p.79 殺し屋
ルーシャの光魔法で周囲は照らされる。明るく照らされることでルーシャは自分を囲っていた周囲の路地裏の景色をその目で初めて目にする。白い壁は風雨に晒された結果、所々はげ落ち、色も白もいうより灰色に近い。その辺の壁にはルーシャを狙う相手が放ったナイフが数本突き刺さり、地面には何本もの弾かれたナイフが散乱する。
「あなたは?」
そこに立っていたのは一人の壮年の男だった。長い赤黒い髪を無造作にまとめ、灰色の瞳はあまりにも鋭い。その視線だけで人を殺してしまいそうで、ルーシャは目を反らせたくなるのを抑える。明らかな殺意を向けてくる相手に背中を取られる訳にはいかない。
「殺し屋のルマだ、魔力協会の嬢ちゃん」
低い声が地響きのように耳に届き、その轟のような声色にルーシャはたじろぐ。
(殺し屋?!)
心の中でその職名を叫びながらも、ルーシャは平静を装い相手を見すえる。ルーシャの発動した速攻型の光魔法は消えつつあり、ルーシャは相手を見すえながら持続時間の長い光魔法を瞬時に発動させる。ここで元の暗闇に戻れば確実に命を狙われ、また一度光に目が慣れてしまったルーシャにとって再び訪れる暗闇は先程よりも暗くなる。
「殺し屋に狙われる覚えはないんだけど」
一切相手から目をそらすことなくルーシャはそう言葉をなげかける。
「これは依頼じゃなく、個人としてのことだ。ルーシャ・サールド」
鋭く見据えられ、その名を呼ばれルーシャの心臓は跳ね上がる。殺し屋・ルマは強くこちらを睨むように見据え、その向けられる言葉と殺気が間違いなく自分に注がれていると嫌でも実感する。
光魔法に照らされた中、ルーシャは静かに呼吸を整える。
「どうして私の名前を・・・」
冷や汗をかきながらも、ルーシャは平静を装うしかない。
ルーシャは一介の魔法術師でしかない。確かにアストルのことで一時期だけだが名前が世間に晒されたこともあるし、大魔導士の弟子の弟子という肩書きもあるが、それでも名前と顔が一致する人は少ない。特に有名人として取り扱われることもなかった。
だが、この男は間違いなくはっきりとルーシャのフルネームを口にした。真っ直ぐとこちらを見すえるその瞳に迷いはなく、確実にルーシャの名前と顔を覚えて知っている。
「俺は元セルドルフ王国軍大佐だ。そして、第一王子派の派閥にいた」
地響きのようなその声でルマは自らの出自を語る。
「・・・え?」
まさかのルマの発言にルーシャの思考は停止する。
かつて、師匠・ナーダルから聞いた自分の出生とアストルのことを思い出す。セルドルフ王国出会ったと言われる王位継承の派閥問題、それにより引き起こされた魔導士による硝子ノ魔術事件。魔術が解け、事の発端となったことに責任を感じたアストルの兄である第一王子が失踪した結果、王位継承問題を解決すべくアストルが見つけられ王太子になった。
確か、その時に第一王子派の派閥はバラバラになったと聞いた。あるものは城を去り、ある者はアストルに寝返り、ある者は静かに城に身を置き王家に使え続けている。
その去っていった人間の一人が、いまルーシャの目の前にいた。激しい業火のような感情をむき出しにするその姿勢は、明らかに敵意を感じる。
「ちょっと着いてきてもらおうか」
脅しのような言葉にルーシャは冷や汗をかきながら、こっそりと逃走経路を確認する。素直について行けば殺されることは目に見えている。だが、元軍人相手にそう簡単に逃げ切れるとも正直言えないところでもあった。
「アストル王子ならともかく、私まで恨まれるのはちょっとおかしいんじゃない?」
会話で相手の気を引きながらルーシャはルマの行動や表情を観察する。ちょっとした油断でいいから、隙をみつけようとする。しかし相手は元軍人の殺し屋であり、そう簡単に隙を見せてはくれない。
「安心しな。あんたはアストルを釣る餌だ。殺しはしない」
「・・・どういうこと?」
てっきり殺されるものだと思っていたルーシャは首を傾げる。派閥争いなどといった絶対に関わりたくないことに巻き込まれたのかと思っていたが、ルマの目的はアストル一人だけのようだった。
「アストルだけ殺れればそれでいい。ま、あんたにしてみれば兄貴を殺されるんだけどな」
ルマのはっきりとしたその言葉にルーシャの眠っていた、みないようにしていた感情に光が注がれる。
(・・・兄さん)
激しいルマのその感情にルーシャは引かれる。忘れようとしていた、考えないようにしていた、見て見ぬふりをしていたその感情が蘇る。
