彼女への愛が冷めるだけの話
仕事帰り、満員電車に揺られながら、付き合いたての頃は彼女も優しかったのに、などと考えていた。
恋人関係を持ったことのある者なら、誰しもそう考えるものなのだろうか。最近、同棲中の彼女の俺に対する態度が冷めたように感じている。常に冷めているわけではないが、彼女は自分が甘えたいときや、気が向いたときにだけ俺に構ってくる。
俺が仕事で疲れてるとか、そんなの彼女の知ったことではないのだろう。相手をしなければ彼女は機嫌を損ね、俺に対する態度が悪くなる。少し露骨なくらいに。
俺は家に帰ってまで気疲れしたくないので、なるべく彼女の機嫌を損ねたりしないように気を使っていた。
彼女を甘やかし、彼女の気持ちを読み取り、彼女の表情をうかがい、彼女の喜びそうな言葉を選び、彼女が望むスキンシップをする。俺は彼女を愛しているから、恋人として彼氏として当たり前のことをしているという気持ちだった。
実際、彼女はとても可愛い。俺が他人と身体を重ねたいと思うのは彼女だけだし、自慰をする際のオカズも彼女だけで充分だった。
けれど、彼女は違ったみたいだ。どうやら俺一人からの愛だけでは満足できなかったのだろう。いつからか別の男からも愛を求め、受けていたようだった。些細なことから、俺は自分の恋人がネットで知り合った別の男と関係を持っていた事実を知った。
とある日。仕事続きで疲れて、寝室のベッドの上で横になり目を瞑っていただけの俺を、寝たと思い込んだのか、彼女は寝室のすぐ外で通話を始めた。デカい声で話していたものだから、彼女の声は丸聞こえだった。ありがちな証言ばかりだったので詳細は省くが、確実に浮気をしていたと分かる内容だった。
恋をしている男相手に話す、地声より少し高くて甘ったるい雌の話し方。俺には、甘えたいときや身体を重ねたい気分のとき以外は、冷めた態度で接してあしらうくせに。
聴きたくなかった。俺以外の人に、恋人以外の男に、あんな雌の音を出す彼女の声なんて。俺は浮気をされていたことを知ったショックで動く気も起きず、そのままベッドの上でじっとしていた。
その後は、ストーカーの如く彼女の動向を探った。浮気の証拠が簡単に集まり過ぎて、もはや彼女の緩さに呆れ返った。彼女は俺が疑わないと慢心しているのだろうか。確かに前まではそうだったが、俺も舐められたものだ。
面白いことに、彼女は複数の男と関係を持っていた。複数人に迫られる恋愛ゲームの主人公気分でも味わいたかったのだろう。彼女が複数の男と遊んでいると知った俺は、自分が何かの感染症になってないか心配になり、病院へ検査に行ったことがあった。結果は何もなくてよかったが、性的なモノ、特に女性の淫らな姿を見るのが少し苦手になってしまった。
色んな男に会うたびに彼女が出す、糖度の高い雌声を聴いているうちに、段々彼女への熱情が冷めていった。
別れよう、その四文字が浮かんだ。その頃にはもう脳内で、裏切り者の尻軽女と侮辱して嘲笑できるくらいには、彼女を見限っていた。
早々に引っ越しの荷造りを進め、現在彼女と同棲中のアパートの解約手続きを済ませなければ。彼女は俺の献身と身体以外は俺に関心が無いようで、家のことは大体俺に任せきりなので、こっそり進めれば多分気づかれることはないだろう。せいぜい浮気相手との秘密の逢瀬やらに夢中になって、俺に引っ越し準備の時間を作らせてほしい。彼女と関連するものは可能な限り断捨離して、最後には彼女もいらないから捨ててしまおう。
俺はそんなことを考えながら片手でつり革に捕まり、もう片方の手でスマホを弄って、賃貸物件を検索していた。一人暮らし向けのアパートの家賃の安さに感心し、新しい環境で自分の為に過ごす悠々自適な生活を妄想していた。
万が一、彼女から執着されると面倒なので、別れ話をする頃にはいつでも彼女を切り捨てれる状態でいたい。その辺の手続き等も徹底して行わねば。
あんなに好きだったのが嘘みたいだ。先日までは彼女に対して多少の涙を流す情も残っていたが、今はもう彼女が家にいると思うと、職場に泊まりたくなるくらいに疎ましく思える。そういえばうちの会社には社宅サービスもあったので、会社に相談してみるのもいいかもしれない。
駅を降りて、家に向かう。彼女がいる家へ。軽率な行動はしないように、我慢しよう。俺は自分の為の幸せを手に入れるんだ。もう、しばらくは独り身でいいかなと思うけど。
もしも次に恋人ができるとすれば、愛を踏みにじらない人がいい。育った世界や好み等は違っても、同じ価値観の人がいい。でも一体、どれくらいの人間がそんな相手と出逢えてるのだろう。
愛というものは所詮、醜い部分を美しい歪みだと勘違いしたまま、本質など知らぬままの方が幸せなのだろうか。けれど、彼女のことがあったとしてもきっと、俺は今後もどこかで本当の愛が存在するのを期待してしまうだろう。もう彼女に対する気持ちはほとんど残っていないが、彼女を愛していた心を無かったものにするのは、俺には難し過ぎた。
月のない夜。街灯だけで自宅前に辿り着けるほど明るい現代では、星の明りが目立たなくなるのだと、彼女と話していたことを思い出した。彼女は俺の話など興味無かったと思うから、向こうは思い出すことすらもないだろうけど。
鞄の内ポケットから、玄関の鍵を取り出す。ひとつ深呼吸して、鍵をドアノブの穴に挿して回す。ガチャリという音を合図に、彼女と別れる決意を固めた。




