202話:ヤス、5000m
パン!
ピストルの音が鳴ると同時に一斉にランナーがスタートする。
ガツッ!
隣の奴が俺に肘をあててきた……この野郎、なにすんだ。
自分よりアウトコースからスタートをした選手がインコースに入ろうと俺の方に寄ってくる。
……うわ、邪魔だろ! 俺が走りにくいじゃんかよ。
俺のコースに入って来んなよ。
こんな奴にインコースを譲りたくない。
譲ってたまるか!
そいつと肘をぶつけ合いながら、100mを通過。このやろ、ひけよ。
「ヤス! 無理をするな! まずは後ろにひけ!」
……ち……了解、ポンポコさん。
ポンポコさんのアドバイスに従ってアウトコースを走っている選手にコースを譲る。
にやっと笑っていったそいつの顔がムカついてしょうがない……あの野郎!
「気にするな! それでいい!」
……だな。5000mもあるんだ。他のランナーから肘打ち食らったくらいで怒ってちゃ駄目だろ。
ふぅ……気持ちを落ち着けろ。気持ちを落ち着けるんだ。あんな奴は無私だ無視。
一旦気持ちを切り替える為に腕をブラブラさせて、仕切り直す。
……おし、こっからだ。
……400m通過。まだ全然ばらけてなくって集団の状態だ。
先頭はメチャメチャ速くって、67! と言う叫び声が聞こえた。
……67秒って何だよ。
「ヤス兄、79秒! ファイト!」
79秒!? 目標は88秒ラップで刻むはずだったのに……今の俺には速すぎだろ。
……ちっ、周りのペースに影響されたな。
「ヤス! ゼッケン596の後ろにつくのだ!」
……あれ? ペース落とせって言われるかと思ったのに、ポンポコさんのアドバイス違ってたな。
596……596……あいつか。
ターゲット確認、任務を遂行する。
「いいぞ! ぴったりと真後ろにつけ」
らじゃ!
……1200m通過。
電光掲示板を見たら、1000mの通過は3分25秒だった。
俺にとってはめっちゃ速いペース……ちょっときついけど、まだまだいける。
現在の俺はポンポコさんのアドバイス通り、596の後ろにぴったりついてコバンザメのようにはなれない。
足の運びも腕の振りのリズムも596に合わせて走っている。
……こうやって走ってると、思った以上に体が動く。
「ヤス兄! 84秒!」
……速すぎる気がする。俺、こんな速く走れたっけ?
おし、このままこの596についていってこの速いペースを維持していこう。
タッタッタッタッ……。
なんだかだんだんとこのペースより速く走る事が出来る気がしてきた。
……俺、この596のランナー抜けるんじゃねえか?
1300m、カーブから直線に切り替わる所からアウトコースに出て596を抜こうと試みる。
「ヤス! 無理に抜こうとするな! ついていけ!」
……ちぇっ、抜いていってやりたかったのに。でも……アドバイスには従っとくか。
アウトコースに出たけど、また596の真後ろに戻って足の運びを揃える。
見てろよ、この596のペースが落ちてきたら抜いてってやる。
2000m通過。
まだ俺はゼッケン596の後ろにぴったりとついている。
ペースが速くて、ちょっときついんだけどおいていかれるのは悔しい。
……さっきゼッケン596より速く走れると思ったのは勘違いだったみたいだ。
「ヤス兄! 84秒!」
この596ってランナーすげえな。さっきから延々と84秒を刻んで走ってるんだけど。
……お、ランナーが1人落ちてきた。
最初にハイペースに入りすぎたんだな。もうバテバテじゃんか。
ゼッケン596と一緒になって落ちてきたランナーをすっと追い越していく…………快感だ。
人を追い越していくってなんて気持ちがいいんだろう。
……おし、このゼッケン596についていけばどんどん追い抜いていけるな。
腰巾着っぽく見えようが、このゼッケン596に絶対ついてってやる。
……3200m通過。
きっつい……3000mまではなんとかついていけてるって感じだったのに、3000m越してから途端に体が動かねえ……。
まだ無理矢理体を動かしてゼッケン596においていかれないようにしてるけど……。
「ヤス兄、85秒!」
くそっ、ちょっとペースが落ちたか。ゼッケン596との差がちょっと開いてる。
