9.次の目的地
いつの間にか、町まで戻ってきていた。
心臓がうるさく、全身びっしょり汗をかいている。立ち止まった直後、思い出したように足が震えだした。
両手で膝を押さえ、荒い呼吸を落ち着かせる。
死ぬところだった。
あの介入者が現れなければ、間違いなく俺はガルグの剣の錆になっていた。
ガルグがあんなに強いなんて。そして、そのガルグの剣を押し返したあの男も、かなりの実力の持ち主に違いない。
それにしても、何故助けてくれたのだろう。彼は以前会った、怪我をしていた魔族だ。
前と姿が違うのは、魔法によって魔族の特徴を隠していたに違いない。
“ガルグはヒト族に化けて我々を欺いていた”というセレネさんの言葉を思い出す。
同じことができる魔族がいてもおかしくない。
魔族に殺されかけたのに、別の魔族に命を救われるとは。
徐々に呼吸が整ってきて、仲間の状態に目を向けられるようになった。
あちこち怪我をしていてボロボロだ。幸いなのは、命に関わる傷は負っていないことか。
「···なんとか、町に戻れたわね」
「あの御仁が現れなければ、殺されていただろうな」
何とか喋れるくらいに息が整ってきて、マリーナとフェンが口を開いた。
「一体、どこの誰なのかしら。逃げることで頭がいっぱいで、お礼も言えなかったわ」
彼が魔族だと知ったら、二人はどんな反応をするんだろう。
魔族だと知っても感謝の気持ちを抱いたままでいてくれるのか、魔族なんかに助けられたと嫌悪感に変わるのか。
俺は、彼の正体についてどう話していいのかわからなかった。
魔族であることを知っているにも関わらず、そのことを伝えないのは仲間に対する裏切りかもしれない。だが、話すなら、初めて会った時のことも話さなければならない。
そもそも、魔族と会ったことをすぐに話さなかった時点で裏切りか。
「ミライ、大丈夫?どこか痛む?薬を飲んだほうがいいんじゃないかしら」
俺が黙ったままでいると、マリーナが心配して声をかけてきた。
「え、ああ···大丈夫。疲れただけだよ」
考えていたことを悟られたくなくてそう言った。実際ものすごく疲れている。
「マリーナこそ、傷だらけだ。薬を飲んでくれ。フェンも」
「ああ、私もひどく疲れた。早く休みたい。
ミライ、マリーナ。明日···いや、明後日以降でもいい。ゆっくり休んでからで構わないから、私の家に来てもらえるだろうか。今日の件で話がしたい」
「わかった」
「あたしも疲れちゃった···宿で休みましょう」
挨拶もそこそこに、フェンは自宅へ戻って行く。
俺とマリーナも宿で休息を取った。
だが、傷は癒えても心に残った敗北感は消えない。
情けなかった。動けなかった自分が。
力だけでなく、心の強さも足りなかった。
マリーナもフェンも、強敵を前にしても諦めず戦っていたのに。
俺もいつか強くなれるだろうか。ガルグの凶刃から救ってくれたあの男のように。
ポケットの上から、そこに入っている銀のペンダントに触れる。
思いの外早く再会できたものの、あの状況では返すタイミングなどなかった。
また会えるかはわからない。だが、二度あることは三度ある。三度目の再会を願って、持っていよう。
俺もマリーナも精神的に疲れていたため、翌日は宿にいるか、気分転換に町を散策して過ごした。
フェンもゆっくり休みたいだろうし、彼も言った通り、家を訪ねるのはまた次の日にしようと決めた。
町の散策ついでに、武器屋で剣を新調した。ガルグに激しく打たれたせいで、昨日まで使っていた剣は刃こぼれが酷かったからだ。
ちなみに森で得たモンスター素材は、錬金術に使えるものはフェンが持ち帰ったが、それ以外のものは好きにしていいと言われた。
それなりの値で売れたので、旅の資金に余裕ができた。
⚫⚫⚫
初めて訪れた時と同じように、扉をノッカーで叩く。
それほど待たずに扉が開き、フェンが顔を出した。
「ああ、よく来てくれた。入ってくれ」
招かれ、室内に足を踏み入れる。
「···ねぇ、少しは掃除しなさいよ」
マリーナが呆れた声を出す。
窓が全て開け放たれているので埃っぽさはなかったが、前に見たときと変わらず、物が乱雑に溢れて散らかっている。
「多少、片付けたつもりなんだが」
「物を端に寄せただけは、片付けたとは言わないわよ」
隅のほうに積まれた大量の本は、ちょっと触っただけで雪崩を起こしそうだ。
フェンの獣耳がぺたりと下を向く。
「···まぁ、取り敢えず座ってくれ。···椅子とテーブルは、ちゃんと拭いて綺麗にしている」
後半のセリフは、マリーナが嫌そうな顔をしたからだ。
木製の椅子とテーブルは、年季が入って古びてはいるものの、埃も汚れも付いていない。綺麗にしたというのは本当だろう。
