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神様お願い  作者: 雪兎
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「分からない。ドクターもそこまでは解明出来なかったらしい。ただ、自分達の幸せの為に使っているのだから、天国みたいな世界に到達出来るのではないかな?」

「そうですよね!」

「まあ、それも使い方次第だと思うがな」

 これで自分の話は終わりとばかりに、ジェイドはミルレーンを口にした。

「それで、そのドクターさんが発見した法則ってのは他にどんなのがあるんですか?」

「先ず、“時間を変える事は出来ない”。つまり、任意の未来や過去に移動する事は出来ないって事だね」

 今度はムサシが話を引き継いだ。

 力を使った時の強制時間移動しか出来ないのだと思った。最初に考えた、未来に跳んで情報を仕入れて帰ってくる事は出来ないとはっきり分かってがっかりした。

「次に“自分を変える事は出来ない”。性格はもちろん、容姿、怪我、病気なんてのも変える事が出来ないんだって」

 分かっていた。自分の肘の怪我が治らない事で。昌吾は顔を苦痛に歪めた。

「“他人の性格は変えられない”」

 昌吾の胸を雷が貫いた。長い間の疑問が氷解したのだ。最初の母親の性格を変えようとした時失敗した事、付き合った女達の気持ちを操れなかった事を思い出した。

「そ、そしたら、例えば好きな人と結婚する事は出来ないって事ですか?」

「そういう事じゃないと思うんだけど。うーん、これは百合ちゃんの方が詳しいんじゃないかな?」

「付き合ったり、結婚とかは出来ると思うよ。ウチも試した事あったし。それをするだけなら別に相手の気持ちとかは関係無いでしょ。世界には何か事情があって付き合ったり、結婚する偽装カップルだっているんだし。でも相手と気持ちを通じ合わせる為には自分も努力しないといけないと思うよ。それに、相手の事をちゃんと知る事も大事だと思うし。1回願ったら、もう取り返しがつかないんだから」

 百合の話の最後の方の意味が分からず、昌吾は顔を曇らせた。しかし、その疑問は直後ムサシが晴らしてくれた。

「それも条件の1つ、“一度変えたものを元に戻す事は出来ない”ってやつだね」

 これにも合点がいった。2度目の母親が気に食わなくなり元に戻そうとした時、その望みが発動しなかった事を思い出した。そしてこの条件の厳しさを実感して固唾を飲んだ。

「これは当たり前の事だけど、“生死に関する願いを叶える事は出来ない”」

 この言葉に、昌吾は頭を殴られたような衝撃を受けた。しかし、これは誤解が無いように理解したいと思い、出来るだけ心を落ち着かせてから口を開いた。

「それって、どういう事なんでしょうか……。何か重要な事みたいなので、詳しく教えて貰えませんか?」

「ああいいよ。そんなに難しい話じゃないと思うし」

 軽い雰囲気のムサシに対し、昌吾の顔はとても真剣だった。そして、ムサシが言葉を切ったその一瞬にも耐えられず、ゴクリと喉を鳴らした。

「誰かに死んで欲しい、誰かを殺して欲しい、死んだ人を生き返らせて欲しいっていう願いは叶わないって事。俺達の我儘で他人の人生を終わらせるなんて間違ってるし、失われた命を元に戻すなんて自然の摂理に反してるしね。まあこの力も摂理に反してるかもしれないけど、何かしら制限が無いと逆に怖いでしょ?」

 ムサシの最後の方の言葉は昌吾の耳に届いていなかった。自分の聞きたかった事を知ると、口を半開きにして茫然自失していた。

 そして、手で顔を覆い、突如目から滂沱たる涙を溢れさせた。

「ど、どうしたの? シェリルちゃん」

 ムサシが心配してくれて肩に手を置いたが、昌吾は反応出来なかった。

 これが事実であれば、いや事実なのであろう、中学生の時祖父が死んだのは自分のせいではない。あの時の後悔と罪悪感がずっと胸の奥に澱として残っていたが、やっとそれを洗い落とす事が出来たのだった。

 ならば、あの時叶った50万円は、本来貰える筈がなかったものが手に入るようになったという事なのだろう。

 そう結論づけて昌吾は顔を覆っていた手を外した。その顔はとても晴れやかであった。

 アバターのこの姿は目が腫れるなどの変化は起きなかった。

「すいません。取り乱しました。ちょっと思い出す事があって。でも、もう大丈夫です。まだ他にルールありますか?」

 昌吾の言葉を聞き、どうやらムサシはホッとしたようだった。表情が元に戻り、ゆっくり首を縦に動かかした。

「そしてこれが最後。”塔上者(ビラー)を変える事は出来ない”だね」

「……どういう事ですか?」

「うん。俺達も現実の世界で生活してるでしょ。お互い誰か分からないけど、利害がぶつかる可能性があると思うんだ。例えば俺が不動産の仕事をしてて、オメガの住んでいる家を買いたいとする。そこで俺が『オメガが引っ越すように』と願っても、それは受理されないって事だね」

「でも、それならここでそれぞれの正体を明かさなくても、現実で分かっちゃうじゃないですか」

 ムサシがフッと笑った。

「まあ、理屈ではそうなるよね。でも実際どのルールが適用されて願いが叶わなかったか分からないし、ドクターだって全てのルールを解明した訳じゃないと思うしね。それに、地球には人間が70億くらい居るんだよ。すぐ近くにビラーが居る可能性なんて、めちゃくちゃ低いと思うよ」

「なるほど……。確かにそうですね……」

 ムサシの言葉はとても論理的だった。昌吾は納得しかけたが。ある考えが閃いて目を大きく開けた。

「そうだ。ワタシ達みたいなビラーになる為の条件はあるんですか?」

 自分がこのような不思議な力を手に入れたのも疑問だが、今後ビラーがポンポン現れて自分の利益が減じるのが怖かった。

「それはね……、えーと、ちょっと待って。適当な事言えないから、資料取ってくる」

 そう言うとムサシはたちあがり、出入口とは違うドアに入っていった。

「その部屋は何ですか?」

「ドクターの部屋、だった場所。この家にはこのリビング以外に2つの小部屋があるんだ。ライブラが資料を集めた部屋、それを使ってこのシステムを解明しようとしたドクターの部屋、2人がここに来なくなってからも、彼等に敬意をはらってそのまま残す事にしたんだ。もし俺等が先に居なくなっても、シェリルちゃんはそれを引き継いで欲しいんだ」

