12 別離
バトル継続 & ちょっぴりセンチメンタル
エインセルは、いつもの朝の掃除を終え、朝摘みの薬草でお茶を淹れて一息を吐きながら、朝食を何にするか考えていた。お腹は空いているけど準備が少し面倒だなぁ、と思ってダラダラしていたら、ドアをノックする音が聞こえた。
思い当たる事案があるので完全に無視していたが、間を開けて規則的にノックが続く。案外しつこい。
七回目でノックが止む。やっと諦めたか。
と思ったが、前回のことを思い出し、嫌な予感がしてドアを開けた。
「やっぱりいたな」
「……公爵って暇なの? 朝早すぎだわ」
またドアの横の壁に寄り掛かって待とうとしていたのか、トリスタンが前回と同じような格好で立っていた。小さな籠を持っているだけでその他は身軽な様子だが、空間の魔術を使えることが分かっているので油断ができない。
「もう何もいらないわよ。以上」
素っ気なく言ってドアを閉めようとするが、相手は悪徳商法のように足をドアに挟んできて、閉められないようにされた。相手の足がもげてもいいと思い力いっぱい閉めるが、石かと思う程靴が固くて動かない。そして、トリスタンは無言で隙間からエインセルを見た後、家の中に視線を移す。それを二回ほど繰り返したので、言われなくともその意図を察しない訳にいかなかった。図々しくも家に入れろと言っている。
「あなた、押し売りの才能があるわ。公爵辞めてもやっていけるわね」
「多才だとよく言われる。貴女は押し売られる才能があるようだ」
「喧嘩を押し売りしに来たわけね。帰って」
即喧嘩を買ってトリスタンのつま先を踵で何度も思い切り蹴るが、こちらの足が痛いだけでビクともしない。そのうち、トリスタンがグイと肩をドアの隙間に入れると、エインセルの抵抗も虚しくあっさりと開いてしまった。どうせ力で敵うはずもないが、何故か無性に悔しい。
そんなエインセルのジト目も気にせず、トリスタンは持っていた籠を差し出した。
「まさか、本当に押し売りするつもり?」
尋ねても説明する気はないようで、仕方なくエインセルは籠を開けてみた。
「素材が駄目なら食料って……」
中には、大量の肉を挟んだ大ぶりなサンドイッチと、油紙に包まれていても分かるほど芳醇な香りのパイが入っていた。どう見たってエインセルが食べる四人前くらいある。日持ちがしない材料なので、恐らくトリスタンの分もあるのだろう。
「はぁ。どうぞ、中にお入りください。大変不本意ですが」
「ああ」
食材に罪はないので、これ見よがしに大きなため息を吐きながら、とうとう侵入を許してしまった。トリスタンは短く応えただけで、当然のように入ってきた。
それにしても、トリスタンとしてここに来るのは三回目のはずなのに、何故か勝手知ったる調子で、ダイニングテーブルのスティが使っていた場所に自然に座った。子供用のクッションは片付けて普通の椅子だから、偶然選んだのかもしれないけど。
怒る気も失せて、食事の用意をすることにして、ガサガサと包みをよけるとパイはまだ湯気が立っていた。エインセルは皿を出すとそこに肉サンドとパイを乗せ、トリスタンには前に出したカップで、お茶を出す。
そして不思議だが、どちらが促すでもなく、自然と朝食が始まった。
エインセルは肉サンド一つで充分満腹だが、トリスタンは残りを全部平らげた。食べ終わる速度は、エインセルが一つを食べている間に三つを完食している。
そして、小休止も入れずにそのままパイに手を伸ばす。どうやらカスタードパイのようだが、こちらの方が結構な分量があり、エインセルはピンときた。
『隠れ甘い物好きだから、私を口実にこれを食べたかったのね、こいつ』
まるで「甘いもの? 女子供が食べるものだろう?」みたいな見た目をしていて、きっと周りには素直に食べたいと言えないから、エインセルをダシにしているのだ。公爵のくせにセコイ男だ。
『まあ、美味しいからいいけど』
認めるのは非常に癪だが、素材を持って来られるよりずっと嬉しい。
綺麗にいただいてからお茶を淹れ直し、何を話すでもないが、二人で静かに寛いだ。
そしてふとおかしい状況に気付く。
「いや、何か用があって来たんでしょ!?」
