34.終わりじゃない
目眩のような、浮遊感のような······ふわふわした感覚。瞼の裏から感じる外の光が和らいできた。
そっと目を開け、何度か瞬きをして焦点を合わせる。ひび割れた灰色の床が見えた。どうやらいつの間にか床に倒れていたらしい。
ゆっくりと身を起こす。遅れて、体中に痛みが走った。
「······いっ、てて······」
あちこち傷だらけ血まみれのぼろぼろで、酷い格好だ。
腰のポーチにもう回復薬は入ってない。使い切ってしまっていた。
痛みを堪えてなんとか上体を起こし、しかし立ち上がる気力は湧かず、座り込んだ状態で前を見た。
「······!」
巨大な魔法陣が展開されていた。
薄っすらと白い光を帯びた魔法陣。静かに明滅する光は、俺の手の中にある勇者の剣と共鳴している。
「ミライ、無事か?」
フェンが転びかけながらこちらにやって来た。俺の前に膝をついて、肩に触れる。
「なんとか···」
俺が弱々しくも頷くと、フェンは俺の肩を優しく叩いた。
「よくやった」
短く簡単な言葉だったが、やり遂げたのだと実感して胸が熱くなる。
「みんなも、無事?」
視線を巡らせると、モニカがマリーナを支えながらこちらにやって来るのが見えた。
離れた所にアイオスの姿も見える。魔王の長刀を支えにして膝をついていた。
みんな生きてる。犠牲を出さずに勝利することができて良かった。
「「ミライ!」」
マリーナとモニカが側に来て座り込む。
「よかった、ほんとうに···」
「魔王を、斃したんですね」
疲れた顔をしているが、お互い無事を確認できてほっとしている。
「この魔法陣······」
揃って眼前の巨大魔法陣に目を向ける。
「俺、まだ何もしてないんだけど」
俺の意思に反して、既に魔法陣が完成している。
「とんでもない魔力量だわ······多分、あまりに膨大だから外部に可視化して現れているんじゃないかしら」
今までモンスターを倒して蓄積された魔力など一切感じなかったのだが、今は手の中の剣を通じて、莫大な魔力があるというのがわかる。感覚なので、具体的には説明できないが。
この魔法陣で、転移ゲートを開く。過去に行って、カザマを救って。もう一度、魔王を斃して······
「······」
もう一度、今の戦いを?一歩間違えば誰かが死んでいたかもしれない激闘を、また?
次も斃せるだろうか。ひとりも犠牲を出さず。
今回と全く同じ戦いになるわけではないだろう。だが、魔王の桁外れの強さは今しがた身に沁みて実感した。戦いの中、もう駄目だと思った瞬間もあった。
痛い思いをして、怖い思いをして、仲間の助力があって、やっと斃した。
過去へ行くということは、この行いを無かったことにするということだ。
戦いとは無縁の世界で育った俺にとっては、この世界での日常は大変なものだった。
帰りたかった。自分の日常に戻りたかった。
そして今、帰りたいと願い続けた道が目の前にある。
疲労がピークに達しているせいだろうか。迷ってしまった。帰ろうと思えば、帰れる。
召喚された勇者として最低限のことはしたのだ。帰る権利が、俺にはある。
“自分の世界に帰る選択をしても責めはしない”と言ったアイオスの言葉を思い出す。俺が迷うことを予期していたのだろう。
だが、俺が元の世界に帰る選択をすればアイオスは二度と恋人に会えない。マリーナのお姉さんも救えない。
何より、カザマを救える可能性を手放すことになる。
迷いが表情に出たのかもしれない。フェンがそっと俺の背に手のひらを当てた。
「ミライ。君の望むようにすればいい」
そんな優しいことを言わないでほしい。余計に揺らいでしまう。
きっと、元の世界に帰ることを選択しても仲間達は俺を責めないだろう。別れを惜しみながら、送り出してくれるだろう。
