8 北部公爵
かなりのお久しぶりの投稿です。
本日三話投稿します。
順番の読み間違いにご注意ください。
主が争う気配に、本来の姿のスノウとパンがフッと現れて、エインセルを咥えてスノウが距離を取った。男に威嚇はするが、エインセルをそれ以上傷付けなければ攻撃はしない態勢である。使い魔の姿にさすがにトリスタン(仮)は驚いたようだったが、二人はエインセルの声で猫と小鳥に戻った。
その様子に、トリスタン(仮)も少し冷静さを取り戻したようだった。
取りあえず誤解があるようだ、と言って、エインセルはトリスタン(仮)を説得した。
自分の名前はエインセルで、この小屋で薬類を作って街で売っている人間であることを伝えた。
トリスタンが原作のゲームの攻略対象である以上、聖女側の人間である可能性が高い。絶対に自分がイグリットだと知らせてはいけないと思った。
せっかく情が湧いて仲よくしようと思っていたシリルにも捨てられたのだ。これ以上、攻略対象とは関わり合いになりたくなかった。特にゲームで因縁の深いトリスタンとは。
常に姿を変える魔道具をしているので、多分、自分がイグリットだと思い当たらないはずだ。美貌も二、三割減くらいだが、それでもまだ結構な美人だと自分でも思う。絶世の美女だったときは、黙っていれば女神と思われても不思議ではないたおやかな美貌だったが、今は少しキリッとした意志の強そうな面立ちだ。
頭にパンを乗せ、スノウを抱っこして、ベッドから一メートルほど離れた場所に立つ。不格好だが、エインセルは丁寧に事情を説明した。
森の道端に倒れていた子供を保護して、身元が分かったら送り届けるはずだったのに、可愛らしい子供の正体は、助けた恩人に向かって暗殺者扱いするような無礼極まりない全裸の変態だったと。
最後の方は、もう腹立ち紛れでついつい本音が出てしまったが。
その言葉にトリスタン(仮)は、自分の状況を見て取って、思い切りため息を吐いた。無実とはいえ、確かに褒められた状況(全裸)ではない。これまでのエインセルの言葉がまるっきりの嘘でないことを認め、少し顔を顰めながらエインセルを見た。そして、器用に寝具を体に巻き付けて、とりあえず完全アウトの部分だけはシャットアウトされた。まだ上半身はそのままなので目のやり場に困る事態は続いているのだが。
エインセルは、身元を示すものとして大切にとっておいた、最初にスティが包っていた男性服をトリスタン(仮)に渡す。スティの服に使うために解体したのは、一番布地の多い外套の一部分だったので、シャツとズボンは無傷でとっておいてある。
背を向けると、後ろで衣擦れの音がして、振り向けばシャツとズボンを身に付けたトリスタン(仮)がいた。シンプルな白シャツと黒ズボンだったが、スタイルがいいとこうも様になるのか、と少し憎らしく思うほど似合っていた。
人間らしい姿になると、トリスタンはすぐにでも飛び出していきそうな勢いだったので、今は夜中だから大人しくしているよう伝えた。闇夜のうえ、この寒さで外套が無い状態では、いくら国で最強の北部公爵だとしても、途中で凍えること必至だと気付いたようだ。
いつまでも争っていても仕方ないので、落ち着かせるためにエインセルは一階の居間に招いた。スノウとパンは、ソファの端と止まり木という定位置に陣取る。見張る気満々の態度だ。トリスタン(仮)は、ダイニングテーブルに座ってもらい、一応茶を出した。薬草茶だが、とびきり苦く淹れておいた。
トリスタン(仮)は、無言で席について、少し警戒しながら茶を飲んだ。警戒しても結局飲むんだ、とエインセルは思ったが、その後の薬草茶を飲んで鉄壁の無表情が一瞬崩れたのを見て、何故だかすごく爽やかな気分になった。さっき「貴様」と言われて腕を掴まれたのを、密かに根に持っていたのだ。
何でもないふりをしているが、密かに口元を手で覆っているので、かなり苦かったのを我慢しているようだ。
エインセルは、トリスタン(仮)の向いに腰を下ろすと、自分は程よい濃さの茶を飲む。エインセルを見て少し目が大きくなったのを見るに、恐らくエインセルも同じ濃さの茶を飲んでいると思って驚いたようだ。案外素直な一面もあるのかもしれない。
少し気分が浮上して、エインセルは穏やかに切り出した。
「で、スティをどこかへやったのではないのなら、あなたがスティというわけ?」