ついうっかりまったりと食休みをしてしまったが、何もする気配がないトリスタンに思わず突っ込んだ。
「朝食を食べに来た」
「そんな不思議そうな顔しないで。意味が分からないわ」
「そろそろ時間か」
「……え? 本当に食べに来ただけなの?」
「そう言ったが?」
空になった籠を取ると、何事もなかったかのように帰ろうとする。
「ちょっと! ちゃんと説明してよ!」
引き止める訳ではないが、釈然としないので問い詰めると、トリスタンはやれやれと言いたげに振り返る。
「もう時間がないのだが」
「……何? 私が迷惑かけてる感じなの?」
訳が分からない状況にエインセルは混乱していた。
「また来る」
「だから! もう来なくていいって言ってるでしょ!」
ペースを乱されて声を荒げるが、エインセルの剣幕にトリスタンは、薄っすらと目を細めてエインセルを見た。心なしか微笑んでいるように見えなくもなくない表情に、思わずエインセルは言葉が詰まってしまった。
「では、白銀の加護が厚い一日を」
北部定型の略式挨拶を述べて、トリスタンは帰ってしまった。
「いったいなんなのよ……」
茫然と呟いて立ち尽くすエインセルだったが、不思議と苛立ちよりも満たされた感覚が大きいことに気付いた。
それからトリスタンは、五日と空けずにエインセルの元を訪れた。
大抵が朝食時で食事を持参して来たが、時にはお茶の時間であったり、夕方の短い時間であったりしたが、大体食べ物の手土産を持ってきてダイニングの定位置に居座った。
初めは来るたびに「帰れ」と言っていたが、回数を重ねるとそれを言うのも疲れるので、好きなようにさせて帰らせるようになった。
気付けば、いつ持ってきたのか忘れたが、トリスタン専用のカップとカトラリーが隠れ家に常備されていた。トリスタンのカップは、ジョッキくらいありそうな大きな素焼きのカップだった。
謎の訪問が十を数える頃には、トリスタンは自分の食器を洗って食器棚にしまうことを覚え、食事する時間がない時は勝手にソファで寛いで帰るだけの時もあった。
何か企みがあるのかと身構えていたが、それも馬鹿らしくなってきて気にしないことにした。
いつの間にか冬の空気が温み、春の訪れを感じる時期になった。
エインセルはトリスタンの使い方を覚えていった。
背が高いので、壁のランプの油を足してもらったり、燭台を磨かせたり、雨どいに詰まった木の枝や葉っぱを掃除させたり、保存庫の上の棚にある物を下ろしてもらったりと、ウォルフォード家の家臣が見たら目を剥いて卒倒しそうな雑用をさせた。
タダという訳ではない。報酬に薬草茶を出し、たまに焼いたクッキーを出す。
クッキーは嫌がらせではなく、トリスタンが焼けと言うから焼くのだ。味についての苦情は受け付けないが、何故かトリスタンはクッキーを焼かせ続けるのだ。おかげで随分と食べられる味になってきた。
そうしてスノウやパンやケダマ(ケサランパサランの名前)を挟んで休憩をしたり、畑仕事をしたり、何もしない何気ない時間を過ごしたりした。
依然として何故何もないこの隠れ家へ来るのかトリスタンは語らないが、たまに目線を向けると、必ず柔らかく緩められた赤い目と視線が合うことに気付き出した。
それは、エインセルにとって良くない兆候だが、世の中から隔絶されていた少し前の自分に戻る勇気を、エインセルは持てずにいた。
『弟子を取ればいいのかしら』
そうすれば、少なくとも一人で暮らす物寂しさは紛れる。
だが、想像の中だけでも、トリスタンがいなくなった空間がぽっかり空いてしまうことに気付いてしまう。
弟子や使い魔では埋まらない何かが、今のトリスタンのいる場所にあった。
トリスタンはたまに、不穏な気配を纏わせ隠れ家に来る時がある。
ここでは少し我儘も言うし、冷やかしめいたこともするが、冷酷公爵というあだ名が嘘のように穏やかに過ごしている。それでも時々、エインセルが良く見知った冷ややかな気配がするのだ。
それは、エインセルがイグリットであった時に、他人から良く向けられた感情であり、自分も常に纏っていたものだ。悪意や隔意、拒絶という類の感情に、自分の心がささくれだった気配。そういった気配を纏わせている時は、おそらく何らかの、精神を削るような闘争や処断があったのだろう。
