心の叫び
竜神の村ではコトミの咆哮を聞き逃さなかった。
コトミの咆哮を感じた乳母のマータは残念でならなかった。
「コトミ逃げて……」
コトミをもらい受けるトオカは書斎で咆哮を聞いた。
「やっと鳴いたか……コトミ」
トオカはすぐに部屋を出ると、村おさである父の元へ向かった。
「父上、今夜立ちます」
「そう急くな、明日でもよかろう」
「前に取り逃がしておりますゆえ、すぐに追います」
「だいいちなぜおまえが出向くのだ。兵にいかせればよいだろう」
「コトミは私の嫁にするので」
「女児を産ませたあとも解放せずに嫁にするのか?
言うことを聞くとは思えんがな」
「自ら嫁になりたいと言わせてみせます」
「はぁ……好きにするがいい。
そういえば、あの娘はなぜあのとき村を出ることができたのか。
まあ、手をかす者がいたんだろうな。
いつの時代にもいるが、その者を責めぬのがこの村の掟だ。
女は逃げる者、だから閉じ込めてつないでおく……か。
良い慣習ではないな。
とりあえず、万事うまくいくことを祈っておくよ」
「はい、行ってまいります」
そのあとトオカは、マータの家へ向かった。
家の前にはすでにマータが外に出て頭を深々と下げていた。
家の中に通されると、コトミの咆哮を聞いた竜神の兵が数人集まっていた。
「私が直接連れ戻しに行く。供は2人でよい。
コトミの部屋は私の屋敷の中に作ってある。
今度は逃げることができないだろう。
マータ、準備を整えてくれ。
封じの輪を忘れぬようにな」
「承知いたしました」
マキラ島へ向かったコトミは島近くに浮いているイプピアーラを足でつかみ上げながら上陸し、陸にいるイプピアーラを火炎で焼いた。
つかんでいたイプピアーラは、叫び声をださせるために、ゆっくりと爪をたてて握りつぶした。
突然の来襲に反撃もできず、イプピアーラは次々に水の中に逃げこんだ。
竜族は20秒ほどしか潜水はできないが、竜の目をもっているため水の中でも狙った獲物を捕まえるのはたやすかった。
竜の目を使うと獲物が赤い光の帯のような残像を残し、その先には確実に対象の実態がある。
水に潜ったコトミは羽をたたみ太い尾の力だけで水中を魚のように泳いだ。
イプピアーラがその追跡から逃げるのは難しく、次から次へ口にくわえられ、島にあがったあとゆっくりと握りつぶされた。
仲間の悲鳴を聞いたイプピアーラたちは水面から半分だけ顔をだしてその様子を見ている。
拠点へ交代で戦況を伝えに行っていた魔法士たちは、竜の強さに息をのんだ。
その動物的な残虐性は、人ではないことを痛感させた。
拠点に戦いの詳細と、戦況が優位であることが伝えられると、大隊長の合図で艦船が出港した。
獣人や魔法士、プロトンに乗る者などは、船ではなく飛んで現地へ向かう。
ザクスから蒼の風はつねに一緒に行動するように指示が出された。
魔剣では飛行速度が遅いためルイとザクスはプロトンに乗った。
イプピアーラをわざと残虐に殺し、長い時間悲鳴をあげさせ続けていると、少し離れた海上で大きな水しぶきが上がった。
こんもりと山のように水が盛り上がり、その水の山がマキラ島に向かって走ってきた。
(来たか……)
浅瀬まで押し寄せてきたその水の塊の中から大型のイプピアーラが立ち上がった。
水の塊はそのまま巻き貝の山にぶつかり、上方の窓から町の中に水が流れ込んだ。
そのイプピアーラは竜になったコトミの倍ほどの大きさがあった。
(まずい、島から離さないと……)
コトミは咆哮を上げると低空でゆっくりと飛行しながら島の東側の海へ誘導した。
イプピアーラはコトミを捕まえようと、両手を振り回しながら追いかけてくる。
島の東側の砂場を越えて海の上を飛ぶと、しばらくは浅瀬が続き、そこをイプピアーラは必死に走りながら追いかけてきた。
巻き貝の山に被害が及ばない場所まで来ると、コトミは一挙に真上に上昇した。
きょとんとしたイプピアーラは上昇する竜の姿をただ眺めていた。
ある程度のぼったところで体を反転させ、急下降しながら火炎の柱をイプピアーラに撃ち込んだ。
瞬時に身をかわしたイプピアーラだったが、頭の横にある大きなヒレや肩には火がつき、半身は焼け焦げていた。
浅瀬は火炎の柱の衝撃であたりの水が全て吹き飛び、広い範囲で海底が見えて、撃ち込まれた場所には穴があいた。
穴を開けてもなお収まらないその火炎のエネルギーは海底に反射して、渦を巻きながら上空にむけて火の爆風を打ち上げた。
その炎の風の中にいるコトミはまるで燃えた竜のように見えた。
浅瀬でのたうちまわりながら燃えだしたヒレの炎を消すと、四つん這いになったイプピアーラは苦しそうに大きく肩で息をした。
とどめをさすためもう一度上昇し、火炎の柱を撃ち込もうと急降下をはじめたそのとき、拠点からこちらへ向かう艦船と空を飛ぶ兵士たちが視界に入った。
竜の目にはそれぞれの兵士の顔まではっきり見える。
空には蒼の風のメンバーとルイの姿も見えた。
空の部隊は大丈夫だが、艦隊の距離は攻撃の被害が及ぶ範囲にさしかかっていた。
(このままだと巻き込んでしまう……来ないで!)
