それは、突然に
リヌを送った帰りに、立ち並ぶ露店を見て回った。
すると後ろからトントンと誰かが肩をたたく。
振り向くといかにも貴族といういでたちの、長身の男性が立っていた。
赤く長い真っ直ぐな髪を自分の指に巻き付けながらニヤリと笑ってコトミを見た。
「ほしいものがあるなら買ってあげようか?
でもこんなところではなく、私のいきつけの店で」
「あの、どなたですか?」
記憶の中にはいない、初めて見る人だった。
貴族には似つかわしくないこんな場所で、わざわざ声をかけてくる下心が気になった。
「おっと、これは失礼。 私は……」
その男性の言葉を、聞き覚えのある声が遮った。
「おい、カルツォ!」
声がした方に目をやると、そこにはルイが立っていた。
「これはとんだ邪魔が入った……」
その男性はそうつぶやいたあと、さっと満面の笑みでルイに向き直った。
「やあルイ、久しぶりだね。 こんなところで会うとは」
「それはこっちのセリフだ、カルツォ。
おまえみたいな気取った人間が来るとこるじゃないはずだが」
「相変わらず口が悪いですね。
確かにここの空気は私には毒でしかない。 体が汚れそうだよ」
カルツォは、くるりとコトミのほうを向いた。
「今度は邪魔が入らないところで会いましょう」
そう言って馬車に乗り込んで去って行った。
「あいつのことを知っているのか?」
去って行く馬車を見ながらルイが聞いた。
「いえ、突然声をかけられました」
「あいつから声を……考えにくいな。
ああ、ごめん、あいつはカルツォと言って伯爵家の跡取りなんだが……」
きょとんとするコトミの顔をみたルイは、フッと笑った。
「まあいい。 ところで、何をしてたの?」
コトミは怪我をした生徒を家まで送りに来たことを話した。
「そうか、あの子の家はこの地区だったんだね。
彼女が助かったのは君のおかげだ」
「そんな……ドットム先生の解毒のおかげかと。
ところでルイさんはここで何を?」
「ルイでいいよ。 装備を修理に出してきたところ。
そういえばさっきのカルツォ、あの男なんて言ってきたの?」
「ほしいものがあるなら買ってあげようかって」
「あいつが? 解せないな」
「あの、私、帰ってもいいですか?」
「あ、ああ。まあコトミは仕事終わりもすぐ帰っちゃうもんね。俺らが苦手なのかな?」
「いえ、そういうわけじゃなくて」
「じゃあ、今から用があるの?」
「いえ……」
下を向いて困っている様子のコトミを見たルイは少し意地悪をしたくなった。
「じゃあダメだ。 まだ帰さない」
「え?」
「おいで」
そう言って突然コトミの手を握った。
振り払おうとするともっと力を入れてくる。
そして指の間に指をからめて、それを顔の前に持ってきた。
「こうしたら、離れられない」
カーッと顔が熱くなり、鼓動が早くなった。
顔を赤らめたコトミを見て少しほほえむと、ルイは楽しそうに商店街を歩きだした。
しばらくすると『染屋』という看板を出す店の前で止まった。
そこは露店ではなくちゃんとした建物の中にある店だが、窓がなく中の様子が見えないため、何の店かわからない。
「いらっしゃーい」
店に入ると顔面までタトゥーだらけの店員が上目遣いにこちらを見た。
「よお、ルイ。 マリアちゃん?」
「そうだね、空いてるなら」
「はいよ、って2人で?」
「うん」
「ほーい、ちょっと待ってて」
(まさかタトゥー入れるとか? そんなの絶対無理だけど。いざとなったら暴れるしかない)
「あの、ルイここで何を?」
コトミは困惑した様子でルイに聞いた。
「ああ、ここで2人の思い出に何か体に染め物しようかなって。
あ、安心して、すぐに落とせるやつね」
(2人の思い出にって、なんか思わせぶりな言い方……)
「すぐって、どれくらい? 任務もあるし……」
「体を洗えば消えるよ。俺だって任務があるからね」
通された大きな部屋の中には、木のパテーションで間仕切りされた小部屋がいくつかあり、何名かの客が入っていたがほとんどが男女のペアだった。
「ルイ、いらっしゃーい」
「久しぶりだねマリア」
「うん、今日は彼女と一緒?」
「そう、と言いたいところだけど、まだ友達」
「ふーん、そこ座って」
(ま、まだってなに!さっきから思わせぶりなことばかり。からかわれているの?)
