表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/15

7 スティの正体

「変態」という単語が出てきますが、R15は死守しています。

 聖女は原作どおり「聖来」と名乗った。

 そして、彼女が降臨した時から、世界を覆っていた凝った魔素が聖女の降臨で浄化され、明らかに空気の質が変わった。聖女が祈りを捧げると、大きな病は無理だが、大抵の怪我や軽い病は治癒した。人々は聖女を敬愛し、その人柄に惹かれ、誰もが傅いた。


 聖来は、伝承どおり大神殿の泉から現れ、その愛らしさと神々しさに神官たちは一斉にひれ伏したという。連絡を受けた王族は、慌てて神殿へ向かい、聖女の降臨を寿ぐことになった。


 もちろん、未来の王太子妃であるイグリットも共に向かわねばならなかったが、生憎と未来の王太子妃としての視察が入っており、初めて顔合わせしたのは、聖女降臨から一週間経ってのことだった。

 これは配役が違うだけで原作どおりで、悪役令嬢が登場する前に、聖女は「皇帝ルート」と「北部公爵ルート」以外は、それ以外の攻略対象と出会うイベントがあるのだ。

 ここでいくつかの選択肢を経て、ヒーローとなる攻略対象をある程度絞り、その後でそのルートでの障害となる悪役令嬢と出会う流れだ。


 イグリットは、原作とはかなり違う動きをしているはずなのに、この大きな流れは原作の強制力により変わらないのか。それとも偶然なのか。


 原作の嫌な符号の一致に、イグリットは嫌な予感を抑えられなかった。


 その予感が現実味を帯びたのが、聖来との初顔合わせの時に「なんで、マリアーナじゃなくて、イグリットと婚約してるの!? 逆ハールートはどうなるのよ!!」という聖女の声を聞いたからだった。その言葉の意味をただ一人分かっていたのはイグリットだけだった。他の人間は、来たばかりの聖女が、実在する人物の名を呟いたことから、何やら勝手に「予言だ」と騒いでいたのだった。


 それからの聖来は精力的に攻略対象との接触を試みていた。

 原作ゲームを知っているイグリットから見ればあからさますぎる行動だが、シリルと国益の話をしたり、「宰相ルート」のヒーローと外交の話をしたり、前王太子の弔問に訪れた「異国の騎士団長ルート」のヒーローと剣の稽古をしたり、下町や孤児院での炊き出しや神殿での無料の治療にでかけるなど、体力と根性だけはある生活を送っていた。


 聖女降臨からふた月も経つ頃には、聖来の評判は不自然なほど高まっていた。


 聖女は、愛らしいのに気さくで、国や民のことを大切に想い、優しく健気で、時には誤ったことを叱り、不正に毅然と立ち向かい、魔物との戦いも恐れず勇敢で、賢く気高く、母のようでもあり、姉妹のようであり、友人のようであり、時折見せる神々しさで女神のような美しさを持つ少女である、だそうだ。


 そんな人間いるか、とイグリットは冷めた目で見ている。

 どのルートに進むかによってヒロインの雰囲気は変わるので、攻略対象によって態度を変えているのだと思われた。間違いなく狙いは逆ハーレムルートなのだろう。

 だが、そこまでヒロインの美徳を再現していくと、逆に胡散臭く感じる。いや、むしろその演技力とバイタリティに感心すべきか。


 そんな他人事のように聖来を遠巻きにして、極力関わり合いにならないようにしていたイグリットだったが、自分の認識が甘かったことを痛感した。


 逆ハールートは、本来、二週目以降に発生するルートで、全員が同時期に同じ場所にいる必要があり、この時点で出会えていないヒーローへ繋がる選択肢を得るために、大きな事件が起きる必要があった。

 通常は「異国の騎士団長ルート」から派生する「皇帝ルート」と、魔族との戦いが激化してから訪れる「北部公爵ルート」の攻略対象を一度王宮へ集めさせるには、「魔王の復活」という最高難易度のイベントの序章を発生させなければならないからだ。

