二歩目
陽も心地よく、少し眠ってしまったようだった。
太陽は天辺を超えたとこまで進んでいた。朝日よりも日差しが強い。
馬車の外を見るが、景色は眠ってしまう前と何も変わっていなかった。太陽の動き的に数時間は寝てしまっていたと思うのだが。
「おはようアカイア。もうすぐ山頂だ、そこで昼食にしよう」
「おはようございます」
昼食を人と食べるのは初めてだ。親父は握り飯を持たせてくれたが、ロンドたちはどんなものを持ってきているのだろうか。
すぐに馬車は停車した。俺は鞄から握り飯を取り出し、ロンドたちは馬車に積まれた袋の中から赤い果物を取り出す。一人だけ握り飯を食べるのは気が引けるが、四人に分け与えるほどの量は持ってきていないので、おとなしく握り飯を口に運ぶ。
「アカイア、こっちに来てみろ」
果物を一つ食べ、馬車から降りたアモラから声がかかる。
その声に応じて馬車を降り、アモラが立っている小丘まで歩く。
横に並ぶと、今まで変わり映えのしなかった景色が開けていた。
「す、ごい」
単調な感想しか出なかった。
今まで周囲を覆っていた木々は足元に広がり、その先には山よりも明るい色の草木が広大な土地に広がっている。そして、その先に壁に囲まれた巨大な都市が見える。
感じたことがない強風が身体を通り抜ける。振り返ると、今まで登ってきた山の半面と、その先に小さな町が見えた。親父の住む家は見えない。遠くまで来たものだ。
金属を鍛え、成型し、熱し、冷まし、出来上がった武器の熱に触れたときに得られる言葉にし難い達成感と並ぶほどの解放感。世界はこんなにも広かったのだ。
「世界って広いんですね」
「良い景色だろ」
「はい」
深呼吸し、胸一杯に空気を吸い込んだ。
小丘を下り、馬車に戻る。ロンドたちは果物を食べ終え、武器の点検をしていた。
まだまだ素人目ではあるが、彼らの武器は俺の最高作よりも質が低いもののように見える。親父のどの作品よりも質が低いのは確実だ。もしかすると親父の武器は高いのかもしれない。
馬車の前の席にはロンドが座り、アモラと交代した。
馬車は山を下り始める。その速度は登りと比べてかなり早いが、小丘から見た感じここからの道の方が長く見えた。時間で考えてもまだ半分くらいだろう。日没までにローマロアに到着できるといいが。
馬車が一定のリズムで揺れる。
腹が満たされ、陽射しが気持ちいいこともあり、段々眠くなってきた。
どうせ今はすることもないんだ。このまま寝てしまおう。
目を瞑る。
「すまないアカイア! 起きてくれ!!」
寝ていたのか、寝ていなかったのか分からないが、怒声に似たブロの大声が眠気を吹き飛ばした。
周囲を見ると、すでにロンドとアモラとブラルは馬車の周りに立ち剣を抜いている。
「何があったんですか!?」
素早く立ち上がり、剣に手をかける。
「アンデッドが出た! 数が十を超えている、馬車から絶対に下りるなよ」
そう言ってブロも馬車を下り、剣を抜いた。
アンデッドは死者が冥界から迷い込み、生者を連れて帰ると伝えられている。
人型で、歯と爪から菌を移し、人肉を腐敗させる。攻撃手段は少なく、知能も低いが、その耐久力だけは人間を大きく超える。
プレートアーマーを身にまとった彼らならうまく対処をするだろう。本来は火の魔法が特に有効で、肉を焼いてしまうのが一番いい攻撃手段だと読んだことがある。弱点は首にあり、首を切ると絶命する。
金属音はしない。地面に何かが倒れ、落ちる音がする。剣を振るときに出す声、それが四人の生存確認になった。
次々にアンデッドが剣に首を切られ、緑色の血液が吹き出し倒れる。
ロンドとそれ以外の三人には明確に力量差があるのだろう。ロンドは常に周囲を確認し、自分にヘイトを向けている。
だが、四人とも剣の質は同じようで、徐々に切れ味が悪くなっているのだろう。一回の剣技で首を落とせなくなっており、一歩、また一歩と戦線が下がっていく。
数は減っているが、森の奥から湧いてきている。
顎から剣を持つ手に汗が落ちる。初めて外に出たときの緊張とは違う。血の匂いが鼻の奥に染みつき、口から出る息が荒くなる。俺が戦うわけではない。だが、死の気配はすぐそこまで来ている。
プレートアーマーを着ていて相性が良かったのもあって四人は善戦し、アンデッドが馬車に到達する前に駆逐できそうだ。
残り五体、ロンドが一体倒して、残り四体になった。
そして、明らかにアンデッドのものではない足音が聞こえた。
それは地響きであり、木々が倒され、怪物が姿を現した。
一瞬息が止まり、唾を飲む。アンデッド一体一体とは威圧感が別格の存在を感じる。
馬車の中からではその神獣の全貌は見えない。ただ、死体の塊が巨人を模っている。胸の下までしか見えないが、腕に武器は握られていない。
「フレッシュゴーレムだ! 気を付けろっ!?」
ロンドが『兵級』の三人に警戒を呼び掛けた直後、ロンドの身体が横に吹き飛んだ。
巨大な拳にぶん殴られたロンドが歯を食い縛りながら衝撃に備え受け身を取った。木々にぶつかったロンドは口の端から血を流しながら立ち上がった。しかし、ロンドの身体は痙攣し、拳で殴られる際に咄嗟に防御に使った剣は根元の部分から折れてしまっている。予備の短剣を構えるが、あれではアンデッドを倒すこともできないだろう。
