、結構な力で振り下ろされた木剣の衝撃はなかなかだった。傷は無いが、痛みはある。
「大丈夫、です」
応えながら、自分が取り落としたと思われる訓練用の槍を拾い上げる。
周囲では同じように訓練用の武器を手にした騎士達が訓練に励んでいる。ここは騎士団の訓練場だ。
魔王城ではない。
どれだけ周囲を見回しても、共に戦った仲間の姿はない。
何度瞬きしても目を擦っても、瞳に映るのは騎士達の訓練風景である。
一瞬夢でも見ているのかと考えたが、額の傷みがこれは現実だと訴えている。
疑問符が頭の中を埋め尽くす。
「モニカ!何をぼうっとしている!早く訓練に戻れ!」
立ち尽くしているとまた副団長に叱責された。
放心していても仕方ない。訓練相手の同僚に一言断って、訓練を監督している副団長のもとへ行く。
「あの、副団長」
「どうした」
「勇者様のことなんですが······」
「勇者カザマ様がどうした?」
怪訝な顔で見返された。
現状を把握できたわけではないが、自分は過去へ転移したはず。ミライが確信を持って過去へ行けると言ったのだから、それは信じている。
何と言うべきだろうか。一から説明するには時間がかかる。適切な言葉が見つからない。
······仕方ない。ある程度疑念を抱かれることは承知の上で、
「カザマ様と同行した騎士ガルグは魔族です。早急に対応すべきです!」
重要な内容のみストレートに伝えた。
数秒の沈黙。近くにいた騎士には自分の台詞が聞こえたらしく、手を止めてこちらを見ている。
「何を言っている?」
副団長は眉間の皺を濃くした。子どもが見たら泣き出しそうな強面である。
「ガルグを放置すればカザマ様が殺されてしまいます!」
重ねて伝えるが、副団長はこちらに呆れた視線を向け、信じてくれる様子はない。
「そんなわけがないだろう。ガルグ殿は我が騎士団の優秀な騎士だ。勇者様を守り、勝利に導いてくれるだろう」
「信じてください、副団長。自分はさっきまで魔王城にいたのです。魔族の姿をしたガルグをこの目で見ましたし、戦って······」
最後まで言い切る前に副団長の拳骨が頭頂部に落ちた。
「っ!?」
「何を寝ぼけたことを言っている!魔王城?訓練中に居眠りでもして夢を見ていたとでも言うのか?」
怒気を孕んだ声が降ってくる。頭を擦りながら顔を上げ、副団長にさらに言い募った。
「本当です!悲劇を食い止めるため、未来から過去へ転移してきたのです!」
しかし、返ってきたのは副団長の深いため息だった。
「夢と現の区別もつかんとは······お前はもっと真面目な奴だと思っていたんだが。罰として、訓練場の外周を十周!」
「えっ!?待ってください、自分は」
「百周走りたいか?」
これ以上言い募ると罰が十倍になりそうだ。
話を聞いていた騎士が笑う声がする。自分の話は信じてもらえなかった。
唇を噛んで項垂れていると、副団長が拳を握って急かした。
「早く行け!」
「っ、はい!」
今は食い下がっても仕方ない。諦めて、言われた通り訓練場を出て外周を走り始める。
淡々と走るのは考え事をするには丁度良かった。
カザマの話をしても顔色を変えなかった副団長。ガルグが魔族だと言っても信じなかった。つまり、まだこの情報は王都に流れて来ていない。
勇者カザマは生きており、現在もその旅にガルグが同行しているということだ。
それにしても、ひとり王都に転移してしまうとは。直前までマリーナと繋いでいた手のひらを見下ろす。きっと、他の皆もひとりでどこかに転移してしまったのだろう。
共に戦うと約束した仲間のために、今すぐにでも行動を開始したい。しかし、自分の肩書きがそれを許さない。
自分は騎士である。騎士団の許可なく王都を離れることは難しい。
以前······と言っていいかわからないが、勇者ミライに同行したときは任務を受けていた。が、今はその大義名分がない。
長期休暇を申請するか?しかしよほど緊急の要件でない限り、申請が通るまで数日かかる。
もう一度事情を説明して、信じてもらえるだろうか。可能性は低いように思えた。
ガルグは騎士団の中で信頼を得ている。入団以降、その実力で急速に実績を積み、団長や副団長に目をかけられた。他の騎士達もガルグに一目置いており、彼が魔族であることは誰一人気付かなかった。
自分が急に彼を魔族だと言い出したところで、たやすく信じてはくれない。
証拠があればいいのだが、それもない。
どうすればいいのだろう。妙案が思いつかない。
いっそ、迷惑をかけることを承知で黙って出ていってしまおうか。しかし、そんなことをすれば間違いなく騎士団をクビになる。
子どもの頃から憧れていた騎士。厳しい訓練と入団試験をクリアして叶えた夢。それを手放すのか。
迷う。このままでは仲間との合流はおろか、カザマ達を助けに行けない。
いざと言う時に仲間達の力になれない。
自分なんかいてもいなくても関係ないかもしれないが、もしも救出に失敗してしまったらどうしよう。それは嫌だ。
職を、肩書きを失うのが怖くて仲間の役に立てなかったなんてことになったら、一生後悔する。
たとえ騎士のままいられたとしても、騎士としての心を失ってしまうだろう。
自分が憧れたのは、人々の平穏を守り、困っているひとを、大切なひとを助けるために戦う騎士だ。
共に戦う仲間のために力を尽くし、剣となり盾となる。
自分にとっての正しい騎士道に従おう。たとえ肩書きは騎士でなくなっても、この心は騎士のままでありたい。
心は決まった。ならば、従順に罰を受けている暇はない。
指示された十周は走りきっていないが、どうせクビになるなら関係ない。途中でコースを変え、宿舎へ向かう。
罰を途中で放り出したことがバレる前に支度しなくては。
宿舎に与えられた自分の部屋へ向かう。部屋に入ってすぐに鎧を脱いで、汗をかいた身体を濡らした布で拭う。
クローゼットを開いて白いブラウスと臙脂色のロングスカートを取り出した。騎士といえど休日に着る普通の服くらい持っている。
一度髪を解き、結び直す。つばの広い帽子を取り出し、明るい髪色と顔を隠すように深めに被る。
見つかって連れ戻されては困るので、変装のつもりだ。
支度を済ませるとすぐに部屋を出て、人目を忍んで騎士団の敷地内から出る。
足早に町を歩き、脇目も振らずに港へ向かった。