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11 北部公爵の常識

まだ戦いは続きます。

 トリスタンを送り返してから十日ほど経った日。

 また雪が降らない暖かい日が続いたため、エインセルは街に行って食料やなくなった毛皮の買い足しをした。

 使った毛皮と同じウサギの安い毛皮がちょうど売りに出ていて、エインセルは得した気分で少し機嫌が良かった。……のだが。


 街は平穏そのもので、どうやら王太子は王都へ帰り、領主様は長らくの魔物討伐から帰還したという話がちらほらと噂されるだけだった。特に、領主様はドラゴンには劣るが、狡猾で凶暴で悪名高いマンティコアという怪物を狩ったということで盛り上がっていた。


 エインセルは、非常に嫌な予感がして家路を急いだ。

 何故なら、トリスタンから奪い返せなかったあのメモに〝マンティコアの尾〟と書いてあったからだ。


 大丈夫、きっとたまたま討伐に行って出くわしたのがマンティコアだったのだ。それにあの隠れ家は、私のゲートで結界を開かないと辿り着けないはず。


 そう自分に言い聞かせながらエインセルが隠れ家に帰ると、家の入口の壁に寄り掛かっている男の姿が見えた。立派な剣を携えており、その剣以外は質素な格好をしていたが、見間違えるはずもない。


「……なんでいるのよ」

「また来ると言っただろう。それより早く開けてくれ、さすがに寒い」

 男は涼しい顔で、図々しくも家へ入れろと言う。恩を仇で返すつもりのようだ。


 北国は雲に覆われた日がほとんどで、男女とも肌の色が白いが、目の前の男の白い顔も頬と鼻の頭がほんのりと赤くなっており、結構な時間を外で過ごしていたようだ。もしかすると、エインセルが街に出たのと入れ違いくらいに来たのかもしれない。

 まあ、淑女の一人住まいに勝手に押し入っていなかっただけマシだろうか。


 男の目の前で、エインセルはわざと盛大なため息を吐いた。

「どうぞお入りください、領主様」

「ん。邪魔をする」

「本当にね」


 トリスタンを家の中に招き入れると、熾火に薪をくべて暖炉で部屋を暖める。その上で薬缶を置いて湯を沸かした。少し早めに部屋が温まるよう、魔力で暖気を広げる。


 渋々と暖炉の近くのソファにトリスタンを座らせると、小さくなったスノウがトリスタンの膝の上に乗った。スノウは精霊の一種の使い魔だが、非常にフワフワで温かいのだ。

「温かいな」

「スノウの裏切り者。そんな恩知らず、あっためなくてもいいのよ」


 ブツブツ文句を言いながら、エインセルは素焼きのカップに薬草茶を淹れて、自分の家のように寛ぐトリスタンに渡した。

「ありがたい」

「私のお茶のついでよ」

 そう言って自分のカップに注いだ薬草茶を冷ましながら飲んだ。あの苦いお茶は淹れるのが面倒なので、今回はトリスタンのお茶もエインセルと同じものだ。


 一杯のお茶を飲んで人心地つくと、招かざる客のトリスタンを放っておいて、街で買ったものを片付けてくることにした。魔法の鞄で保管庫に押し込んであるだけなので、食料は早めに貯蔵庫に移しておきたいからだ。


 しばらくトリスタンを一人で放っておいて、居間に戻ってくると、トリスタンはコートを脱いで先ほどよりも寛いでいた。その光景を見て、エインセルは顔を顰める。


「ほんと、みんな裏切り者ね」

 トリスタンは、膝に白猫のスノウを乗せ、頭にシマエナガのパンを止まらせて、肩にケサランパサランをくっつけているので、その姿は音に聞こえる冷酷公爵とは到底思えないほのぼのとしたものだった。使い魔や居候の妖精は、どうやらトリスタンをスティと認識して警戒を解いているようだった。


 なんだか一人だけ怒っているのがまた腹立たしく、スノウをソファの端に除け、パンを止まり木に戻し、ケサランパサランを専用のバスケットに入れた。

「嫉妬か?」

「一言多いわよ」

 イラっとして文句を言って、エインセルはダイニングテーブルの椅子に座った。


 ふとそのテーブルを見ると、お茶を飲み終えたトリスタンのカップは、テーブルのエインセルが飲み終えたカップの横に置いてあった。どこに置いたらいいのか分からなかったようで、取りあえず家主と同じ場所に置いておいたようだ。

