p.70 家族
暖かい時間を過ごし、ルーシャの緊張は幾分か和らぐ。さすがに気兼ねなくと言われてリラックスできる雰囲気ではないが、それでもマルクとシアの心遣いに心は軽くなる。
「今日、君を招いたのは話しておきたいことがあってね」
穏やかながらもどこかマルクとシアの言葉と表情が引き締まる。
「単刀直入に話します」
エリスの母・シアはどこかよそよそしくも決意の籠った声でそう言う。先程までの和やかな空気が払拭され、ルーシャは心構えが出来ないまま彼女の次の言葉を聞くことになる。
「ルーシャ、あなたは私とマルクの実子です」
「・・・え?」
なんの心構えもしていない状況下でルーシャは間抜けな声が零れる。そんなルーシャの呆然としたような状態とは相反し、マルクとシアの表情はあまりにも真剣だった。隣に座るエリスの反応など気にする余裕もなく、ルーシャはついさっきシアの言った言葉を頭の中で反芻する。
(「私とマルクの実子です」・・・?ん?)
言葉は何故かハッキリと聞き取れたが、その意味を理解し飲み込むことが難しかった。何をどう捉えたら良いのか分からないルーシャは、静かに二人の次の言葉を待つ。
「セルト王子からホークト家を訪ねるよう言われたよね?」
マルクは窺うようにルーシャを見つめ、ルーシャは無言で首を縦に振る。そう言われ、ホークト家に通ずるエリスの母に伺いを立てに来た。
******
今から十七年前の真冬、ダルータ家に一人の女の子が誕生した。黒い髪に青い瞳のその子こそが、ルーシャだった。上に二人の姉がいており、ダルータ家の三女としてこの世に生を受けた。
ダルータ家は代々続く貴族ではあるが、今までに女性当主も何代もいており特に後継問題に子供の性別は関係なく、生まれてきた娘たちは皆愛されて育ち誰にでも家を継ぐ資格があった。
なんの問題もなく、ルーシャが生まれて数日はただただ幸せに穏やかな日々が続いた。生まれてきた赤子の名前をどうしようかとマルクとシアは考え、上の姉たちも妹の名前を自分たちが決めると言ってきかなかった。
慌ただしくも穏やかな日々にマルクもシアも身を委ね、なんの異変も感じ取ることがなかった。真冬の寒さは厳しくとも、暖かな暖炉があり愛する家族がいる──それだけで十分だと思えるほどのことだった。
だが、そんな暖かく穏やかな日常が突如として終わりを迎える。
「マリア!クレア!」
二人の姉がある日突然、意識を失って倒れる。前日まで元気に遊び回っていた二人の突然のことに、マルクとシアは医者を呼んだが原因不明だと言われた。熱も出ていなければ、脈や呼吸が乱れている訳でもない。ただただ、意識がないだけだった。
近くの大病院に二人を連れて行こうとしたが、屋敷の人間が次々と体調不良を訴える。マリアやクレアと同様に意識を失う者、ひどい吐き気を訴える者、頭が割れんばかりの頭痛を引き起こす者、恐ろしいほど感情が昂る者と。屋敷中の人間が何らかの不調を引き起こし、それはマルクやシアも例外ではなかった。
シアはとりあえず娘だけでも病院に連れていこうと思い、実家のホークト家にいる実姉ルイーズ・ウィッカ・ホークトに応援を頼んだ。ルイーズはすぐにダルータ家の屋敷に来てくれ、体調不良を起こしている人間の看病から家の事までを行ってくれた。それと同時に今回の騒動の原因を探り当てた。
「その子よ」
ルイーズが真っ直ぐ指さしたのは生まれたての赤子だった。
「魔力がダダ漏れ。無意識に魔力探知を繰り返してるみたいね」
まじまじとルーシャを見つめるルイーズの青い瞳は鋭い。ダルータ家は代々続く貴族ではあるが、魔力や魔法術とは縁遠く魔法術師の排出も数える程しかいない。ホークト家も歴史ある一族ではあるが、ダルータ家と同様に魔法術には疎かった。魔力と血縁の関係性は一概には紐付けされていないが、それでも魔法術師を数多く排出してきた一族などでは魔力に目覚める人間が多いのは事実であった。
そんな魔力とは疎遠なふたつの一族であったが、ホークト家のルイーズはそのなかでも珍しく魔力に目覚めて魔法術師となっていた。
