22.ネクロマンサー(1)
黄色味がかった土色の煉瓦で作られた遺跡は、あちこち崩れていた。壁が崩れて通れなくなっている通路がいくつもあり、なかなか先へ進めない。
話に聞いていた通り、遺跡からゾンビが出てきている。
しかし、ゾンビとの戦いを想定して来たにも関わらず、戦闘は起こらなかった。
なぜなら、ゾンビはすべて戦闘不能になっていたからだ。
ほとんどが胴や足を切断されており、行動力を失ったゾンビは上半身だけで蠢いていた。それだけでも十分目を背けたくなる光景。こんなになってもまだ死霊術に囚われれている。
ほとんどの死体はこの戦場で死んだばかりの新しいもので、腐敗しているものは少なかった。
魔族も他の種族も関係なく、死した肉体はゾンビとなって蘇っている。
こんなことを平気で実行する奴の気がしれない。
「誰かが先行しているな」
周囲の状況を見て、フェンがそう判断した。
「拠点にいる騎士や冒険者ではない。誰かが、我々より先に奥へ向かっている」
騎士たちはゾンビに苦戦しているという話だったし、騎士団長が俺達に討伐を依頼したのだ。彼らがここに来ているとは考えられない。
「誰なのかしら。ゾンビと戦わなくて済んだのはありがたいけれど」
「手練なのは間違いありませんね。これだけのゾンビを退けるなんて···複数人で移動しているんでしょうか」
「ひとりでこれだけのゾンビを倒すのは難しいわよね」
仮に、どこぞの冒険者がこの遺跡に来ているとする。だが、ゾンビが蔓延る遺跡に、一体何の目的で?
お宝が眠っている遺跡ではないようだし、この辺は魔族と交戦中の地域だ。その情報は嫌でも耳に入ってくるくらいなので、何も知らない冒険者が迷い込むことも考えにくい。
俺の頭の中に、アイオスの姿が過ぎる。何があって、何を目的に行動しているのかわからない魔族の男。彼ならば、ひとりでゾンビを倒しながら先に進めるのでないか。
もし、アイオスも死霊術師もここにいるのだとすれば、いずれどこかで全員が一堂に会することになる。
外と比べ物にならないほどゾンビがいるのだから、死霊術師は高確率でここにいるだろう。
なんとなく嫌な予感がする。しかし、引き返すための理由が思いつかないので進むしかない。
倒れ伏すゾンビにはなるべく目をやらないようにしながら歩く。
奥へ行くほど、ゾンビの数が多くなっている。
仲間達の面持ちは固い。倒されているとはいえ周りはゾンビだらけで、もう少しで死霊術師と会敵するかもしれないのだ。
「何か、音が聴こえるわ」
俺にはまだ何も聴こえないが、獣人の聴力はわずかな音を拾ったらしい。
「向こうだな」
フェンも耳をそばだてて、分岐した通路の先を見た。
緊張しながら進むと、ここまでの迷路のような通路と違い、広い場所に出た。
そこに、俺の予想した人物がいた。
「アイオス!」
ゾンビの向こうに、アイオスの姿がある。
「ゾンビに囲まれているわ!」
俺の想像と違い、ゾンビは武器を持ち俊敏に動いている。
乾いた血に染まった身体と生気を失った面貌を除けば、生者と変わらない動きだ。
元は騎士であったゾンビが、アイオスに襲いかかる。
アイオスはその攻撃を難なく躱し、容赦のない斬撃を繰り出す。近くにいたゾンビを巻き添えに、その脚部を切り落とした。
上半身が地に落ちても武器を振り回そうとするゾンビには目もくれず、他の敵に狙いを定める。
大剣を片手で軽々と扱い、次々とゾンビを戦闘不能にしていく。
俺達が手を貸す必要は全くなかった。見惚れるほどの剣さばき。圧倒的な強さ。
「すごい···」
モニカが思わずといった感じで呟いた。
立っているゾンビがいなくなったところで、アイオスの視線がこちらに向いた。
俺達は足元のゾンビを避けながら彼の側へ駆け寄る。
アイオスの眉が煩わしそうに顰められる。
明らかに歓迎されていない空気だが、構わず話しかける。
「アイオス。どうしてここに?」
「それはこちらの台詞だ」
「俺達は、この遺跡にいるかもしれない死霊術師を斃しに来た」
「······死霊術師だと?」
アイオスは死霊術師がここにいると知らずに来たらしい。
考えるように視線を落とすその横顔は、前よりも陰りが増している気がする。
「死霊術師がいると知らず、ゾンビ退治に来ただけとは思えないが。君は何の目的で······ん?君、ずいぶん顔色が悪いようだが、大丈夫かね?」
問いただそうとしたフェンが、アイオスの顔色が良くないことに気付いて言葉を止めた。
指摘されたアイオスは俺達から顔を逸らす。
「ここまでゾンビと戦い続けてきたんですよね。なら、疲れるのも当然かと」
