35.絶望に差し込んだ光(1)
◎◎アイオス◎◎
あの時こうしていれば。あの時、違う結果になっていたら。
他にやりようがあったのではないか。より良い選択肢があったはずではないか。
過ぎ去った過去を後悔しても仕方ない。起こってしまった事象は覆せない。
過去を悔いるのではなく、現在、そして未来のことを考えるべきだ。
······わかっていても、後悔が消えない。
あの時、ラグズより先に魔石を手に入れていれば、今の争いは起きなかったかもしれない。
あの時······ヴァイオレットを無理矢理にでも外の大陸に帰しておけば、あんな死に方をさせなかったかもしれない。
コーディエライト家の血を引き、強い力を持っていても、肝心なところで役に立たない。
魔族の置かれた状況を改善したい。
瘴気が蝕む大地で弱っていく同胞達。
作物はろくに育たない。モンスターは変異して凶暴化する。せっかくこの世に生を受けた赤子が、瘴気の毒で体を壊して死んでしまう。
魔族の平均寿命は、ヒト族を除く他の種族より短い。それはこの劣悪な環境と、戦いの中で死亡する者が多いせいだ。
魔族がいくら強い力を持った種族だとしても、他種族が力を合わせて対抗してきたら圧倒されてしまう。
争いを好む非情な種族として、忌み嫌われる魔族。
限界まで拗れた魔族と他種族の関係は、千年近く続いている。修復は難しい。
改善を願うだけで具体的な行動に移せない。失敗したら後がないので、一歩を踏み出す勇気がない。
手の届く範囲には限界があり、自分の集落の住民の生活を支援するだけで精一杯。
俺達魔族は、暗黒大陸以外の大陸のことを“外の大陸”と呼ぶ。瘴気のない澄んだ空気、色鮮やかな草花。食料や綺麗な水が苦労することなく手に入り、様々な種族が共存している。
その環境を羨み、妬む者は多い。それが外の大陸の者達への敵愾心となり、争いの元となる。
俺だって、外の大陸の者達に対する負の感情が無いわけではない。
だが、憎んで争っているだけでは何も変わらない。
かといって、どうすればお互いに対する考え方を変えられるかわからない。
結局、現状維持を続けるだけで何もできないまま数十年が過ぎている。
変化が起きたのは三年前。俺のミスでヒト族を暗黒大陸に連れ帰ってしまった。そのヒト族がヴァイオレットだった。
俺以外は誰も入れないはずの入り江に停泊してある小舟に、まさかヒト族の女が潜り込んでいるなんて夢にも思わなかった。
慌てて外の大陸に帰そうと思ったが、女が衰弱していたため、放り出すと死んでしまう恐れがあった。
仕方なく快復するまで面倒を見て、歩けるようになった頃、外の大陸に帰してやると伝えた。が、返答はまさかの拒否だった。
外の大陸の者だ。同胞から殺してしまえという意見が出ている。
残っても暴言や暴力にさらされる可能性は高く、最悪命を落とすかもしれない。ここに留まっても良いことなど一つもない。
半ば強制的に帰そうとしたら、泣いたり暴れたり精神的に不安定で大変だった。
当時、色々辛く悲しい出来事を経験した直後だったらしく、それで精神不安定になっていたのだと後になって知った。
か弱く、乱暴に扱ったら壊れてしまいそうな生き物。下手したらうっかり殺してしまうかもしれない。結局、強く出られなかったために強制するのを諦めた。
落ち着くまで様子を見ることにした。すぐにここに嫌気がさして、帰りたいと言い出すに違いない。
しばらく塞ぎ込んで与えた部屋から出てこなかったが、徐々に調子を取り戻したようだ。少しずつ外に顔を出すようになった。
しかし、外に出るようになったらなったで問題がある。当然のことながら、ヒト族であるヴァイオレットは集落の住民に歓迎されていない。
話しかけても無視されたり暴言を吐かれたり、石を投げられることはしょっちゅう。一応住民には、彼女に危害を加えるなと言っておいたが、完全には抑えられなかった。
放置した結果、殺されてしまっては目覚めが悪い。可能な限り見守っていたが、精神的にかなり疲れる日々だった。
早々に音を上げるかと思いきや、彼女は図太い神経の持ち主だった。
徐々に住民と言葉を交わすようになり、集落に馴染み始めた。
時折、「帰る気になったか」と尋ねるが、答えは否。
最終的にはヴァイオレットを外の大陸に帰すことは諦めた。一人保護する住民が増えたところで大差ない。
「魔族も他の種族と変わらない。話せばちゃんと分かり合えるのね」