 オメガが真面目な口調で言った。この2つの部屋は本当に大切なものなのだと昌吾は思った。

「あの、その2人は今何処に居るんですか?」

「残念ながら分からないんだ。死んでしまったのか、この家に来るのをやめただけなのかは分からないけど、俺は姿を見た事もない。この中ならムサシがちょっと会ったくらいかな」

「そうなんですか……、ワタシも話してみたかったなぁ」

 するとムサシがドクターの部屋から出てきた。その手にはノートが握られていた。

「え~と、ドクターの日記によると……。“人生に希望を失い、自分で命を絶とうとした。しかし、それに失敗した者”とあるね」

 もちろん昌吾にもこれに思い当たる節があった。

「あー、分かります。……と言う事は、皆さんもそうなんですか?」

 オメガ、ジェイド、百合は顔を背けた。話していたムサシだけは頬を掻き、恥ずかしそうに話し始めた。

「まあ、ここに居るのは同じような境遇って事だね。でも、それぞれの事情があるから、聞かないでくれると有り難いかな」

 さすがに自分が踏み込み過ぎたと昌吾は思った。そして全員に目を向け、小声で『すみません』と謝った。

「ハハ、そこまで気にしなくていいよ。次から気を付けてね。シェリルちゃんこうしても謝ってるんだからさ、皆もいいよね」

 3人は無言で頷いた。

「でも、そういう事だったんですね。生き残るのも結構な確率だと思うし、打ちのめされた状況であの……人からレターセットを買おうなんて思える人も少ないかもしれませんね」

「そうだね、俺達は本当に奇跡の力を得たといってもいいと思うよ」

 昌吾が素直に自分の失敗を謝るのを見て、ムサシは満足そうにニッコリ笑った。

「あの……、このノートはワタシも見てもいいんですか?」

「ん? このドクターの日記? もちろんだよ。ドクターの部屋の机の上にいつも置いてあるから、自由に見ていいよ。持ち出す事は出来ないけど、大切なものだから汚したり破ったりしないようにね」

「はい」

 昌吾の目はドクターの日記に釘付けになっていた。気が急いていたので、ムサシの言葉尻に被せるように返事をした。

 昌吾はドクターの日記を手にし、ペラペラとページをめくっていった。今は詳しく読むつもりはなく、どんな事が書いてあるかチェックして後日読み込もうと思っていた。しかし、最後のページをめくったところで手を止めた。

 最後のページが破り取られていた。

「ムサシさん、これは?」

「ああそれか。それはドクターが破ったんだ。ある日、部屋の中から叫び似た悪態が聞こえてきて。それで心配になって覗いたら日記を破いてて……。俺が声を掛けたら『見るな』ってドアを閉められて。部屋から出て来たと思ったらライブラに何かを話して、『もう俺は使うのやめる』と言って出てったんだ。その言葉通り、それからドクターは現れなくなった。それと、ライブラも」

「何があったんですか?」

 ムサシは首を左右に振った。どうやら本当に何も知らないようだった。

「そうですか……。ワタシも調べたり考えたりするのが好きなので、そのドクターさんと話せないのは残念です。でも、この日記から何かを知れるかと思うと、とても楽しみです。えっと、ワタシそろそろ帰らないといけないので、これで」」

 そう言うと昌吾はムサシにドクターの日記を返し、全員に向かって頭を下げて部屋を後にした。

 玄関を出たが、昌吾はポストを無視して家に向かった。ここで手紙の内容を書き換えるのではなく、今仕入れた情報を基に適切な願いを書きたいと思った。

 便箋を取り出し、先の願いを2本線で消した。そして腕を組んで目を瞑り、何と書けばいいのか考えた。

 『水沢と付き合いたい』や『結婚したい』と書けば願いは叶うのだろう。しかし水沢の愛は信濃にあるので、何をしても虚しいだけだろう。

 そうかと言って信濃の死を望む事は出来ないと言われてしまった。そもそも祖父の件で苦しんだ昌吾は、積極的に人の命を奪って心に重石を乗せる気などまるで無かった。

 しかしながら、やはりネックとなるのは信濃の存在だった。今の信濃が居なくなれば水沢との関係性が変わり、自分がつけ入る隙が出てくると思った。母親が変わった時、父親が急に母親にデレデレし始めた。その反対の事が起きればいいのだ。水沢が呆れるような信濃が出るまで。そうスマホゲームのガチャのように。

