15.酒とミルク
気がついたらベッドで寝ていた。
「···あれ?ここどこだ?」
パッチワークの洒落たカバーのかかったふかふかの布団から出て、部屋を見回す。
暖色系の家具が並び、壁際に設置された暖炉の火が部屋を照らしている。
枕元には俺の荷物が置いてあった。
隣にもベッドがひとつあったが、使われた形跡はない。部屋には俺ひとりだ。
カーテンを持ち上げて窓の外を覗くと、真っ暗でほとんど見えない。家々から漏れる灯りが微かに雪道を照らしているのみだ。
マリーナ達はどこだろうと考えて、ここは雪の大陸で、宿を経営しているマリーナの実家に来たことを思い出した。
出されたホットワインを飲んで···途中から記憶がない。酔って寝てしまったらしい。
多分フェンが俺を部屋まで運んでくれたんだと思う。
この部屋にはベッドがふたつ、同室者はフェンだろう。姿が見えないが、この深夜に一体どこで何をしているのか。
このままベッドに戻って朝まで眠ることも考えたが、眠気は覚めてしまっているし、見知らぬ場所にひとりでちょっぴり心細い。
建物の中にいるかもしれないので、探しに行くことにした。
扉を開けて廊下にでる。間接照明が足元を照らしているので歩くのに支障はなかった。
上に登る階段と下に降りる階段がある。上り階段には“従業員以外、立入禁止”の張り紙があったので、下に降りてみた。
俺がいたのは二階だったらしく、降りた先は一階の食堂だった。
深夜なので受付には誰もいない。奥のカウンター席にふたり、人影が見えた。フェンとマリーナの父親だ。
気配に気付いたフェンが振り返る。
「ああ、起きたのか、ミライ」
「えっと、迷惑かけたみたいでごめん」
酔って寝落ちした件を謝る。
「気にしていない。まぁ、座りたまえ」
促されて、彼の隣の椅子に腰掛けた。
「フェン、もしかして飲んでる?」
テーブルには、空けられた酒瓶が数本並んでいる。
「ここの酒はなかなか美味い。」
フェンは上機嫌に尻尾を揺らし、酒の入ったカップを軽く掲げる。
見たところ顔色はいつも通り、酔っている風には見えない。
「心配しなくても、酒代は自分の財布から出しているから安心したまえ」
俺の目線が酒瓶に向かっているのを見て、フェンが言う。
「ならいいけど」
ここまでの道中では飲酒している姿を見たことがなかったので、酒好きとは知らなかった。
「勇者殿も飲むかい?」
マリーナの父親が立ち上がってカウンターの裏側に回る。
「いや、俺はやめときます···」
また寝落ちするわけもいかない。
「ホットミルクなら飲めるだろう?」
「まぁ、それなら」
少しして、湯気の立つホットミルクが運ばれて来た。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
口をつけると、甘い味が口の中に広がった。多分、蜂蜜が入っている。
「先に失礼するよ。カップとかはそのままにしておいていいから、ゆっくり飲んでいっておくれ」
そう言って、マリーナの父親は自分のカップを片付けると階段を上がっていった。
営業時間外なのに飲み物を出してくれたらしい。
「マリーナとモニカは?」
別の部屋で休んでいるのだと思うが、一応尋ねる。
「二人はマリーナの私室で休むそうだ」
「そっか。ここ、マリーナの実家だもんな」
あれから、マリーナは改めて両親と話をしたんだろうか。
ここに来るまで、彼女にはずいぶん助けられてきた。何か礼がしたいと思うが、何をすればいいか思いつかない。
魔王を斃すことが、俺を助け、協力してくれた仲間への恩返しになるんだろうか。
俺が戦う理由は、兄の仇討ちと元の世界への帰還。この世界のためなんて考えてこなかった。
でもマリーナやフェン、モニカと出会って、共に戦い寝食を共にし、旅をする中でこの仲間たちのことが好きになった。
いつか魔王を斃して別れる日が来ても、彼らには幸せに生きて欲しいと思う。
身勝手な召喚で、俺達兄弟を戦いに巻き込んだことは今でも許せないが、この世界全てが嫌いだとは言えなかった。
ミルクを少しずつ飲みながら、フェンに話しかける。
「この世界って、何歳から飲酒可能なんだ?」
「特に決まりはない。しかし、だからといってあまり幼いうちから飲むものではないな。一般的に、十五の成人の儀の時に祝い酒を飲む種族が多い」
「十五歳で成人なのか」
ということは、この世界では俺は大人なんだな。
「君の世界では違うのかね?」
「うん。成人と認められるのは十八歳からだけど、飲酒は二十歳からって決まりだな」
「ほう」
「俺、まだ十七なんだ」
「君の世界の基準では、まだ飲酒もできない未成年か」
「フェンっていくつなんだ?」
「ん、私か?」
フェンは考えるように宙を仰ぐ。そして、軽く首を傾げた。
「忘れた」
「は?」
「錬金術の研究に没頭していたら、あっという間に何十年も過ぎてな。わからなくなってしまった」
