8.予期せぬ襲撃者
あっさりと目的を達成し、大きな怪我もなく、俺達は順調に森の出口に近づく。
モンスターの対処にも慣れ、油断していた。
だから、突如目の前に降ってきた“そいつ”に対して反応が遅れた。
正確に言うと、反応が遅れたのは俺だけだったが。獣人ふたりは木の葉が擦れる微かな音を察知して足を止めた。
振り返ったフェンがマリーナに体当たりする。何事かと思うより早く、二人がいた場所に何かが降ってきた。
わずかに舞う血飛沫、マリーナの短い悲鳴。
降ってきたのが黒い鎧の男で、大剣でマリーナを斬ろうとしたことに気付くまで数秒かかった。
そのマリーナを庇ったフェンの肩口から徐々に血が溢れ、衣服を赤く染めていく。
「フェン!」
「大丈夫だ。それほど深くない」
フェンは身を起こし、襲撃者に向き直る。
「···魔族、か」
先ほど一方的に叩きのめした魔族達とは明らかに雰囲気が違う。
灰色の肌に、くすんだ橙色の髪を短く刈り込み、それと同色の髭を生やしている。額には角、背には翼。
地面にめり込んだ大剣を引き抜き、こちらを睥睨する瞳には殺意を感じる。
「見たことのある顔を見つけたのでな。今のはほんの挨拶代わりだ」
大剣の切っ先をこちらに向ける。
「!?その顔、まさか···!」
マリーナが驚いた声を出す。
「久しいな、マリーナ」
魔族は口の端を吊り上げて笑う。
「気安く名前を呼ばないで!」
「マリーナ、こいつを知っているのか?」
怒りなのか恐れなのか、マリーナの杖を持つ手が震えている。
「ガルグよ。あたしが知ってる外見とはずいぶん違うけど、間違いないわ!」
「こいつが!?」
まさかこんなに早く遭遇するなんて思わなかった。
こいつがガルグ。カザマを殺した魔族。
「お姉ちゃんの仇!絶対許さない!」
叫んで、マリーナが魔法を放つ。トレントに放ったものと同じ水魔法がガルグに迫る。
それを、ガルグは大剣の一振りで無効化してしまった。
「な······ッ!」
悔しげに歯噛みし、続けて雷魔法を打つ。眩しいほどの雷撃がガルグを直撃した。
しかし、ガルグは一瞬身体を痙攣させたのみで、何事も無かったかのように立っている。
瞠目するマリーナ。威力が低かったわけではないはずだ。ガルグの魔法耐性が高すぎたのだ。
「それでもカーネリアの妹か?」
せせら笑う。その顔へ向かって、フェンも魔法を放った。
かなりの速さで放たれた闇の刃を、ガルグは大剣を眼前に掲げるだけで弾く。
フェンは魔法を放っただけではなかった。魔法を囮に放った直後、自身は身を低くして走り出し、ガルグの背後に回る。
その首に向かって爪を振るう。
しかし、ガルグの動きも早かった。背後に目も向けず、大剣の柄を後ろに突き出す。
柄はフェンの腹部にめり込み、その身体を数メートル先まで突き飛ばし、樹木に叩きつけた。
そのまま地面に崩折れる。
衝撃が強かったのか、わずかに身動ぎしただけで起き上がらない。
「ヒト族の小僧、貴様は向かって来ないのか?」
挑発するようにガルグが言う。
この魔族が襲撃してきてから、俺は一歩も動いていない。
カザマの仇を討ちたいという意思はある。しかし、眼前の敵は意思だけで勝てる相手じゃないと直感した。
踏み込めば、あの大剣の餌食になる。
そう思うと、動けなかったのだ。
「······」
ガルグは俺の顔を凝視する。
「カザマに似ているな」
「······ッ!」
「もしや、縁者か。新たな勇者として召喚されたのか」
俺の表情を見て、肯定と受け取ったらしい。
「クク···ハハハ!ならば、魔王様の邪魔をする輩は始末しなければな」
その言葉に戦慄する。
このまま何もしなければ殺されてしまう。俺は今になってやっと剣を抜いた。
「始末する前に、少し遊んでやろうか」
ガルグが動く。一足飛びに肉薄し、俺に向かって剣を振るう。
その軌道に自身の剣を合わせる。剣同士がぶつかる高い音が響く。
二合、三合と打ち合う。ガルグの斬撃は重い。打ち合う度に手に痺れが走り、剣を取り落としてしまいそうだった。
「······、く、ぅ······!」
反撃なんてできるわけがない。ガルグがその気になれば、一瞬で殺される。
歯を食いしばり、一方的な剣撃に耐えていると、俺とガルグの間に何かが投げ込まれた。