 昌吾は目をカッと開いた。そしてボールペンを手にし、便箋に覆い被さった。

【今の信濃を、別の存在に変えてくれ】

 聞いたルールを思い浮かべ、瑕疵が無い事を確認した。一気に柱谷の家まで行き、興奮で鼻息を荒くした。

 見慣れた天井を見上げながら目を覚ました。

 いつもの成功ルートに乗った事を知り、昌吾は大喜びでベッドを飛び出した。そしていつもより早い時間に家を出て、足早に学校へ向かった。

 昌吾は平静を装い、信濃のクラスへ向かった。野球部員の顔が見えた。そこでは3人の男子生徒が話しており、昌吾はそこに信濃が居ると予想した。

「おはよう、信濃」

 ドキドキしながら昌吾は彼等に声を掛けた。すると背中を向けていた1人が振り向いた。昌吾の記憶に無い男の顔だった。

 昌吾は心中でほくそ笑んだ。

「おう、昌吾、久しぶり。同じ学校なのになかなか会わないもんだな」

「ああ、そうだな」

「で、今日は何かあったのか?」

 昌吾は焦った。今は信濃が変わったかどうかを確かめにきただけで、その後の事は何も考えていなかった。昌吾は脳をフル回転させた。

「あ、うん……。その、ええと、そう、今年のセ・リーグの優勝どこか、遙がどう考えてるのか聞かせて貰おうと思って」

 すると信濃は突然破顔した。

「プッ。いや、ゴメン。まだ4月だから、さすがに予想もつかないよ」

「はは、だよな。ナオ達と今年の優勝チーム当てたら昼飯おごって貰える事になったからさ」

「あっ、そういう事か。それ、何時まで?」

「んー、今月くらいかな。メモして9月か10月に開封しようって事になってる」

「よしっ、分かった。色々データを見て、俺なりの予想を立てて連絡するよ」

 昌吾は『ヨロシク』と言って教室を後にした。そしてその足で、今度は水沢の教室へ向かった。

 水沢の教室の前に着くと、ドアから女子生徒が出てきた。

「あっ、昌吾、おはよう」

 見知らぬ女子生徒に突然呼び捨てにされた。水沢が自分をそう呼ぶから真似したのだろうか。昌吾は表情にはかろうじて出さず、心の中でムッとした。

「あのさ、水沢呼んでくれない?」

 その女子生徒に対峙し、少し傲岸な態度でそう言った。すると女子生徒が目を丸くして見つめてきた。

 やり過ぎたかと昌吾は反省した。言い訳をしようとした瞬間、女子生徒が先に口を開いた。

「何、昌吾、ギャグのつもり? 全っ然面白くないんだけど。私に、私を呼んできてってどんなボケ?」

「えっ……、水沢、涼花だよな?」

「あなたと中学から一緒の水沢涼花だよ。結構しつこくするね」

 昌吾の目の前には、記憶とは全く違う女性が自分を水沢涼花だと主張していた。

「あー、いや、ギャグだよ。マジになんなって。そう、歴史の教科書借りにきたんだ」

「は? 何言ってんの。私は世界史だけど、昌吾は日本史選択じゃない」

「あっ、そうだったな。ハハハ、カバン開けたら教科書が無かったから焦ったみたいだ。他を当たってみるよ」

 笑顔を必死で作り、昌吾は水沢の前を去った。どういう事なのか理解出来ず、昌吾は混乱の渦にのまれてしまった。

 唯一確かな事があった。それはもうあの水沢とは会えないという事だった。『一度変えたものは元に戻す事が出来ない』、水沢を変えるつもりはなかったが、何かの手違いで変わってしまった。試してはみようと思うが、きっと元に戻る事はないと思った。

 授業が終わり、昌吾は村崎達との誘いを断って家に帰った。そしてレターセットに『前の水沢涼花に戻してくれ』と書き、柱谷の家に行ってポストに入れた。手紙は案の定、何度も帰ってきた。

 無駄だと心が叫んでいたが、昌吾は『前の水沢涼花の居る世界に移動させてくれ』、『信濃と水沢を戻してくれ』、『前の願いは無しにしてくれ』と書き直してみた。しかし、どれも力が発動する事はなかった。

 人生で二度目の虚無感に襲われた。人生の生き甲斐に続いて最愛の女性を失い、昌吾は完全に人生の道に迷ってしまった。

 しばらくの間家と学校だけを往復する生活を続け、家ではほとんどの時間ベッドの上で過ごしたのだった。

 間も無く昌吾の生活は荒んでいった。夜遅くまで外を歩くようになり、村崎達も危ぶむような連中とも付き合うようになった。

 月山以上の怪しい女性と付き合い、飲酒喫煙は当たり前、非合法ギリギリの薬物にも手を出していた。

【宮城理乃と付き合いたい】

 この女性はとても魅力的で、昌吾は危うく溺れそうになった。しかし1ヶ月程で『つまらない男』と言って捨てられた。

【ちいちゃんと付き合いたい】

【カリンと付き合いたい】

 たまたまイベントに来ていたシンガーとモデルとも付き合った。同時に付き合ったので写真週刊誌に追われるようになった。昌吾は面倒になった。

【パパラッチを追い払って欲しい】

 即日でカメラマンが姿を消した。有名人達はこんな事をされているのかと思うと気の毒になった。

 自分をこの小暗い世界に誘った村崎達でさえ怖気づく程、昌吾は堕ちていった。そこで出会った中学生くらいの少女に恋をした。

【佐藤久々奈と付き合いたい】

 冷静に見たら佐藤も昌吾に好意を向けていたが、この力で女性を手に入れるのに慣れていた昌吾はそれに気付けなかった。

 しかし、色々な女性と浮名を流す昌吾に良くない感情を持つ者達が表れた。

 昌吾は至る所で敵意に曝され、時に生命の危険すら感じるようになった。昌吾はこの遊びをやめたくないので、身を守る手段を講じる事にした。

【八村昌吾を守る、ボディーガードのような知り合いが欲しい】

 すると、突然昌吾の前に蓮山廉治(はすやまれんじ)という男が現れた。背は低いが筋骨隆々で、気に食わなければ男も女も差別なく殴るような粗暴な男だった。

 それが昌吾とは気が合い、急速に仲を深めていった。たまたまやっていたオンラインゲームが同じだったという理由で。

 蓮山が居るだけで昌吾に敵意を向けてくる者は少なくなった。そしてそれでも危害を加えようとする者には、蓮山が力をもって排除してくれた。

 大学受験の時期がやってきた。昌吾は国内で1番レベルの高い私立大学に行く事にした。将来を楽しく生きる為人脈を作るのと、派手な女が集まると思ったからだ。

【啓和大学法学部に合格させてくれ】

 便箋に書いて封筒に入れた。全く勉強をしておらず、進路指導では志望校を変更した方が良いと言われたが聞く耳も持たなかった。

 昌吾は手紙を持って柱谷の家へ向かった。ポストに手紙を入れる前に、昌吾は気まぐれを起こして久し振りに家に入った。

「おおっ、シェリルちゃん、久しぶり」

 ムサシが声を掛けてきた。昌吾は片方の口角を上げるだけで応じ、部屋の中を眺めた。ムサシ以外にジェイドと百合が居た。

「今日はオメガさんは居ないんですか?」

 するとムサシの顔に影が落ちた。

「うーん、と言うか、オメガはもう来ないと思う。自分でそう言ってたから。力ももう使わないって言ってた」

「何でですか?」

「いや、理由は言ってなかった」

「私は少し聞いた。これ以上使うと良くない事が起きそうだからと言っていた」

 ジェイドが感情の無い声で言った。

 軽薄そうな人物だったから、願いを乱発して危機的状況に陥ったのだろう。自分みたいに検証を重ね、色々な方向から考えて願わなかったからだろうと思った。

「そうですか、まあ、仕方ないですね」

 昌吾の突き放すような言葉を聞き、部屋の空気が少し重くなった。

「う、うん、まあそうかもね。シェリルちゃんさ、前に言ってた恋の願いの結果はどうなったの? 良かったら話聞かせてよ」

 胸がえぐられるような苦しみに襲われた。

「えっ? どうなったって、関係無いじゃん」

 百合を睨みつけ、噛みつくように叫んだ。

「ど、どうしたの、シェリルちゃん。何か機嫌悪い?」

「うるさい、そんなのどうでもいいだろ」

 この数ヶ月好きに生きてきて、それが常態となっていた昌吾は余計な言葉が許せなくなっていた。

 そして、両親を変えた者としては、たかがこの場でしか会わない連中と関係が切れても良いと思っていた。それにもう知りたい情報はあらかた集め終わっていたというのもあった。