「文献で見たことはあるんだけど、実際に目にするのは初めてだわ」
どこか物珍しそうに眠っている赤子を見つめ、ルイーズはその子を抱き上げる。あまりに小さく、あまりに軽い。か弱いその体に秘める魔力は無邪気にも魔力を制することなく使い続ける。
魔力がどのような力なのか、何を根源としているのか、何故目覚めるものとそうでない者に分かれるのか・・・という研究や議論は数多されてきた。魔力協会が発足して七百年あまりたった今日でさえ解明されてはいない。
だが、魔力は感情に強く左右される。心の力と規定し、魔力協会では感情のコントロールを推奨していた。感情の起伏には個人差があるが、成人やある程度成長している人間ならばある程度自分の感情を理解することができる。だが、感情は体の発達と共にさまざまな経験を通して獲得していくものである。生まれたての赤子は快や不快などから感じ、己で多様なことを経験して感情を学んでいく。
生まれながらに魔力に目覚めている赤子に魔力のコントロールは不可能であり、ましてや自覚させることも出来ない。
「お姉様、どうしたら・・・」
シアは縋るように娘を抱く姉を見つめる。
「ここまで目覚めた魔力の流れを止めることのリスクは高そうだし・・・」
ルイーズは困ったように赤子を──その魔力を見つめる。魔力に目覚めたものはその魔力に流動性が生じ、不安定になったからこそ魔力を自由に使うことが出来る。魔力に目覚めた人間がその魔力の扱いを放棄するため、魔力の流動性を止める処置をすることがある。そうすることで、魔力は再び安定してしまい感じることも扱うことも出来なくなる。それでも、一度目覚めた力であり再び流動性が生じる可能性はある。
生まれたての赤子の魔力は感情という概念がないだけ、扱いにくい。下手に刺激をすれば魔力や感情といった自覚のない力だけに、容易に暴走を起こしかねない。
(しかも、ここの人達はみんな魔力に免疫がない)
ルイーズの表情が曇る。ここにいる者たちがある程度、魔力に耐えうる器があるならば魔力協会の医師や実力者の魔法術師や魔導士を派遣してもらい、コントロールがつくまで何かしらの手を打つことも考えられた。しかし、こうも実害が出てしまっている今、それは現実的ではない。今でこの実害ならば、成長してもっと魔力が強くなったならば死人が出てもおかしくはない。それにこうも無防備に魔力を放出し続けることも、この子にとっても良いものでは無い。魔力は無尽蔵ではなく、いつかは尽きてしまう。その限界が分からない赤子は時に魔力を使い切りこの世を去ってしまったという事例もある。
「・・・シア、マルク」
ルイーズは絶望的な表情の二人を凛と見据える。
「この子を私に預けてくれない?」
「え?」
「魔力を封じるにはリスクが高いけど、その流れを抑えることは出来る。ある程度成長したなら、魔力の流れを止めることも出来る」
今すぐ魔力の流動性を止めることも、このまま魔力の放出が続くこともどちらにしても赤子の命関わる。赤子の魔力の流れの研究や実践者はほぼいない。いくつか文献が残っているが、それは我が子や親類の子どもがそういうケースであり対応した結果の報告に過ぎず専門家と呼べる人間がいない。あまりにリスクが高く、儚い命に重荷を感じるためその手の分野にあえて手を出す人間はほぼいない。
人の魔力の流れは動き出したら基本的に自然と止まることはない。止めるとしたら外部から意図的な介入が必要だった。だが、無垢な赤子や幼子はそれ以外にも自然界の魔力にひどく敏感に反応する。世界中の様々なところに特異的な魔力の流れがあることが報告されており、生後数日で魔力に目覚めた赤子がそこで数日過ごしたところ魔力の流動性が遅滞したという報告があった。
世界最大渓谷のオーラ渓谷、絶海の孤島のルグル大火山、大森林が広がるファトーの森が特に有名だった。それ以外にもいくつかの場所では魔力の流れが特異的で、ある者は魔力が補充されるようだと言い、ある者は魔力の流れが穏やかになるとも言う。
「正直、何も保証はできない」