マリーナとアイオスは期待を裏切られたことを悲しむだろう。それでも、内心はどうであれ、気にするなと言ってくれるに違いない。
信頼する仲間達の優しさが、今は辛い。
遅れてアイオスが俺達の側に来た。俺を見下ろして口を開く。
「·····ミライ、もし、」
「······!言わないでくれ!」
帰りたかったら帰ってもいい。アイオスはそう言おうとしたのだろう。でも駄目だ。今その言葉を聞いたら、帰る方に心が傾いてしまう。
「······ごめん」
俺の謝罪の言葉を、約束を守れないことに対してだと受け取ったのかもしれない。沈黙が流れる。
「·····俺、けっこう単純だから」
魔法陣の縁を見つめながら話す。
「その場の雰囲気に乗せられやすいんだよ」
帰りたい。辛い戦いは嫌だ。でも、カザマのことを諦めたくない。
「···迷ってごめん。カザマを助けたいって気持ちは変わってない。ただ、魔王が強すぎたもんだから、ちょっと挫けそうになってるだけで」
なるべく明るい声を出したつもりだが、上手くできてるだろうか。
「カザマを救うために過去へ行きたい。でも、今のままじゃ転移に失敗してしまうかもしれない」
転移に必要なのは、明確なイメージと強い意思。迷いがあってはならない。
「だから、前に進むための言葉が欲しい」
過去への転移。元の世界への転移。ふたつの選択肢を好きに選んでいいのではなく、道はひとつしかないのだと思わせてほしい。
仲間達は俺の気持ちを察してくれたようだ。しかし、俺を案じてくれる彼らに、危険な転移を決断させろと頼んでいるのだ。言いづらいに違いない。
でも、俺が今欲しいのは楽な道を塞ぐための言葉だ。
「···過去へ転移するチャンスなど、そうそう訪れない」
最初に言葉をくれたのはフェンだった。
「研究者としての好奇心から言わせてもらうと、是非とも時間旅行してみたいものだ。
それに、君の兄であるカザマに会ってみたい」
俺も、カザマにフェン達を紹介したい。一緒に戦った素敵な仲間達なんだって。
マリーナが両手で俺の手を握った。
「ミライ、お願い」
明るい緑色の瞳が俺を見つめる。
「あたし、お姉ちゃんが大好き。お姉ちゃんが旅に出るまではずっと一緒に暮らしてた。部屋にひとりぼっちは嫌なの。
助けられるなら助けたい。お姉ちゃんと一緒に家に帰りたい。
だからお願い。過去へ行けるゲートを開いて!」
自分の知らないところで死んでしまった唯一のきょうだい。その点は俺とマリーナの境遇は似ているから、気持ちがよくわかる。
モニカは過去への転移を一番反対していたから、背中を押してくれと言っても難しいかもしれない。
「···自分は、ミライには笑って帰ってほしいです」
でも、彼女は言葉をくれた。
「今、元の世界に帰ってもあなたは笑えないでしょう。選ばなかった道を後悔し、暗い気持ちのまま過ごしてほしくありません。
兄君を救い、ふたりで笑って帰ってください。自分達も、笑って見送りたいですから」
俺も、後悔なく笑ってさよならしたい。最後に見るのはみんなの本当の笑顔がいい。
カザマと一緒に、元の世界に帰りたい。
「······」
アイオスは沈黙している。強気で過去への転移を要求してきたくせに、一番怖がっている。
マリーナに恋人に会えたらどうしたいかと聞かれたとき、成功する保証は無いから考えないと彼は言った。
成功率はもちろん、俺が直前で心変わりする可能性もずっと考えていたのだろう。
期待されていなかったのかと思うとちょっと悲しいが、実際迷ってしまったので文句は言えない。
でも、心の底では過去への転移を望んでいるはず。
「アイオス」
名を呼ぶと、紅い瞳をこちらに向けてくる。じっと見つめると、彼は躊躇いがちに口を開いた。
「···過去へのゲートを開くことが、協力の条件だ」
最初の約束はそうだった。後で、協力するのは争いの種を撒く魔王を止めたいからという理由に変わったが。