 部屋は沈黙で満たされた。

 昌吾は肩を揺らして荒い息を吐き、猛獣のような目で噛みつく相手を探した。

「シェリル、お前はもう私達とは会わない方がいいかもしれんな」

「何? それはもうここに来るなって事か?」

 あくまで冷静なジェイドの声がしゃくに触った。

「いや、そうではない。私達にはそんな権利は無いからな。君は、我々をブロックしてくれ。私達もそうする。いや、それも個々人に任せる。ただ、私はそうする」

「“ブロック”って?」

「現実世界のSNSにあるだろ。自分の情報も見せない代わりに、相手の情報も見れなくなるってアレだよ」

 それは良いと昌吾は思った。ビラーに影響を及ぼす事は出来ないというルールがあるので、目の前の者達をどうこうする事は出来ないからだ。

「ああ、そうする。で、どうしたらいい?」

「メニューを開き、プライバシーを選択。ブロックというものが見つかったか?」

 ジェイドの指示に従うと、確かにそのウインドが開いた。3人の名前が表示されていた。

「私達を選択し、ブロックを実行してくれ」

 『ブロックを実行しますか?』と確認文が出てきた。昌吾は躊躇う事なく『はい』を選択した。

 昌吾は眉間に皺を寄せた。

「私達が消えないからおかしいと思ったか? 仮の姿ではあるが私達はここに存在しているのだ。ネットの世界のように突然消える事はない。この部屋を出る事で完了する」

 ジェイドは出入口を指差した。

「ブロックした者、された者が室内に居るとドアが開かなくなるらしい。“らしい”というのは私も使うのが初めてだからだ。これもドクターが調べてくれた。ああそうか、君を追い出すようにするのも間違いかもしれん。私が出よう」

 そう言うやスッとジェイドが立ち上がった。

「いや、ワタシが出る。別に、あんた達に用があった訳じゃないから」

 昌吾は3人に背を向け、出入口のドアを開けた。全く後ろ髪を引かれる事無く、片足を部屋の外に出した。

「シェリルちゃん……」

「百合ちゃん、ワタシの事ちゃんとブロックした?」

「えっ、ううん。ウチはまだ……」

「ワタシはしたよ。後でしといてね」

「いや、相手が居ないとブロックは出来ないのだ。百合、ブロックするかどうかは今決めた方がいい」

 相変わらず冷たく抑揚のない声でジェイドが追い討ちした。

「百合、早くやれ」

 半ば意地になって昌吾は叫んだ。

「う、うん。ブロックしたよ」

「じゃあな」

 昌吾は部屋の外に出てドアを閉めた。念の為、昌吾は振り返ってドアノブを掴んだ。まるで石になったかのように、ドアノブは1ミリも回らなかった。昌吾は満足気に薄っすら笑い、玄関を出てポストに手紙を入れた。

 6年間通ったがそれ程思い入れの無い学校を卒業した。村崎達とは完全に袂を分かつ事になったが、何の感慨も浮かばなかった。

 ただ、何となく、木津と別れるのは残念だった。卒業式の後はたいてい誰もが『また会おうな』と言うものだが、木津だけは口にしなかった。

 昌吾の方が木津に『機会があったら会おうぜ』と言った時、『わざわざそんな事言いにきたのか? お前に言われるとは思わなかった』と言われて恥ずかしくなった。

 人間関係の中で蓮山だけは繋いでおく事にした。蓮山は相変わらず裏の世界の住人であり、何か自分の身に危険が及んだ時に助けて貰おうと思っていたからだ。

 高校時代に成人を迎えていた昌吾は、大学生になるなり計画していた事を行動に移した。

 先ず証券会社に行き株取引用口座を作った。そして担当者からアレコレ勧められる商品を無視した。

 祖父の遺産をスズナリ製作所の株に全て注ぎ込んだ。

【スズナリ製作所の株を上げてくれ】

 スズナリ製作所の技術がNASAに認められ、宇宙船の部品を納入する事になった。すると数日の内に株価が20倍になり、昌吾はそれを即売却した。

【アレックスグループの株を暴落させて】

 国内最大のテーマパークを運営する会社で過労死問題が発生した。全国から責められ、株価がまるで崖のように急落した。

 昌吾は躊躇する事なく全財産を突っ込んだ。

【アレックスグループの株価高騰】

 驚きもせず、昌吾は涼しい顔でアレックスグループの株を売却した。

【先物取引で買った原油価格を高騰させて】

【昨日買ったFXの価格を高騰させ】

 大学1年の後期が始まる頃、昌吾の預金残高は18億円を超えていた。証券会社の担当者からは『株式の天才』ともてはやされた。そして税金がかかるから全部は使ってはいけないと忠告を受けた。

 会社を設立し経費として使用する方法をアドバイスされた。しかし面倒なので黙殺した。万が一カネが足りなくなったら、もう一度同じ事をすればいいからだ。

 啓和大学には大会社の社長、政治家、官僚の子供が沢山居た。彼等は親のカネで派手に遊んでいたが、昌吾もそれに対抗して派手に遊んだ。

 また大学には選ばれた者だけが入れる倶楽部があった。そこに所属していた者は国をけん引しており、誰もが入りたいと憧れる倶楽部だった。

【ロータス倶楽部に入りたい】

 会員のほとんどが旧華族や大会社の子息で、本来であれば昌吾に入会資格は無かった。しかしOBの顧問に認められ、昌吾は入会する事が出来たのだった。

 昌吾達会員は大学内でやりたい放題だった。少しでも気に食わない者には制裁を与え、寄ってくる女達を喰い散らかした。もちろん女性会員は男を集めてハーレムを形成していた。