狭い間仕切りの中は、マリアの正面にテーブルが置かれ、その前に2つの椅子があった。
2人がそこに腰掛けるとコトミをなめるように観察してきた。
マリアは髪の片側を刈り上げ、反対側の髪はボブにしてピンクに染めていた。
大胆に引いたアイラインの下には涙のしずくのタトゥーが入っていた。
「あなた名前は?」
「コトミです」
「ねえ、その頭の上の変なのと、顔のマスク取ってよ」
ぶしつけにマリアがそう言ってきた。
「別につけていてもいいだろ?」
すかさずルイが言った。
コトミは正直、熱苦しくて重いから取りたかった。
でもそれ以上に、普段からありのままの姿で話をしたり笑ったりしたい自分がいた。
(ここで取っても竜族にばれそうもないし……決めた、取っちゃおう)
黙ってコトミはターバンをはずし始めた。
「ちょっ……いいのかコトミ。誰にもみせたことないんじゃ……」
「ルイ、もしかしてあんたもこの子の素顔見たことないの?」
「うん」
「それでも彼女にしたいの?」
「うん」
「ブッ! いいねぇそういうの」
(ちょっとまって、今すごいこと言ったよねルイ! ああ……またからかってるのね)
ターバンとマスクをはずすと、すかさずマリアがブラシを持ってコトミの後ろに立った。
「あなたきれいね……」
そう言いながらコトミの金色の髪をとき始めた。
ルイは黙ったままコトミに釘付けになっている。
「私、きれいな子大好き!」
マリアは髪を解き終わると席にもどって、目を輝かせながら聞いてきた。
「どんなのがいいの? どこに入れたい?」
「まて、マリア、2人の記念になるようなの入れたいんだ。
デザインとかはまかせるから」
「マッチングタトゥーか……じゃあ手首を出して! 並べてくつけるようにしてね」
マリアは金属の細いペン先に色インクをつけながら、下絵もなしに2人の腕に絵を描き始めた。
少しこそばゆい感覚と、ルイとこんなことをしている気恥ずかしさで、なんとなく言葉が出なかった。
ルイも黙ったまま、走るペン先を見つめている。
「ルイはね、まだ軍に入る前なんだけど、私と妹を助けてくれたの。
実の父親がろくでもないやつでよく殴られていたんだけど、その日はクリスマスでね」
(え?この世界にもクリスマスがあるの?私の新しい記憶の中にはないけど……)
「家で暴れる父親から逃げて、外に置かれた酒屋のタルの間にかくれて、妹を抱きしめながら寒さをしのいでいたらさ。
通りかかったルイが、自分の家につれていってくれたんだ。
伯爵家だよ? びっくりしたよ」
「お、おい! それは……。はぁ、どうして言うかな」
「え? 伯爵家だったの?」
「あ、まあ、うん」
ルイがため息まじりにそう言った。
「あ、言ったらダメだったの? ごめん、でももう遅いし!」
「家柄とかそういうの、普段は関係ないから……。
人の価値は身分じゃないよ」
「そうそう身分じゃない。ルイのそう言うところが気に入ってるんだよね。
ってことで、出来た! どう?」
あっという間にできあがった疑似タトゥーは2人の手首に細い鎖が絡んだデザインだった。
ルイの手首の鎖には鍵穴が、コトミの手首の鎖には鍵がぶらさがってる。
「ルイの心の鍵を開けるのも閉めるのもコトミの鍵がいるってことよ!」
「意味深だな。でも気に入った」
「うん、ステキ……」
コトミを見てルイがフッと笑った。
「今日はおごってあげる! また2人で来ることが約束!」
「わかった、ありがとうマリア。必ずくるよ」
店を出るとすぐにまたルイが指を絡めてきた。
しばらく黙ったまま手をつないで歩いた。
(指を絡めるとそれだけで緊張する。
嫌な気分じゃなくて……むしろうれしい。
2人でタトゥーをいれたらルイがすごく近くなった気がする。
不思議な一体感……。
黙ったままのルイ……何を考えているの?)