「何十年!?もしかして、けっこう長生き?」
「私は獣人だからな。ヒト族より長く生きる」
見た目からして、若くて二十代、多めに見積もって三十代だと思っていた。
「マジか。この世界のひとを見た目で判断しちゃいけないな···」
······もしかしてマリーナもかなり年上?年は近そうだと勝手に思っていた。
モニカはヒト族なので見た目通りの年齢だと思うが。
「女性には年齢を尋ねないほうがいいぞ」
俺の思考を読んだようなタイミングのセリフにギクッとした。
「わ、わかった」
結局みんなの年齢はわからないままだった。
「そういや、この世界で学校って見かけないな」
学校や塾などに値する建物や場所を見たことがない。
しかし、教育機関がないにも関わらず、皆知識が豊富だと思う。文字の読み書きや世界の歴史に地理、魔法などの神秘の知識。モンスターの情報。聞けばほぼ答えを返してくれる。
そういった知識はどこで得ているのだろう。
「ガッコウ、とは?」
「いろんな知識を学ぶところだよ。俺もまだ通ってる途中。高校二年生」
高校二年生と言ってもフェンには伝わらないだろう。現に、首を傾げている。
「親きょうだいから学ぶのではないのか」
聞かなくても俺の知りたい答えが返ってきた。
なるほど、この世界の住民は親やきょうだいから知識を与えられるらしい。
「でも、それだと親の知識量と教え方しだいで差が出るじゃないか。みんなが教育熱心とはかぎらないし。それに、親がいない子ども達はどうするんだ?」
「まぁ、そうだな。足りない分は、書物や他者との交流の中で得るのが普通だ。それに、ある程度知識がなくては生きていけない。皆、自然と学んでいくのだよ。
親がいない子どもは、孤児院で育つことが多い。彼らはそこで、最低限の学びを得ているはずだ」
電子機器のないこの世界では、ネットから地図を検索したり、気軽に情報を得ることはできない。生活の支援をしてくれる仕組みもない。
旅は基本徒歩。危険なモンスターも生息しているこの世界では、知識や情報を得るのは生きるために自然なことなのだろう。
そして、その知識を他者に分け与えるのを当たり前としている。
「つまり、ガッコウというのは皆が同等の知識を得られる場所ということか?」
「そんな感じ」
学ぶだけでなく、共に机を並べる同世代の友人との交流や、部活動や文化祭、体育祭などのイベントがあることを話した。
「興味深いな。協調性や色々な発想力も身に付きそうだ」
理解が早い。言葉だけでは伝えきれないと思ったが、フェンなりに理解してくれたらしい。
「他者と···特に自分とは違う生き方をしてきた相手と話をするのはいいことだ。単純に違う生き方の話を聞くのは楽しいし、思ってもみなかった考え方に気付かされる。ガッコウという仕組みはこの世界にもぜひ欲しいものだな」
カップを回して酒を揺らしながら、フェンは言う。
確かに、違う世界の話を聞くのは面白い。
「文字通り世界が違うからなぁ。違うこと、知らないことばっかりで、こっちに来てから困惑の連続だ。
フェンも一度、異世界に行ってみればいいんだよ。そうすれば、俺の苦労がわかるから」
「確かに、大きく異なる地で生きるのは難しいだろうな。異世界に興味があるのは確かだが、行ってみたいと軽々しく口にするものではないな。特に、意に沿わない召喚をされた君の前では。
我々は、理不尽に突然異なる世界に召喚される者達の気持ちを軽んじている。反省すべき点だ」
「···勇者召喚が当たり前の風習になっているんだろ。もちろん、俺はこんな状況におかれて怒ってるよ。でも、この世界の人に怒っても、押し付けられた役目を放棄しても、元の世界には帰れない。
俺には、魔王を斃しに行くしか道がないんだ」
そんなつもりはなかったが、責めるような言い方になってしまった。
言い直そうかと悩んでいる俺に、フェンの言葉が届く。
「その道に最後まで同行すると約束しよう。君が元の世界に帰れるように、力を貸す」
「そうしてくれると助かるし、嬉しいけど···何でそこまで?
魔王に挑むのは危険なことだってわかってるだろ。ガルグに勇者の仲間と認識されたからとはいえ、命をかけて戦うほどか?それとも、知的好奇心や同情?」
「その気持ちがないとは言わない。確かに私は、世界を統べる頭が魔族に変わろうと、自身の生活が脅かされなければいいと考える薄情者だが、友の願いを叶える手伝いはしたいと思うのだよ」
友、とフェンが言ってくれたことが俺は嬉しかった。
「ありがとう、フェン」
「冒険者時代のカンも取り戻してきたところだしな」
「頼もしいよ」
「少し眠っていたとはいえ、まだ疲れは取れていないだろう。今日はもう休みたまえ」
「うん。フェンも、酒はほどほどにして休めよ?」
「ああ」
残りのミルクを飲み干して、俺は先に部屋に戻った。