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ルーシャの魔法・魔術日記  作者: 万寿実
第八章 決意の欠片
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p.71 想い人


 どこか見慣れたような気もしながら、オールドは通された客間で淹れられたお茶を口にして相手が来るのを待っていた。豪華なその部屋はこの国を統治する人間が住まいとするには十分な装いがあり、オールドは何度かここに足を運んだことがあった。


「失礼します」


 静かに扉がノックされ開かれる。濃い茶髪に淡い緑の瞳のアストルが静かに部屋に入ってくる。オールドはアストルに対して笑いかけることもなければ声をかけることも無く、静かにその淡い青い瞳を向けるだけだった。妙に冷静なその態度にアストルは息を飲む。


「お久しぶりです、オールド姫」


 静かに何も語る気配のない婚約者にアストルはどこか慎重に言葉を選ぶ。この訪問が楽しいものでないことは想像ができていた。





 アストルには自身の魔力に乗っ取られ、世界を放浪していた記憶が一切ない。数ヶ月間の記憶が無いまま、気がつけば満身創痍で自室のベッドで横になっていた。何が起きたのか、どうしてこんなに体がボロボロで至る所が痛むのか分からない。


 そんなアストルに、ウィルトは真実を語った。もはや、隠し通すことは不可能だと断念しての事だった。

 アストルの出生、ルーシャとの血縁が全くないこと、そしてかつての魔術による体への影響と今回の事件について。


 ウィルトは本来ならば全てを伏せておきたかった。記憶がないとはいえアストルは家族に忘れ去られてきていたし、ルーシャのことをずっと大切な家族と思っていた。確かに家族として過ごしてきたその時間は嘘ではないが、それでも血縁を問われれば赤の他人だった。


 そして、今回アストルが引き起こしてしまった事件とその結末はアストルにとっても衝撃的であった。全くの自覚がなかったとはいえ、一人の人間の──それも恩があり、妹の師匠であったナーダルの命を奪ったとは。


 ウィルトが出生を含め今回のことを伏せておきたかったのは、単純にアストルが自分を責めることが明白だったことと、何よりも第一王子の長男が行方知れずの今はアストルに何がなんでも王位を継いでもらわないといけないという国王という立場の話もあった。


 ウィルトが受け継いできたネスト家の歴史は長く、ここで途絶えさせる訳にはいかなかった。王政をとっていた国が民主化した例はたくさんあり、第一王子のセルバが失踪しアストルが見つかっていない時はそれも考慮した。しかし、民主化は一朝一夕でなせることではないし、その土壌を耕してきた訳ではないセルドルフ王国の現状では難しかった。


 アストルが王位を退くというのならば、これからウィルトが死ぬまでの間にその民主化の種を撒く働きをしなければない。この国のた身を守るために最悪のケースはそう考えているが、出来れば現状維持が好ましいと思っていた。


「それでも、やります」


 全てを知り、己の罪を聞いてもなおアストルはそうウィルトに明言した。人殺しをした自分に国を総べる、人々を守る資格などない。だが、それでも次の世代に繋がなければならない立場なのもわかっていた。代わりの人間がいるのならば、記憶に一切ない兄がいるのならばアストルはそのような決断はしなかった。


 間違っているかもしれないが、それでもそれがしなければならない事だと分かっていた。だからこそ、アストルは一刻も早く次の世代にバトンを託さなければならないと思っている。





 すべてを知ったアストルだからこそ、こうしてオールドがここに来たことが明るい話題ではないことを分かっていた。


「オールド姫」


 静かにそこに座る愛しの姫君をアストルはまっすぐと見つめる。こんな時でさえ、その姿が美しく心の底から好きだと思えてしまう。これほど魅せられた彼女のそのなんとも言えない表情を見るのはあまりにもつらい。


「俺との・・・婚約解消しますか?」


 予想外のアストルの言葉にオールドは漏れるような声で「・・・え?」とだけ呟く。だが、目の前で腰もかけずにじっとこちらを見つめるその瞳は真剣そのものであり、それが軽い冗談で放たれた言葉ではないのだと実感する。


「それでもいいと思っています。むしろ、あなたが誰よりも想っていたナーダルをこの手にかけた俺となど・・・姫が幸せになれるはずがない」


 何かを悟ったように静かなその声にオールドは驚きながらも口を挟む。


「ちょっと待って、アストル」


 確かにオールドは今回ここに来たのは婚約破棄を申し出るためであり、それが国交に及ぼす影響も考慮して父国王には一切の相談なく、独断でここに来ていた。何か国の政に、国民にとって不利益となるならば家との縁を切る覚悟でここへと来ていた。


「知ってたの?」


 アストルが婚約解消を申し出たことも驚いたが、何よりも引っかかった言葉があった。ルーシャ以外に明言していないのに、アストルはオールドがナーダルを想っていたことを知っていた。