 治外法権の大学内で昌吾は人生の春を謳歌していた。そして2年生の秋、昌吾は倶楽部の部屋で昼間から冷えたビールを飲んでいた。

 室内の内装はイギリス調の落ち着いたもので、OBや倶楽部の親からの寄付金を使っているので全てが高級品だった。それでいて入るには非接触式のカードキーが必要だった。

「八村君、今ブックメーカーしてるんだけど、参加しない?」

 戦前は財閥だったという家の子、葛原雄希が声を掛けてきた。この男との関係は将来役に立つと思っていたので、昌吾は笑顔で葛原に応じた。

「へ~、楽しそうだね。俺も1枚噛ませてよ」

 昌吾は飲みかけのビールをテーブルに残し、葛原が誘うテーブルに向かった。そこには他に2人の男と1人の女が居た。

 椅子に座ると、政治家の息子の鷹山薫がウイスキーを勧めてきた。昌吾はそれを早速半分飲んだ。

「それで、何の賭けをしてるの?」

「野球だよ」

 心の古傷が痛んだ。眉がピクリと動いたが、誰にも分からなかったようだ。

「今日さ、パイレーツとジャガーズの試合があるんだけど、ジャガーズが勝ったら優勝なんだよ。で、ジャガーズが勝つかどうかを当てようと思って。八村君は野球詳しい?」

「いや、まあ、人並み程度には」

「今年のペナントレースは知ってる?」

「いや、全然注目してなくて。だから皆目見当つかないな」

 すると葛原がテーブルに紙の束を置いた。

「今年のデータ集めたやつ。情報隠してやると不公平だし、面白くないからさ。まあ、これに目を通してよ。5分くらいあればいい?」

 葛原は抜群に頭が良かった。彼なら3枚くらいの資料は5分くらいで分析出来るだろう。しかし、誰もが同じ事を出来る訳はなく、葛原はそれを理解していないのだった。

 ただ昌吾は野球をしていたのでアドバンテージがあった。選手の名前と数字の羅列を見ていると、色々と予想が立ってきた。

 しかし、ジャガーズの選手の名前を見て、そこから視線を動かせなくなった。手は震え出し、紙を強く掴んで皺を寄せた。

「どうしたの? 八村君」

 紅一点の南条が声を掛けてきた。口調から察するに、昌吾を心配している風ではなかった。

「この、久里秀平って……?」

「ああ、久里。高校卒業して2年目のスラッガーなんだけど、今年は調子良くてホームラン数3位なんだよ」

「へー」

「八村君もさすがに知ってた?」

「いや、知らない」

「よし、そろそろ5分だ。ベッド開始しよう。ジャガーズに賭ける人?」

 昌吾と葛原以外の者達が手を上げた。

「うーん、やっぱりか。ジャガーズ5連勝中でのってるからな。俺もジャガーズに賭けようと思ってるからな~。八村君はパイレーツに賭ける? はは、ありえないか。棄権かな?」

「いや、パイレーツに賭けるよ」

 葛原以外の3人の目が丸くなった。

「いいじゃん。八村君、勝負師だな。掛け金は1人百万で、独り負けだと4百万だけどいい?」

「うん、いいよ」

「よし、決まりね」

 データを分析した結果、昌吾ももちろんジャガーズが勝つと思った。しかし、中学のライバルの活躍を期待する事は出来なかった。何より、自分が享受すべき栄光を受け取っている久里に嫉妬していたのだ。

「葛原君、俺、用事を思い出したから帰るよ」

「うん、また明日」

 どんな結果が出ても4百万円が飛び交う事になる。しかし誰も気後れなどはしていなかった。彼等にとってそれくらいははした金と一緒だったからだ。

 昌吾は家に帰り、久し振りにレターセットを取り出した。そして怒りで乱れた字で願いを書き込んだ。

【今日のジャガーズとパイレーツの試合で、ジャガーズを負けさせて欲しい】

 もう試合が始まっており、3回でジャガーズが2点リードしていた。試合が終わってしまったら取り返しがつかないので、急いで柱谷の家へ向かった。

 見慣れた天井を見上げながら目を覚ました。

 すぐにスマホで試合結果を確認した。ジャガーズは2対3で負けていた。昌吾はホッと胸を撫で下ろした。

 カネを無限に増殖させる事が出来る昌吾にとって4百万円を払う事はたやすかった。ただ久里の活躍で優勝する姿を見たくなかったのだ。

 しかし、結局ジャガーズはその翌日優勝した。決勝点となったのは、久里のツーランホームランだった。そして消化試合でも久里はホームランを重ね、最終的にホームラン数で2位になった。

 見たくなくてもテレビや新聞、雑誌、ネットニュースで久里の姿を見る羽目になった。その度に自分の軽率さを責められているような気がして、昌吾は胸が苦しくなった。

 このままいけば久里は大選手に成長し、プロ野球殿堂入りするかもしれない。もしそんな事になってしまったら、自分は狂ってしまうだろうと思った。

【今の久里秀平が居ない世界に行きたい】

 これを書いたのは朝起きてすぐだった。しかし昌吾はすぐに柱谷の家へ向かった。一刻も早くしないと、精神の均衡を保てなくなるかもしれないと切羽詰まっていた。

 見慣れた天井を見上げながら目を覚ました。

 耐えきれず昌吾はすぐにスマホを掴み『久里秀平』と打ち込んで検索した。予想に反して『ジャガーズ久里秀平、来期年棒1億か?』という記事が出てきた。

 不審に思いつつ昌吾はその記事をタップした。そしてやっと昌吾はホッとした。そこに出ていた久里の顔は、昌吾の記憶にあるものと似ても似つかなかったからだ。

 人を消す事は出来ないので、違う存在になったのだと昌吾は思った。そして顔が違うのなら耐えられるだろうと、この結果で納得したのだった。

 大学3年生になった昌吾は家を出て独り暮らしを始めた。力を使ってカネは膨大にあったので、都内のタワーマンションを購入した。飽きたら賃貸にし、不動産業を始めてもいいかと思っていた。

 ロータス倶楽部の会員のほとんどは都内出身だし、地方から来た者も都内で独り暮らしをしていた。昌吾は彼等から早く都内に来いと誘われており、この時期の独り暮らしは遅いくらいだった。

 これには理由があった。それは柱谷の家から離れてしまう事だった。もし緊急で願いを叶えたくなった時、その家が近くにあって欲しいと思っていたのだ。片道1時間以上かけて間に合わなくなったらまずいと思っていた。

 それでも帰りが遅くなった時ホテルを手配するのが面倒になり、実家と都内を往復するのを覚悟して独り暮らしを始めたのだった。昌吾は引越した後近所を隅々まで散策した。そしてその時驚かされた。路地の奥に柱谷の家を発見したのだった。