モニカはそう解釈したようだが、本当にそれだけだろうか。
「それにしても、魔族ってほんと卑劣よね。死体をこんなふうに操るなんて」
「解除するには術師自らに術を解かせるか、斃すしかない」
「死霊術師はどこに潜んでいるんでしょう。早く彼らを解放してあげなくては」
この広間は行き止まりらしい。ひび割れた土壁に囲まれた部屋は、半壊した遺物が散乱している。
ここではない場所に死霊術師はいるのだろうか。
移動するべきか悩んでいると、俺達が来た通路の先から間延びした女の声がした。
「ちょっと、あたくしのゾンビ達になんてことしてくれたのぉ?」
「誰だ!?」
反射的に誰何の声を上げ、剣を抜く。仲間達もそれぞれの武器を構える。
「恐らく、話に聞いた死霊術師の魔族だろう」
フェンの言葉通り、姿を現したのは魔族の女だった。
死人のように白い肌に、身体にピッタリとフィットする黒い衣装を纏っている。髪と唇だけが、鮮血のように赤い。
「こんなにされたら動けないじゃなぁい。修復するの、大変なのよ?」
倒れ伏したゾンビたちを見回し、眉を顰める。その瞳が、俺達を順番に眺める。
「あらぁ?そこにいるの、アイオスじゃなぁい?何で生きてるの?魔王様に始末されたんじゃなかったっけ?」
死霊術師はアイオスと面識がある。アイオスの正体が魔族だとバレやしないかと不安になった。
アイオスは剣を片手に下げたまま、死霊術師を睨みつける。
「貴様、敵対する相手だけでなく同胞までも···」
「死体を有効活用してるのよ。不死の戦力が手に入って、魔王様も大喜びだしぃ」
「今すぐ禁術を止めろ」
「止めろと言われて止めるわけないじゃなぁい。それくらいわかるでしょ?」
くすくすと小馬鹿にしたように笑う。
「止めないなら、力ずくでも止めさせてもらうわよ!」
マリーナが怒りを滲ませた声で言う。
この魔族の女は、命を軽んじている。
「アナタたち、何?そこにいるのは騎士ね。仲間の仇を取りに来たの?でも、その仇もすでに死んでるんだからぁ、意味ないわねぇ」
騎士の鎧を着たモニカを見て、女は笑う。
「大人しくしていたら、アナタ達も可愛いゾンビの仲間にしてあげる」
そう言う死霊術師の背後から、新たなゾンビの軍団が現れる。
術師を守るための精鋭なのだろう。他のゾンビよりも体格がよく、装備がしっかりしていて強そうだ。
全員、血の通わなくなった面をこちらに向けてくる。
「······!」
その光景に、思わず怯んで後ずさってしまった。
逆に前に進み出たアイオスが、死霊術師に剣を向ける。
「止めないと言うならば、命を弄んだ報いを与える」
「やだぁ、怖い!」
しかし、死霊術師は余裕の表情を崩さない。笑いながらアイオスを見返す。
「普通に戦ってもアナタに勝てないのはわかってるわぁ。でもね···とっておきがあるのよ」
腕を振って、背後のゾンビを呼ぶ仕草をする。
「おいで、ゾンビちゃん!」
どんな凶悪な個体が出てくるかと思いきや、現れたのは華奢な女性のゾンビだった。明らかに非戦闘員、ごく普通の町娘だったとしか思えない。
俺達が拍子抜けしたのとは逆に、アイオスの顔が一瞬で青褪めた。
大剣の切っ先が下がり、呆然と呟く。
「ヴァイオレット······?」
あの女性ゾンビと面識があるのか?
ゾンビの胸元は赤黒く固まった血で汚れていた。恐らく、死因は胸の傷。乱れた薄紫色の髪の間から、濁った黒い瞳がこちらを見ている。
それにしてもあの女性、どこかで見たような···?
思い出そうとしていると、死霊術師の高らかな笑い声が部屋に響いた。
「あはははははははッ!その顔最高!」
女の嘲笑に、アイオスの瞳が怒りに染まる。
「き、さま···ッ!貴様!墓を暴いたのかッ!!」
怒りで震える切っ先を持ち上げ、術師に向ける。
「あっ······!?」
思い出した。写真だ。アイオスのペンダントに入っていた写真に写っていたのが、あの女性だ。
亡くなっていたとは知らなかった。
「どういうこと?あの女のひとは知り合いだったのかしら」
「面識のある相手なら剣が鈍ると思ったのだろうな」
「どこまでも卑劣ですね···許せません」
なんとなく事態を察した三人が、アイオスを援護すべく身構える。
しかし、その前に変化が起きた。
アイオスの周囲の魔力が乱れる。
俺には風が吹いたようにしか感じられなかったが、魔力を感知できるマリーナ達には魔法が解けたとわかったらしい。
アイオスの背に黒い翼が出現し、その肌の色が暗くなる。額には二本の角。
魔法が解け、本来の魔族の姿に戻ったのだ。
「アイオス!?」
思わず彼の名を叫ぶ。
その姿を見た俺以外の三人は瞠目した。
「「「!?」」」