大剣を振るガルグの手が一瞬止まる。
その何か······二つの小瓶は地面に落ち、小さな音を立てて割れた。
中の液体が流出し混ざり合うと、真っ白な煙が噴き出した。
「!!」
ガルグの姿がその煙に覆われ、見えなくなる。向こうにも俺の姿は見えなくなったはずだ。
煙の中から音もなく現れたフェンに、腕を掴まれる。
「逃げるぞ、ミライ」
「フェン!傷は大丈夫なのか!?」
「薬を飲んだおかげでね」
フェンに腕を引かれて、後方に移動する。
同じようにマリーナの手も引いて、この場から離脱するために走り出す。
「逃がすと思うか?」
ガルグの声が追って来る。
少しでも足止めになればとマリーナとフェンが魔法を放つが、あまり効果は無いようだ。
必死で足を動かしていると、背中に衝撃を受けた。
剣撃ではない。剣の一撃だったら身体が真っ二つになっていただろう。
恐らく、ガルグの魔法。強い衝撃に肺の空気が一気に押し出され、一瞬呼吸が止まった。
転倒する。マリーナとフェンも同じ攻撃をくらったようだ。苦悶する声が聞こえる。
息を吸って、足に力を込める。立ち上がって背後を顧みると、手を伸ばせば触れられる距離にガルグの姿があった。
「!?」
脇腹に蹴りを受け、再び転倒する。
尻餅をついたまま、ガルグを見上げる。酷薄な瞳が俺を見下ろしていた。
「あの時を思い出すな。カザマもカーネリアも、無様に這いつくばった」
「ミライ!」
マリーナの声。効かないとわかっていて、それでも俺を助けようとガルグに魔法を放つ。
「大人しくしていろ。順番に殺してやる」
鬱陶しそうにマリーナの魔法を払う。そして、ガルグが生み出した風魔法の刃が獣人達を襲う。
「きゃああっ!!」
「くっ······!」
俺は二人に目を向けることすらできなかった。ただ目の前の男を見ているしかできない。
そいつの持つ大剣がいつ自分に振り下ろされるのかと考えると、怖くてたまらない。
「勇者としての力は大したことないな。弱い。弱すぎる!」
心臓が早鐘を打つ。かろうじて剣を前に掲げるが、気休めにもならない。
「勇者もどきは、ここで死ね。カザマのもとに送ってやろう!」
「やめて!」
マリーナの悲鳴。
殺されるのか?こんなところで。カザマの仇を取って元の世界に帰るなんて、俺には無理な話だったのか。
ガルグが剣を振り下ろす。
最期に見る景色がこれなんて、最悪だ。
死の予感に、俺は固く目を閉じた。
「······!」
甲高い金属音が響く。
手には何の手応えもないことから、俺の剣にガルグの大剣がぶつかった音ではない。
俺自身の体には何の痛みもない。斬られていない?
「······?」
恐る恐る目を開けると、青紫色の髪が目に入った。紺色の鎧を纏った男で、手には大剣を持っている。
その男は、自らの武器でガルグの斬撃を受け止めていた。
「あ、あんたは···?」
その髪色に見覚えがある気がした。
「だ、誰なの?」
「誰かは知らんが、助かった!」
突然の介入者に驚き、間一髪、命を救われたことに安堵する。
介入者の男はガルグの剣を押し戻した。
「貴様は!?」
剣を弾かれ、後退したガルグは驚愕の表情を浮かべている。
「貴様、なぜ生きている!?魔王様が始末したはず!」
「貴様も魔王も詰めが甘い。確実に始末したければ、遺体を最後まで確認することだ」
最近どこかで聴いた声。
男がこちらを振り返る。
少し浅黒い肌に、紅い瞳。その顔を見て思い出した。
この世界に来た最初の夜に出会った魔族だ。
だが、あの時とは姿が違う。角も翼も無い。肌の色も、ガルグのような灰色だったと思う。
「何を呆けている。動けるならばここから去れ」
それだけ言うと、ガルグに視線を戻す。
「え、でも······」
「ミライ。ここは彼に任せて逃げよう。私達では敵わないと実感したばかりだろう」
「フェンの言う通りだわ。ミライ、早く!」
急変した事態に頭がついていかず、俺は二人に引き摺られるようにしてその場を後にした。
キャラクター紹介追記
《ガルグ》
魔族。魔王の側近。
ヒト族に化けて勇者パーティに潜り込み、勇者カザマと魔術師カーネリアを殺した。
新規キャラクター紹介
《????》
ミライが召喚された日の夜に会った魔族の男。
どういう目的で動いているのか、現時点では不明。