……はぁ……はぁ……もっと動けよ、足。
「ヤス、ここが踏ん張りどころだぞ! がんばれ!」
……そんなこと分かってるよ……でも、さっきとおんなじように走ってるつもりなのに、離されていくんだよ。
すっ……。
ちっ、後ろから追い抜かれたか……って何だよあいつ。
3300m地点でトップの野郎が追い抜いていきやがった。
ああ、今俺、1周おくれになっちゃったのか。
……ちっくしょお……なんだよこの実力差は。
気持ちが萎える……。
「ヤスう! ファイトお! 負けるなあ!」
「ヤス君! ファイトです!」
頑張ってる、これでも頑張ってるつもりだよ。
これ以上どう頑張れって言うんだよ。
3400m通過……後4周もあんのかよ。
ゼッケン596の選手とは結構離されてしまった。
くっそ、こっから追いついてやりたいけど……遠いな。
「ヤス! 負けちまえ! 笑ってやるぞ!」
……ケンのやろう……なんかムカついた。
てめえなんぞに笑われてたまるかってんだ。
重くなってなかなか動いてくれない腕を、またもう一度だらんと下におろしてブラブラさせる。
ぶらっとさせた後、もう一度腕を上げて、仕切り直しだ。
絶対596に追いついてやる!
……4000m通過。
後1000m……。
「ヤス兄! 93秒! 頑張ってー!!」
くっそ……気持ちを切り替えても、ペースはあがらねえ……むしろ落ちてきやがる。
ゼッケン596の選手とはかなり差が開いていっている。
はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ……。
もう息も切れ切れ……走る事がつらい……。
こっちがこんなきつい思いで走ってるってのにゼッケン596のやろう、ゆうゆうと走りやがって…………まだゼッケン596のあいつに追いつく事は諦めてないからな。
後600m、1周半だ。
「ヤス兄、90秒! 頑張って!」
90秒だと……はあ……はあ……くそ、ペース、さっきからあげてるつもりなのに全然あがらねえ。
ゼッケン596のやつとはずいぶん離されちったな……。
このままじゃきつい。
「ヤス! 残り400mでスパートをかけてみろ! まだ前のランナーを追い抜けるかもしれんぞ!」
……ほんとだな、信じるぞその言葉。
ラスト400。追いつけそうな射程距離範囲内を走っている選手は……2人!
ゼッケン564って野郎と、もう1人、バテバテになってる427って選手だ……427……あいつ、俺に肘打ち食らわせたやろうじゃんか。
「ヤス! あいつら抜けたら坊主になってやんぞ!」
……聞いたからな……ケン。お前を坊主にしてやんよ。
目の前のターゲット、まずは427。
400mからラストスパートって聞いたからな。腕を思いっきり振って、風を切って走る。
負けねえ!
残り、20m、10m……よし、427に追いついた。
はあ……はあ……ち、何でペースをあげるんだよ。素直に抜かれとけ!
はあ……2人でまたつばぜり合いを始める。てめえ、バテバテなクセして肘打ちして来るんじゃねえ!
「ヤス兄、84秒! そんな奴に負けんなー!」
ああ、負けねえ。
427がインコース、俺がアウトコースに位置して残り200mに突入……この瞬間に564は抜いた、後は427だけだ!
インコースに入りたい俺は無理矢理内側に入って427をひかせようとするんだけど、その度にペースをあげて応戦してくる。
残り100mに入った、ラスト勝負。
「ヤス、追い越せ!」
追い越せ……ない。くそお、少しずつ置いてかれてる。ラスト100mで明らかに相手側がペースが1段階あがりやがった。
……ポンポコさん……足が動かん……腕重い……400mからスパートって無理だろ……。
「ヤスう! ファイトお!」
「ヤス君! 頑張って!」
くそっ、腕が……足が……。
目の前に427がいるのに……。
50、40、30……ゴールされた……くっそお。
……俺もゴール……はっ、はっ、はっ、はっ……も、もう無理……一歩も動けねえ……。
ゴールしたと同時に、トラックの内側に入ってばたりと倒れた……くっそお……427、抜けなかった……。