アストルがナーダルを手にかけ、その命を奪ってから・・・ルーシャのなかには確かにアストルを許せないという感情があった。人の命を奪うという行為もだが、何よりも尊敬して大好きな師匠の命を奪われたことが許せなかった。
ルーシャにとってナーダルは師匠であり、自分を見つけてくれた恩人でもあった。魔力嫌いのウィルト国王のお膝元でどうすることも出来ず、ただ静かに魔力の存在を隠して罪悪感に耐えることしか出来なかったルーシャ。もしもバレてしまったら追い出されるのではないか、殺されるのではないかと思うと同時に、兄のそばにいさせてくれているウィルト国王を裏切っているという思いも大きかった。
居場所をくれていたウィルト国王への引け目を感じていたなか、ナーダルはその現状を変えてくれた。魔力のある世界を見せてくれ、その可能性と危険性を説いてくれ、魔力を持つ生き方を教えてくれ、魔力のない生活も選択肢に入れてくれた。それが協会員としての役割であろうと、ナーダルの気まぐれであろうとルーシャには関係なかった。
この後ろめたい今を変えてくれた、大切な人だった。
さらに魔法術だけではなく、ともに世界を旅することでたくさんのことを教えてくれ、共に学んでいった。ちょっとしたことですれ違うこともあったし、つまらないことで笑いあったこともあった。絶望的な状況を共に打破し、二人して油断して窮地に陥ったこともあった。
ナーダルに出会ったからこそルーシャの見る世界は広がり、目の前の世界が彩った。こんなに魔力に可能性があることを、こんなに生きることが楽しいことだと教えてくれたのはナーダルそのひとだった。
アストルはルーシャからその存在を奪った。そして、そのままなんの断罪もされなかった。
人の命を奪っておきながら、自分からこんなに大切で大好きな師匠を奪っておきながら・・・アストルはいつものその日常を送っている。
たしかに、アストルの意思でなされたことではなかった。だが、だからといってそれを免罪符になどルーシャはできなかった。
許せない、許したくない──そんなドロドロした感情がルーシャのなかで渦巻いていた。それに蓋をしていたが、ルマのあまりに強く真っ直ぐな憎悪にルーシャの感情が刺激される。
今までは事情が事情なだけに、アストルを責めるのはいけないことのように思えていた。理性で感情を押さえつけていたが、だがそれでも溢れてくる感情は抑圧する度に強くなっていった。
「協力する」
ルーシャは目の前にいる男にそう告げる。
「なんだって?」
よほど予想外だったのか、ルマの表情が動く。険しかった瞳が大きく見開かれ、同時に疑うようにルーシャを見据える。
「だから、協力するって。私もアストル王子は許せないってのは同じだし」
ルーシャの見据える瞳が静かながらも強く燃える感情を映す。
色々な言い訳をして、色んなことを鑑みて、ルーシャは己の感情を無視しようとしていた。だが、抑圧されていた感情がとめどなく流れ出てくる。
「言ってる意味、分かってんだろうな?」
「もちろん」
探るようなルマの視線にルーシャは真っ直ぐと向き合う。
殺し屋に協力するということがアストルの死に直結すること、兄を手にかけるということ、一国を傾けることになること。それが大恩あるウィルト国王へ迷惑どころではない大惨事を与えるということも。
だが、このまま何もしないでアストルのことを避け、考えないようにすることは出来なかった。いつまでも蟠りのような言いようのない感情がドロドロと渦巻き、ルーシャはいつまでもそれを振り切れない。
(これもきっと・・・)
魔力の導き──運命なのかもしれないと。
元セルドルフ王国軍の人間、それも第一王子派の人間とこんなに運良く会えることがまず珍しい。それも、アストルがルーシャのいる地を訪問するこのタイミングとなれば、これはもうなるべくしてなった運命のようなものだと感じずにはいられない。
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ほんとに死にそうな目にあった・・・。
まさか本物の殺し屋に会うなんて。
そして、命を狙われるなんて。
驚きでしかない。
ほんと、死ぬかと思った。
兄さんのことはずっと考えないようにしてたけど、
でもやっぱり許せない。
理由がなんであれ、それが自分の意思ではなかったとしても。
それで兄さんがしたことが、マスターがこの世を去ったことが消えるわけではないし。
最近、更新がまた遅くてすいません。
少し暗い章ですが御付き合い下さい。