フレッシュゴーレムなんて本で見たことがない。
だがロンドが戦えなくなった以上、俺が戦うしかない。
剣を抜き、馬車から飛び降りる。
「アカイア! 危険だ、馬車に戻れ!!」
はぁっ
一息吐く。
そして短く息を吸い、身体を倒して地面を蹴る。俺に声をかけたアモラに迫るアンデッドの背後に移動し、剣を横に振り抜いた。
目の前でアンデッドの首がズレ、驚愕しているアモラの顔が見える。彼は護衛対象がいきなり戦い始めて驚いているのだろう。
だが、声をかける時間はない。
俺は剣に付着した血を振り払い、脚と剣に魔力を込め、地面を再び蹴る。重力が逆転した感覚に従い、身体を反転させ、宙で頭と足先が逆転する。目の先には地面が見えるが、人一人分以上の高さまで飛んでいる。
直後、俺がいた場所を拳が轟音を立てて襲う。しかし、そのフレッシュゴーレムの拳は俺の髪一本にも触れれず、空を切る。
俺は反転させた勢いで剣を振り下ろし、フレッシュゴーレムの右腕を肩先から切り落とす。
腐食の塊でできたその拳は勢いのまま飛んでいき、肩から先を失ったフレッシュゴーレムはバランスを崩して地面に仰向けに倒れる。
フレッシュゴーレムの巨体に顔は付いているが、そこに目や鼻、口はない。物量で押すだけの木偶の坊だった。
親父と比較にもならない弱さだ。大きいだけで動きも遅い、硬くもない雑魚だ。
親父が鍛冶場の地下に作った訓練室で親父とだけ戦っていた時とは違う。あの時は地形の変化もなく、景色も変わり映えしなかった。けれども今は反転すれば空と大地が逆転し、剣を振れば地面に傷がつく。
「終わりだ」
空中で体を捻り、剣をその首に振り下ろした。
抵抗なく、アンデッドが集まってできた頭が地面に落ちる。
着地した俺は周囲を確認したが、アモラ達にアンデッドはすべて首を切られていた。
アモラ達三人は剣に付着した血を振り払い、駆け寄ってくる。
俺は剣を収めてロンドがいる場所に歩き始める。
「大丈夫ですか」
「ああ、問題ない。ありがとう」
ロンドの肩を支え、振り返ると、驚愕したままの三人が俺の言葉を待っていた。
けれど、俺から言わなければならないことはない。そして、こういう時に何と言えばいいのか分からない。
「みんな、馬車に戻ろう」
ロンドの一声で集まってきたアモラ、ブロ、ブラルの三人も馬車に向かって歩き始めた。ロンド以外の三人に大きな外傷はなさそうだが、疲労困憊の色が見て取れる。
「ありがとう、アカイア。フレッシュゴーレムは最近確認されたばかりの神獣で対抗法はまだ判明していないんだ。みんな初めてのこと続きで驚いているんだ。そう困った顔をしないでくれ」
どうやら俺は困った顔をしていたらしい。ロンドたちは彼ら自身で襲撃を解決できなかったことに対して俺が困惑していると感じているのだろうか。俺は、自分がどうすればいいか分からなかっただけなのに。
「お礼を言われるようなことはしてないよ」
ロンドの顔を見てもそんな言葉しか出てこなかった。
少し気まずさを感じて前を見ると、何かが蠢きながら形を作っていく。
アモラたちも警戒してか足を止め、剣を構えた。彼らの前にあるのは倒したはずのフレッシュゴーレムだ。
「こいつ、復活し始めてる!」
ロンドを離し、剣を抜く。
地面に倒れていた肉塊が蠢きながら立ち上がろうとしていた。周囲を見ると、フレッシュゴーレムの首はまだ転がったままで、つながる気配はない。頭と右腕を失ったままで再び動き始めたのだ。
「僕が、斬ります!」
俺は剣を縦に振り下ろし、一つ残った腕を切り落とす。返すように横に振り抜き、胴を真っ二つにした。
音を立てて地面に上半身が落ちた。砂煙が舞い上がる。
「っ!」
砂煙の中に立ったままの下半身の影が浮き上がる。
これで駄目ならば、火で燃やすしか方法が思い浮かばない。だが、下半身だけのフレッシュゴーレムならばたいした脅威にはならないだろう。
「今のうちに馬車に乗ろう」
ロンドの指示に従って俺を含め五人は小走りで馬車に乗り込む。馬に怪我はなく、怯えて暴れているだけだ。
俺たちは馬が落ち着くのを待ち、すぐに出発した。
神獣は絶命して少し時間が経てば塵になって消える。希に死体の一部を残して塵になるので、その死体の一部は貴重な素材として取引される。
アンデッドの死体はすべて塵になって消えていた。しかし、フレッシュゴーレムはどの部位も消えることなく、残っていた。つまり、フレッシュゴーレムはまだ死んでいないのだ。
俺たちには対処の方法がなく、ひとまず依頼人の俺をローマロアまで送り届けてくれることになった。俺からの依頼を達成した後、魔王ギルドにフレッシュゴーレム討伐の依頼を出すらしい。
数時間後、俺たちは草原に着いた。
見晴らしの良い草原は風に揺られている。遮蔽物がないのでその先にある大都市が良く見える。
◇
「おや、これは珍しい。フレッシュゴーレムじゃないですか」
木々が倒れ、地面が抉れ、巨大な神獣の周りには激しい戦闘の後が残っている。
鼻歌まじりに男は杖を振った。杖に刻まれた魔法文字が光り、魔法が発動する。
紫電一閃。
紫の雷がその範囲にあったすべてを焼き尽くした。
しぶとく下半身だけになっても生きていた神獣は塵になり、あっけなく死んだ。
男は杖を腰にしまい、眼鏡の位置を人差し指で直し、上機嫌にスキップし始めた。