そこを巡ったとして、果たしてこの赤子の魔力がおさまるのか、おさまったところで魔力が制御できるようになるのか分からない。命の保証もなければ、どれくらい成長したら親元へ返してやれるのかも分からない。何もかも未知数すぎる。
「でも、ここで何もしなければ確実にこの子もあなた達もとんでもない事になる」
それでも、無理にここでの解決策を探す方が無謀ととれた。どちらにとってもメリットはなく、下手をすれば全滅しかねない。ルイーズも何がベストか分からず、シアとマルク同様にその瞳は不安げに揺れている。
マルクとシアは瞳を閉じて手を握り合う。その重なり合った手が強く握られているのを見て、彼らの言葉にはしない不安と葛藤を察する。今その選択をしなければならない、親として。二人は静かに目を開け、まだ幾分も十分に過ごしてはいない我が子を見つめる。
「お願いします」
それでも、二人は選ばなければならなかった。
そして、この子の命のため、上の二人の姉たちや自分たちのために別々に生きることを選んだ。
ルイーズはそのまま赤子を連れて屋敷を去る。ルイーズが屋敷を発つ前に魔力教会に連絡したため、魔力協会から医師が来たが特になんの処置も必要なく数日で全員の体調は全快した。魔力にあてられたその影響は、なんの後遺症もなくキレイさっぱり治った。
マルクとシアは協会の医師から、生後数日での魔力に目覚めたケースでは多くの場合が魔力の枯渇による死亡が報告されていると知る。それほどの稀なケースであることに驚きながらも、二人は授かった命があまりにも希望がないという現実を知る。
ほとんどの親戚には妊娠したことは伝えていたが、まだ生まれたという報告をしていなかったことから死産であったと伝えた。本当のことを伝えれば心配をかけるだけであり、この先どうなるか分からないことを考えればそれがベターな選択のように思えた。もし、あの子が無事に生きのびて成長して戻ってこれたならば全てを全員に伝えようと。
そして、マリアとクレアは数日間意識を失っていたからか妹の存在を曖昧にしか覚えていなかった。特にクレアは三歳であり、記憶がかなり曖昧であり妹が生まれた夢を見ていたと言ったほどだった。マリアはクレアほど曖昧な記憶ではなかったが、病気にかかって意識がなかったと聞いて夢を見ていたのではないかと思い始め、そのまま皆で同じ夢を見ていたことにした。隠す必要があったかどうかは分からないが、まだ現実を受け止めきれていないマルクとシアにとって、娘たちの夢を見ていたという思い込みにすがるしかなかった。
屋敷の人間には真実を語り、娘や親類には他言しないこと、望みは薄いためむやみな希望は持たないこと、そして自分たちの前では決してこのことを話題にしないで欲しいと伝えた。
誰が悪かった訳でもない、ただ結果としてそうなっただけだ──と、魔力協会の医師は話していた。
そこには原因もなければ誘因もなく、マルクとシアは親である自分さえも責めることができなかった。
そうして、つらいその現実に蓋をすることにした。
ルイーズはルイーズで何がどうなるか分からないため、余計な期待を抱かせまいと二人への報告はほとんどしなかった。マルクとシアがルイーズから受けた報告は赤子を「ルーシャ」と名付けたこと、もしもその命の灯火が消えたならば連絡するということだけだった。
******
マルクとシアは話し終え、静かに目を瞑る。
「じゃあ、ルーシャは私のお姉様ってこと?」
エリスは目を見開き驚きながらも、冷静に自分とルーシャの関係性を両親に追求する。二人とも静かに首を縦に振り、エリスの言葉を肯定する。
「私は今生きてます。でも、どうしてお母さんは私のことをお二人に話さなかったんだろ」
ルーシャは二人の言葉に現実味が湧かないが、それでもひとつの疑問が浮かぶ。ある程度成長して魔力の制御ができるようになったならば、親元へ返すつもりだったはず。しかし、ルーシャは母親からそんなこと一切聞いていないし、母親がなくなったのは九歳のときでありルーシャは十分に成長していた。それに魔力を感じ取れるようになったのはここ一年ほど前であり、今考えれば何らかの方法で魔力の流動性が止められていたということになる。