北部に君臨し、莫大な資産や広大な領土を有し、国どころか周辺国でも一二を争う戦士でもあるトリスタンだが、かつてイグリットを苛んだような周囲との確執とは無縁ではない。
そしてそれは、いつかエインセルに危険をもたらすかもしれない人間関係を内包していた。
王太子シリルも、未だ動きが読めない聖女の聖来も、魔族の動きに呼応して動くかもしれない他の攻略対象たちも。
トリスタンを通して、イグリットを断罪したそれらの人間たちとの繋がりが、また生まれてしまうかもしれない。
トリスタンを遠ざけることが一番の安全策だ。
だが、頭では分かっていても、エインセルにはそれができなくなっていた。
『嫌だわ。こんなはずではなかったのに』
悩みに比例して、気付けばトリスタンを目で追う回数が増えた。それにトリスタンと視線が合う回数も自然と増える。
今、手を伸ばされたら、その手を拒絶できる自信がなかった。
そう思ってハッと気付く。
今トリスタンが目にしているのは、森の魔女であるエインセルだ。
スティから戻った次の日に、イグリットは無実だと考えていることをトリスタンは明かしていたが、それがイコールでイグリットへの好意にはならないということだ。
エインセルがイグリットであることが分かってしまったら、このもどかしいけれど穏やかな関係すら失くしてしまうかもしれない。
最悪は、ゲームのシナリオどおり、トリスタンから憎しみを向けられてしまうかもしれないことだ。聖来が「魔王の種」のような攻略アイテムを使えるとなると、その可能性は俄然高くなる。
少し前までは、こんなことを考える必要もなかった。トリスタンとは関りを持たなければいいという、単純な話だったからだ。
でも今は、トリスタンと会えなくなると言うだけで、心にぽっかりと穴が開いたようになってしまう。
起こりうる最悪な事態は分かっているのに、それを回避することも出来なくなっていた。
ズルズルと結論を先延ばしにし、まだ同じ距離感で時を過ごしていたが、また街へ出たある日、エインセルの耳にある噂が入った。
王太子がまた北部を訪れるというのだ。
詳しいことは伏せられているので、王太子の行啓だけが伝えられているが、北部はウォルフォード家に独立に近い自治権があり、王族といえども気軽に足を運べる場所ではなかった。それなのに再訪が実現するとなると、何かしらの国が絡むような問題が発生したのかもしれなかった。
エインセルは何も考えられずに隠れ家へ戻った。
いよいよ先延ばしにしていたことに終止符を打つ時が来たのだ。
シリルの動きをただの杞憂と断じるには、イグリットという過去を持つエインセルの境遇は危険すぎるものだった。ほんの少しのきっかけでも、イグリットの生存が白日の下に晒されてしまう可能性があった。
エインセルが生き残りたければ、孤独を選ぶしかないのだ。
そして、エインセルは生きたかった。
それに、新しいシナリオを歩めば、エインセルだけでなく、トリスタンにもどのような影響が出るか分からない。トリスタンが不幸になるのは止めなければならない。
心は決まった。
どのように歩んでも、破滅か孤独しかないこのルートを、今ほど恨んだことはなかった。
その日は、夕刻に近い時間にトリスタンはやって来た。
いつものように食べ物を差し出し、テーブルについて寛ぐ。
エインセルは、食事の前に、いつもは飲まないワインを出した。明晰な頭脳を持つトリスタンの考えを、少しでも鈍らせたいと思ったからだ。
ワインは嫌いではないのか、トリスタンは早めに飲み切ってしまった。早く決着をつけるよう、エインセルを後押ししているように感じて、小さく笑った。
その笑いが何故か分からず訝しそうにしているトリスタンに、エインセルは改めて向かいあって笑顔を浮かべた。
「今日限りで、もうここへは来ないで。トリスタン」
言葉にしながら、徐々に目の前の穏やかだったトリスタンの表情が硬くなっていくのを、どこか凪いだ気持ちで見ていた。
恋愛っぽくない?
真面目且つ恋愛っぽいのを書いてない? (自画自賛
よし。次話はもっと頑張ります。