 世界の一大事である「魔王の復活」を議論するために、聖女のいるアルビオス王国へ集まるという形で、無理やり聖女との接点を早い時期に作ることができるのだ。


 ファンの間ではまことしやかに囁かれる「幻の裏ルート」として魔王攻略の噂があったが、制作は頑なにその存在を否定していた。第二弾のゲームが出る際のメインストーリーとして温存しておくとまで言われているほど、期待値の高いルートだったが、逆ハーレムのヒーロー集合エピソード以外の用途はついぞ出なかったが。


 それを聖来は、聖女としての予言として魔王復活を仄めかし、現在唯一自分の近くにいる悪役令嬢のイグリットを、魔王の手先の本物の悪役令嬢に仕立て上げ、力技で発生させた。


 乙女ゲーム系にある、教科書を破られたり、ペンケースを捨てられたり、池へ突き落とすような悪戯の延長のような罪ではなく、聖女の命を狙った悪質なものだった。聖女である聖来と婚約者のシリルが、国の未来のために手を携え、その二人に嫉妬して、魔王の誘惑に屈して聖女を害そうとしたとのことらしい。

 そもそも聖来は他の攻略対象とのイベントで忙しく、ほとんどシリルと交流はなかったのだが、おかしなことに周りではそれが事実と認定されてしまっていた。


 そして、聖女の命を狙う手段として、魔族が使う黒魔術が絡んでいることが発覚し、魔族との繋がりを疑われるような、最悪の罪を着せられたのだ。「北部公爵ルート」を辿って、エインセルではなくイグリットのままであったならば、いずれはそうなっていた可能性があったので、恐らく聖来はうってつけだと思ったのだろう。


 神が世界のために召喚した聖女を傷つけることは、この世界の人間にとっては大罪だ。ましてや人類の敵である魔族と結ぶなど、世界中を敵に回す行為だった。


 それまで味方だと思っていたシリルは、どういう証拠を見せられたのか、徐々にイグリットの罪を認めざるを得ない状況に追い込まれ、喪が明けて結ばれたばかりの婚約は破棄されて、一時幽閉されてしまった。

 それでもシリルは処刑ではない処罰を最後まで求めて、追放という処分に収めてくれたようだった。


 だがそれは、直接的な処刑ではないが、実質の死罪と同様の処分だった。


 やってもいない罪を暴かれ、イグリットは断罪の試しと言われる、魔族との境界線であり、普通の人間なら生きて戻れないカレリア地方の〝帰らずの森〟へ追放されることになってしまった。〝帰らずの森〟へ追放されて生きて戻れば黒、つまり魔族の仲間で、魔獣や魔物のいる森で命を落とせば、聖女を危険に晒した天罰と、どちらにしてもイグリットの死を望む刑だった。

 だがその刑に、シリルと、おかしなことに聖来自身が異を唱えた。慈悲深い聖女を演じるためだとイグリットは見破ったが、世論は既にイグリットを「希代の悪女」と認定してしまっていた。

 無実を訴えるイグリットの声は、誰にも届くことはなかった。


 そうして、悪女にさえ温情を掛ける心優しい聖女は、最後に〝帰らずの森〟へ同行し、追放の時に「無事に戻って、罪を償いますように」と涙ながらに祈った。とんだ茶番だったが、それに感銘を受けた刑の執行人たちは、泣いて聖来を褒め称え、逆にイグリットへの憎悪を募らせていた。


 最後に聖来が熱い抱擁を強要してきた。それは、他の人間には聞かれないように、別れの言葉を告げるためだった。


『あなたに恨みはないけど、ゲームを進めるためだからごめんね。大丈夫、間違っても魔族に取り込まれたり、魔物に食われて死ぬような悲惨な目に遭わないように、ちゃんと苦しまないデッドエンドを迎えられるようにしてあげるから。だって、攻略対象にならないのに、本当に魔王が復活したら面倒だもの。ちょっとイレギュラーな展開だけど、制作がそう言っていたから、あなたはただリセットされるだけで、痛いこともないから』


