p.80 守護者
殺し屋・ルマに襲われ、ルーシャが協力を申し出てから数日が経過していた。この数日でルーシャはルマより、かつてのセルドルフ王国の混乱ぶりや、存在しか知らない第一王子のことを聞いた。
ルーシャの知らないセルドルフ王国第一王子──セルバ・エーティア・ネストは、名実共に王家の人間としてデキていたという。幼い頃から英才教育を受ける環境下にあったとはいえ、政治や経済といった為政のため知識を充分に得て、また各国との交渉などの場にも赴き時期国王として申し分なかった。
また、魔法術も会得した魔法術師であり、王国軍兵士と渡り合えるほどの剣術もみにつけ、芸術にも通じていた。
その人柄も良く、過酷な地への視察時には現地の流行病にかかった部下のため、自身の命も厭わずに数十キロ離れた近隣の村へ特効薬を王子自身が貰いに走ったという。そのようなエピソードをいくつも持ち、人々からの信頼も厚かった。
「そんな王子だからこそ、俺たちはついていこうと思っていた」
熱いルマの思いと言葉に、ルーシャは全く知らないその王子のことを思う。そこまで人に思わすことが出来るその第一王子が培ってきたその人生がいかほどのものなのか、想像することも出来ない。
王たる資質と言われたレティルトですら、最強の女騎士を前に周囲の人間はその掌を返した。ついて行こうと、何があっても主君と共に──そんなことは理想でしか無かった。
「だが、王子はすべての責任を負って消えた」
魔導士・オーぜが亡くなると、彼の施した硝子ノ魔術は効力を失いウィルトやセルバはすべてを思い出した。家族の存在を思い出し、その家族をすっかり忘れてしまったままの当たり前の日常を生きてきていた。最愛のはずのわが子を忘れてしまった王妃・アリーの悲嘆は言葉では表しきれるものではなく、心を病んだという。
ウィルトはすぐに魔力協会に連絡しアストルの捜索が行われた。ウィルトや側近たち、そして魔力協会が慌ただしく動く現状とは相反し、セルバは冷静に静かにその中にいたという。ルマ曰く、嵐の前の静けさのように何も言わず何もしなかった王子の姿は恐ろしくもあった。何も言わないセルバに、誰も何も声をかけられず、またなにか働き掛ける余裕などもないほど城はあまりにも混乱していた。
そんななか、第一王子のセルバは何の音沙汰もなく消えた。痕跡すらも残さずに城を去った。何の書き置きもなかったが、責任感の強いセルバのことを考えれば家族のことを忘れて生きてきた自分を許せず、そんな人間が国の統治者になることはあってはならないと考えてのことだろう──周囲はそう考えていた。
「私は第一王子のセルバ王子の存在すらも、あの城にいたときは誰からも聞かなかった・・・」
ナーダルからアストルのことを聞いてから今まで感じていた疑問がある。
壮大な魔術の影響により、その魔術に関わる機序不明な現象──発動した魔術に対する忘却がおきたという。それでもアストルに関わっていた人間や家族はそのことを忘れなかった。
城に仕えているセルバに近しい人間はアストルの出生だけではなくセルバの存在も知っているはず。口封じをしたとして、それほどまで上手く何もかも隠し通せるはずがない。
だが、ルーシャはセルドルフ王城で過ごした数年の間にまったくセルバの存在を聞いたこともないし、第一王子の存在すらも匂わす何かもなかった。
たとえ、魔力の影響でアストルのことを思い出せない人間が多かったとしても、セルバのことはずっと時期国王として城のものだけではなく、国民も認知していた。ルーシャのような田舎育ちの人間はあまり為政のに関心がないため、当代国王くらいしか認識していない。だが、王都を始めとする多くの都市のほとんどの人間はセルバのことを知っていたはずだし、他国にもその存在を知られていてもおかしくはない。
「・・・それは、あえてウィルト陛下がセルバ王子を消したからだ」
アストルは魔力協会によりすぐに見つかったが、セルバは魔力協会の力を持ってしても探しきれなかった。
