19.命の恩人(1)
モンスターの脅威が去ったのと、見知った人物の姿に安心して力が抜けた。剣を下ろして砂地に膝をつく。
側に来てくれた男を見上げ、礼を言う。
「た、助かった···ありがとう」
「こんなところで、ひとりで何をしている。死にたいのか」
「ひとりじゃない。仲間とはぐれたんだ。さっきのモンスターに、連れ去られて···」
全身の痛みに顔を顰める。
「回復薬の持ち合わせはあるか」
「大丈夫、あるよ」
口元を覆う布を下げ、ポーチから取り出した薬を口に含む。
フェンの薬のおかげで、一瞬で痛みが引いた。
剣を鞘に納め、立ち上がる。
「あんた、前にも助けてくれたよな」
「知らん」
速攻で否定された。思い返せば、あの時はまともに顔を合わせなかったので、覚えていなくても無理はない。
「森で、ガルグから助けてくれただろ」
「···あの時の三人か」
思い出してくれたらしい。
「ええと、その前にも会ったの覚えてる?」
「······」
この顔は覚えてないな。まぁ、あの時は夜で暗かったし。
「村外れの森で怪我してた魔族って、あんただよな?」
そう言うと、男は警戒心を滲ませた目で俺を見る。
「あの時のヒト族···」
「あっ、誤解しないでくれ。あんたと敵対するつもりはない」
慌てて言う。魔族と言ったのが悪かったかもしれない。
今の彼はあの時と違い、見た目はヒト族の姿をしている。多分、本来の種族がバレるとまずいからだ。
正体を知っている俺を始末しようと考えられては困る。
「あんたの正体は誰にも言ってないから。これからも言うつもりもないし」
「······」
半信半疑、といった感じだ。会ったのは三度目だが、お互いよく知らない相手。信用できなくても無理はない。
でも、彼は悪い魔族ではない。それだけは信じられる。だって、二度も俺を助けてくれたのだから。
「なぁ、俺以外に誰か見かけなかったか?仲間が三人いるんだ」
「生憎だが見ていない」
「そうか···」
みんな、どこにいるんだろう。俺を探してくれているとは思うが、別のハーピィに襲われてはいないだろうか。
みんなの身に何かあったらと思うと不安になる。
「なんとか合流しないと···」
「途中見つかるのを期待して、オアシス方面へ向かえ。見つからなければ、捜索隊を派遣してもらえばいい」
「オアシス方面ってどっちだ?」
「ついて来い」
そう言って男は歩き出す。慌ててその背を追う。
「もしかして一緒に行ってくれるのか?」
「いらん世話だと言うなら置いていくが」
「いや、ぜひお願いするよ。また強いモンスターが出たら俺ひとりじゃ対処できないし···」
「なら、行くぞ」
「あ、もうひとつ聞きたいことが」
「なんだ」
「名前、教えてもらってもいいか?俺はミライ」
男は少しだけ俺を振り返り、またすぐ視線を前に戻した。
「······アイオス」
やっと名前が聞けた。
「アイオス。よろしく頼むよ」
⚫⚫⚫
魔族は他種族より力も魔力も優れている、と言っていたのはモニカだったか。
目の前でモンスターが一撃で屠られていくのを見ていると、そのすごさに驚嘆する。
俺が剣を抜く暇なんてない。戦闘はあっという間に終了し、アイオスは息ひとつ乱さず大剣を鞘に納める。
ガルグと互角に渡り合えるほどの実力の持ち主。彼が敵じゃなくて良かった。
「そういえば、あの後ガルグはどうしたんだ?」
まさか倒してしまったのでは、と思ったが、アイオスは頭を振った。
「逃げられた」
あのガルグを退却に追い込んだのか。ひょっとしたら、互角ではなくガルグより強いのかも。
元々のスペックが高いのもあるだろうが、周囲への視線の配り方や会敵した際の反応速度、戦いの技能も高い。
あと、戦闘が終わった後、さりげなく俺の様子を見てくれる。誰かを守りながら戦うことに慣れているようだ。
汗と砂でざらつく髪を撫でつけていると、ふと気付いた。
「アイオス、全然汚れてないな」
俺は怪我をしたことも含めて全身砂まみれでボロボロだが、アイオスは砂嵐の中を通って来たとは思えないほどきれいな状態だ。
足元など多少の砂は付着しているが、髪も乱れていないし、たいして汗もかいていないようだ。
そういえば、彼に助けられた直後から風が止み、暑さも和らいでいる。
「もしかして、何かしてる?」
「風魔法で周囲の環境を調整している」
やっぱり。マリーナが風魔法で軽減できるって話していたのはこういうことか。
