最後の手段
2日後にマキラ島へ到着した艦隊と帆船には、食料の他に治療専門の魔法士や医療班が乗船していた。
ミカエルの書簡で事前に知らされていた大隊長は、ケガをした兵士は国に送り返し、到着した魔法士や医療班は全て住民の手当にあてることにした。
「もう我々がここにいる必要はない。
あとは今いる部隊が対処していく。
人も足りているから蒼の風はひきあげるぞ」
ザクスの言葉にみな無言で同意をして船に乗った。
残って手伝ってもよかったのだが、コトミを犠牲にしようとしていた大隊長に対し、蒼の風のメンバーは納得できない気持ちをかかえていた。
ルイはカーシャやレンの早い処置のおかげで命に別状はなかった。
だがまだ激しい痛みで歩くことがままならず、気力を回復する必要もあったため、医療棟に運ばれることになった。
2日後の夜、帰還したザクスから報告を受けたミカエルは「そうか」と返答しただけだった。
「大隊長の行いは到底納得できません。兄上、なにか罰を……」
「仕方のないことだ、コトミは……人ではないからな。
それに犠牲になることをいとわなかったのはコトミのほうだ」
ミカエルは、本心と違うことを言わなければならない自分の立場が恨めしかった。
「兄上に共感してもらえるのではと思った自分がバカでした。
司令官の立場での返答ならば、その答えが正解でしょう。
本心はそうでないことを望みます。
もう我々でコトミを探すことは不可能です。
彼女もそれを望んではいないでしょうが」
そこへドアをノックする音が聞こえ、シャスバンが入ってきた。
「ミカエル様、来客が……」
「こんな時間に誰だ」
「それが、その……カルツォ様が来ております」
「なっ……なぜカルツォが」
ザクスは驚いてミカエルの顔をみたが、ミカエルは動じる様子もなくシャスバンにうなずいて、通すことを許可した。
「兄上、これはいったい……」
「いいのだ、おそらくコトミのことだろう」
バンッとドアに手をついて、少しふらつきながらカルツォが入ってきた。
「ミカエル様! あなたには心底がっかりした。
とんだ見込み違いだった!」
酔ったカルツォが大声でわめいている。
「口を慎め!」
ザクスが怒鳴った。
「ののしりたければ好きなだけ叫べ。
それでコトミを探し出せるのならば、いくらでも私をののしればいい」
その言葉をきいたカルツォは力なくソファーに腰を下ろし、両手で頭を抱えた。
「私にくれればよかったのに……。
そうすればこんなことには。
酒を……いや、水でいいから、もらえないか」
「ここをどこだと思っている!出て行けカルツォ!」
どなるザクスをミカエルが手で制した。
「シャスバン、水を」
シャスバンは部屋に置かれているグラスに水をそそぐとカルツォの前に置いた。
カルツォは一気に水を飲み干した。
酒に酔い醜態をさらしながらもコトミのことで文句を言いにきたカルツォをミカエルは憎めなかった。
「カルツォ、聞きたかったことがある。
この間おまえが言っていた、もっとすごい話とはなんだ」
「フッ……すごい話ねぇ。
その話をしたら余計に切なくなってしまう」
カルツォは大きくため息をついた。
「自分を生かすために自分を殺すとでも言えばいいのか。
コトミがその道を選ぶのであれば……この世から消えてなくなってしまう」
「死ぬ……ということか」
ミカエルの問いに、カルツォは小さくうなずいた。
「竜神の村から逃げるのは女か、あるいは罪をおかした者だけ。
罪人は捕まればその場で処分されるが、時には村に戻される者もいる。
連れ戻された罪人は、毒を飲まされ体中から血を流しながら最後には消えてなくなるそうです。
逃げた女の場合は必ず村に戻されて、鎖につながれ死ぬことなどできない。
だが1つ死ぬ方法がある。
罪人に使う毒を飲めれば、この世から消えてなくなることができる。
一度逃げた竜族の女は、その毒を手に入れて自害することが多いそうです」
しばらく3人とも黙ってしまった。
「本当に何もできないのか……」
ザクスが拳を握りしめた。