気づくと教会のとなりの鐘塔の下にいた。
「鐘塔のてっぺんからの眺めが最高なんだ。俺のお気に入りの場所」
息をきらしながら2人で鐘塔の上までのぼった。
そこには大きな鐘が2つ並び、屋根を支える太い柱の間から海や街の絶景が見える。
四方には石でできた長椅子が置かれ、2人でそこに座った。
背もたれによりかかり海からの風に当たりながら、黙ったままの2人はしばらく景色を眺めていた。
そこから見える海は午後の緩くなった日差しを反射しながらどこまでもキラキラと輝いていた。
「気持ちがいいし、とってもきれい……」
コトミがそうつぶやいた瞬間、コトンと肩にルイの頭があたった。
「あ……」
見るとルイはコトミの肩によりかかり、寝息を立てていた。
クスッと笑ったコトミはルイの手首に描かれた鍵穴の絵を指でなでた。
「この世界で2人の思い出を作ってくれてありがとう」
そう言ってルイの頭に自分の頭をすこしよりかからせて一緒に眠った。
コトミは夢をみた。
「琴美まずいよ、もう中学生なんだから。おばさんたちに見つかったら、俺こまるよ……」
「大丈夫、2人とも寝たから。ちゃんと確認してきた!」
小声で怒る少年は、困りながらもいつもわがままを聞いてくれることを琴美は知っていた。
「じゃあちょっとだけな。今日は寝るなよ!」
「うん、がんばる」
ことみは満面の笑みで少年のベッドにもぐりこんだ。
「ねえ、こうやって一緒にクリスマスを過ごすのっていつまでできるかな? ずっとがいいな」
「もう今年が最後だ」
「ええー、そんなのやだよ」
「来年は受験生だし、琴美と同じ学校にいけるように俺がんばらないと」
「ふーん、同じじゃなくてもいいのに」
「なっ! いや……その」
琴美は少年の肩におでこをつけて寝る体制に入った。
「あ、こいつ寝るつもりだ。 だめだってば……」
そういいながらもその行動を無理にとめないのは、そうやって琴美が自分のそばで眠ってくれることがうれしかったからだ。
すでに琴美からはかすかな寝息が聞こえる。
その寝顔をみながら少年は琴美の髪を後ろに流した。
「あのさ、この状況すごいつらいのわかる? うれしいけど……つらいんだ」
そうつぶやいて琴美の頬にキスをした。
そして天井を見つめると額に腕を置いてため息をついた。
ハッ……として目をあけたコトミは、今の夢の一部を知っていることを思い出した。
(確かに私だ。でもほんとうにこんな会話をしたの?
そばにいるのは誰?
しかも私の頬にキスをしたのなんて……知らない。
私の記憶と誰かの記憶を同時に見たってこと?)
胸がきゅーっとなるようなせつなさが押し寄せた。
(あの子は誰……大切な人のはずだけど、名前も顔も思い出せない)
「あ、ごめん、寝ちゃった」
ルイはよりかかっていた頭を、慌ててコトミの肩から離した。
「ちょっと疲れてたのかな。あー! まずい部隊へ戻らないと。
装備修理へ行くって言って出てきたのに……って、もう手遅れか」
「プッ……。 アハハハ」
コトミが吹き出し、笑い出した。
「あ……ハハ。 笑い事じゃないんだけど。まっいっか」
そう言ってルイは手を上に上げた。
「コトミも上げて」
コトミも手を上げて、2人のタトゥーの鎖を合わせた。
手首の内側には鍵穴と鍵が本当にぶら下がっているように見える。
ルイはコトミの手のひらに自分の手のひらを合せて指を絡めた。
その手を引き寄せてコトミに見せながら、
「ほら鍵が開いた」
そう言ってコトミの顔に顔を近づけた。
青みがかったグレーの瞳でルイに見つめられたコトミはまばたきもできなかった。
ルイは片手でコトミの金色の髪を後ろに流した。
「キス……していい? したいんだ」
コトミは静かに目を閉じて、素直に応じた。
(私も……キスしたい)
ルイの唇が重ねられると体はもう自分の思うように動かせなかった。
「好きだ、コトミ……」
ルイは重ねていた手を離しコトミの体を抱き寄せて、何度も唇を重ねてくる。
息ができず苦しくなって、ルイの胸に顔をうずめた。
ハァハァと、体が波打つように呼吸している。
「ご……めん」
そう言ったルイのその言葉に、なぜかものすごく恥ずかしくなった。
「帰る……」
下を向いたままコトミがそう言った。
「うん」
黙ったまま鐘塔の階段を2人で降りた。
狭い階段なのに前後にならんで、でも手はつないだまま。
「あの……さ。 もう、僕の人だから。誰にもわたさない」
涙がこみ上げた。
この世界で起きた出来事で、初めて涙が頬を伝った。
でもどう答えていいかわからず、袖で涙をぬぐうと、黙ったままでいた。
部隊棟へ戻るルイは、遠ざかりながら何度も振り返って手をあげていた。
コトミはキスをしたかったのがルイなのか、夢で見た少年なのか判断がつかなかった。
でも今の自分がルイに夢中になりかけていることは、確かだった。