長い長い1分の命
これはシャングリラ地方にある氷の国と科学の国の間で起きた戦争にまつわる話である。
最も凄惨を極めたとされるネージュ高原の戦い。この戦いに勝った方が、戦争の勝者となるだろうとされていた。雪が降り積もる中、凍える手足をどうにか動かし前へ進む。
ハイル・カルテリアはこの戦場にいた。軍医として、道具と知識と少しの武器を携えて参戦していた。
銃声、爆音。その中に今まで聞いたことの無い悲鳴が敵陣の方から聞こえた。最初は無視しようとしたのだが、今度は味方陣営の方から悲鳴が上がる。
すぐさま現場へ走った。
そこにいたのは血を吐いて横たわる3人の兵士。確かよく行動を共にしている仲の良いグループだったはずだ。
「ハイルさん!これは一体…!?」
「…これは、やばいかもしれない。」
ハイルには心当たりがあった。図説で読んだ中にあった遠い昔に流行った感染症。『内臓創痍型雪菌性感染症(ないぞうそういがたせっきんせいかんせんしょう)』雪原に長時間いると低確率で発症する菌による病。かつてエイク・シカトリス博士によって発見された雪菌の一種であるエイク菌が原因と言われ、雪から特効薬を作ることが可能とされている。しかし、人体に感染すると内臓をズタズタに傷つけながら増え、空気感染を起こすようになる。こうなってしまうと雪原だろうと暑い砂漠だろうと簡単に広がってしまうのだ。
しかも致死率が高い。
ハイルはすぐに清潔な雪を集めて薬を作った。粉薬で済むように研究を進めてくれたエイク博士には感謝してもしきれない思いだった。そしてこの戦場以外に広めないためにも、ハイルは一度戦闘を止めさせ、敵陣にまで薬を配り、飲ませた。
そのせいで敵は衰えることなく、ハイルのいる科学の国は敗戦へ向かってしまったのである。それでもハイルは医者としての使命を真っ当でき、満足していた。だが、国の上層部は納得しない。ある条件の元で講和条約を締結したが、それでもハイルに対して不満だった。
そのためハイルを戦犯として捕え、気が済むまで拷問を行った。その過程で右眼を潰されたが、そんなことは関係ないのだ。
その生活が数年続いたある日、氷の国から科学の国にとある指示がなされた。
ハイル・カルテリアを普通の医者として働かせよ。そのための研修として1週間氷の国へ来るように指示せよ。
かくしてハイルはどんな病、傷でも1錠につき1つだけ治せる錠剤を作れるようになったのだ。
もちろんデメリットもあるが、1錠作るににつき1分寿命が縮むというだけであるため、大して気にとめなかったのだ。
「でも父さん、1分って意外と長いよ。あんまり無理しないでね。」
息子のリーベにそう釘を刺された。
「それでも、僕の1分で誰かの命が救えるのなら、それはとても素敵な事だと思わないか?」
そう返すと、リーベは憐れむような顔で頷いた。
最初は癌や大怪我、クローン病など、重い病が多かった。そして救う度にとても感謝された。泣いて喜んで抱きしめ合う。そんな人間の姿がとても美しく思えた。
この時はまだ1分寿命を削ることに躊躇は無かった。
どんな傷でも簡単に治してしまう。そのせいか、患者たちは簡単にハイルの元を訪ねるようになった。それも大勢。面倒になったハイルは国民約10万人に対して5つずつ錠剤を配布した。これで寿命1年分。安いものだと思った。しかしものの数日でまた再送を求められてしまった。話を聞くに、小さな切り傷や擦り傷、ちょっとした腹痛でも薬を飲んでいるらしい。それならすぐに消費してしまうに決まっている。ハイルは少し呆れてしまった。しかし、人の命を救うため。ハイルはまた命を削った。
やがて他国からも災害支援の依頼が届いた。ハイルはもちろんそれを受けた。一気に10年分の錠剤を届けた。それに対してお礼として感謝状と笑顔の国民たちの写真が届けられた。それだけでも満足したつもりだった。
すると商業的な依頼が来た。しかし、寿命を削ることを恐れ始めたハイルは断った。
魔法のように簡単に大病を癒す人物として讃えられるものの、失っていくものも多い。
「…リーベ、本当に1分って結構長いんだな。」
「父さん、もういいよ。頑張らなくていい。僕と母さんがお金を稼ぐから、父さんはもう休んでよ。」
そうはいかなかった。
切り傷が痛い、お腹が痛い、足が疲れた、眠い。
…健康とはなんなのだろうか。
科学の国の人間のほとんどは忍耐力を無くしていた。
ハイルはまた命を削って寝不足の中、息が上がるほどの疲労を抱えて、健康な人間の生活を支えている。
今削った1分で、何度妻やリーベに愛してると言えるだろうか。
初めて人を救うことが嫌になってしまった。