風魔法の使い手がいるのといないのでは雲泥の差だ。
それにしても、魔法を常時展開しているような素振りが一切ない。姿を変える魔法も使っているはずだが、どれだけ万能なんだ。
「あっ」
アイオスに気をとられていたら足元がおろそかになった。
傾斜した砂地で足が滑り、砂の坂を転がり落ちた。痛くはなかったが砂に頭から突っ込み、口の中がざらつく。服の中にも熱した砂が入ってきた。
口内の砂を吐き出しながら上体を起こす。目に砂が入って痛い。手で顔の砂を拭おうとするが、同じくらい砂だらけだったので意味がなかった。
「おい、気を付けて歩け」
アイオスが側に来て腕を引き、立ち上がらせてくれた。俺の状態を呆れたように見下ろす。ため息が聞こえたのは聞き間違いじゃないと思う。
「ご、ごめん」
地味に迷惑をかけている。
服の砂をはたいていると、アイオスが布と水を取り出しているのが見えた。
水で濡らした布が俺の顔に押し当てられる。
「!」
無言で顔を拭われて、子ども扱いされているようでちょっと恥ずかしくなる。しかも思いの外、手つきが優しい。
「じ、自分でやるよ」
濡らした布を受け取って手や顔、首を拭っていると、
「外套を一旦脱げ」
と言われたので、砂まみれの外套の留具を外して脱ぐ。
アイオスに手渡すと、フードに溜まった砂を落とし、付着した砂を払ってくれた。しかもご丁寧に着せてくれる。
すごく面倒見が良いんだが。一連の流れを無表情に淡々とこなすので、何を考えているのかわからない。
「ありがとう」
だいぶ不快感が軽減された。
礼を言って顔を上げると、頭上に手のひらを翳された。
透明な膜に包まれるような感覚が、頭から爪先まで通り抜ける。同時に身体が軽くなった。
「今の何だ?回復魔法?」
「多少身体能力を向上させるだけのものだ。もう転ぶなよ」
補助魔法らしい。気遣いに感謝する。
「優しいんだな」
歩を進めながらそう言うと、なぜかアイオスの動きが一瞬止まった。
「それは俺に言っているのか」
「他に誰がいるんだよ」
「馬鹿か?俺が魔族であることは知っているだろう。以前殺すチャンスを逃しただけでなく、今回は騙される可能性も考えずのこのこついてくる。少しは警戒したらどうだ」
よく知らない相手に不用心について行ったのは認めるが、それは彼が命の恩人で、信用できると思ったからだ。
「それを言うなら、何でアイオスは俺を助けてくれたんだ?
魔族って、他の種族と敵対関係にあるんだよな。だったら、見殺しにしてもおかしくないのに」
「······別に、理由など無い」
アイオスは俺から目を逸らす。
「あんたは悪人には見えない。みんな、魔族は悪い奴らだって言うけど、ほんとにみんな悪人なわけじゃないだろ?
ガルグや魔王はひとを傷付けて殺す悪い奴らだけど、アイオスは違う」
「······」
二度も命を救われ、こうして会話ができている。
突き離すような物言いだが、俺を気遣ってくれているのがわかる。心根は優しいんだろう。
「あの時、なんでガルグに剣を向けたんだ?」
俺達を助けたのは同族への敵対行動ではないか。それに聞き間違いでなければ、ガルグは”貴様は魔王様に始末されたはず“、と言っていた。
同族間で何かあったのか。初めて会った時の傷は、魔王にやられたものなのか。
「貴様には関係ない」
一蹴されてしまった。さすがに何でも話してくれるほどの信用はないか。
「ひとつだけ確認させてくれ。アイオス、魔王軍に所属してるわけじゃないんだよな?俺、あんたとは戦いたくない」
「···俺は魔王軍に属していない」
「そっか。良かった」
アイオスの横顔を伺うが、表情からは内心が掴めない。ただ、なんとなく表情が暗い気がする。今のやりとりが原因というわけではなく、再会した時からずっと。
「あ、でも···魔王を斃しに行こうとしてる俺は、アイオスからすると同族を殺そうとする敵になっちゃうのか?」
ガルグや魔王と仲が悪くても、殺すとなると話は別かもしれない。
アイオスはこちらに視線を向け、怪訝な顔をする。
「魔王を斃す、だと?何を言っている。そんなことができるのは···」
何かに気付いたように、その瞳がわずかに見開かれる。
「······!貴様、まさか···」
その先の言葉をかき消すように、遠くから俺を呼ぶ女の声が聞こえた。
「ミライ!!」
キャラクター紹介追記
《アイオス》
魔族。普段は魔法でヒト族に姿を変えて活動している。
ミライの命を二度も救った。