25.歩み寄る一歩(2)
数時間が経ち、夕食時。
手持ち無沙汰になった俺は、屋敷の中をうろうろしていた。といっても一階だけだ。二階は魔族達が寝室に使っているという話だし、三階はアイオスの私室がある。
日は落ちて、窓の外は暗い。街灯が一切無いので、ほとんど何も見えない。明かりのついている家はここだけなので、寂しくて悲しい景色に見えた。
部屋を繋ぐ扉は開けっ放しにされている。隣室にいる子ども達の様子を把握するためらしい。
万が一子ども達に何かあったり、勝手なことをしたときに、扉を閉めていると気付けないからだという。実際に過去、夜に冒険と称して抜け出した子どもがいたとか。
なので、階段を降りてきたアイオスの姿を、開け放した扉の先に見つけることができた。
「あ、アイオス」
アイオスは子ども達がいる部屋の前で足を止め、室内の様子を伺っている。
確か今は、マリーナが子ども達の相手をしていたはずだ。
側に行くと、室内灯に照らされた横顔はだいぶ血色が良くなっている。自宅だからか、鎧を着ていないのでなんだか新鮮な姿だった。
「顔色が良くなってる。ちゃんと休めたみたいだな、良かった」
声をかけたが、反応がない。この距離で聞こえていないはずはないが。
顔を覗き込むと、アイオスは幻でも見たような顔で子ども達のいる室内を見ていた。
何か変わったものでもあったのか、俺も部屋の中を覗き込む。
毛足の長いカーペットの中央にマリーナが座り、子ども四人が彼女を取り囲んでいた。
「マリーお姉ちゃん、この本よんで」
白い髪の女の子、リリスが本棚から持ってきた本をマリーナに差し出す。
「いいわよ。あ、この本知ってるわ。あたしの家にもあるの」
本の表紙を懐かしそうに眺める。
「あとで魔法みせて!」
やんちゃそうな男の子がせがむ。
「順番にね」
笑って答え、みんなに見えるように本を開く。
「お膝に座っていい?」
「ええ。いらっしゃい」
女の子のお願いに、快く応じるマリーナ。だいぶ子ども達に懐かれている。
特に問題はなさそうだ。
「アイオス?どうかしたか」
「······いや」
今度は反応があった。身を翻し、今度はキッチンのある隣の部屋へ行く。同じように部屋の様子を伺うと、キッチンではモニカと女性魔族二人が夕食の準備をしていた。
「この箱ですか?」
「ええ、お芋が入ってるので、こっちに箱ごと持ってきてくださる?」
シュトリの頼みに、張り切って答えるモニカの声。
「わかりました!」
「あっちの棚にお皿があるから、テーブルに並べてもらっていい?」
朱色の髪の女性魔族。ちょっと気だるそうな雰囲気の女性だが、テキパキと料理に取りかかっている。
「これですね。この大きいお皿でいいでしょうか」
「そうね、人数が多いから。あ、飲み水はこっちのやつを使って」
ボトルに入った水を指して言う。
モニカ自身はそれほど料理は得意ではないらしいが、手伝いは積極的に行っている。
窓際のテーブルでは、フェンと男性魔族二人が話をしていた。
「信じられない。こんな技術があるのか」
カイムが驚いた声を出す。
「錬金術という。ほら、これで当面薬には困らないだろう」
飲み薬に塗り薬。用途に合わせて何種類かテーブルに並んでいる。
「感謝する」
他の種族より傷の再生能力が高いとはいえ、子どもや低魔力の者に薬は必要だ。カイムは嬉しそうに薬を受け取る。
「薬以外も作れるのか?」
質問したのは、目の下に大きな隈を作った男性魔族。青白い顔で具合が悪そうに見えるが、これが通常らしい。
「もちろん。作りたいものに応じた素材と機材が必要だが」
「もう少しくわしく教えてほしい」
「ああ、構わないよ」
仲間達はみんなそれぞれできることを見つけていた。俺も最初はマリーナと一緒に子ども達と遊んでいたのだが、一番小さい男の子がパワフルすぎて早々に音を上げた。
小さい子の相手は意外と疲れる。
好奇心旺盛の男の子はフェンの尻尾にアタックしていた。子どもの行動が予測できなかったため、尻尾に抱きつくように飛びつかれたフェンがちょっと裏返った声を上げていた。
子ども相手に怒ることはなかったが、尻尾を膨らませながら二度としないようにときつく念を押していた。
暗黒大陸から出たことがない子どもにとって、獣人は珍しかったんだと思う。
大人の魔族達も、積極的に交流を持とうとするこちらの行動に応えてくれて、今は緊張も解け普通に会話をしてくれるようになった。
アイオスはそんなみんなの姿を見て立ち尽くしていた。
「···俺が席を外して数時間だと思うんだが」
「ああ。四、五時間くらいかな」
「ずいぶんと住民達と親しく話しているように見える」
「うん。見間違いじゃないよ」
「···何かしたのか?」
何かしたとは人聞きの悪い。そんなに意外なんだろうか。
「いや、何も。ただ、話をしただけだよ」
「······」
腑に落ちないといった顔だ。確かに、敵対し合っている種族同士が数時間で打ち解けたのは早かったかもしれない。でも、それは。
「みんなが俺達の話を聞いてくれて、俺達がみんなの話を聞きたいと思ったのは、アイオスの···いや、アイオスとヴァイオレットのおかげだよ」
傷心のアイオスの前でヴァイオレットの名前を出していいか一瞬迷ったが、言うべきだと思ったので口にした。
「ここのみんなはアイオスを信頼してる。それはちょっと話しただけでわかったよ。だから、アイオスの協力者である俺達がここに滞在することを許してくれた。
でも、それだけじゃなくて···俺達の話を聞こうとしてくれたのは、ヴァイオレットがここのみんなと絆を築いていたからだ」
隣に立つアイオスの紅い瞳が見開かれる。
「ヴァイオレットの築いた信頼があったから、俺達の話に耳を傾けてくれたんだ。
俺達は、アイオスのことを知りたいと思った。魔族を知りたいと思った。アイオスに会って、魔族は悪い奴ばっかりじゃないってわかったから」
少し高い位置にある顔を見上げ、目を合わせて話す。
「仲間達がきついこと言ってたけど、多分不安だったんだと思う。アイオスもそうじゃないか?相手の事がわからないと、何を考えているかわからないと不安になる。怖くなる。
だから話をして、相手を知らなきゃいけないんだ。
マリーナも、フェンも、モニカも。アイオスが本当は優しいひとだって気付いてる。だから、他の魔族にも歩み寄ろうと思ったんだよ」
一度言葉を止め、唇を湿らせる。
「俺達が短時間で仲良くなれたのは、アイオスとヴァイオレットの、これまでの行動の成果なんだ」
そう言った瞬間、見つめる先のアイオスの瞳が揺れた。
アイオスは顔を伏せる。
「······」
短い沈黙。
そして顔を上げたとき、その瞳には今までとは違う光が宿っていた。
「ミライ」
「···えっ、何?」
びっくりして若干声が上擦った。今、初めて名前を呼ばれた。
「お前の仲間達を三階に連れて来てもらえないか。話がしたい」
「あ、うん···わかった」
驚きつつ頷く。再び階段を上がっていくアイオスを見送り、仲間達に声をかける。
アイオスがみんなと話したがっていると告げると、三人とも顔を見合わせてから頷き、アイオスの待つ三階へ向かった。