「それは、アストル王太子様がいたからだと・・・セルト王子は言っていたよ」
「え?」
ナーダルはルーシャの母親の形見の指輪に描かれている家門が、ロータル国でも古い歴史のあるホークト家のものだと見当がついた。だが、ナーダルはレティルトほど貴族に顔がきくわけではなかったので、ルーシャをシバに預けてホークト家出身の叔母・シアを訪ねていった。そして、そこでルーシャがダルータ家の三女であったこと、それはつまりナーダルの従姉妹でもあったことを知る。
そこでナーダルは同様の疑問を持ったという。そして彼はその足でルーシャの故郷を一人で訪れる。何もない閑散とした村のなかにある、ポツンと忘れられたようにあるひとつの墓標に足を向ける。その墓標には形見の指輪とセットで発動する魔法術がしかけられており、ナーダルはそこでルイーズがいつか魔力に目覚めたルーシャに語ろうとした真実を知った。
ルイーズはルーシャをつれて様々な特異的な魔力の流れがある地を訪れていき、ルーシャの魔力はそれらに反応し流動性が落ち着いた。外部から一息吹きかけるほどの介入で止まるほど落ち着いたため、ルイーズはルーシャの魔力を封印した。
そんな折、ルイーズは定住先を求めていた時にひとりの男の子と出会う。アストルと名乗る彼はどうやら迷子のようだが、家や親のことなど一切分からなかった。麓の村で警察に届けたが親が見つかる様子もなく、施設に行くところだったが出会ったことに縁を感じたルイーズが引き取ったのだった。
この頃、ルーシャの魔力がおさまったとはいえ油断が出来なかったルイーズはまだマルクたちに何も連絡をしていなかった。こうして魔力がおさまったこと自体が奇跡であり、せめてもう少し成長して魔力がコントロールできる年代になってからと思っていた。それと同時にルーシャに余計な魔力の介入をなさないよう、魔法術師を引退し魔法術全般を決して使わなかった。魔力探知でさえ行わず、ルーシャの魔力の異変を察知するために高価であった魔道具を購入してその変化に気をつけていたという。
そして、ルーシャがそれなりに成長した頃には三人家族としての生活が成り立っていた。ルーシャは兄を慕い、アストルもルーシャを可愛がっていた。もしこのままルーシャをマルクとシアの元にかえしてしまったら、アストルは家族を失う。どういう経緯があってアストルが迷子となっているのかは分からないが、一度家族を失ってしまったアストルから家族を取り上げることなどルイーズには出来なかった。
かと言って、大貴族とはいえマルクとシアにどこの誰かも分からないアストルも引き取れとは言えなかった。アストルを引き取ったのはルイーズの判断であり、マルクとシアは全く関係ない。
葛藤の末、ルイーズはルーシャとアストルが成人してから真実を伝えようとした。しかし、ルイーズは若くして病にかかる。自分が長くはないことを悟ったルイーズは魔法術という形でルーシャがいずれ真実を知ることができるようにしたのだった。
──────────
エリスの両親から衝撃的なことを聞いた。
私が・・・ダルータ家の三女だったって。
全く実感もないし、だから何なんだろうって思えてしまう。
今更、お母さんが本当の母親じゃなかったと知ったところで、それに悲しいと思うとかもないなー。
誰がなんと言おうと、私が大好きなお母さんはお母さんだけだし・・・。
話を聞いて思った、お母さんがいてくれたからこそ私は今をこうして生きていられるんだって。
そんな珍しい事例に自分があてはまっていたことも驚きだし、お母さんが何とかしてくれたことも感謝しかない。
だからといって、エリスの両親──(自分の両親でもあるんだけど)に何も感じない訳では無い。
二人がいたからこそ私は生まれてきたとは思うし、二人が望んでこんなことになったんじゃないとも思う。
そう思うと複雑だなー・・・。
ルーシャの出生についての回でした。ここ最近の話は誰かの出生や過去が続いておりましたが、それもこれから先の未来へと続いていく軌跡になるはずです。




