14.雪の町
『海底洞窟』を出たとたん、急激な気温変化に身体がこわばった。
真っ白な大地にちらちらと雪が舞っている。所々に生えている木々にも雪が積もっており、その重さで枝をしならせている。
風は強くないが、冷たい空気が肌を刺す。
「···寒すぎるだろ!?」
慌てて上着に付いたフードをかぶる。少しでも冷たい風を遮断したい。
長時間ここにいたら凍え死ぬ。自分の世界の冬でも、ここまで寒くない。
「町に着いたら、もっと暖かい衣装を調達しましょ。それまで我慢できる?」
マリーナとフェンは平気そうだ。
モニカは寒さについて何も言わなかったが、上着の襟をぎゅっと握って少しでも隙間風が入らないようにしていた。
「は、早く行こう」
北に向かって歩き出す。
大地に降り積もった雪は深くなかったが、それでも靴が雪に沈んで少々歩きにくい。
視線を上げると、北の遥か向こうに山が見えた。雪で化粧された山は真っ白で、雲がかかって輪郭がわかりにくい。
辺りは静かで、俺達以外に生き物の姿は見えない。寒さで満足に戦えそうにないので、モンスターは出ないで欲しい。
しばらく歩いていると、手足の感覚がなくなってきた。
さすがに我慢できなくなってきて、俺はフェンにしがみついた。
「おっと、ミライ?」
「ごめんフェン俺無理」
フェンの背中に顔を埋める。髪の感触が動物のそれだった。獣人は基礎体温が高いんだろうか、服ごしでも温かい。
一応、尻尾には触らないように気をつける。
「歩きにくいんだが」
文句を口にしつつも、離れろとは言わなかった。
幸い強いモンスターに出くわすことなく、町に着いた。
途中、遠目に見えたモンスターはマリーナが魔法で牽制してくれたらしい。
「さぁ、着いたわ。ミライ、大丈夫?」
「あんまり大丈夫じゃない···」
「早く室内に入ろう。ミライが凍え死んでは困るし、私もくっつかれていては歩きにくい」
マリーナに案内され、ある建物に入った。
「は〜、外よりだいぶマシだ···」
フェンから離れ、冷えた手に息を吐きかける。
ここは宿と食堂を兼任している店らしい。
カウンター席とテーブル席が並び、室内には食べ物のいい匂いが漂っている。
客は俺達以外に一組だけ。テーブル席で食事をとっている。
店の者は、カウンター奥の厨房に男性の獣人がひとり、宿泊客の受付に女性の獣人がひとり。二人とも兎族だ。
「いらっしゃいませ。······あら?マリーナ!?」
受付の女性がマリーナを見て驚きの声を上げ、近づいてきた。
「ああ、マリーナ!帰って来たのね!心配していたのよ···」
「うん···ただいま、お母さん」
少し気まずそうに答えるマリーナ。
お母さんと呼んだということは、彼女はマリーナの母親か。
「ここはマリーナの実家なのですか?」
モニカの問いにマリーナが頷く。
「そうなの」
ならば、厨房にいる男性は父親だろう。彼もマリーナに気付いたらしく、手を止めてこちらを見ている。
「わたし達に何も言わずに出ていって!あなたに何かあったらどうしようかと···」
「···ごめんなさい」
母親の叱責に、申し訳なさそうに俯いている。
「家出していたのかね」
「家出っていうか···お姉ちゃんの生死を確かめたかったの」
勇者敗北の噂を聞いて、同行していた姉の安否を確かめるために家を飛び出したという。
一応、姉の元へ行きたいと相談したものの、カーネリアと比べると魔術師として未熟なマリーナを案じた両親は、旅の許可を出さなかったらしい。
それで仕方なく、黙って出ていったそうだ。
「マリーナ」
厨房から出て父親もこちらに来た。
「お父さん」
「おかえり。よく、無事に帰ってきてくれた」
「本当に···あなたまで帰ってこなかったら、どうしようかと」
両親に迎えられるマリーナの姿を、俺は自分自身の家族と重ねていた。
二度と帰らぬ長男と、行方不明の次男。
俺が無事元の世界に帰還できたら、きっとマリーナの両親と同じことを言われるだろうな。
芯まで冷えた身体を両手でさすっていると、隣にいるフェンがマリーナ達家族に声をかけた。
「取り込み中に悪いが、彼に何か温かい飲み物をもらえるかね?」
「あらやだ、ごめんなさいね。お客様をほったらかしにしちゃって。こちらへどうぞ」
マリーナの母親は慌てて俺達をカウンター席に案内した。
それほど待たず、温かい飲み物が運ばれてくる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