「他の人のどうこうってのは分かりませんが、あなたのことは別です」


 アストルは一目惚れから始まったとはいえ、オールドに恋焦がれていた。その容姿と声も仕草も何もかも、彼女の虜となっていた。近くにいれば誰よりもその行動を目で追い、その言葉を漏らすことなく聞き覚えていた。

 だから、期間限定の王宮魔法術師となったナーダルが王城に留まる間にオールドがずっとその目でナーダルを追い続けていることも、その距離感の詰め方や態度がどういう感情に起因するものなのかもすぐに分かった。


 ルーシャはアストルが恋愛に疎いからオールドの想いの先に気づくことは無いと、オールドに言っていたがそれは誤りだった。アストルは真っ直ぐにオールドを想い、他の誰よりもその視線の先に気づいていた。だが、そうと分かっていても何かをすることも、言うこともなかった。


 曲がりなりにも王族というものの端くれとなったアストルは、個人の感情だけではどうしようもない現実があることを知っていた。オールドがそんな現実の中でアストルとの婚約を選択したことも分かっていた。分かっていたが、その視線の先に映るのが自分ではないことが歯がゆいというのも事実だった。


「あなたの想いが報われないことも、それを公にすることもできないことも分かっていました。それでも俺はあなたの隣にいたいと思いました」


 分かっていたが、それでも譲る気はなかった。ナーダルがロータル王国の第二王子と知った時は少しの焦りはあった、王族同士ならば結婚相手として申し分はないのだから。だが、ルレクト家はもはや最強の女騎士から命を狙われる立場であり、他の王侯貴族どころか永世中立機関の魔力協会さえも擁護することのできない状況だった。ナーダルの現状を考えれば、アストルのほうがオールドを守っていけるという多少の優越感があったことは確かだった。


 オールドの恋路がどうしようもないとわかっていながらも、それを手助けすることなく婚約者としてい続けることがズルいとは思っていた。それでも、アストルはオールドのその手を話したくは無かった。


「でも、俺にはあなたのその手を引く資格がない」


 人をひとり──しかも、最愛の人の想い人を殺した。意識のない間に行ったことではあれど、そこに人を殺したという事実があるのは動かない。


「公には不甲斐ない俺にオールド姫が愛想をつかした結果だと言います」


 どこか悲しそうなアストルにオールドは立ち上がり、口を開きかける。だが、その声が発せられるよりも早くアストルが先に言葉を口にする。


「いいんです、俺がしでかしたことで間違いはないんですから」


 アストルのその提案は、アストルはおろかネスト家を大きく傷つけるスキャンダルとなりかねない。ただでさえ、ウィルトがアストルが不義の子であるという嘘をついたため汚名がきせられているというのに。


「ウィルト陛下は?」


「知っています。俺が申し出たことなので」


 静かに深く頷き、アストルは自分のわがままを黙って許してくれた父を思い浮かべる。


「本当は何かしら処罰を受けるべき身なのに、何の断罪もされない俺には丁度いい罰なのだと思います」


 殺人を犯しながらもアストルは無罪放免であり、しかもその罪は公表されていない。様々な思惑があるとはいえ、アストルにとってラッキーと思えるものではなかった。

 今目の前にいるオールドが何をどう思っているのか分からないし、もしオールドがアストルのこの申し出を断ってくれはしないかと、淡い期待さえもしてしまう。


「話が通っているのなら早いわね。それでお願い」


 だが、オールドがここに来たのも生半可な覚悟ではなかった。王族同士の婚約破棄は国交にも経済にも影響を与え、王家への不信感が募ればクーデターなどもありえる。国の安寧を第一に考えれば、オールド個人としての感情を押し込めるべきであった。王女の我儘からの婚約破棄となれば、父国王がその責任を問われることは分かっていた。


 下手をすれば国を混沌へと誘いかねない選択だとわかりながら、オールドはここへ足を運んでいた。アストルから婚約解消の提案が出たことや、表立って公表する理由もすべてがオールドにとって都合が良すぎる。それが、最愛の想い人へ出来る最後の愛情表現なのだということも分かった。


 オールドはアストルのその想いも分かった上で、その厚意に素直に甘えた。


(ズルいのはお互い様ね)


 言葉には出さず、オールドは目の前で静かにこちらを見返すアストルに心の中で問いかけたのだった。アストルはオールドの身の置き所につけ入り、オールドはアストルの恋心につけいった。どちらもズルく、どっちもどっちだとオールドは思いながらアストル・エーティア・ネストとの縁を終えた。




オールドとアストルの別れでした。

本編ではなかなかアストルについて細かく書くことがありませんが、アストルにとってオールドは恋い焦がれて、やっと手の届いた想い人でした。

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