 驚いてしばし呆然としていた昌吾であったが、顔をハッとさせた。そして柱谷の家は自分の傍に常にあるのだと合点した。これなら世界中何処へ行ってもいいと安心した。

 学生でタワーマンションに住み、誰もが羨むロータス倶楽部の会員となれば人気が出ない筈がなかった。

 昌吾は寄ってきた男を傘下に入れ、ロータス倶楽部の下部組織のようなものを創った。そして倶楽部では出来ないような粗暴で粗悪で怪しいパーティーを企画した。

 もちろん女も近寄ってきて、好みの女は派手に喰い散らかした。何人かに禍根を残すような傷を与えたが、それも財力で解決した。

【須田希美と付き合いたい】

【KEINAと付き合いたい】

【吉岡冬緒と付き合いたい】

 それでも昌吾になびかない女、モデル、女優などと付き合い、取り巻き達の求心力を集めていった。

 件の力を使ってだが、昌吾はカネと女を手に入れて、周囲の者から嫉妬されるような成功を収めていった。しかし、そんな昌吾もコンプレックスを抱えていた。

 それは自己実現と家柄だった。

 野球を失ってから目標を失っており、楽しい事をしていても心の奥底はいつも虚しかった。

 また周りの会員は旧華族、旧財閥、政治家家系、地方の名士などばかりだった。一般の親から産まれた昌吾は、笑顔の裏で彼等に嫉妬していた。それはどんなに派手に遊び、奢ってやっても一向に拭えなかった。

 昌吾が大学4年生になった時、倶楽部に一人の女性が入会してきた。名前を鴨司(かもつかさ)頼子といい、京都で昔から続く貴族の末裔という家柄。そして親は関西で有数の同族企業の役員だった。

 そして鴨司自体も目の覚めるような美人で、芯は強いが他人を立てる性格をしていた。昌吾は鴨司に近付いていった。

 昌吾は鴨司に告白し、良く考えたら人生初だった、付き合う事になった。とても身持ちが固くてキスまでしか進めなかった。そして彼女は不倫などの報道には嫌悪感を表していた。

【鴨司頼子以外の女性関係を、きれいに解消して欲しい】

 見慣れた天井を見上げながら目を覚ました。

 その日から色々な女から連絡が入った。他に好きな男が出来た、引越す、仕事が忙しくなったなどの理由であったが、昌吾の希望通り鴨司以外の女とはきれいに別れられた。

 晴れて潔白な体になり、昌吾は都内の街並みを見下ろしながら朝食をとっていた。テレビからは外国の戦争という物騒なニュースを流れていたが、昌吾の心は幸せで浮き立っていた。

 上流階級の生活を見せてくれる鴨司に昌吾は首ったけになった。そして一生鴨司と歩いていきたいと思った。

【鴨司頼子と結婚したい】

 便箋に書き、昌吾はジッと見つめた。これを投函したら鴨司と確実に結婚する事になるだろう。最後に自分の気持ちを確認した。

 鴨司の気持ちを自分に向ける為努力が出来ると思った。昌吾は封筒に入れて柱谷の家へ向かった。

 夏休みに入る前、昌吾は鴨司の実家へ誘われた。遂にその時が来たと思い、昌吾は二つ返事で承諾した。

鴨司の家は京都市内にあり、塀で囲まれたとても大きなものだった。門の前で呆然とする昌吾を見て、鴨司は笑っていた。

「八村君、卒業後の進路は?」

 痩せ型の優しそうな鴨司の父親が柔和な口調で言った。

 昌吾は焦った。実家に呼ばれたくらいだからほぼ結婚は認められていると思っていた。それならば鴨司の同族企業に誘われるのではないかと思っていたのだ。

「えっと、いくつか内定は出ているのですが、まだ満足していなく、今商社に就職活動をしています」

 完全な嘘だった。しかし力を使えばそれは実現するのだから後ろめたさは感じていなかった。

「ほ~、それ素晴らしい。今の若者は野望というか、気概の無い者が居るだろ。娘のコネを使って我々の会社に入れて欲しいと言われたらどうしようかと思っていたんだよ」

「ハハハ、まさか、考えもしませんでした」

 昌吾は全身から汗が噴き出すのを感じた。そして自分が偶然にも危地を脱していたと胸を撫で下ろした。

「うん。さすが頼子が認めた男だな。娘のコネで入社しても、社員から厳しい目で見られるだろうからな。外でそれなりの成果を出せば役員として迎えても納得するだろう。八村君、期待しているよ」

 中学時代のマウンドに上がる時の気持ちに似ていた。昌吾は久しぶりに向けられた期待に喜びで打ち震えた。そして、今は“八村君”という呼び名を、一日も早く“昌吾君”に変えたいと思った。