ある日、ヴァイオレットがそう言った。その言葉と、分かり合おうと歩み寄ってくれたそれまでの行動に感化され、俺は魔族と他種族の共存という望みを彼女に話してしまった。
それを不可能と切り捨てることなく、「叶うといいね」と、彼女は笑った。
不可能ではないと思わせてくれる、希望の光だった。
ヴァイオレットのおかげで、この集落だけだが外の大陸への偏見が薄れた。
たった一人だが、魔族と共存してくれるひとがいることが嬉しかった。
集落の子ども達はヴァイオレットに懐き、大人達も共に暮らす仲間として彼女に接し始めた。
彼女からもたらされる外の大陸の話。物資の調達にも協力してくれるようになり、集落が明るくなった。
いつしか、明るく前向きな彼女に惹かれていた。
ヴァイオレットの言動に振り回されることもあったが、共に過ごす時間は幸せだった。
だがある日、凶報が届く。
魔石が確認されたのだ。
魔王になれる高純度の魔石。複数のモンスターが融合した変異体の体内にあるのが発見された。
モンスターが心臓に核として取り込んだのではなく、そいつが周囲の物を手当たり次第吸収した中にたまたま魔石があったというだけだ。
腕に自信のある魔族がそのモンスターに挑んだ。俺も、話を耳にしてすぐにモンスターが目撃された場所に向かった。
魔王が誕生しては困る。八十年前のあの争いが、また起こってしまう。
しかし道中、妨害にあった。ラグズの配下達だ。
ラグズを魔王にするために、魔石を狙う他の魔族を妨害していたのだ。
そのせいでラグズに先を越され、魔石を取り込まれてしまった。
ラグズは俺の言葉など聞きはしない。支配能力で同胞を従え、外の大陸へ侵攻を始めてしまった。
傷付き、命を落とす同胞。外の大陸では魔族への怒りや憎しみの感情が増幅される。
こんな状態で共存など、できるばずがない。
魔王誕生の話は、すぐに世界中に広がるだろう。いずれ勇者が召喚される。勇者一行が暗黒大陸に来たら、俺の集落を襲う可能性があった。
こちらに敵対の意思がなくとも、向こうはこちらの全てを敵だと思っている。
そうなったら、住民を守るために応戦せざるを得ない。
この争いを止めるためには、魔王が討たれる必要がある。だから、唯一魔王を斃せる勇者の邪魔をする気はない。
抵抗しない者には手を出さないように、勇者を説得できないだろうか。
彼らが暗黒大陸に来る前に接触して、犠牲を最小限にしてもらうように頼めないだろうか。
話を聞き届けてくれる保証はない。だが、少しでも犠牲を減らしたくて藁にもすがる思いだった。
しかし、肝心の勇者がどこにいるのか、どんな容姿なのかもわからない。
砂漠の大陸で情報を集めたが、勇者の居所はわからなかった。
後から知ったことだが、勇者パーティにはガルグが潜り込んでいた。仮に勇者を発見できたとしても、ガルグがいては接触できなかっただろう。
俺が外の大陸に行って集落を留守にしていたこの時。ラグズがヴァイオレットを誘拐した。
戻って、血相を変えたシュトリに事態を伝えられたとき、とてつもない不安に襲われた。
すぐさま魔王城に向かい、何が何でもヴァイオレットを取り戻すつもりでいた。
···だが、手遅れだった。
胸の中心に深い刺し傷。
無造作に地下牢に放り込まれていたヴァイオレットを抱き上げた時にはもう虫の息だった。言葉を交わせる状態ではなく、死にゆく彼女の名を呼び続けるしかできなかった。
ひどい喪失感に襲われた。
後悔が頭の中を駆け巡る。
集落を留守にしなければ。ラグズが魔王になるのを止められていれば。そもそも、ヴァイオレットが集落に住むのを認めなければ。
もっと何かしてやればよかった。
ヴァイオレットは、暗黒大陸という不自由な場所での暮らしの中、文句のひとつも言わなかった。
来たばかりの頃こそ暗い表情をしていたが、馴染んでからはいつも笑顔だった。
少しでも皆の生活が良くなるようにと心を砕いてくれた彼女に、俺は何ができただろう。
最愛のひとを失い、魔王の起こした争いのせいで多くの同胞が命を落とした。他種族との共存など、もはや叶わない。魔族は急速に滅びへと向かっている。
こんな愚かな種族なら、滅びへ向かうのも当たり前なのかもしれない。
争いを終わらせる頼みの綱である勇者は魔王に敗れた。
最後にもう一度だけ説得を試みようと魔王城に向かいラグズと話したが、全く聞く耳を持たなかった。
殺されかけたあげくとっさに転移した先はどこかもわからない森。絶望が心を埋め尽くす中·····俺はあの少年と出会った。