見つけてくれるな──そう息子が言っているかのように感じたウィルトは、苦渋の末に魔力協会にひとつの仕事を依頼した。
第一王子・セルバの存在そのものを消してくれと。
本当ならば連れ戻したいし、また家族の時間を共に埋めたかった。セルバ一人で背負うものではないし、派閥争いを知りながらも止められなかったのは父親であり国王であるウィルトの責任だった。
だが、それでもセルバの気持ちが痛いほど分かるウィルトは、セルバが望まないならその居場所を消してしまおうと考えたという。
そして、魔力協会が地道で壮大な魔法術を行った。第一王子の存在をその記憶から消すという、本来ならば出来ないことを遂行した。世界中の人間からその記憶を消すことなど出来ない、だからより強い記憶を上書きすることで第一王子の存在を有耶無耶にした。強行突破の力技であるが、結果としてそれは上手くいった。
「強い記憶って?」
「ウィルト陛下の不義っていうスクープだ。その発表に魔力協会も噛んでいて、洗脳かなんかの魔法術を使ったんだろ」
「・・・いや、でも」
魔法術師だからこそ分かる、それがいかに無謀な計画で無理なことなのか。そもそも頼まれたからと言って公的機関のような存在の魔力協会が、そのようなことをして良いわけではない。人権を、人生を無視したかのようなその行動はしてはいけないし、なによりも魔法術をそのようなものに悪用しないために魔力協会は存在している。
いかに魔導士や呪術師といった熟練のものを集めたとして、ウィルト国王の願いを叶えることは容易くはない。
「だがそれでも、その計画はうまくいった。世界中の誰もがセルバ王子のことを記憶の底に沈めた」
溜息をつきながらも、ルマは静かに悟ったように語る。
「じゃあ、なんでルマはセルバ王子のこと覚えてるの?」
「俺はウィルト陛下が魔力協会とその話をしている現場をたまたま見たからな。魔法術を無効化する魔道具を手に入れて自分の記憶を守った。
他の第一王子派の奴らは王子のことなんか忘れてった」
どこか寂しそうなルマの言葉にルーシャはその光景を想像する。
第一王子派の人間はセルバを忘れたことで、一番大切な目的を失った。本来ならば第一王子を王にするという大きな目標があり、それを糧にしてきていた。それはアストルを忘れていた日々の中でも変わらなかった。彼らはセルバこそが王にふさわしく、そのセルバだからこそこの先もついていこうと思っていたほど。
それほどまでの目標を失い、彼らはその英気を失う。ある者は燃え尽き症候群のように城を去り、ある者は惰性のように城に留まって役割を果たし、ある者はアストルに媚いった。
「たとえ世界中の人間があの方を忘れようと、俺はあの方のためだけに最期まで生きる」
***
ルマと過ごし数日が過ぎ、アストルがナザ・パパンに到着した。ここ数日で互いの役割を話し合い、計画も練ってきた。そのなかでも、一番大切な仕事をルーシャは現在遂行中だった。
ルーシャはアストルの動向や周囲の警備を探るために、アストルが宿泊しているホテルの近くまで来ていた。相手は王太子であり、その警備を簡単に知ることも破ることも出来ないのは百も承知だが、何か得られないかと行動を起こした。
本来ならば、ルマのほうがその手のことは適任なのだが、ルマは激しい殺意をアストルに覚えている。殺し屋として生計を立ててきており、ある程度の感情を抑えることは可能だった。しかし、アストルに対しては積年の憎悪があり、ルーシャ相手ですらその殺気は凄まじいものだった。
それを上手く隠しきれなかった時、ルマはその存在をアストルたちに知られることとなる。ルマほどの実力者であろうと、不意をつかずに真正面から王太子とその護衛を相手にすることは無謀と思える。たとえ、魔法術師のルーシャがいたとしても、アストルやその護衛についている兵には少なからず魔法術師に対抗するための魔道具を持っている可能性も高い。
