3 森の魔女、幼児と暮らす
本日3話目の投稿です。
読み飛ばしのないようご注意ください。
体が冷え切っていて、このままで死んでしまうと思われた幼児(多分男の子)を抱え、エインセルは自分の小屋へ連れ帰ることにした。
幼児は、見た目よりもずっしりとしていて、これまで食に困るような生活ではなかったことが窺い知れ、取りあえずは安堵した。
しかし、いくら幼児とはいえ、エインセルの筋力に乏しい細腕に幼児の体重は辛かった。
エインセルは首から下げた小さな素焼きの笛を小さく吹く。するといくらもしないうちに、どこからともなく大きなユキヒョウが現れた。白地に灰色の豹紋が映える、優美な大型のネコ科の猛獣は、普通の家猫のように懐っこくゴロゴロと喉をならしてエインセルにすり寄った。
「スノウ、この子をお家まで運んでくれる?」
スノウと呼ばれたユキヒョウは、グウと喉を鳴らして地面に伏せた。その柔らかな獣毛が覆う筋肉の張った背に子供をうつ伏せで乗せると、ゆっくりと立ち上がってしっぽを揺らした。子供が落ちないか手を添えて一緒に歩くが、スノウの歩みは滑るようで、ほとんど揺れがないように思えた。
スノウは、大魔女カーラから受け継いだ使い魔で、人里から遠く離れた森の奥に一人住む無聊を慰めるのに十分な同居人だった。
また、同じくカーラの使い魔だったシマエナガの「パン」も、その愛らしさが追放劇で傷付いたエインセルの癒しとなっている。
家に着くと、暖炉の火を強くし、急いでお湯を沸かした。その鍋で前世のおしぼりのような蒸しタオルを作り、拾った幼児の服を脱がせると、冷えて汚れた手足を拭うように温めた。やっぱり、男の子だった。
それと、包っていた服は大柄な男性の服のようで、シャツ一枚でも十分体を包めたので、そのままシャツだけ着せておく。
エインセルは、もう一度幼児の顔を見た。そして、ふと思ったのだ。
もしかして、この子、北部公爵トリスタンの子供かしら。
ゲームのスチルを思い出してみると、なるほど、そっくりだ。
艶のある黒髪に晴れの日が少ない北部に多い白い肌、神様が作り上げたような理想的な配置の顔のパーツで、女性人気は隠しルートである「皇帝ルート」のヒーローと人気を二分していたほどだ。
トリスタンは確か、エインセルとは三歳違いで、今年二十四歳になるはずだ。
何故か「イグリット」との婚約がなくなった後、他の縁談は聞いたことがなかったが、婚約未遂から四年、国に冠絶する大領主だけに、他の血族との間に子を設けた可能性が高い。この子供も、ちょうどそれぐらいの時期に授かった子に見える。それに起因するお家騒動なら、何となくこんな小さな子を森に置き去りにする状況も理解できた。
毛布に包んで居間のソファに寝かせた小さな子供の寝顔を見て、その理不尽さに怒りが込み上げてくる。争うなら、自分たちだけで争えばいいのに、と。
どれほど本人たちが真剣だろうとも、巻き込まれた方はたまったものではないし、傍から見れば滑稽ですらある。赤の他人なら、ただの娯楽に成り下がるような程度なのだ。自分たちの騒ぎがそうだったように。
トコトコとスノウが歩いて来て、子供が眠るソファに顎を乗せ、「がう」と小さく鳴く。そこに、鳥かごに入っていたパンもやって来て、スノウの頭に止まった。
「そうね。お腹が空いたわね。朝ごはんにしましょうか」
エインセルと使い魔たちは、カーラから引き継いだ契約で結ばれているので、直接言葉を交わすことは出来ないが、簡単な意思疎通ならできた。
昨日の夜に作った、根菜類がたくさん入ったクリームシチューと、固いけど美味しいカンパーニュのようなパン、体を温めるホットワインで朝食だ。スノウはシチューと温めたミルク、パンにはパン(いつも笑ってしまう)と素焼きの木の実とお水をあげる。
半分ほど食べ終わった頃、ソファで幼児がもぞもぞと起き出した。
目を擦りながらあちこちを見回すが、見知らぬ場所と認識したらしく、突然顔を歪めて今にも泣きだしそうな表情になっていた。
『泣かれちゃうわ』
慌ててエインセルが駆け寄ると、一瞬、赤い目がまん丸になったと思ったら、くあ~っと欠伸をした。どうやら寝起きで欠伸をしたかっただけのようだ。思わず脱力したエインセルだったが、恐がらせないようにゆっくりと話しかける。
「おはよう。おなかは空いてない? ご飯食べる?」
