クリスマスの夜に(2)
叶 聖夜と名乗ったその男性が店を出て行くまで、その後ろ姿を見つめたまま、琴美の動きは止まってしまった。
はっ!っと我に返り、テーブルの上の片付けを始める。
(あんなイケメン……。しかも年齢も結構上の人。
数少ない知り合いの中に絶対に存在しない……はず)
仕事が終わり更衣室で着替えるときに、男性からもらったクリスマスカードを開いた。
『君にあげたサンタの帽子をまだ持っていますか?
あのとき渡せなかったプレゼントを今夜君にあげよう。
叶 聖夜 君のサンタより』
「ああ……」
琴美の目から涙がこぼれた。
そして心の端に追いやっていた幼い頃の記憶のページが開かれた。
琴美が聖夜に初めてあったのは小学2年のクリスマスイブ。
普段なかなか施設に顔を出さない父が、10月に琴美に会いに来た。
そのとき、12月24日のクリスマスには必ずケーキとプレゼントを持って来るからと約束をした。
イブの夜、琴美は園の中で父を待っていたが一向に現れない。
外で父を待とうと、そっと園を抜け出し、門の柱のそばにしゃがんで隠れて待っていた。
「あ……雪」
ちらちらと降り出した雪は次第に量を増し、琴美は靴の先にたまった雪を手ではらった。
ハァーっと、いくら息をかけても手は温まらない。
誰も通らない暗い通りは、シンとしていて、いたたまれなくなった琴美は通りに走り出た。
すると積もりかけの雪を踏みしめる足音が聞こえる。
「お父さん……?」
そこに現れたのはサンタの衣装を着た聖夜だった。
琴美をみて驚いた聖夜はすぐに駆け寄りしゃがんで琴美の顔を見つめた。
「家に入ろう。風邪ひいちゃうよ」
そういいながら肩や頭にたまった雪をはらい、自分のかぶっていたサンタの帽子を琴美にかぶせた。
にっこりと笑う琴美の笑顔に、聖夜は胸が痛くなり、あふれでそうな涙をこらえた。
「お父さんがね……来てくれるの。ケーキとプレゼントを持って」
少女の後ろに見える施設の看板を見た聖夜は全てを察した。
「そ……そう。あのねお父さんちょっと用事ができちゃって。
今日は来られないかもしれないって……。
お兄ちゃんプレゼントを頼まれていたんだけど……」
琴美は聖夜に向かって倒れ込んだ。
受け止めた聖夜は、琴美を抱きしめた。
「ご……ごめん」
聖夜の口からとっさにその言葉が出た。
そして自分の手に結んでいた小さな鈴の付いているリボンを琴美の手首に結んで「祝福」とつぶやいた。 するとリボンと鈴は一瞬光って琴美の手首に消えていった。
聖夜は園の中に琴美を運び込みシスターたちに介抱を任せて外にでた。
「ごめんね、君にあげられるプレゼントを持っていないんだ。
僕はまだ修行中で……。
でも約束するよ、いつか君にプレゼントを届けるって」
そしてその翌年、琴美は真知子夫妻に引き取られ、施設を出て行った。
真知子夫妻の家で過ごす初めてのクリスマスは全て手作りで暖かかった。
施設でもツリーやケーキはあったけれど、蛍光灯の下でのクリスマスは白くて少し冷たい印象があった。
夫妻の家でのクリスマスはオレンジ色。
学校からの帰り道、よその家の窓から見える暖かそうなオレンジ色の光にあこがれた。
夫妻の家にはそれがあった。
(あの日のサンタさんにまた会える日が来るなんて……)
もらったサンタの帽子は大切に机の中にしまってあり、子供の頃は心がくじけそうになると、よくその帽子をかぶっていた。
(『あのとき渡せなかったプレゼントを今夜君にあげよう』って……どういうことだろう。
サンタ帽子だけでも私には大きなプレゼントだったけど)
考えながら店を出るとそこにサンタの格好をした男の人が立っていた。
「こうなることは想定内」
夜空でトナカイに乗っている聖夜は、そうつぶやくと指をパチンと鳴らした。
「お疲れ、琴美」
(あれ……? えっと……だれだっけ)
サンタの格好をしてる彼をずっと前から知っているはずなのに。
(彼の名前を思い出せない……)
9歳で真知子の所に引き取られてから、たくさんの思い出を共有している隣の家に住む彼の名前が、なぜか記憶から完全に消えていた。
彼は、黙ってしまった琴美を見て不安そうな表情になった。
(ダメ……何か話さないと!)