湯気の立つカップを両手で包む。赤色の液体が注がれている。微かにスパイスの香りがした。
「あの、この飲み物ってなんです?」
他のみんなが平気で飲んでいるので大丈夫だと思うが、一応聞いてみる。
「ホットワインよ。体が温まるわ」
ワイン···酒だ。俺は未成年なんだが。
というか、この世界の飲酒可能な年齢はいくつなのだろう。
悩んだのは数秒で、俺はホットワインに口をつけた。カザマだったら気にするかもしれないが、俺は兄ほど真面目ではないし、それにここは異世界。気にせず飲むことにする。
赤い液体を嚥下すると、体の芯から温かくなってくる。
寒さでこわばっていた肩から力を抜いて、一息つく。
「美味しいですね。体が温まってきました」
「モニカも寒かったでしょう。大丈夫って言ってたけど、唇が紫色になってたわよ」
「うっ···バレてましたか」
俺から見てもモニカは寒そうにしていた。本人は隠しているつもりだったのか。
「あらあら。ヒト族のお二人には防寒着が必要ね。マリーナ、あとで準備してあげなさい」
「うん、そのつもりよ」
しばらく静かにカップを傾ける。体が温まってきたのと旅の疲れも相まって、少し眠くなってきた。
「ところで、皆さんはどんな用事でここに?」
「あのね、お母さん。ミライは···このひとは、新たに召喚された勇者なの」
勇者、という言葉にマリーナの両親は揃って俺に目を向ける。
「それは本当なの?」
「ええ。あたし、召喚の儀式場でミライに会ったの。それから今まで、一緒に旅してきたわ。ここに来たのは、聖鉱石の採れる洞窟に行くためよ」
母親の表情が曇る。
「マリーナ。まさかあなた、ついて行くつもりなの?」
「もちろんよ。あたし、必ずお姉ちゃんの仇を取るから···」
「行かないで!」
「!?」
母親はマリーナの言葉を遮って、悲鳴のような声を上げた。
その声音に驚いて口をつぐんだ娘に、懇願するように言葉を続ける。
「カーネリアに続いてあなたまで···やめてちょうだい。娘を二人とも失うなんて考えたくもない」
「マリーナ。父さんも母さんも、お前に生きていて欲しいんだよ」
妻の肩にそっと手を置いて、父親も言葉を重ねる。
「お母さん、お父さん···二人の気持ちがわからないわけじゃないの。でも、あたしはミライと行きたい。一緒に戦いたい!
お姉ちゃんみたいになりたいと思って、魔術の腕を磨いてきたわ。たしかに、まだお姉ちゃんには及ばないけど···あたし、前より強くなったのよ。きっと魔王を斃して、お父さんとお母さんの所に帰ってくるから!」
マリーナは必死に言い募るが、両親の表情は変わらない。
きっとカーネリアも、魔王を斃して帰ってくると約束して旅に出たのだろう。しかし、彼女は帰って来なかった。同じようにマリーナを送り出すことはしたくないに違いない。
だが両親が首を縦に振らなくても、マリーナは旅に出るだろう。姉の安否を確かめる為に黙って家を出たように。
そんな形で親子の絆にヒビが入ってほしくない。
“勇者”である俺が何か言うべきだろうか。
マリーナにはついてきて欲しいと思っているが、娘を案じる親の気持ちを無視してまで同行を頼むのも申し訳ない。
俺が守るから、なんてかっこいいことも言えない。
沈黙の中、フェンとモニカは視線を交わし、口を開いた。
「ご両親のお気持ちはお察しします。魔王討伐の旅は、なにより危険ですから」
「だが我々は、これまでの旅路でマリーナの魔術にずいぶん助けられてきた」
「はい。この先きっと優秀な魔術師になるでしょう」
「モニカ···フェン···」
二人の援護に、表情を明るくするマリーナ。フェンは言葉を続ける。
「しかし、どちらの気持ちも大切だ。ここにいる間、よく話し合って決めるといい」
「うん···」
ひとまずは落ち着いたようだ。
最終的にマリーナがどうするかわからないが、仮にここに残ることを選んでも、その選択を尊重したいと思う。もしそうなったら新たな仲間を探す必要があるが、今は考えても仕方ない。
なんだか頭がぼんやりする。本格的に睡魔が襲ってきたらしい。
どうにか寝ないように頑張ってみたが、俺の意思に反して瞼はどんどん重くなっていく。
「さてと、ここは宿屋でもあるそうだな。部屋を用意してもらってもいいかね?
我らが勇者殿は、どうやら酒に弱かったらしい」
フェンのそのセリフを聞いたのを最後に、俺の意識は眠りに落ちた。