きょとんとしてこちらを見ているが、その顔も愛らしい。言葉は理解できるようで、やがて、幼児はこくんと頷く。
「そう。私はエインセル。あなたのお名前は?」
「……スティ……」
「スティ? 素敵なお名前ね」
多分、幼児にも言いやすい短縮した愛称なのだと思うが、ニコッとして言うと、また幼児はこくんと頷く。そして、エインセルにその小さな手を伸ばしてきた。エインセルは特に子供が好きという訳ではなく、少しひきつった笑いになってしまったが、なんとかコミュニケーションはできそうだ。
あまり喋らないし表情も乏しいけど、人見知りしないようで良かった。貴族の子だと、赤子の時からたくさんの人間に囲まれて育つから、そういうものなのかしら、とエインセルは納得した。
『それにしても、可愛いわ』
たとえ、本来なら自分を殺すはずだった夫 (仮)にそっくりだとしても、さすがは乙女ゲームのヒーローなだけあって顔は完璧だったから、その息子の顔が可愛くないはずがない。その子が懐っこく抱っこを求めてくるのだから、もう可愛くないはずがない×2だ。
男の子だからなのか、ほっそりした見た目なのに抱っこするとズシッと重い。
一緒にエインセルの席に座り、膝に乗せる。そして、幼児用に分けておいたシチューを、ほんの少しだけ魔法で温めた。それをスティは何でもないかのようにジッと見ていた。
『あら。魔法が珍しくないのね。やっぱりウォルフォード家に縁のある子なんだわ』
魔法のあるこの世界だが、平民で魔力を持つ人間は珍しく、魔法が使えるのは貴族であるのが一般的だ。
まあ、血筋については御落胤とかいろいろあるので、平民でも使える人間がいない訳ではないが。
食べ終わったら新しい歯ブラシを子供用に小さく削って歯磨きし、お風呂に入れたら、先ほどまで包っていた上質なシャツをもう一度着せて寝かしつける。
この世界は、乙女ゲームがモチーフ?だからか、衛生面はそれほど不便のないものだ。もちろんシャワーはないし、水洗トイレでもないけれど、貴族は、魔法やなんでも食べる下等な魔物で排水処理をするので、意外と衛生面は発達している。
就寝はもちろんエインセルのベッドでだが、カーラに拾われた頃は悪夢にうなされてベッドを転がっていたようで、カーラが少し大きめのベッドを作ってくれたので、二人で寝ても余裕があった。それに冬の夜は、子供の体温と寄り添うのに、丁度いい気温だった。
そうして、スノウとパンと三人きりだった生活に、スティという四人目が加わり、数日が過ぎた。
無口で無表情だけれど、スティは物覚えも良く言われたことをちゃんと守る賢い子供だった。ただかなり活発で、すぐに外に行って走り回りたがった。家事をこなす間、スノウがスティを庭で見ていてくれるので、エインセルは家の中で薬作りと苦手な料理を頑張った。
薬は質の高いものを作れるのに、どういう訳か料理は上達しなかった。今まともに作れるのは、シチューか焼くだけの料理だけで、これではスティの体に良くないと、今度街に出る時に料理を習おうと決心した。
どのみち、街に一度下りて、スティの情報を仕入れなければならないし、無事に帰らせてあげるまでの下着や服を買わなければならないからだ。
今は、包っていた元の服の上着の一部をバラして、簡単なシャツとズボンを縫った。あまり見栄えはしないが、元公爵令嬢なだけあって刺繍は得意だったのか、針と糸の使い方はなかなか堂に入っていたのだ。
そういえば、以前シリルにも、公務の無事を祈って刺繍したハンカチをあげたこともあった。
この頃にはエインセルも、無口無表情のスティの感情が少し分かるようになっていた。
幼児とは思えないほど、何でも自分のことは自分でできるスティだったが、時たまエインセルの手から食事を食べたがったし、服のボタンも留めてもらうのを待っている時があった。それと、何か新しいことができた時に褒めると、無表情だった赤い目がキラキラとしてエインセルを見つめ、無言で膝に乗ってくるようになった。
『ああ、甘えたいのね。なんて可愛いのかしら』
新しいコミュニケーションが生まれるたび、エインセルはもう自分が育てようかという誘惑に駆られた。そんなスティをギュッと抱きしめながら、その誘惑を振り払うのに苦労するとは、つい一月前の自分には想像もつかないことだった。