一緒に寝ていた経緯は話したせいか、険しく睨むような顔ながらも「おそらく」と静かに返してきた。どうやら彼の幼少期の名前らしく、自分で名乗ったのだろうと思い当たったようだ。
「先ほどは状況を確認せず、ご婦人に非礼を働きすまなかった」
頭こそ下げないが、謝罪の言葉と僅かに目を伏せて反省の意を表した。まあ、謝罪の態度としは如何なものかと思うが、寡黙で力強いのが美徳とされる北部で最も高貴な身分の彼が、謝ったことだけでもすごいことだ。
「私はすぐに帰らねばならない。貴女への謝礼はいずれ必ず」
また少し沈黙が降りる。どうせ相手は自分の身分を明かすことはないと思っているが、急に一人称も二人称も丁寧なものに変えて、これ以上詮索するな、と言いたげだった。
エインセルとしても、自分の身分を明かす気はないし、スティはいないと分かったからには、これ以上関わり合いになりたくないが、確認しなくてはならないことがあった。
もっとも重要なことは、この地に聖来が来ているかどうかだ。だから、ある程度交渉して、情報を引き出さなければならない。
だから敢えて、エインセルは自分が知っていることを先に明かした。
「謝礼はいらないわ。それより、この森で不穏なことが起きるのは嫌なの。だから、情報交換といきましょう、領主様」
エインセルが身分を言うと、血も凍るような鋭い目を向けてくる。でも、さっきの情けない姿を思い出したら怖くもなんともない。
「あら、私があなたの正体を分かったのが意外? そんな特徴的な外見をしているのに」
それが自分の目の色を指していると気付いたようで、諦め半分のため息を吐いた。
「それに、昼間、あなたの城のクレイグという騎士に会ったわ。多分あなたを捜していたようだったし、それに、スティが包っていた外套に、ウォルフォード家の紋章があったから」
この地でウォルフォード家の紋章を知らない人間はいない。トリスタン(仮)はやっと認めたようで、今度は深いため息を吐いた。
「いかにも、私はトリスタン・ウォルフォードだ。こちらも明かしたからには、貴女の名前も教えてくれ」
「私はエインセル、〝帰らずの森の魔女〟よ。領主様ならこの意味分かるわよね。そんな訳で、私には刺客も御礼もいらないわ」
この森を守る魔女は特別な存在だ。一般には知られていなくとも、領地の上層部は知っている。魔女たちの魔術が、魔族からの侵略を止めているウォルフォード家の最大の助けであるということを。
魔女は境界で魔族の侵入を防ぎ、ウォルフォードは境界の外側で魔族が溢れる前に狩る。それが連綿と続いてきたこの北の地での二者の役割だ。
自分で名乗って、皮肉な話だ、と思わなくもない。原作ではイグリットが魔術を破って魔族を引き入れようとする側だったのに、今では守護者と名乗っている。
そんなエインセルの心のうちを知るはずもないトリスタンだったが、何故か不審そうにジッとエインセルを睨んでいる。
「なぁに? そんな怖い顔して。お腹でも空いた?」
「……いや、貴女とはどこかで会ったことはないか?」
「あら。冷血公爵様と聞いていたけれど、案外軟派な方なのね」
バレたかと思って少しドキッとするが、トリスタンと会ったのは、婚約破棄の件で二、三度のことで、声以外はほぼ別人の自分が分かるはずもないと思い直し、平静を装って相手を揶揄う。
そして、僅かな動揺を読まれないように、席を立って残っていたクッキーを持ってくる。スティにも出した、微妙な味のクッキーだ。
「こんな物しかないけれど、どうぞ召し上がって」
「いや、私は、菓子は……」
そう言ってクッキーを出すと、一度は断ったが、何故か無表情なのに複雑な感情を感じる。裏設定でもあったが、隠れ甘い物好きなので一応断るだろうと思ったが、結局手にするはずだ。お茶だけでなく、クッキーでも鬱憤を晴らそうとしたのだが、スティの頃の記憶は無いようだが、何かを刺激されたようだった。
一つクッキーを取って、慎重に口にする。そして案の定、微妙な顔をして一度固まった。その様子がやけに幼く感じてスティを思い出す。これまでイグリットとして会ったトリスタンは、貴族らしく髪を後ろに流して整えていたが、今は前髪が下りているので一層幼く感じるのかもしれない。
一緒にエインセルも一つクッキーを摘まんだ。