瞬時に火炎の柱を吐くことをやめたコトミだったが、急降下をとめることができずに、そのままイプピアーラをかすめて浅瀬に激突した。
全身を強打し、なかなか体制を立て直すことができなかったが、なんとか頭を持ち上げて立ち上がろうとしたそのとき、イプピアーラの大きな爪が脇腹に刺さった。
深く刺さった爪はなかなか抜けず、今度は反対の手の爪を首に撃ち込まれ、両方の傷から大量の緑色の血が流れ始めた。
「グゥキィィ-」
と、痛みで叫び声を上げた。
それでもなんとか立ち上がり、上昇しようと羽ばたくも、倍ほどもあるイプピアーラの体を引き離すことも持ち上げることもできなかった。
空の部隊もコトミに加勢しようとしたが、距離もありすぎるし、弓や魔法の攻撃ではこの大きさのイプピアーラにはほとんどダメージを与えられない。
そしてイプピアーラめがけて艦砲射撃がはじまった。
だがそれはコトミの体にも当たっていた。
蒼の風の隊員たちは目を疑った。
イプピアーラ共々、コトミにも攻撃をしている大隊に憤りを隠せなかったが、とめる手立てはなかった。
「クソー! なんてことしやがる!」
ミルズが砲撃する船をみながら叫んだ。
「俺がとめにいく!」
耐えかねたレンが飛び出そうとした。
「待てレン!
おまえが行ってとめられると思うか!
殺されかねないぞ!」
ザクスが怒鳴ってレンをとめた。
そのとき、バタンと大きな音を立ててコトミの体は浅瀬に倒れた。
「コトミーー!」
ルイが叫んだ。
コトミを引きずると、砲撃があたらない場所まで移動してイプピアーラは翼にかじりつき、そして食べ始めた。
イプピアーラはほんの数歩移動しただけだが、艦隊は射程をとらえるまでに多少時間がかかる。
浅瀬を回避しつつ東へ進みそこから回り込んで距離を縮めていった。
大隊長はコトミがいても遠慮無く砲撃をしていたにもかかわらず、白々しく言った。
「やむをえん、このまま竜が戦えなければ最大射程に入った時点で一斉艦砲する!
竜にひきつけられている今がチャンスだ!」
最初から大隊長は、竜の生死よりもイプピアーラを倒すことを優先にしていた。
ルイは我慢ができなくなりイプピアーラめがけて飛び出した。
「ルイ!」
ザクスの叫び声も聞こえず、今はただ目の前のコトミを放っておけなかった。
それをみたカーシャが飛び出そうとしたがザクスがとめた。
「やめろカーシャ! かえってコトミが戦えなくなる!」
はっとしてカーシャはルイを追いかけるのをやめた。
ルイは涙で視界がくもった。
戦うために何度もそでで涙をぬぐった。
「俺は……無力で、いくじがないけど、コトミが死ぬなら俺も一緒に逝く!」
そういってルイは、魔剣に氷をまとわせると、一直線にイプピアーラに向かった。
ルイの剣は、コトミの羽を食いちぎろうとして油断しているイプピアーラの目に刺さった。
雄叫びを上げ、怒り狂ったイプピアーラはルイを水かきのついた手ではらった。
ルイの体は飛ばされ、視界がかすむコトミの目の前に落ちた。
ルイは血を吐いて、そのまま動かなくなった。
それを見たコトミの竜の目からは涙があふれ、首を持ち上げると、ひときわ大きな咆哮をとどろかせた。
驚いたイプピアーラはコトミの腹に両手の爪を差し込んだ。
悲しみと怒りがごちゃまぜになり、コトミの命に火がついた。
コトミの咆哮はルイへの心の叫びだった。
叫ぶたびにコトミの体が少しずつ白く輝きだした。
ルイを助けたい一身でコトミの体は変化していく。
竜の体は一回り大きくなり、白く発光し続ける。
爪が深く刺さったままの状態で、大きく羽を広げるとイプピアーラごと飛び始めた。
すかさず蒼の風のメンバーはルイの元に飛び、カーシャはすぐに治療の魔法をかけ、レンが万能薬を飲ませた。
少し離れた海上まで飛ぶと、コトミはイプピアーラをぶら下げたまま体をよじりながら上昇を始めた。
イプピアーラは竜の体を裂きながら下に落下した。
白く発光したままのコトミは急降下して、以前よりも速度を増し太くなった火炎の柱をイプピアーラにたたき込んだ。
すさまじいその火炎は一瞬でイプピアーラを灰にし水面には穴ができた。
コトミの体からは徐々に光が失われていく。
緑の血を流しながらゆっくりと羽ばたきルイの近くまで飛んできた。
カーシャが魔法をかけ続け、支えられたレンの腕のなかで、ルイの意識が戻ったことを確認したコトミは、その場で2、3度羽ばたくと、そのまま空の彼方へ飛んで行った。
「コトミー!」
カーシャが泣きながら叫んだ。
他のメンバーは声すら出せず、去って行くコトミをただ見ていた。