4.傷ついた魔族
異世界で最初の夜。
俺は村のテントに設置してある簡易ベッドに横になって目を閉じ、瞼の裏の闇を見つめていた。
眠れない。
慣れない硬いベッドであるが、野宿でないだけありがたいが。
テントは今使用しているものだけだ。召喚士の野郎共は、後のことはセレネさんにまかせたと言ってさっさと引き上げていった。
なんて無責任な。だが、俺だって野郎共に導かれるより美人に導かれたほうがモチベーションは上がるので、特に文句は言わなかった。
よって、このテントを使用しているのは俺とマリーナ、そしてセレネさん。
隣のベッドにはマリーナ、その向こうにはセレネさんが休んでいる。
二人とも何の意義も申さず休んでいるが、異性と同じ部屋で就寝することに抵抗はないんだろうか。
異世界では普通のことなのか、それとも俺が男としてカウントされていないのか。
女性二人が何も言わないのに俺が何か言えるはずもなく、何も気にしてませんって顔でベッドに入って今に至る。
ベッドとベッドの間には1m程度の間隔がある。が、仕切りがあるわけではないので、横を向いて目を開ければマリーナの寝顔が見えるかもしれない。
すぐ近くで女性が眠っている事実はなるべく考えないようにして、これからのことに思考を巡らせる。
明日の目的地は決まっているが、その先は?魔王はどこにいる?魔王を斃せるようになるまで何ヶ月かかる?もしかしたら、何年?
考えていると心が落ち着かない。
だめだ、眠れない。少し、外の風に当たってこようか。
女性二人を起こさないようにそっと起き上がる。
村にはモンスターは入って来られないらしいが、念の為セレネさんに貰った剣を持って行く。
ここは異世界。脅威はモンスターだけとは限らない。
夜なので当然、暗い。街灯なども無いので、村を照らすのは月明かりだけだ。幸い、満月ではないが月はだいぶ満ちており、雲も少ない。
とはいえ、やはり光にあふれた現代社会に慣れた俺の目には、この闇は不安だ。
召喚されたときに持っていた携帯端末のライトがあるが、充電できないのでなるべく節約したい。
何かあった時だけ使おうと思って、これも一応持って行く。
テントの外へ出て、息を吐いた。
暑くも寒くもない、過ごしやすい気温。
昼間は村を観察する余裕なんかなかった。むしろ俺が観察されていた。
地面は土がむき出しで、全く舗装されていない。雨が降ったらぬかるんで歩きにくそうだ。
樹木が村をぐるっと囲み、通り抜ける風が木々を揺らし、さわさわと音を立てている。
ぽつぽつと点在する家屋は木製。二階建ての集会所が一番大きい建物だった。
どの家も灯りはついておらず、しんと静まり返っている。
花の植えられた一角や、井戸の側を通り過ぎながら歩く。
それほど広い村ではなかったため、あっという間に一周してしまった。
だが、歩いたことで少し心が落ち着いた。
人間、時には何も考えず歩くことも必要だ。
もう一周したらテントに戻ろう。そう思ったとき、一瞬、視界に青白い光が映った。
「え?今のは···」
人工的な光のないこの場所で、今のは不自然だ。
光ったと思われる方向を見る。しばらく待ってみたが、再び光ることはなかった。
このままテントに戻ってしまおうか。だが、気になる。
悩んだ末、結局好奇心に負けた。
なるべく足音を立てないようにしながら、ゆっくりと歩く。
木々の隙間を覗き込むと、踏み固められた小路があった。先に進めるようだ。
暗い中、若干不安になりながら歩いていると、少し開けた所に出た。
「!」
誰かがいる。
ちょうど真上から月の光が差し込み、大木に背をもたせかけて座る人物の半身を照らしていた。
ひとの形をしている。モンスターじゃない。
一瞬安堵しかけたが、やはり怪しいと思い直す。こんな時間にこんな場所で、一体何を?
