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うたかた


 コトミはすぐに逃げなければならなかったが、もう体は限界だった。

 どこかで眠らなければ、すぐに気を失い海の藻屑になる。

 群島の北の端にある小島に降りると、人の姿になってそこに倒れ、痛みと疲労で意識を失った。


 どれくらいの時間がたったのかわからないが、突然、頭の中に映像が流れ出した。

 見えたのはもとの世界の風景。

 ルイが真剣に何かを話しているのに、拒んでいるコトミががいる。

(これって……なに。どうしてもとの世界の中にルイがいるの?)


 そしてまた別の映像が流れ始めた。

 それはコトミが高校生の時の映像だった。

 朝家を出て行くときや、学校ですれちがうコトミの姿を目で追っているルイの姿が見えた。

 そして会えなかったクリスマスイブにはコトミのバイト先の前まで来ていた。

 隣の家の彼の記憶を見せられているはずだが、なぜかルイの記憶になっている。

(どうして彼の姿がルイになってるの……)


 コトミは高校時代、勉強とゲーム以外の時間は、目一杯バイトで自分の時間を潰した。

 忙しそうにしていれば出かけるときに、隣の家の彼をみかけても知らん顔ができる。

 声をかけられそうになっても小走りで立ち去ることが不自然でなくなる。

 義理の両親に面倒をかけたくないと自分に思い込ませ、実は離れていってしまった彼を避ける口実を作っていたのかもしれない。


(ずっと一緒だと思っていたから……)

 涙が頬を伝い、はっとして目をあけた。


 周りの景色を見てコトミは現実に引き戻された。

(早く逃げなきゃ……)

 杖のかわりになりそうな枝を拾うとそれを浮かせた。

 もう立って乗ることはできなかった。

 枝にまたがると、群島から離れバシラスタ国の西の果てにある村をめざした。

 その村で食べ物を調達して北の凍土を目指すつもりだった。


(もし氷の大地まで到達できれば、残響は追えなくなる……なんとかそこまで逃げきれれば)

 今となってはあんなにいやだった薬膳団子が恋しかった。


(眠れば徐々に回復するけど、ちょっと傷が深すぎる。

 早く治すために何か食べなきゃ……)

 半日ほど飛んでようやく西の果てにあるウグクの町まできた。


 そこで皮膚を破り、その下の自分のウロコを1枚はいだ。

 錬金屋に入りそのウロコをみせると、店主は驚きながら高値で買ってくれた。

 そこでカバンや食料を調達し、杖も買った。

 薬屋で獣人族用の万能薬を大量に買い込み、一気に飲み干した。

 痛みはあるが表面の傷はだいぶ癒え、すぐに杖にのって出発した。


 竜態を解けば竜族が追うことが出来る残響の帯は徐々に薄くなり数日で消える。

 竜になれば移動は早いが、その帯が再び濃くなる。

 それでも10日もすれば残響は消える。

 竜族の男の速度は女の数倍はあるため、残響を早く消して身を隠しながら逃げるのが得策だと思った。

 そして逃げ場所には北の地を選んだ。

 人がよりつかない凍った山にこもれば、もし見つかっても誰にも迷惑はかけずにすむ。

 そこから先のことは逃げ切れてから考えようと思った。


 北へ向かうほど海の青さは失われていく。

 途中の小島で休憩をとりながらほとんど寝ずに飛び続けた。

 海の色が灰色にかわり、曇ったままの空が続く。

 荒涼とした海の景色をたった1人で北へ北へ飛んだ。


(私を大事にしてくれた人たちに、戦うことで少しは恩返しができたのだろうか……。

 ルイに会いたい)


 雪がちらつき、なかなか休む場所が見つからなかった。

(私は違う世界に生きていたはずだけど、もうそれは夢の中の話だったんじゃないかと思える。

 今、この世界が本当なんじゃないかと)


 数日後、ようやく北の大陸の端が見えてきた。

(良かった……逃げ切れそうだ)


 港町の明かりが見えた。

 そこに降り立つと宿をとった。

 久しぶりに温かい食事をして、熱いお湯で体を洗うとベッドで眠った。

 傷はほとんど癒えて、もう少しで自由な新天地に足を踏み入れることができる。


 心地の良い眠りの中で夢をみた。


「マータ、お願い出して!」

「許してコトミ、18になればみんなこうなるの。

 決まりだから仕方ないのよ。

 私もそうだった。

 だけど女の子を産めば解放されて、好きな人と一緒になれるわ」


「いや! マータお願い逃がして!

 マータだって嫌だったんでしょ? どうしてこんなひどいことができるの!