 昌吾は『はい』と言って頭を下げた。

「やっぱり昌吾さんね。あのお父さんに気に入られるなんて」

 帰りの新幹線で鴨司が言った。もちろんグリーン車だった。

「とっても優しそうなお父さんだったね」

「ええっ、昌吾さんが優秀だからよ。駄目な人にはかなり厳しいんだよ。でさ、さっきの就活の話本当なの? 昌吾さん就活してるの見た事なかったから」

 不安そうな目を向けてきた。ここで狼狽しては疑われると、昌吾は間髪入れず笑った。

「当たり前じゃん。明日か明後日には結果が出ると思うんだけどね。頼子さんを驚かせようとして黙ってたんだ」

 東京に帰り、昌吾は大久保商事の新入社員募集にエントリーした。そしてすぐにレターセットを取り出した。

【株式会社大久保商事に入社したい。結果は出来るだけ早く出して欲しい】

 見慣れた天井を見上げながら目を覚ました。

 昌吾はベッドの中でニヤリと笑った。そしてゆっくりと食事をしていると、朝10時にスマホが鳴った。知らない電話番号だった。

「はい」

『おはようございます。私、株式会社大久保商事人事の峰尾と申します。八村さんのお電話でしょうか?』

「はい、私が八村昌吾です」

『突然お電話して申し訳ありません。昨日我が社にネットでエントリーしてくださったと思いますが、この電話をもちまして内定を告げさせて頂きます』

「えっ、試験とか面接とか受けていないのに、いいんですか?」

 昌吾はとぼけた。こうなる事はある程度予想していたからだ。しかしまさか試験も面接すらも無いとは思っていなかった。

『そうですよね。海外事業部の部長桑田が啓和大学のOBで、倶楽部のOBなのです。同じ所の出身の者ならと……。まあ、かく言う私も啓和なのですが』

「あっ、そうなんですか。失礼しました」

『いえいえ、そういうつもりでは。桑田は八村さんを手元に置きたいと申しております。それで、八村さんのご意志は?』

「はい。たった今、就職活動を終了しました」

 嬉しさと興奮で胸が張り裂けそうだった。元々就職活動などしていなかったので、このように言うのは容易かった。

 電話を切り、昌吾は鴨司に連絡した。すぐに喜びと祝福に満ちた返事があった。

 4月になり、昌吾は大久保商事に入社した。そして予定通り海外事業部へ配属された。花形で出世に最も近い部署らしく、同期の者達からは羨望の目を向けられた。

 部長の桑田がやってきて、今彼が肝いりで手掛けているプロジェクトに参加するよう言われた。昌吾は『任せてください』と応じた。

【所属したプロジェクトを成功に導きたい】

 出席した会議で昌吾は何となく意見を言ってみた。プロジェクトメンバーは『若いな』と言ったが、桑田の事もあるので企画書の末席に載せてくれた。

 それがクライアントの目に留まり、昌吾の案も企画の柱の1つとしてプロジェクトが走り始めたのだった。そして1年後、そのプロジェクトは成功を納めたのだった。

 桑田はもちろん、海外事業部のほとんどの者達が昌吾を認める事になった。昌吾は同期の中でエースと目されるようになった。

【イギリスとのプロジェクトを成功させる】

【主で担当しているプロジェクトの成功】

 気を良くした昌吾は立て続けに願った。

 どちらの願いも当然叶った。後者のプロジェクトは小さい規模であったが、それは昌吾の器を測る試金石だった。それを成功に導いた昌吾は、役員や社長の目にも留まるようになった。

 そして、鴨司が大学を卒業すると同時に結婚した。

 頼子は就職しなかったどころか、就職活動すらしていなかった。昌吾は一流企業で給料も多かったし、資産もあるので頼子を養う事は余裕だった。

【FXで資産を倍に】

【FXで資産を更に倍に】

 ゆとりある生活を求めて2週に亘って願いを叶えた。その為、昌吾の資産は17億円になった。もう死ぬまで安心だろうと、昌吾は東京の高級住宅街に大きな家を買った。

 昌吾が26歳、頼子が24歳の時子供が欲しいという話になった。頼子は『一姫二太郎って言うから、最初は女の子がいいな』と言った。

【子供、性別は女、が欲しい】

 間も無く頼子の妊娠が分かった。安定期に入った頃子供の性別が分かった。もちろん女の子だった。

 赤ちゃん、祥子を連れて京都へ行った。頼子の両親は目に入れても痛くないと言った呈で可愛がってくれた。

 しかし、父親が衝撃的な事を言った。『何時男の子が産まれるんだ?』と。頼子には兄がいて鴨司家の後継者は居たが、それでもまだ男児信仰があるのだと垣間見れた。

 男の自分でさえこんな事を言われるのだから、伝統のある家に入った女性ならプレッシャーで潰れてしまうのではないかと思った。そして頼子には母親から話がいっていたようで、自宅に戻るなり第二子の話になった。

 当然男の子という話になったが、昌吾にはストレスの欠片も無かった。

【子供、性別は男、が欲しい】

 祥子が2歳の時、長男の和貴(かずたか)が産まれた。頼子の両親は喜び、退院する日に合わせて京都から出てきた。昌吾は胸がうずくのを覚えた。

「おお、和貴、おじいちゃんだよぉ。うん、いい顔してる。さすが鴨司の家の男児だ」

「おめでとう、頼子。これであなたも一人前になったわね」

 母親は目に涙を溜めていた。

 すると祥子がぬいぐるみを持って4人に近付いていった。母親を弟に取られ、弟を奪い合うように抱く祖父母に、2歳ながらに寂しさを感じたのかもしれなかった。

 3人共祥子に気付いていないようだった。

「お義父(とう)さん、お義母(かあ)さん、祥子も相手して頂けませんか?」

「あー、うん。また後でな」

「祥子ちゃん、おばあちゃんちょっと今忙しいから、また後でね」

 直後祥子が、火が点いたように泣き始めた。それでも3人は祥子の相手をせず、昌吾は困って祥子を抱き上げて外に連れていった。

 時々祥子はこのように激しく泣く事があったが、この時はいつも以上であった。しばらく辺りを散歩し、祥子が泣き疲れて寝てしまったので家に帰った。

 頼子の両親は2週間滞在した。その間和貴を猫可愛がりしたが、祥子の相手をする事はほとんど無かった。

「やっぱり、産まれたての赤ちゃんの方が可愛いって思うのかな? お義父さんとお義母さん、あまり祥子にかまってくれなかったね」

 祥子と和貴が寝て、昌吾と頼子はソファに座って話をしていた。昌吾の前にはウイスキー、頼子の前にはルイボスティーがあった。

 頼子は口を湿らせると口を開いた。

「後継の問題があるからさ、やっぱり男の子の方がね。私も子供の頃はちょっと寂しかったもん」

「ええっ、でもさお義兄(にい)さんの所にも男の子居るだろ」

「うん、そうだけどね。何かあったら、和貴を養子にする事も考えてるみたい」

「お義兄さんの家に貰われるって事?」

 昌吾は驚いた。何よりも頼子の声が平静であった事に。

「違う、違う。もちろん私達が育てるよ。でもお兄ちゃんの所の男の子何かあったら、和貴が将来養子に入るって事。当たり前だけど、和貴はうちで生活していくけどね」

 衝撃的な情報の洪水に、一瞬昌吾は茫然自失としてしまった。しかしすぐに眉間に皺を寄せて情報を整理し始めた。

「えーと、つまり、甥っ子が亡くなるような事があたら鴨司の名前が途絶えるから、和貴が受け継いでいくって事?」

「うん、そう」

「……、頼子はそれでいいと思ってる?」

「うーん、まあ仕方ないんじゃない。うち平安時代から続く家だしね。それに、私と和貴の縁が切れる訳でもないし」

 昌吾は信じられず頼子を凝視した。頼子の顔は平生と変わらなかった。どうやら言った事は本心らしかった。

「あー、だからお義父さんとお義母さんは和貴ばっかり相手にしてたのか」

 少し嫌味を加えて言ってみた。

「うん、だと思う。でも、普通でしょ」

 愕然とした表情になりそうになるのを必死で止めた。そして心の中には頼子への憐みが広がった。彼女は子供の頃から男主体の世界で生きてきて、それを当然のものとして受け入れている事に。

