36.触れられる幸せ
新規キャラクター紹介
《ヴァイオレット》
ヒト族。暗黒大陸にある魔族の集落で暮らす、アイオスの恋人。
今は喪われた未来では魔王に殺されていた。
◎◎アイオス◎◎
「······様!······オス様!」
声が聞こえる。意識がゆっくりと浮上する。
「······アイオス様!」
はっ、と覚醒した。
開いた目に飛び込んできたのはくすんだ色の絨毯。見覚えがある。
何度か瞬いて、顔を上げる。見覚えがあって当然、ここは俺の屋敷だった。
「大丈夫ですか、アイオス様?」
声の主はシュトリだった。傍らにはカイムもいる。
「突然膝をつかれたので···お加減が悪いんですか?」
「いや······大丈夫だ」
支えようとする手を制し、立ち上がる。
いつもの自分の屋敷。何もおかしいことなどない。なのに、何か違和感を感じる。
俺はさっきまで何をしていた?直前のことが思い出せない。
片手で頭を押さえていると、シュトリが気遣わしげに声をかけてくる。
「あの、本当に大丈夫ですか?ヴァイオレットを呼んできましょうか?」
「······ヴァイオレット?」
何を言っている。ヴァイオレットは死んだ······
「!!」
そう考えた瞬間、記憶がフラッシュバックした。
ヴァイオレットはラグズに攫われて殺された。
先の勇者を殺したラグズを止めることもできず無力感に苛まれた。
だが俺は、二人目の勇者であるミライ達と協力して魔王ラグズを斃し······そしてミライが開いた過去へ繋がるゲートを通った。失われた大切な者を取り戻すために。
「ヴァイオレットが······いるのか?」
半信半疑で尋ねる。ここは過去なのか?過去への転移は成功した?
「まぁ、どうしたんです?もちろんいますよ」
「······!!どこに!?」
「子ども達と外に出ていますよ。屋敷の裏の······アイオス様?」
最後まで聞かずに屋敷を飛び出した。
どこだ?今は早朝。なら、建物の裏手にある井戸の側にいる可能性が高い。
足早に井戸のある場所に向かう。
予想は当たっていた。井戸水で顔を洗う子ども達の側に、一人の女性がいる。
薄紫色の髪。魔族とは違う健康的な白い肌。簡単に折れてしまいそうな細い身体。
ヴァイオレット。この集落で暮らす、唯一のヒト族。
小さい子どもの洗顔を手伝っている。
始めて見る光景ではない。ありふれたいつもの光景。なのに、近付けば消えてしまう幻のように思えて近付けなかった。
立ちつくしていると、ヴァイオレットの黒い瞳がこちらの姿をとらえた。
「アイオス。おはよう」
二度と聞けないと思っていた声が耳に届く。
ヴァイオレットは年長の子にタオルを預け、こちらへ近付いて来る。
「······ヴァイオレット」
「なぁに?」
少し首を傾げて俺を見上げてくる。恐る恐る手を伸ばして、白い頬に触れた。
指先に感じる温もり。生者の感触。
ヴァイオレットが······レッティが生きている。
レッティは触れた俺の手を取り、手のひらに頬を預けた。
「······っ」
夢幻ではないと実感して、一歩距離を詰め、彼女を腕の中に閉じ込めた。
「アイオス、どうしたの?何かあった?」
びっくりしたレッティの声。腕の中に確かな存在を感じられて安堵した。無意識に抱き締める腕に力がこもる。
「あのね······嬉しいんだけど、ちょっと苦しい」
その言葉に我に返った。慌てて身を離す。
「······すまない」
ふと周囲を見れば、いつの間にか子ども達に囲まれていた。
しまった。周りが見えていなかった。
「ううん、いいのよ。それより、珍しいね。···普段は人前でこーゆうことしないのに?」
いたずらっぽく見上げてくる視線からやや目を逸らす。
「いや、今のは······つい······」
レッティと子ども達の視線が刺さる。
「もしかして、わたしが死ぬ夢でも視た?」
······夢、か。似たようなものかもしれない。これが現実ならば、彼女を喪った未来は夢のようなものだ。
「······そうかもしれない」
呟くと、肯定するとは思っていなかったようで、彼女は驚きの表情を浮かべた。
「えっ、ほんとに?」
しばらくこちらを見つめた後、レッティは子ども達に声をかけた。
「みんな、先に屋敷の中に入っててくれる?」
「えー」
「はーい」
「うん···」
「続きは?」
それぞれ返事を返しながら、子ども達は屋敷に戻っていく。
子ども達を見送り、レッティは俺を井戸の側のベンチに誘った。
「こっち。ここ、座って」
言われるままに腰掛けると、彼女も隣に座る。
「それで?どんな夢だったの?」
「······いや、夢ではないんだが」
「じゃあ、何?」
考えてみれば、過去から転移してきたことをどう説明するべきだろうか。正直に話したとしても、普通に考えて正気を疑われかねない内容である。
「······」
時間転移は成功したと考えていいだろう。しかし、なぜこの場所に?ミライ達の姿はない。転移の際に分断されたのか。
全員バラバラになっている可能性は高い。問題は、それぞれどこにいるかだ。