俺達を招き入れる為に、フェンなりに掃除しようとはしたのだろう。多分。
俺達はすすめられた椅子に腰をおろした。
「さっそくだが、話を始めよう。
改めて、荷を取り戻す手伝いをしてくれたことに礼を言う。だが、森に出向いたことにより、命を落としかねなかった。申し訳ない」
フェンは頭を下げる。
「それはフェンのせいじゃないだろ。ガルグがあの森に現れるなんて、予想できなかった」
「そうよ!それに、フェンはあたしを庇ってくれたわ。ありがとう」
あの戦いで一番傷を負ったのはフェンだ。
出会ったばかりの俺達を置いて、逃げるチャンスはあったはずなのに。だが、彼は最後まで俺達を見捨てなかった。
「それにしても、ガルグがあんなに強いなんて···」
自身に振り下ろされようとした凶刃を思い出すと、背筋が冷たくなる。
「ええ···まったく歯が立たなかったわ」
「二人はあの者を知っているのか」
そういえば、フェンには魔王を斃すために旅をしているとしか言っていない。
「俺達二人共、きょうだいをあいつに殺されているんだ。俺は、こないだ初めて会ったんだけど」
「ガルグは、カザマ達と一緒にあたしの故郷に来たことがあるの。あの時は魔族だなんて知らなかったわ」
勇者カザマが俺の兄で、そのパーティにマリーナの姉が所属していたこと。二人共、ヒト族に擬態していたガルグに殺されたことを話した。
「なるほど。二人の旅の目的は仇討ちも含むのだな。
それで···圧倒的な力の差を見せつけられて、それでもまだ戦おうと思うか?魔王は間違いなくガルグより強い」
ガルグに手も足も出ない今の実力では、魔王と戦いに行くのは自殺行為だ。
「それは···わかってる。それでも、俺は立ち止まれない」
「死ぬかもしれんぞ」
「死ぬのは怖い。でも俺は、自分の世界に帰りたいんだ。魔王を斃さない限り、帰れない」
「あたしは···あたしも死にたくはないわ。でも、お姉ちゃんを殺したガルグが許せない。
魔族の支配する世界なんて嫌。それであたしの家族や友達、大切なひとたちが傷付いたり、辛い思いをするのも嫌。
だから、戦って抗いたい。お姉ちゃんみたいに、勇者の仲間として」
俺とマリーナの意志を確認するように、こちらの表情をじっと見つめるフェン。
しばらくして、本気だと感じたのだろう。微かに笑った。
「あんな目にあったばかりだというのに、君達の意志は変わらんのだな。
なら、その旅路に私も加えてもらえないだろうか」
「えっ、いいのか?嬉しいけど、何でだ?」
「魔族の支配する世界でも適応すればいい、みたいなこと言ってなかった?」
「ああ。だが、先日の一件で私も勇者の仲間と認識されたはず。魔族側が勝利したら、私は処刑されるだろうな」
確かに、勇者の仲間を生かしておくとは思えない。
「ごめん···俺が一緒にいたせいで」
あの時深く考えず同行を申し出たことが、こんな結果になるとは思ってもみなかった。
「それは違う。私が選んだ行動の結果だ。
旅の同行を申し出た理由はもう一つ。ミライ、君という異世界の者に興味がある」
「俺が異世界から召喚されたって、信じてくれるのか?」
勇者に見えないと言われたのを覚えている。
「これまでの言動から、嘘はついていないと思った。
道中の空いた時間でいい。君の世界の話が聞きたい」
「もちろん、いいよ」
俺が頷くと、フェンの尻尾が嬉しげに揺れる。
表情よりも耳や尻尾に感情が表れやすいようだ。
「じゃあ、改めてよろしく。フェン」
前衛に後衛、回復支援もできるオールマイティなフェンが仲間になってくれたのは嬉しい。
あと、個人的には同性の仲間が増えて嬉しい。
「さて。今後の方針だが、決めてあるのかね?」
「仲間を集めようってマリーナと話してたんだけど、アテがないんだ」
「なら、王都へ行ってみるのはどうだろう。王都には騎士団がある。勇者一行であることを話して、騎士を仲間にスカウトしてはどうだ?」
「へえ、騎士団か。いいな、騎士って強そうだし」
「あたしもいいと思うわ」
俺もマリーナも同意する。
ふと、思い出したようにマリーナが言った。
「ねぇ、強いひとって言うなら、こないだ助けてくれたあの男性。彼が仲間になってくれたら心強いと思わない?」
「確かに、ガルグの剣を受け止めた御仁だ。しかし、手掛かりが無いので探す手段が無いな」
「そうなのよね···名前すらわからないもの」
魔族だと知ったら、仲間にだなんて絶対言わないだろうな。
「とりあえず、俺達にできることからやっていこう」
「うむ。決まりだな。王都へは、北の山道を通る必要がある。準備ができたら出発しよう」