30.魔王城へ(2)
ミノタウロスでもオークでもないが、体高はミノタウロスより少し大きいくらいだ。
黒い身体にやけに長い腕。平べったい足を引きずるように歩いている。頭部の中心に大きな目がひとつあり、体中から棘のようなものをいくつも生やしている。
「なんだ、あれ」
「変異体だ。元はサイクロプスだろう。瘴気の影響で変異するモンスターは珍しくない」
剣を構えながらアイオスが言う。モンスターはまだこちらに気づいていない。奇襲するなら今がチャンスだ。
俺達に支援魔法をかけた後、アイオスは先制攻撃を仕掛ける。
一瞬で肉薄し、首に大剣を一閃。
変異体の首が落ち、一撃で倒したかのように見えた。が、長い腕が落ちかかる頭部をキャッチし、元の場所とへ戻す。切断面が合わさると、元通りに首がくっついた。
変異しすぎて首が急所ではなくなっている。心臓も本来の位置にはないのかもしれない。
モンスターは驚異的な回復力を見せつけてきたが、アイオスには想定内だったらしい。慌てず、次の一撃を繰り出す。叩きつけられるように振るわれた変異体の長い腕を半ばから切断する。
これもくっついて元に戻るかもしれない。だが、そうなる前にマリーナの魔法が放たれ、斬り飛ばされた腕を消し炭にした。さすがに生えてくることはないようだ。
変異体が身を震わせ、体中に生えた棘が伸びた。次の瞬間、その棘が射出され、周囲にいた俺達に襲いかかる。
モニカが前に出て、盾でそれらを防いだ。
アイオスは武器で棘を撃ち落としつつ接近し、顔の中心にある目玉に剣を突き刺した。
声を出す器官は失われているのか、変異体は悲鳴を上げなかった。しかし苦痛は感じているのだろう。視界を奪われて暴れ始めたモンスターが、残された一本の長い腕を振り回す。
見ると、新しい棘が生え始めている。また射出されたら厄介だ。
モンスターへ向かって、フェンの魔法が放たれる。新たに生えた棘を闇の刃が切り落とし、一際大きな刃が残った方の腕を切断した。それをマリーナが焼いて処理する。
攻撃手段が無くなったかと思いきや、変異体は魔法を使ってきた。周囲の地面が震え、隆起する。それは太い槍のような形を形成し、俺達を串刺しにしようと襲いかかった。
「······ッ!」
躱したと思ったら、軌道を変えて追いかけてきた。咄嗟に剣を前に出して防御姿勢を取ったが、衝撃を殺しきれず弾き飛ばされる。だが、大きな怪我はしていない。素早く立ち上がる。
仲間達を見ると、モニカとアイオスが術師ふたりを守るために前に出て、攻撃を防いでいた。
今なら敵の注意が俺からそれている。体勢を立て直し、モンスターに向かって走った。どこが急所かわからないので、連続して黒い胴体に斬りつける。
再生しようとする胴体の中に、心臓と思わしき臓器が見えた。それはすぐに見えなくなったが、場所は覚えている。俺は一度剣を引き、心臓のある場所に向かって勢いよく突き刺した。
確かな手応えを感じたと同時、変異体の身体が崩れた。乾いた粘土のようにボロボロと崩れ、原型を失う。
「よくやった、ミライ。怪我の具合は?」
フェンはとどめを刺した俺に労いの言葉をかけつつ、先ほど受けたダメージについて尋ねる。
「このくらい、問題ないよ」
何度も戦闘を重ねていれば、受け身の取り方や衝撃の殺し方も覚えてくる。
「傷の再生速度なら、魔王もこれと同じくらいのスピードで回復すると思ったほうがいい」
武器を納めながらアイオスが言う。
驚異的な再生速度を持つモンスターだった。魔王も自己再生力は高いらしい。闇雲に攻撃しても無駄ということか。やはり、一撃で心臓を破壊しないかぎり斃せないのだろう。
山を降りると、茶色い木々の向こうに大きな建物があるのが見えた。
全体的に暗い色の外壁、まだ遠いので分かりづらいが、石造りのかなり古い建物だ。
空に向かって聳える三つの尖塔。しかし、そのうちの一つは壊れて中ほどから無くなっていた。他の二つも崩れかけているように見える。
そして、黒い霧のようなものがうっすらとその建物全体を覆っていた。
「魔王城だ。あそこが一番瘴気が濃い」
やはり、あれが魔王城。いかにもな雰囲気だ。漂う黒い霧は瘴気らしい。
城の手前には石橋が架かっている。
足を止めて魔王城を眺めていると、背後で俺達以外の足音が聞こえた。
「!」
反射的に剣の柄に手をかける。振り返ると、モンスターではなくひとりの男が立っていた。魔族だ。
アイオスの集落以外では初めて会う魔族。
その姿を見て、俺は剣から手を離した。敵意のある眼差しを向けてくるが、襲ってはこない。いや、出来ないのだ。なぜなら、彼には片足が無かった。空っぽのズボンの裾が風に揺れている。
魔族の男は杖代わりの木の棒で身体を支え、俺達を睨む。
「···外の大陸の奴らか?」
ひび割れた唇から掠れた声が漏れる。
アイオスが俺達を庇うように前に出て、本来の姿に戻る。
それを見た魔族の男は驚きに目を見開いた。
「······!