錆びた鉄のような匂いが鼻を突く。
ぱきっ、と足元で音が鳴った。
遅れて、俺の靴が小枝を踏んだ音だと気付いた。
その音は正面の人物にも聞こえたらしく、こちらに視線を寄越したのがわかった。
「!」
気付かれてしまった。俺は身を隠すのをあきらめて、前に進み出る。
近付いたことで、その人物の姿がさっきより見えるようになった。
男だ。
暗くてわかりにくいが、額には角。背には翼が生えている。鳥類のそれではなく、コウモリやドラゴンのような形状。
髪の色は、青紫。
どうやら肌の色も俺とは違うようだ。
異世界ではこういう異形が当たり前なのだと改めて認識する。
男の紅い瞳が俺を写す。
「ヒト族に···見つかるとは。これまでか···」
低い声が俺の耳朶を打つ。
疲れたような声。
そこで気付いた。
地面に広がる赤黒い染み。それと同じ色が肌や装備に付着している。
血だ。
錆びた鉄のような匂いの正体はこれだ。
「あ、あんた、大丈夫か?怪我してるのか?どうしよう、治療道具なんて持ってないし」
俺が慌てた声を上げると、怪我をした男は訝しげに言った。
「···何を言っている?俺を始末するのではないのか?」
「はぁ?あんたこそ何言ってるんだよ。そんなことするわけないだろ?」
「何?魔族の俺を見逃すというのか?」
「魔族!?あんた魔族なのか!?」
俺は仰天した。
こんな所で魔族に遭遇するなんて、全く想像していなかった。
魔族。カザマを殺したのは、魔族。
怪しい光に導かれ、不用意な行動を取ったことを後悔するよりも、兄を殺した魔族に対する怒りが勝った。
「名前は?まさか、ガルグっていうんじゃないだろうな!?」
問うが、魔族の男は頭を振った。
「···いや、違う。ガルグというのは魔王の側近の男だ」
「ガルグを知ってる?奴はどこに!?」
「······」
魔族の男は苦しそうな呼吸をしている。喋るのも辛そうだ。
俺は疑問に思った。こいつはなぜここにいる?何でこんな怪我を?魔族って強いんじゃないのか?
どうする?魔族ってのは、悪い奴らなんだろ?ここで殺しておくべきか?
今、俺の手の中には剣がある。
殺す?俺の手で?
自分の考えにゾッとした。
少し話に聞いただけの魔族のイメージは、悪魔みたいな感じだった。実際その姿はちょっと悪魔っぽいが、ひとの形をしているし、会話もできる。
目の前の魔族からは敵意を感じない。負傷しているせいもあるだろうが、こちらを害する気は無さそうだ。
魔族だけど、こいつがカザマを殺したわけじゃない。魔族だからって理由だけで殺すのは、違う気がする。
「俺には、あんたを殺す理由がない」
俺はこの世界に来たばかりで、どんな言動を取るのが正解なのかわからない。この判断が後々どう響くのかわからないが、今の俺はこう言うしかない。
「俺を見逃すと?」
声音から、魔族が驚いたのが伝わってくる。
「ああ。でも、ごめん。治療道具とか何も持って無いんだ」
「必要ない。休めば自然に治る」
自己再生できるってことか?魔族ってすごいな。
「魔族に情けをかけるとは。変わったヒト族だ···」
そう言うと、魔族の男は木にもたれつつゆっくりと立ち上がった。
思わず身構えたが、男は俺に一瞥をくれただけで、襲いかかってくるようなことはなかった。
背を向け、俺がいるのとは反対方向へ歩き出す。
「······ぁ」
反射的に呼び止めそうになったが、寸前で止めた。
何もできないのに呼び止めてどうする。
その背を黙って見送る。
魔族の男は傷ついた身体を引きずって、木々の間の闇に消えていった。
本当に見逃してよかったのだろうか。
ともかく、剣を使わずに済んだことにほっと息をつく。
「ん?」
踵を返しかけて、魔族の男がいた場所に何かが落ちていることに気付いた。月明かりを反射して、かすかに光っている。
近づいて確認すると、銀色のペンダントだった。
あの魔族が落としたのか?
わずかに血が付着したそれを拾い上げる。
チェーンが切れている。そのせいで落としたのか。
楕円形のシンプルなデザイン。触ってみると開閉できるようになっており、開けてみると写真が入っていた。
「女性の写真が入ってる···」
黒い瞳に薄紫色の髪の女性だ。柔らかく微笑んでいる。
人間······ヒト族に見える。
あの魔族と、どういう関係があるんだろう?
一般的に、ロケットペンダントに入れるのは大切なひとの写真ではないか。
魔族が戻って来る様子はない。ペンダントを失くしたことに気付いて後日戻って来るかどうかはわからない。
ここに捨て置くのも忍びない。もし、また会うことがあったら返そう。
ペンダントをポケットに入れ、今度こそ踵を返した。
幸い、テントを抜け出したことには気付かれておらず、こっそりベッドに戻ることができた。