 何故か、そんな些細なことで毒気を抜かれてしまって、エインセルはまたため息を吐いた。


「それで? 何の用かしら。あ、その前に、どうやってここに来たのよ」

 ここは魔女が招かねば辿り着けない場所のはずだ。

「知らないのか? 空間を操るのは、魔女の専売特許ではない」

 トリスタンは外していた剣を取って、鞘のまま床をトンと突くと、そこに小さな魔法陣が浮かんだ。そしてそこから、何やら大きな箱を取り出した。


 そうだった。魔女の結界の外にある魔境へ至るのに、ウォルフォード家の当主は、兵を結界の外へ送れる魔術を持っているのだった。それは、エインセルが紡ぐ空間を繋げる魔術と同じ原理で、目標の座標へ空間を繋げられるものだ。


 帰らずの森の魔女の結界は、魔族の侵入も大魔術師の転移魔術をも防ぐものだが、ウォルフォードの魔力とは共存のために相性が良く、この世でただ一つ、帰らずの森の魔女が無効化できないものだった。


「迂闊だったわ。だから帰る時、ここへ来る方法を尋ねなかったのね」

 額に指をあてて頭痛を堪えるような仕草をするエインセルに、トリスタンは微かに口の端を上げるようにして、見る者が見れば勝ち誇ったような顔になった。


「さっきの質問に戻るわ。何しに来たの? あ、やっぱりいい。もう帰って」

「いや、そうはいかない」

 何かに気付いてしまったエインセルが、箱に手を伸ばしたトリスタンを制するように言うが、トリスタンはエインセルを無視して箱を開けた。


 そこには、大量の金貨や美しい布、大振りの魔石や何やら布で巻かれた物体や瓶詰めになったものが見えた。そして、トリスタンはその中の布に包れたものを取る。

「ご所望の〝マンティコアの尾〟だ」

「持ち帰って!」

 エインセルの肘先ほどの長さもある、サソリの尾のような禍々しい物体だ。エインセルはビシッと玄関を指さして拒絶する。


「他にも、完全回復薬の素材の銀月草、神馬の角、若返りの妙薬の素材の古龍の鱗、妖精水晶は手元にあったので持ってきた。他の素材で二、三は二か月以内に用意できる予定だから、少し時間を貰いたい」

 エインセルを無視するように、トリスタンは粛々と中身を説明する。


「……あなたに、適当とか加減とかって言葉を誰も教えなかったのかしら」

 頭痛を通り越して眩暈を覚えそうだが、トリスタンの話はまだ終わってないようだ。


「それと、一つだけどうしても意味の分からないものがあったのだが、〝ネズミーランドのネズミの耳〟とは何だろうか。具体的に言ってもらえれば揃える」

「…………絶対に教えないわ」


 あれは翌日に使うトリスタンの繕い物が終わってから書いたメモで、深夜テンションの勢いで書いたものだ。

 知られれば恥ずかしいが、何も知らないこの世界の人間ならば前世の夢の国など絶対に行けないので、トリスタンはずっと悩めばいいと思った。


「多分そう言うだろうと思って、これで代替としてほしい」

 そう言って差し出したのは、先ほどの大きな箱に入った金貨や宝石類だった。エインセルは本気でうわぁっと思った。この男、金銭感覚もおかしいようだ。


「毎年賞賜金としてウォルフォード家から貰ってるお金も余ってるの。いらないわ」

 エインセルも定期的に入ってくるこの金にほとんど手を付けていない。イグリットの時は金に糸目をつけない生活だったが、前世の庶民的感覚が強い今は、大金の使いみちに困るのもあるが、あまり結界から遠くに離れられないこともあり、街で使うのにも限界があって使いきれないのだ。