「さて、私は失礼するとしますか。
ミカエル様に文句も言ったし。
酔いが覚める前に帰ってまた飲み直すとしましょう。
そして酔い潰れて眠る。
夢でコトミに会えるかもしれない……」
カルツォはふらつきながら部屋を出て行った。
ミカエルは何も話さなかった。
経験したことのない喪失感を、どう我慢すればいいのかわからなかった。
「ザクス、はずしてもらえないか」
今まで見たことがないミカエルの力のない表情に、ザクスは驚きを隠せなかった。
ザクスとシャスバンが部屋から出て行くと、ミカエルは窓のそばに立ち、降り出した雪を見つめた。
クリスマスに向けて王宮の庭には、傘のついたトーチがあちらこちらに灯されていた。
「この空のどこかでおまえは今どうしているんだ。
私は心の隙間を、どうやってうめればいい」
ミカエルはつぶやいた。
医療棟で強い痛み止めを使い、ルイは2日間ほぼ眠り続けた。
そして3日目の朝、普通に歩くことができるまでに回復した。
医療棟を抜け出して、雪が少し積もり始めた道をゆっくりと鐘塔に向かって歩いた。
ずっと考えているのはコトミのことだった。
時間をかけて塔の上までいくと、長椅子に腰掛けて遠い空を眺めた。
灰色に濁った空から、絶え間なく雪が落ちてくる。
ここでのコトミとの時間をなんども思い起こしながら、自分のふがいなさにため息がでた。
「俺にもっと力があったら……」
そうつぶやいたとき、目の前に落ちている細い鎖に気づいた。
ルイが拾い上げたのは、鍵と鍵穴のネックレスだった。
「あ……」
そのネックレスはコトミといれたタトゥーとそっくりだった。
ルイは気づいた。
これはコトミがここに落としたか、置いていったものだと。
目から大粒の涙をこぼしながら、ネックレスを握りしめた。
「コトミ!」
コトミの名前を叫んで、ネックレスを握った拳を胸にあてると、床にひざをついた。
涙を流しても叫んでも手の届かないところに行ってしまったコトミを思うと胸が痛くておかしくなりそうだった。
ルイは2つのネックレスを自分の首からさげると、服の中にしまった。
「少しだけここに君を感じることができる……」
そう言って服の上からネックレスを触った。
数日後、ルイはライトをたずねた。
そしてコトミのことを話した。
「俺は結局なにもできなくて。
守るんじゃなくて守ってもらうなんて……情けないです」
「そんなことで気を落とすな。
誰が守るとか守らないとか、それが大事なんじゃない」
ライトはコトミが戦いにたつ前に言ったことを話した。
「ルイと一緒にいたいんだろうって聞いたらな、それがかなえばどんなにいいか……って言っていた。
おまえの気持ちを知ることができたから幸せだって。だから大丈夫だってそう言ったよ。
好きな人が自分を想っていてくれるなら、こんな幸せなことはない。
待つしかないなら、待ってやればいい」
涙ぐむルイをライトは抱きしめて、背中をポンポンとたたいた。
カーシャは片付けられたコトミの部屋にいた。
コトミが以前つけていた目元を隠すためのマスクが床に落ちていた。
カーシャはそれを拾い上げると、部屋に1つしかない小さな窓のそばに立った。
そしてそこから薄暗い空を眺めた。
「ここであなたは何を考えて、何を我慢していたの。
あなたが望むものって何だったのかしら。
神様、1つでもいいから、コトミの望むものを与えてあげてください」
カーシャは手を組んで強く祈った。
竜神の村へ向かう間、コトミは最後の手段のことだけを考えていた。
(もしこの身が汚されても必ずルイには会いに行く。
命がつきてしまうなら、ルイの胸のなかで、さよならをする)
そう思うと寂しくて悔しくて涙が出てくる。
ルイのことは、唯一自分の意思で、思いを貫き通したかった。
他をたくさん我慢した分、この気持ちだけは譲れなかった。
自分の命を失うとき、最後まで残ってほしい記憶は、ルイとの思い出だけでよかった。
その記憶とともに、体が消える最後の一瞬は、幸せになれそうな気がしたから。