 聖来は、ただ逆ハーレムルートの起点となる、近隣諸国との会議イベントを起こしたいがためだけに、イグリットを死の縁に追いやったと、この時初めて知った。


 それを楽し気に言った聖来に、イグリットはゾッとした。

 聖来はこの世界を、ただの体感型のゲームだと思っているということに気付いた。そして、彼女が「制作」と呼んでいる何者かがいて、聖女と繋がりがあるということ。


 だからこそ彼女は、自分と攻略対象以外はただの「登場人物」であり、ルート攻略に必要な舞台装置、つまり感情の無いノンプレイヤーキャラクターであるという認識なのだ。


 言葉の出ないイグリットは、気付けば森の深い場所に兵士と神官に連れられていた。そして乱暴に突き飛ばされ、地面に這いつくばったところを兵士に剣を向けられたのだ。

 多分この男たちは、聖来に心酔する聖女信者で、こうすることに疑問を持たないのだと分かった。


 痛くないなんて嘘。ただ転んだだけでもこんなに痛いわ。


 膝と掌は見なくても血が出ていることが分かり、斬られればこんなのと比較にならないくらい痛いのだと絶望した。


 目の前で煌めく白刃を前に、様々なことが脳裏をよぎった。


 シリルはまた婚約者を失って折れないだろうか、とぼんやり思い、トリスタンと交わした「十年後にまたよろしく」という約束が、最後にやけに鮮明によみがえった。

 そういえば、魔族の動きが疑われるということで、あの断罪の時には領地、つまりこの地に帰ってしまってトリスタンはいなかった。


 彼なら、わたくしの味方をしてくれたかしら、とふと思い、今、物理的に自分の一番近くにいるだろうトリスタンの無表情で冷たい美貌を思い出して、誰でもいいから助けてほしいと切実に願った。


 そして、目の前に降る白刃に、イグリットは悲鳴を上げた。


※ ※ ※ ※ ※


 エインセルは、ガバッと体を起こし、口から飛び出そうなほど脈打つ心臓が呼吸を浅くし、目の前がチカチカするほどの恐怖が、既に過ぎた過去の事だと認識するまで、かなりの時間が掛かった。


 今は昔ほどの頻度はないが、まだたまにこうしてあの時の夢を見る。

 今日は、あの時の転がった土の感触まで思い出せるほどに鮮明で、特に長い夢だった。


 吐き気すらするが、ふいに背中に当てられた温かい感触に、その恐怖がスッと薄れていくのを感じた。

 見ればスティが、一生懸命にエインセルの背中をさすってくれていたのだ。優しい子だ。


 思わずエインセルはスティの体を抱きしめる。


「ごめんね。びっくりしたよね。でも、もう大丈夫よ」

 子供特有の高い体温が、こんなにも気持ちを落ち着かせるものだと知らなかった。


 嫌な冷や汗でびっしょりになった寝間着に気付き、一度気分を入れ替えるべく、部屋の鎧戸を開けて吸気を入れ替えた。冬の斬りつけるような冷たい夜気に、それで少し吐き気も取れたようだった。外を見て、まだ月もそれほど傾いていない真夜中だと気付く。


 きっと、何度も悪夢にうなされたあの頃に住んでいたこの家に来て、昔のことを思い出してしまったのだろう。


 あの悪夢の中で叫んだイグリットの願いは叶えられた。

 救世主はトリスタンではなく魔女のカーラだった。スティを拾った時と同じく、カーラが森の魔術に触れた人間を確かめに来たおかげで、殺されそうになっていたイグリットを助けてくれたのだ。

 そして、兵士と神官に暗示をかけ、そうそう解けない目晦ましの魔法でイグリットの死体を偽装してくれて、この世から「希代の悪女イグリット」は消えたように見せかけてくれた。


