クリスマスの夜に(1)
「たのむ琴美! 明日だけ、明日だけはお願い!」
バイト先の更衣室で着替えをしていると、先輩の竹田光希から明日の自分のシフトに入ってくれと懇願された。
「ええーっ。
明日はゲーム内でクリスマスイベントがあるから、無理言って休みにさせてもらったのに。
しかも引けは深夜11時じゃないですか。
きついな……せっかくのイブなのに」
「あんたは彼氏いないでしょ?」
(グッ……グッサ。 胸に短剣さされた)
「私はクリスマスにようやく間に合ったんだから!
彼とのこの夜を逃がすわけにはいかないの!」
「い……いや確かにいないけど」
「もれなくサンタのコスチュームが着れます!」
「そういうことじゃなくて……。
接客が嫌で厨房に回してもらってるの知ってますよね」
ロッカーの扉を閉めながら、琴美は頬を少し膨らませて光希を見た。
「ええいわかった!
ネットマネー3000円を進呈します! これでどう?」
「や……やらせていただきます」
「ひゃっほーい!」
高校時代からずっと続けているファミレスのバイトはもう3年になる。
光希とも3年の付き合いだ。
19歳の琴美より3つ年上だが初めて会ったときから、2人は妙に馬が合っていた。
「はぁ……。あ、じゃあ光希さんコスはどうすれば?」
「ああ、明日バイト入る前にうちによってよ。母さんに言っておくから!」
「はーい」
琴美は養女だ。
義理の親の面目を保つためになんとか進学校に入ったが、高校を卒業したら早く独り立ちするため、大学への進学はしなかった。
義理の両親からは進学を勧められ、学費や生活のことは心配するなと言われたが、素直に受け入れることができなかった。
「真知子さん、バイト行ってくるね」
「まあクリスマスなのにバイトなの?
デートならおばさん喜んじゃうんだけど。
早く帰って来られるようならチキンとか……」
「大丈夫、おじさんと2人で楽しんで! 行ってきます!」
「あ、うん……行ってらっしゃい……」
見送る真知子の顔を振り返ることも無く、琴美は玄関から出て行く。
気を遣わせてることも、誘いを断ってしまうことも、両方申し訳ないと思い、もやもやとした気持ちになる。
(ごめんね、真知子さん。 将来たくさん恩返しするから……)
6歳のときに母が亡くなりその2年後、父が新しい家庭を持つタイミングで父方の親戚の家に預けられた。
その後は親戚の家と施設を行ったり来たり。
それでもくさることなく毎日元気に笑顔で生きてきた。
笑顔でいることは、母と約束したことだったから。
9歳のときに琴美のその状況を知った母の友人である真知子に引き取られた。
真知子夫妻に子供はなく、2人とも教師で物腰が柔らかなやさしい2人だった。
引き取られてから「遠慮はしないで」といつも言われていたが、それができない自分がいた。
琴美にとってのバイトは、歯磨きをしたり学校に行くことと変わりがないくらい生活の中の当たり前。
真知子夫妻にとって、養子にバイトをさせていることは体裁が悪いはずだが、2人は琴美の好きにさせていた。
「はぁ……さむ」
繁華街にさしかかると着飾った人たちが楽しそうに歩いていた。
(クリスマスに予定がないのはいつものことだけど……)
「あ……雪」
見上げた黒い空から雪片がひらひらと舞い降りてきた。
絶え間なく降るその雪を上を向いたまま見続けていると気が遠くなりそうだ。
(サンタさん、ずっとプレゼントを待ってるけど、いつになったら私の番になるかな……)
待ち続けているプレゼントは物じゃなくて……幸せの時間。
漠然としすぎていて、幸せがなにかわからないけれど、きっとそれは最高にうれしくなることなんだと思っていた。
今の生活が不幸だとは思わない。
でも自分が知らない幸せの時間があると信じていた。
「こんばんは。おばさん、琴美です」
バイト先で着るコスチュームに着替えるために、美容室をやっている光希の実家に立ち寄った。
「琴美ちゃん、あなたいつ会っても同じ髪型よね……しかもダサいわ。
自分で切っているんでしょう? きれいな長い髪でもこれじゃ……ダメ」
(クッ……親子そろってきつい)
「あまり気にしないので……アハハ」
「いつでも切ってあげるって言ってるのに……今日はクリスマスよ。
ちょっとおばさんにプレゼントさせてね」
長い髪は好きでやっているわけではなく、自分で切りやすいから。
いまどき自分で髪を切っている女子高生がいるのかと、以前、光希にあきれられたことがあった。
でもカット代は馬鹿にならないし、自分がそれで良ければ気にはならなかった。
ただそうやって心を騙しながら生きていることの自覚はあった。
恥ずかしくなりそうなことや、どうにもならないことは、これでいいんだと言い聞かせてきたせいで、いつも自分の本音がはっきりしない。
1度ため息をついてから、光希の母に従うことにした。
少し髪をぬらして手際よくカットするとヘアーアイロンであっという間に巻き上げた。