「建前より、本音で頼んでくれたほうがやる気出そう」
言い直しを要求すると、少しの沈黙の後、アイオスは再び口を開いた。
「······叶うなら、もう一度ヴァイオレットに会いたい。だから、頼む」
ギリギリ聞こえるくらいの声量だったが、やっと過去へ転移したい理由が聞けた。
決意するための言葉はもらった。迷いを上書きして、勇気が出た。
立ち上がろうとして、身体が痛かったことを思い出した瞬間呻いて膝をついた。
目の前に小瓶が差し出される。驚いて見上げると、アイオスが回復薬の小瓶を持っていた。しかも四つ。
「使わなかったのかね?」
「途中、一本だけ使わせてもらった」
多分、最初から俺達の分を残しておくつもりだったのだ。戦闘後、命に関わる重傷者が出ることを想定して。
「一本足りませんよ」
「俺はいい。放っておいても再生する」
「君はそればっかりだな。···だが、今はその言葉に甘えよう」
アイオスからそれぞれ薬を受け取って飲む。
回復して立てるようになった。魔法陣と共鳴する勇者の剣を両手で握りしめ、念じる。
カザマを救いたい。マリーナとアイオスに、大切なひとにもう一度会わせてあげたい。
カザマ達が生きていた過去へ。ヴァイオレットが魔王に攫われる前の過去へ。
召喚されて初めて降り立った中央大陸。マリーナに出会いセレネさんにカザマの話を聞き、旅が始まった。
フェンと共に森に出向き、ガルグと遭遇した。当時は名前も知らなかったアイオスに助けられた。
王都でモニカを仲間に迎え、四人で力を合わせて海底洞窟の幼竜を倒した。
雪の大陸は寒くて死にそうなところだったけど、シュニー家の宿と食事は暖かった。
聖鉱石を手に入れてから向かった砂漠の大陸で、また死にかけた。三度アイオスに出会い、助けられた。
ゾンビとの戦闘は精神的に辛かった。過去への転移という提案をアイオスに持ちかけられ、カザマを救える可能性に希望を見た。
まさか暗黒大陸で魔族と寝食を共にする日が来るとは、この世界に来たときは考えもしなかった。
アイオスという心強い仲間が増え、マリーナ、フェン、モニカ、みんなで魔王に挑んだ。
俺が歩んだ旅路。その出来事は消えてしまっても、みんなで旅をして共に戦った記憶は消えない。
魔法陣の輝きが増した。剣越しに、脈打つような魔力の波動を感じる。
光の螺旋と粒子が舞い、その向こうに自分とよく似た黒髪の少年の姿を視た。
「!」
向こうの景色が見えたのは一瞬だったが、確信した。過去への転移は可能だ。
渦巻く光の柱が魔王城の天井を透過し、天に昇る。
「みんな、行こう。大丈夫だ。確実に過去へ行ける」
剣を鞘に納め、告げる。自信に満ちた俺の声音に、仲間達は少し驚いた表情を見せた。
マリーナが俺の左手を握る。
「信じてるわ。ミライ」
彼女はもう片方の手をモニカに差し伸べ、手を繋いだ。
フェンが右手でアイオスの手を取り、左手で俺の右手を握る。
みんなで一緒に転移できるように手を繋ぎ、魔法陣の前に立つ。
俺が一歩を踏み出すと、四人も同じように魔法陣に足を踏み入れた。
白い光が俺達を包む。眩い光が視界を奪い、床を踏む感覚が消え失せる。
この世界に召喚されたとき、こんな感じだったっけ。訳が分からないまま召喚されたので、あまり覚えてない。
身体を包むこの輝く光のように、この先の道に希望の光が放てますように。
ホワイトアウトした視界の中でそう願いながら、俺は意識を手放した。
親愛なる異世界の友へ「現在編」を読んでくださった読者様、ありがとうございます。
「過去編」へ続きます。
これまで“0.魔王”を除いては主人公ミライの視点で物語を紡いできました。
しかし、この先は物語の展開の都合上、ミライ以外の視点でも物語を紡いでいきます。
もうしばらく、彼らの物語にお付き合いください。