 だから、もう聖来との関りは途切れたはずだ。


 どんどん負の思考に支配されそうになるのを振り払い、寝間着を着替えて再びベッドに入る。

 もう眠気はやってこないだろうが、スティを抱きしめているだけで嫌な感情からは解放されるのに気付き、朝までこうしていようと思った。暗闇は嫌だから、ランプを付けたままにし、スティの髪を撫でながら、見上げてくる赤い瞳と目を合わせた。


 スティはびっくりしただろうに、何も言わず、ただエインセルに寄り添った。そして、そのモミジのような小さくて温かい手で、エインセルの頬を撫でてくれた。


 もう二度とカーラ以外の人間と暮らすことはできないと思っていたけれど、人のぬくもりに飢えていたことにエインセルは気付いた。元々口数の多い方ではないから、会話はなくとも、ただ傍にいるだけで満たされるものもあるのだと。


「ありがとう、スティ。あなたがいてくれて良かった」

 もう一度エインセルはスティを抱き締め、感謝の心のまま、その可愛らしい額にそっと口づけた。


 変化は突然に起こった。


 エインセルの腕の中の質量が膨れ上がり、どこかでビリッと布が裂ける音がし、何かの重みにベッドがギシッと音を立てる。頬に当てられていた柔らかい手は、いつの間にかごつごつとした節ばって大きなものになり、手に伝わる幼児の体は、いつの間にか固く締まった感触になっていた。


 そして目の前には、スティと同じ色彩の瞳でエインセルを見つめる、大変怜悧な美貌を持つ男性が横たわっていたのだ。

 まるでスティをそのまま大人にしたような……。


 その正体不明の男は、赤い瞳を最大限に見開いて、素早く起き上がった。エインセルも反射で起き上がったが、相手もエインセルと同じく、大変驚き混乱しているのは見て取れた。


「刺客か」

 すぐに平静を取り戻した男は、物騒なことを低く呟いて、何か武器を取ろうとする仕草をするが、無いことに気付いて素早くエインセルの左腕を掴んだ。


 エインセルは訳が分からないまま固まっていたが、身動きした男から寝具が剥がれ落ちたのを目にし、目に飛び込んで来たものを見て、一拍置いた後、大きな悲鳴を上げた。

 男は、スティの寝間着の残骸だけを申し訳程度に貼り付けてはいたが、他に何も身に付けていなかったからだ。


「変態!」

 何かを言いかけた男性に、エインセルは空いた方の手で魔力を込めた渾身の平手打ちをお見舞いし、バチンという小気味よい音が夜の小屋に響いた。

 平手はクリティカルヒットして、相手は一瞬固まったものの、それをすぐに制圧され、エインセルは変態にベッドに押し倒されてしまった。


「その魔力で、俺の寝所に忍び込んでおいてその言い草、いい度胸だ」

 抑揚はないが、その低い声は微かな苛立ちを発していた。それにエインセルはカッとなる。

「ここは私の家よ! そっちこそ、スティをいったいどこへやったの!」


 大事なスティ。何かあったら許さない。

 そう言ったら、相手はまさか言い返されると思っていなかったのか、一瞬不快げに眉を顰めたが、ふとエインセルの言った「ここは私の家」という言葉に引っかかりを覚えたようで、拘束する手の力を少し緩め、探るように尋ねてきた。


「スティ? 貴様こそ、何故俺の幼い頃の愛称を知っている」

 何か会話が噛みあわない。しばらく、二人の間に沈黙が流れた。


 まさか、とエインセルは思い至る。


 ウォルフォード家の直系の色彩を持って、エインセルよりも少し年上に見える男性。

 そして、スティはその公爵家当主をミニチュア化したようにそっくりで、隠し子説を疑っていて、目の前にいるのは、そのスティがそのまま大人になったかのような青年で……。


 もしかしなくとも、この変態は、トリスタン・ウォルフォードだ、とエインセルは気付いた。

攻略対象のヒーローとして危うし。

ただ本人は、いたって真面目な人間です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