「賞賜金を使ってないのか」

 エインセルから簡単に現状を聞いて、愕然とした顔でトリスタンが呟く。


 賞賜金は、魔女の安全のため、森の結界を維持する魔女の存在を公にしていないが、その功績への謝意を金銭という形でウォルフォード家が贈っているものだ。

 代々の魔女たちは、豪遊しなければかなり贅沢に暮らせるだけの賞賜金を貰っているが、特に物欲の多い魔女はいなかったようで、多くの魔女が薬師のような仕事をしていて、その収入だけで充分だった。たまに豪華な食事や調剤に必要な材料などで使うだけで、ほとんどを救貧院や孤児院などに寄付していたと、先代のカーラから聞いた気がする。


 代々のウォルフォード家の当主は、互いに過度の干渉をしないという魔女との古い盟約を守り、一年の決まった日に特定の場所に金銭を置くだけで、魔女とも関わらないようにしてきたため、使いみちなど知る由もなかったようだ。


 トリスタンがあまりにショックを受けているように見えたので、エインセルは少し気の毒に思って、歴代の魔女のことは言わないでおこうと思った。確かに、良かれと思って贈っていたものがあまり役に立っていなかったというのは、贈った側はショックだろう。


「名ばかりで実のないものだったとは……。改めなければならないな」

「ええと、私は今の自分の収入で充分というか、元々貧乏性というか……、お金の使い方が下手なのよ。それに魔女の弟子になって日が浅いから詳しくは知らないけど、他の魔女は喜んでいたかもしれないし。だから、そんなに深く考えなくて大丈夫よ!」

 変に力んだ話し方になったためか、ゆらっと冷たい視線をトリスタンは寄越した。多分全然信じてもらえていない。


「と、とりあえず! 持ってきてもらった薬の素材はありがたく使わせてもらうわ。でも、本当にお金とか宝石とかは間に合ってるから持って帰って。それに、スティを助けた御礼は十分すぎるほど貰ったから、これ以上は不要よ。ね、これでこれまでの程よい距離感の関係に戻りましょう。ね!」

 ウォルフォードと魔女の関係を自分の代で崩しては大変と、エインセルは必至に言い繕った。本当は、もう来るなと言いたいが、我慢して言葉を衣でグルグルに包んで言った。

 だが、その言葉が気に食わなかったのか、トリスタンはゆらっと立ち上がるとエインセルの前まで来て見下ろされた。威圧感が半端なかった。


「私が愚かだった。考えを改めよう」

「……愚か、とまでは言ってないわよ」

 とてもそうは思えない態度と威圧感だったが、反省しているようだ。


「だが、これだけは受け取ってほしい。私の外套と手袋のために貴女の毛皮を使わせてしまったからな」

 そう言ってトリスタンは、箱から何かを取り出すと、ふわっと柔らかいものをエインセルの肩に掛けた。羽のように軽いのに、ふかふかで嘘のように温かい。どうやら白い毛皮のケープのようだ。


 それを見て、トリスタンは満足そうな表情をした。

「やはり、この毛皮は貴女の黒髪に合うと思った」

「白ならどんな髪色でも合うわよ」

 トリスタンの満足げな顔が腹立たしく、思わずツッコミのような返しをしてしまった。


「もう十分だから帰ってくれないかしら」

 何故かどっと疲れて、エインセルは懇願のようにトリスタンに言った。それにトリスタンは顎に手を当てて何か考えるようにしていたが、「ん、そうだな」と言って、帰り支度を始めた。ようやく解放されると思ってホッと息を吐く。


「ではまた来る」

「もう来なくていいわよ!」

 やはり話を聞かないトリスタンに、また蹴り出すように送り出してドアのカギを閉めた。


 何というか、厄日に近い日だった。


 ふうと息を吐いて座ろうと思い、ふとケープを着たままだと気付いて外して愕然とした。目の肥えた元公爵令嬢のエインセルには、それが純白のリンクスの毛皮であることが分かってしまった。

 リンクスは毛皮の中でも最高級なだけではなく、白いリンクスは神の使いと言われていて狩ることができないため、偶然市場に出るだけという最も稀少な毛皮だ。

 おそらく、このケープ一枚で王都に家が建つ。


「あいつ、頭おかしいわ!」

 淑女らしからぬ声が、静かな冬の森に響き渡るのだった。

作者の作品の悪役令嬢は、どうしてもキレツッコミがしたくなるようです

悪役令嬢の一部の過激な発言をご不快に思われた方はすみません。

でも、一般庶民の心の声だと思って大目に見てください。

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