「まあ、俺はちょっと分からないけど。じゃあさ、この先お義父さんとお義母さんは変わらないって事?」

「うん。だと思う。あの歳になったらね。でもさ、別にそれで良くない?」

「あー、まあ、そうかもね」

 頼子の両親への怒りが腹の中で煮えたぎったが、表面には出ないよう左拳を固く握る事で耐えた。

 その時、寝室の方から和貴の泣き声がした。

「あっ、和貴がお腹すいたのかも。私、行くね。昌吾さんは、どうする?」

 ソファから2、3歩行った所で頼子が振り返って言った。

「あー、俺はちょっとやっておきたい仕事があるから、それが終わったら寝るよ」

「そう。あまり無理しないでね」

 そう言うと頼子は寝室に消えていった。それまで必死に保っていた笑顔が、ドアが閉まると同時に崩れた。

 昌吾はすぐに立ち上がって自室へ向かった。そして件のレターセットを取り出した。家に小さな子供が居るので、引き出しに鍵をかけるのは忘れていなかった。

【頼子の父親を祥子も和貴も平等に愛し、男児信仰の無い存在に変えて欲しい】

【頼子の母親を祥子も和貴も平等に愛し、男児信仰の無い存在に変えて欲しい】

 もう昌吾は人の存在自体を変えるという事を受け入れていた。頼子の両親に怒りを持っていたので、文章をろくに精査しないで封筒に入れた。

 しかし、鞄に入れる直前で手を止めた。そして鍵付きの引き出しの中に入れた。

 ここで頼子の両親の存在を変えるのは容易い。しかしそれでは昌吾の腹の虫は治まらない。1つ計画を終えてから実行しようと思った。

【株式会社大久保商事で、最年少で課長に就任したい】

 3枚目の便箋に願い事を書きつけ封筒に入れた。そしてそれは鞄に仕舞った。

 翌日昌吾は仕事帰りに柱谷の家へ向かった。新しい自宅から路地をいくつか曲がった所にあった。

 ポストに手紙を入れる前に手を止めた。そして家の方に目を向けた。ムサシ達と袂を分かってから何回か部屋を訪れた。ムサシが言っていた通り誰とも会わなかった。また中に誰か居るだろう時はドアが開かなかった。

 昌吾はドクターの日記やライブラが集めたという本を読んだ。どのような理論でこのシステムを解明したのかある程度分かった。ただドクターというのはかなり知能が高い者だったらしく、かなり難解な仮説もあった。

 ドクターは自分の願いと、それがどうなったかも書いてくれていた。それは昌吾が願いを叶えるのに大いに役立った。

 もう知りたい事は覚えているので昌吾は中に入ろうと思わなかった。また新しいビラーと会うのも面倒だと思った。

 今まで出した結果を買われてだったが、同時に3つのプロジェクトを動かす事もあり昌吾は朝から晩まで必死に働いた。これは『課長になりたい』という願いでもたらされた試練だと思ったからだ。

 簡単なプロジェクトは、経験もあったので、かなり気楽に臨む事が出来た。しかし社運を賭けるような巨大プロジェクトを前にした時はさすがに足がすくんだ。

【インドネシアとの企画を成功させたい】

【アメリカとの企画を成功させたい】

【スーダンとの企画を成功させたい】

【フランスとの企画を成功させたい】

 ビッグプロジェクトを動かす前、昌吾は例の力を使った。自身のアイディアは当たり、部下達も精力的に動いたお陰でプロジェクトはどれも成功を納めた。

 ある日、この時役員になっていた桑田に廊下で出会った。

「八村君、凄い活躍じゃないか」

「ありがとうございます。専務のご指導のお陰です」

「嬉しい事を言ってくれるな。でも、本当に役員達の中で評判いいぞ」

 言葉を切り、桑田は左右に目を向けた。

「今度の人事、期待してくれてていいぞ」

 そう言うと桑田は昌吾の肩をポンと叩いて去っていった。昌吾は腰を直角に折って桑田を見送った。陰になった顔は喜びと野望でギラギラ光っていた。

 人事の時期が近付いてくると社内は妙にザワつく。しかしこの時の昌吾は浮き立っていた。当然、昇進を確信していたからだ。

 この心持が仕事に影響し、昌吾はとても順調に仕事を回していた。普段は夜の9時や10時まで仕事をしているのだが、その日は6時に会社を出られた。

 家の方向へ行く電車の発車時刻を表示する電光掲示板を見た。あと5分で来るところだった。しかし、何故か昌吾の足はホームへ向かわなかった。

 その時昌吾は辺りに目を向けた。自分の名前を呼ばれた気がしたのだ。どうやら気のせいだったようで、周りに見知った顔は無かった。

「八村さん、じゃありませんか?」

 息を吐いた瞬間に声を掛けられ、昌吾は驚きで息を飲んだ。

「はい……、八村ですが……」

「えっと、八村昌吾さんですよね?」

 フルネームを口にしたのだから、知り合いなのだろうと思った。昌吾は心身共に身構えて目の前の男を見た。

 痩身の体、薄くなった髪の毛を刈り上げた頭を下げて昌吾に挨拶してきた。目尻の下がった笑顔を向けてきていて、見たところ人は良さそうだった。スーツで包まれた体はかなり鍛えられているように感じた。

「はい。確かにそうですが、あなたは?」

「あっ、そうでしたね。失礼しました。私は宇都宮と申します。中学の時、一緒に野球をやっていた……」

 宇都宮という名前を記憶の中から探した。目の前の男の顔を使って検索すると、突然昌吾は思い出した。

 目の前の男が、あの“ポンコツ”だと。

「あっ、ポ……、宇都宮、先輩」

「いや、先輩なんて言われると恥ずかしいけど、ええ、その宇都宮です」

「じゃあ宇都宮さん。全然変わってないですね」

 これはお世辞ではなかった。確かにポンコツの顔はフケてはいたが、体に衰えは見られなかったからだ。

「ありがとう、八村さんも変わってないですね」

 これはお世辞だと思った。高校から運動はしておらず、腹や顔に肉が付いているのが自分でも分かっていた。ポンコツの若々しい体に嫉妬し、自分の体を恥じた。

「宇都宮さん、これから時間あります? 一緒に飲みませんか?」

「えっ、ああ。大丈夫です。でも、ちょっと連絡させてください」

 そう言うとポンコツはスマホを取り出して液晶画面の上で指を滑らせた。直後、ポンコツのスマホがメッセージを受信した音を立てた。

「うん、大丈夫。行きましょうか」


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