ナザ・パパンで一番高価なホテルの前まで来たルーシャはその建物を見上げる。そびえ立つかのような真白な建物は光り輝き、辺りには警備員が数多く配備されている。ルーシャは数多く存在する観光客や、王家のスクープを食い物にしているパパラッチたちに紛れてそこにいる。そこから見える景色や警備員の配置をさりげなく覚える。
そして、ふらっと人混みから抜けてホテルへ足を向ける。ホテル内にカフェが併設されているため、ルーシャは何食わぬ顔でそのカフェに向かう。特に警備員に止められることなくホテル内に入ることができ、ルーシャは妙な違和感を覚える。国の要人が滞在しているにも関わらず、一般人がこうも簡単に入っていいのだろうか。
(おっと・・・)
だが拍子抜けしたのもつかの間で、ふらっと一人の人間が姿を現す。
目の前に現れた一人の青年に対してルーシャは静かに冷汗をかく。魔力探知で相手の魔力を感じとることに長けるルーシャは、彼が何者なのか瞬時に悟り、その胸に光るバッジに危機感を抱く。魔力の流動性を感じ、それだけで相手が魔力に目覚め扱うことのできる人間だとわかる。そして、その胸に光る協会章の色は黒であり、それは魔導士であることを証明している。
いかにルーシャが大魔導士の地獄の教えを耐え抜いたといっても、それでもルーシャは魔法術師でしかない。経験も浅く、魔導士ほどの知恵や技術もない。
(そういえば、ウィルト国王が王宮魔導士を雇ったって話があったっけ)
すっかり忘れていたが、ナーダルがウィルト国王と魔力協会を繋ぐパイプ役を買って出たことでウィルト国王は魔力協会と公式に契約を結んでいた。そして、王宮魔導士を迎えたと随分前に新聞で見たのだが、その存在をすっかり忘れていた。
にこやかにルーシャの前に立つ彼こそが、その魔導士だった。
「どうも、マセルです。協会の方ですね」
声をかけられ無視をする訳にも行かない。何よりもその瞳はルーシャと、ルーシャの首から下げられている協会章に向けられている。
「こんにちは。魔法術師のルーシャです」
下手に嘘をつけば心の変化に反応して魔力も揺らめく。今は怪しまれずこの場を乗切る方が先決だった。
名乗るのも気が引けるが、マセルがアストルやルーシャのことをどれだけ知っているのかを知るためにも名乗るしかない。相手の反応を垣間見ながら、ルーシャは次の手を考える。
「ということは、アストル様の妹君ですね」
ネスト王家に仕えているのならば、ある程度の情報をもっている。さらりとアストルとの関係性を当てられ、ルーシャは静かに首を縦に振る。
ルーシャの存在もアストルとの関係性も・・・そして、アストルが引き起こした事件のことも何もかもを知っているはず。
「王子は今、公務中ですが時間が取れればお会いしますか?」
顔色を変えることなくマセルはそうルーシャに問いかける。
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殺し屋のルマから、セルドルフ王国のこと、セルバ王子のことを聞いた。
マスターから色々聞いた時、セルバ王子の存在を初めて知った。
その時になんで私は知らなかったのか、王城にいた時だれもその話をしなかったのか不思議には思っていた。
でも、なんかそこまで詰める気力も時間もなくて・・・。
魔力協会がセルバ王子の記憶を消すことに助力していたなんて。
そんなに有名な人の記憶を全世界の人間から消せるものなの?
魔法術師だからこそ分かる、いかに無謀で無理難題か。
そんなことが出来たことが奇跡でしかないってことも。
起こせた奇跡ということは・・・これも運命とか宿命なのかな。
そして、兄さんやネスト王家に仕えている魔導士と遭遇してしまった。
たぶん、全部知ってる。
その上で会うかって聞くの・・・何なんだろう。
兄さんと接触できるチャンスと思うべきなのか、それとも罠だと思うべきなのか・・・
わかんないなー。
この章はちょっと重苦しいので進みが遅いです・・・。
そして、魔力協会がかつて行った第一王子の存在そのものを消すということは、ほんとなかなかの荒業です。