そして確認しなければならないのは、今がいつであるかだ。
レッティがラグズに攫われる前であるのはわかる。どのくらい前の時点なのか。もし時間が無いなら、すぐにでも彼女を避難させなければならない。
「······レッティ、おかしなことを聞くようだが。最近あった出来事を教えてもらえないか」
「最近のこと?アイオスが外の大陸に行ってた間、ここであったことでいいの?」
「俺は最近、外の大陸へ行っていたか?」
「何言ってるの。外の被害状況を確認するって出かけてたじゃない」
確かにその目的で外出した覚えがある。
戦いに駆り出され、砂漠の大陸で暴れている同胞がどんな状況にあるか。魔王の支配命令を解除することはできないため止めることはできないが、状況だけでも確認したかった。
「戻ってきたばかりか?」
「一昨日よ。···ねぇ、ほんとにどうしたの?まさか記憶喪失?ベッドから落ちて頭でも打った?」
「そんな間抜けはしない」
「落ちたことあるじゃない」
「あれは、起きたらお前の顔がすぐ側にあって驚いたからだ!」
「やだ、寝顔覗いてたことまだ根に持ってるの?」
「············」
不審がられたが、今の状況はわかった。次に外の大陸へ行った時、レッティが攫われた。まだ少し時間はある。
ラグズが来る前に、彼女を外の大陸に連れ出す。
カザマ達勇者一行がどこまで来ているのか、情報も集める必要がある。そして、ミライ達と合流しなければ。
カザマ達の情報はオアシスで集めればいい。
しかし、ミライ達はどこに転移したのか。
「ねぇ、アイオス。疲れてるならもう屋敷の中に戻りましょう」
転移······転移か?状況だけを見れば、時間が巻き戻っただけのようにも見える。
シュトリ達の様子から、屋敷に俺が転移して突然現れたという反応ではなかった。未来の自分と現在の自分が同時に存在している訳でもない。
魔王城での戦いの傷も汚れも残っていない。だが、懐には今の時点で持っているはずのない空の薬瓶が入っている。戦闘中に服用した、フェンの薬が入っていた小瓶だ。
「アイオス、聞いてる?」
転移直後は忘れていたが、未来に起きた出来事の記憶はしっかり覚えている。
まるで、この時間の自分自身に転移したかのようだ。
「アーイーオースー?」
同種のものは上書きされてひとつに。薬瓶のように、今ここに存在しなかった物はそのまま転移した?
もしそうなら、ミライ達も同様に?しかし、それなら······
「キスしちゃうよ?」
「!」
顎に細い指先が触れた感触で我に返る。
いつの間にかレッティが正面に立ち、腰をかがめて顔を近付けていた。
「あら残念。気付いた?」
「···すまない。考え事をしていた」
レッティは指を離し、背筋を伸ばした。
「中に入ろ?」
優しく微笑む彼女の顔を見つめる。
「レッティ。大事な話がある」
驚いて目を瞬かせる彼女に、これからのことを話す。
「ラグズがお前を狙っている。ここにいては命の危険があるから外の大陸に避難してほしい。
そして、俺はやらなければならないことがある。しばらくここには戻れないと思うから、そのつもりで荷をまとめてくれ」
命の危険がある、と言うと不安にさせるかもしれないが、危機感を持ってもらうためには伝えたほうがいい。
俺が未来から転移してきたことは話せていないので、ひとまずはそう言った。
レッティはすぐには返事をせず、背を向けて俺から数歩距離をとった。足の爪先で地面をつつきながら、
「······大事な話なんて言うから、プロポーズされるかと思っちゃった」
何か小声で呟いているが、聞き取れない。
やはり不安にさせてしまったか。
「何か言ったか?」
「ううん、何も!」
くるりと振り向いてまた側に来た。
「わたし、狙われてるの?それに、アイオスがやらなければいけないことって?」
疑問は最もだ。脈絡なくそんなことを言われたら困るだろう。
「今は説明している時間が惜しい。複雑な事情ですぐに説明できなくて悪いが···そのうち話すから、今は言う通りにしてほしい」
「えっ、そんなに急いでるの?」
「ああ」
頷いて立ち上がる。
「···無理を言ってすまない。それと、もしかしたら危険な場所に同行してもらうことになるかもしれない。だが、俺が必ず守るから、ついてきてほしい」
そう言うと、レッティは一瞬目を見開き、なぜか薄っすら頬を染めて嬉しそうに微笑んだ。
「うん。わかった」
しばらく集落を空けるなら、住民にも説明しなければならない。物資の備蓄は十分あっただろうか。
これからやることを考えながら、屋敷に戻るために歩を進める。が、後ろからレッティの声がかかったのですぐに足を止めた。
「待って、アイオス」
振り返ると、彼女は両腕をこちらに広げていた。
「もう一回」
その言葉と姿を見て、何がもう一回なのかわからないほど鈍くはない。引き返して、腕を広げた彼女を優しく抱きしめる。
レッティは俺の首に腕を回してきた。
きっと、この奇跡は一度きりだ。取り戻したこの温もりを、今度こそ守る。
固く決意して少し顔の位置をずらし、黒い瞳と一瞬目を合わせ、唇にキスを落とした。