「……本当に微妙な味。よくスティは食べてくれたわね」
ポツリと言うと、もそもそと口を動かしていたトリスタンが、薬草茶で流そうとしてその薬草茶も苦く、しばらく無言になった。無表情ながら何かを耐えるようにも見える顔から、おそらく相当口の中が大変なことになっていると思われた。
「貴女の味覚を疑っていたが、やはりこれは嫌がらせなのだな」
嫌がらせと納得した顔になったトリスタンに、このクッキーと薬草茶が好みなのだと疑われていたことを知って、少しムッとはしたが、意趣返しは成功して小気味よく感じた。
にっこりと笑って見せると、トリスタンは軽く眉を顰めてため息を吐いた。
「……シチューが食べたい」
思わずと言った感じで呟いたようだったが、トリスタンは自分でも何故そう呟いたか訳が分からないとばかりに、また目を大きくしていた。僅かながらでもスティの頃の記憶が残っているのかもしれない。
いや、それはまずい。だって、エインセルはスティと一緒に入浴していたのだ。
「本当にスティの頃の記憶はないの? もしかしてシチューはあなたの好物?」
「何故だ? 特に好き嫌いという程の食事ではないが」
「シチューはスティの好物だったのよ」
というか、エインセルがまともに作れるのは、シチューだけなのだけれど。多分、素材を挟んだだけのサンドイッチは料理とは言わないと思う。
「まったく記憶は無いな。だが、体が反射で覚えているのかもしれない」
トリスタンの言葉を聞いて安堵したが、まだまだ油断はしない方がいいだろう。
だが、スティがエインセルのシチューを好きだと思っていてくれたことが、何故か無性に嬉しかった。
「悪いけど、夕食はトマトのスープだったからシチューはないわ」
ほんの少しだけ機嫌を取り戻したエインセルは、軽く笑いながら冗談交じりに言う。そして今度は、程よい濃さに淹れた薬草茶を出す。料理は苦手だが、薬関係は評判がいいので、薬草茶なら上手に淹れられるのだ。
魔族や魔物とも恐れず最前線で戦う勇猛な北部公爵が、少しおっかなびっくりの様子でそっとカップに口を付ける様は、少し可愛らしいかもしれないとエインセルは思った。
一口飲み込むと、その味わいに驚いたのか、思わずカップを見つめていた。その後は、無言で飲み干したので、どうやらお気に召したようだ。
「やはりアレは、俺への嫌がらせか」
「なんのことかしら」
ぼそりと呟いたのは思わず零れてしまった感想のようで、一人称も崩れていた。それにエインセルは白を切る。演技のニコニコ顔のエインセルを見て、トリスタンはため息を吐いた。
僅かな時間だったが、今度は穏やかな沈黙が流れた。
「で? あなた、自分が何故子供になったか覚えている?」
エインセルが切り出すと、トリスタンの雰囲気が固くなった。これは、何か思い当たることがあって、だんまりを決め込むつもりだと分かった。どうやら、自分がスティになってしまった直前に、何があったかは記憶にあるようだ。
「この世界でも屈指の魔力を持つあなたが術に掛かるくらいだから、相手は相当な力の持ち主なんじゃない? ただ、私の魔力にもあなたに掛かった術は引っかからなかったから、魔術でも呪いでもないわ。もしかすると、魔力じゃないかもしれないけど」
この世界は魔力の他に、精霊や召喚士が使う霊力と、神や神官が使う神力がある。魔力の使い手は珍しくはないが、霊力や神力は使える人間が限られている。特に神力は、神の加護を受けた人間しか使えない。
その神力の使い手の最たる者は「聖女」だ。
「あなたが言いたくないということは、お家に関わることか、国に関わること。例えば、魔族か『聖女』に関わるような……」
探るようにエインセルが呟くと、覚醒した時と比べ物にならないほどの殺気の籠った視線をエインセルに向けてきた。図星のようだ。
魔族であれば、ある程度エインセルにも気配は察することができる。だが、ここ最近は、森の魔術を揺らすような動きは全くなかった。であれば、「聖女」の方だ。
当てたくもない予想が当たりそうで、エインセルは深いため息を吐いた。
全裸男の正体が明かされましたが、詳しい描写は割愛させていただきました。
皆さまのご想像にお任せいたします。
この後、12時、13時と順番に投稿してまいります。
よろしければ、次のお話も閲覧よろしくお願いいたします。