なんとか取り繕おうと言葉を探した。
「久しぶり! えと……今夜はサンタさん……だね。でもどうしてここに?」
「あ……うん。 たまたま見かけて後を追いかけた……本当に久しぶり琴美」
彼はほっとした様子で、笑顔になった。
(彼に名前で呼ばれたのはいつ以来だろう……)
「ちょっと集まりがあってこんな格好してるけど……抜けてきたんだ。
そうだお腹すいてない?」
「ううん、大丈夫、ありがとう」
中学3年の頃、琴美は彼にさけられるようになり、いつも勝手に出入りしていた彼の部屋の窓は鍵がかけられた。 高校時代は琴美のバイトが忙しく、会っても挨拶くらいしかしなかった。
その頃になると窓の鍵は開けられていたが、もう窓を乗り越えて部屋に入る勇気は琴美にはなかった。
(嫌われてしまったと、大切だった彼に嫌われているんだとずっと思っていた。
こんなふうに声をかけてくれるなんて)
少し派手な格好をした自分をみた彼が、気まぐれに話しかけてくれたのかもしれないと思いつつも、久しぶりに彼の声が聞けたうれしさはあった。
「あ、大学受かったんだよね、おめでとう! 今度お祝い渡すね」
「そんなのいいよ。 今年のクリスマスはどうしても琴美に会いたかった。
いつもバイトで忙しそうだから今年も会えないだろうなって思ってた。
でも会えた。クリスマスの奇跡かな……なんて」
そう言って昔と変わらない笑顔を見せた。
顔をあからめた琴美は、気づかれないように少し下を向いた。
「一緒に帰ろう」
「う……うん」
中学2年までは、とても仲がよかった。
徐々に琴美と距離を置くようになって、毎年必ず顔を合わせていたクリスマスさえ会うことがなくなった。
「ケーキはいかがですか、シャンパンとセットで買うとお得ですよ-」
深夜12時が近くなっても、サンタの衣装を着込んだ女性たちが、まだ路上販売をしている。
「ケーキ買う?」
「ううん、いらない……」
「隣に住んでるのにさ、ここ何年かはほとんど顔も会わせなかったよな」
「そうだね……」
(何を話していいのか……わからない)
「俺はずっと見ていたよ琴美のこと」
「え……」
「今日はなんかいつもと違うっていうか……。
その、かわいいね。ドキッとしたよ」
カーっと顔が熱くなり、真っ赤になっているのが自分でもわかった。
(どうしよう……そんなこと言われたの初めてだ)
男子免疫がないというか、男子に限らず人をなるべく寄せ付けないように生きてきてしまったせいで、普通の女子高生が経験していることをほとんど逃してきていた。
(久々に会ったせいか違う人と一緒にいるみたいで緊張する……逃げ出したい)
強く鼓動する心臓の音が、外に聞こえてしまうのではないかと胸のあたりに手をやった。
「あのさ、別にいつもの琴美のままでいいんだけど……」
そう言いかけた彼は、琴美の手を少し引っ張って横の路地に入った。
「その……俺とつきあってくれないか」
そう言って見つめる彼の真剣なまなざしに、後ずさりしようとしたが、彼はつかんだ手を離さない。
「えと……やだ……」
琴美の大きな瞳からぼとぼとと涙があふれた。
(なんで涙が出るの……)
口を手で押さえて声がでないようにするのが精一杯で、涙をぬぐうこともできなかった。
それを見た彼は、一瞬とまどったが、口をキュっときつく結ぶと琴美を抱きしめた。
聖夜だから許される邪魔の入らない街なかでのハグ。
「すっと好きだった」
その一言で、たまったせつなさが一気にふきだし、彼の胸に顔をうずめて少しだけ声をあげて泣いた。
そのとき……。
どこからか12時を知らせる鐘が鳴り響いた。
「好きだ琴美……」
彼は琴美の顎を引き寄せ唇を重ねようとした……が。
(無理!)
琴美の心は全力で彼を拒否した。
「やっぱりこうなっちゃうよね。自分の心を知るんだ、琴美」
トナカイに乗った聖夜は、再びパチンと指を鳴らした。
一斉にたくさんの鐘が頭の中に鳴り響き、琴美は思わず耳を塞いで目をつぶった。
「こ……琴美?」
動揺する彼はどうしていいかわからず、耳をふさぐ琴美をそっと抱き寄せた。
そして琴美の意識はなくなった。