お前、コーディエライトの···」
そう呟いて、魔族の男は表情を歪めた。
「本格的に裏切ったか!外の大陸の奴らを連れて、何を企んでいる!」
事情を知らない魔族から見れば、アイオスは敵である外の大陸の者達と手を組んでいるように見えるのだろう。
アイオスを裏切り者呼ばわりされたままにしたくなくて、慌てて口を開く。
「違う、誤解だ!俺達はあんたらと争いに来たんじゃない。用があるのは魔王だけだ」
「···魔王、だと?まさか二人目の勇者か?」
俺の目的を聞いて、男は小馬鹿にした笑みを浮かべた。
「また殺されに来たのか!ならさっさと死んでこい!」
その言い方に腹が立ち、何か言い返そうと口を開いたが、俺より先にアイオスが声を発した。
「ラグズを討ち、この戦いを終わらせるために協力している。現状を改善するためだ」
「···だから、何だって?状況が改善するまで待てってのか?
ふざけんな!明日生きてるかもわからねぇのに、そんな先の約束なんか聞けるかよ!」
男は手に持った木の棒を地面に打ち付けながら叫ぶ。
「いいよなぁ、力に恵まれたコーディエライトの坊っちゃんは。外の大陸でも生きていけるんじゃないか?弱い同胞なんか見捨てちまえよ」
オレみたいな、と吐き捨てて、自嘲的に笑う。先の見えない未来に絶望して、自暴自棄になっているのか。
「···自分の集落に戻れ。山から降りてきたモンスターに襲われないとも限らない」
アイオスは男の言葉には答えず、静かに告げる。
「戻っても食うもんがねぇから探しに来てんだよ。そこの林なら、まだわずかばかりの木の実が採れる。前に仕掛けた罠に、何かかかっているかもしれねぇしな」
そう言って、魔王城の手前にある林を顎でしゃくって示す。
今、俺の鞄にはいくらかの携帯食料が入っている。しかし、彼の集落の住民に行き渡る量かわからないし、一時の同情で食料を分けたところでそれは俺の自己満足だ。
それに、俺達からそんな施しは受けたくないかもしれない。
「手助けは必要か」
木の棒をついて緩慢に林へ向かう男へ、アイオスが短く尋ねる。
「いらねぇ。余計なお世話だ。···あぁ、だが一個だけ」
足を止め、しかしこちらへは視線を向けずに言う。
「集落に、妹がいる。まだ子どもだ。オレが死んだら引き取ってくれ」
「わかった」
「なんなら嫁にやるよ」
「···それは断る」
「見る前から振るんじゃねぇよ。将来は別嬪だぜ」
乾いた笑い声を上げながら歩みを再開する男。冗談を言う元気は残っていたらしい。
「······」
結局何もできず、男の背を見送った。彼は無事に食料を見つけて自分の集落へ戻れるだろうか。あの身体ではモンスターに遭遇しても戦えないし、逃げることも難しい。
全ての集落に手を差し伸べることは出来ない。俺達に出来ることは、魔王を斃して戦いを終わらせることだけ。それも、一度過去へ戻ってから。
「ミライ。簡単に警戒を解くな」
男の姿が見えなくなってからアイオスが言う。
「でも、あいつ戦えないだろ」
「隻脚のことを言っているのなら、甘い。片足でも攻撃は可能だし、魔法で攻撃してくる可能性もあった」
言われてみれば確かに。アイオスがいるから戦いにはならないと思い込んでいたのもある。
アイオスに同族を警戒させてしまった。裏切ったという誤解も完全には解けていない。
「···ごめん」
「少し休んだら魔王城へ向かう」
再びヒト族の姿をとったアイオスの言葉に頷いて、交代で周囲に警戒をしながら休息を取った。