 閉じ込められたままここで暮らすなんて嫌……お願い……」


 泣きじゃくるコトミにかけてやる言葉がみつからない乳母のマータは困り果てた。

 竜族の女は女児を産むまで部屋に閉じ込められ、夜になれば鎖でつながれて決められた相手と寝所をともにする。

 その手はずを整えるのは担当の乳母の役目だった。


 生まれた子供は全て村に献上され、誰が親か知らされずに村の子供として育てられる。

 女児を産めばその子を村に献上したあとに解放される。


 解放されたあとは村の子供たちの乳母となり、つながれた者たちが産んだ子供を育てる役目を負う。

 だが決して自分の子供を育てることはできない。


 ただ乳母になれば好きな相手との結婚が許され、その間に子供をもうけることができる。

 そしてその子供は献上しなくても良いことになっている。


 マータは同じ思いをして苦しみ抜いたからこそコトミの気持ちが痛いほどわかった。

 解放されても誰とも一緒にならず、村に取り上げられた我が子と思ってコトミを育てた。

 苦しむコトミの姿をみたマータは、竜族の規律を乱すことになってもこの子を逃がそうと決心した。

 トオカと寝所をともにする日の前日、部屋の鍵をあけてコトミを逃がした。


 マータが逃がしたことを、誰もが感づいてはいたが、村には罪に問わない掟があった。

 女を逃がすのは間違いなく乳母であり、乳母であれば何人もの竜の母である。

 その母を罪に問うわけにはいかず許す理由が必要だったから、罪に問わない掟にしたのだった。


「マータ、ありがとう。

 きっと幸せを見つけるから」

 そう言ってまだ小さい竜だったコトミは竜神の村を逃げ出した。



 眠っていたコトミの目から涙がながれた。

「マータ……」

 誰かがコトミの涙をぬぐった。

 はっとして体を起すと黒い装束が目に入り、驚きと恐ろしさでベッドから転がり落ち床に座り込んだ。

 ガクガクと震え、相手の顔を見ることができない。

 コトミの涙をぬぐったのはトオカだった。


 トオカはコトミの顎を手で上げるとその目を見つめた。

 黒く真っ直ぐな髪がはらりとコトミの頬にふれて、コトミは緊張で息ができなかった。


「おまえの瞳は特別だね。やはり美しい」


 トウカの瞳は緑だった、竜になったときは金になる。

 コトミのようなエメラルドグリーンの瞳を持った竜族は希少だった。


 トオカはコトミから手をはなすと窓を開けた。

 外から風と雪が吹き込んでくる。


「コトミ、ずいぶんと遠くまで来たんだね。 さあ帰ろう」


(もう……逃げられない。

 私が逃げれば、この町に迷惑がかかる)


 トオカはコトミを抱きかかえると宿の2階から飛び降りた。

 道を歩いていた人は驚いてしりもちをついている。


「お、おろしてください。逃げませんから」

「フッ……。わかった、じゃあ手をつなごう」


 そう言って指を絡めてきた。

 コトミはルイを思い出した。

 あのときは心が高鳴り、緊張とうれしさが同時に押し寄せたが、今は恐怖しかなかった。


(ふりだしに戻ってしまった。

 あがいて逃げて、あんなにも運命にあらがったのに。

 結局すべて……うたかたの夢だった)


「せっかくだから、少し町を楽しんで帰ろうか。

 私は今ほんとうにうれしい。

 おまえが逃げて多少腹もたったが、その分思いが大きくなった。

 それがとても心地がいいのだ」


 そう言って強くコトミの手をにぎった。


「竜神の村へ帰ります。

 今すぐに……だからこの町には……」


「何か思い違いをしていないか。

 この町がおまえを引きとめたわけではあるまい。

 もしそうなら、燃やし尽くすがな」

 恐ろしくて返す言葉が出なかった。


「だが早く帰るのはそれはそれで……」

 そう言ってコトミの耳元に口を当てた。

「私を熱くさせるな」

 ぞっとしたコトミはうつむいたまま上を向くことができなかった。

 こぼれてくる涙を見られたくなくて、慌てて手でぬぐった。


「では帰ろう。ついてきなさい」

 杖に飛び乗ると東の方角を目指して飛んだ。

 トオカが波動をおくると、竜が2匹飛んできた。


「さあ手を出して」

 言われるがままに手をつなぐと、1匹の竜が2人をすくうように拾い上げた。

 トウカは言葉を発せずに波動で竜に指示を出している。

 イプピアーラと同じだ。


 竜の背にのると、トオカはコトミの腰に手をまわして引き寄せた。

(ルイ……)

 どんなことがあっても必ず戻ってくるとルイに約束したのは、最後の手段があったからだった。

 うまく逃げおおせて戻れるのが一番だが、最悪捕まってもコトミには究極の選択肢があった。


 ただその選択をすると、ルイと会えるのはあと1度だけになる。

 捕まってしまった今、コトミはその手段を選択することを心に決めた。

(約束は守るから、待っていてルイ。必ずあなたのもとへ戻る)


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