整髪料でセットをし、鏡越しに光希の母がにっこりほほえんだ。
鏡の中の自分は別人のようで、琴美は素直にうれしかった。
「おばさん、ありがとう。良いクリスマスになりそう」
「もう、こんなことくらいで!」
そう言う光希の母もうれしそうだ。
ただサンタのコスチュームは思った以上に丈が短かった。
(みじか……長めのコートで良かった。 あ、遅刻しちゃう)
琴美は降り始めの雪で転ばないように慎重に、でも足早に歩いた。
そのとき、サンタの格好をした2人の背の高い男性とすれ違った。
だが琴美は足下しか見ていなかった。
「あ……見つけた」
1人の男性がつぶやいて立ち止まった。
「え? 今の子? めっちゃかわいいじゃん」
もう1人の男性が振り向いて琴美の背中を目で追った。
「うん、やっと会えた。
バイトばっかしてるからなかなかつかまらないんだよね。
今日の琴美は……声かけられないほどかわいかったな」
「ブッ! 何言ってんだよ。じゃあ俺帰るからな。
良いクリスマスになることを祈っとくよ! メリークリスマス!」
「お……おう。 メリークリスマス」
クリスマスのファミレスは、当たり前にものすごく忙しく、コスチュームのことを恥じらう余裕などなかった。
「ご注文がお決まりになりましたらそちらのボタンでお知らせください」
店に来ていた、高校時代別のクラスだった女子が、接客をする琴美を見ていた。
「ね、香織、あそこにいるの成瀬琴美じゃない?」
「どれ? ええー、違うでしょ。
卒業して1年もたってないのにあんなに変わる? 髪巻いてるし。
あの女いつも暗くて髪なんか切りっぱなしでまっすぐだったじゃない」
「まあね、あんなに美人じゃなかったし。っていっても普段前髪で目とか隠れてて眼鏡もかけてたから人相よくわからなかったけど。
そういえばさ、成瀬琴美の家の隣って、香織の……だよね!」
「なによ、何がいいたいの?」
「いやあ香織が成瀬のこと目の敵にするのって、その彼のことが関係あるのかなーって。
あんたがどんなに言い寄ってもダメだったでしょ?」
「梨花、ケンカうってんの?」
「そういうわけじゃ。あ! 今、他のスタッフが成瀬さんって呼んだよ!」
「え? マジで……あいつ高校時代とは別人じゃん」
「だねー。彼とつきあってたりして!」
「チッ……なわけないでしょ!」
香織は手を上げて琴美を呼んだ。
「すみませーん!」
「はい、お呼びでしょうか」
「ねえ、あなた成瀬琴美でしょ?」
おどろいた琴美の顔が一瞬ひきつった。
(うわぁ、なんかばれてる……ってだれ?この子たち)
「は……はい」
「高校のときと雰囲気全然違うよね」
(どうして私のこと知ってるの……)
「あの、ご用がなければこれで」
そう言って立ち去ろうとする琴美に、聞こえよがしに2人が話を続ける。
「クリスマスだからうかれちゃってるんじゃない?」
「そうね、彼氏もいないくせにあんな巻き髪しちゃって、何狙ってるんだか」
(クッ……なんでこんなこと言われないと)
馬鹿にされたことよりも、なぜか恥ずかしい気持ちの方が強かった。
(髪なんて……巻いてもらわなければ良かった)
ガタンと香織たちの後ろの席に座っていた男性が立ち上がった。
「琴美、久しぶり」
(え? だ……だれ?)
少しウエーブのきいたグレーに染めたツーブロックの髪をかき上げて「久しぶり」と、声をかけてくる見ず知らずの男性に、琴美は返す言葉が見つからなかった。
ただ、声をかけてもらえたことで、あふれ出しそうな涙はおさまってくれた。
180はあろうかと思われる長身に加え、鍛えた体は服を着ていても隠せない。
「なんでヒゲつけたまま……クスクス」
香織たちがそう言いながら笑っている。
そう、彼は、サンタの白い口ひげを取るのを忘れている。
でも香織たちは黙った。
というより、この圧倒的な登場の仕方に黙らされてしまった。
「何時上がりかな?」
「11時……」
「待ってるから一緒に帰ろう」
(まてまて、私なに普通に会話しちゃってるの!? でも……助かった)
「う……ん」
(そうは言ったものの、どこの誰とも知らない人とどうすれば……)
しばらくして香織たちが帰ったのを見計らい男性の所に近づいた。
ヒゲを取った彼は超絶イケメンだった。
(さっきはわざとヒゲをつけていたのかな……)
「あの……先ほどはありがとうございました。
でもどうして私の名前を知っているんですか?」
「ああ、誰かがそう呼んでいたから」
フッと向けられた男性の笑顔に、なぜかとてもなつかしさを感じた。
(ん?でも店で私のことを琴美って呼ぶのは……光希さんだけなんだけどな)
「君は……」
その人は名札をちらっと見てから、
「成瀬琴美……さん。 僕は叶 聖夜。
名乗ったところで、もう会うことはないだろうけど。
お礼なんていいよ、クリスマスだし。 そうだ、これをあげよう」
そう言って男性はクリスマスカードを手渡してきた。
「あとで見てね、メリークリスマス」
それだけ言うと席を立って店を出て行った。