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ルーシャの魔法・魔術日記  作者: 万寿実
第七章 命数の天秤
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p.62 刹那

 日も昇っていない早朝にホテルを出たナーダルだったが、今は太陽が空の高くにその存在を堂々と表していた。凍てついた空気はその陽光のおかげか、幾分か和らいだように感じられる。

 アストルからの攻撃を受け流し、どれくらいの時が経ったのか分からない。早く決着をつけてしまいたかったが、なかなか明暗が思いつかなかった。いくつか考えはあるが、どれもリスクが伴い決断しづらい。


 この身に宿る魔力の特性と得意とする封印関係の魔法術をもってすれば、確かに何とかできる。しかし、大国の唯一の王位継承者──アストルの身を考えればリスクは低いに越したことはない。


「あなたは不幸にも巻き込まれてしまった、それだけです。アストル王子」


 なにかを悼むかのようにナーダルはアストルを王子と呼ぶ。ナーダルがナーダルとして出会ってからアストルのことはずっと、王太子と呼んでいた。それになんの意味があったのかはナーダル自身にしか分からないが、今のナーダルは目の前の一人の王子を見すえていた。


「あなたのせいではない。だから、あなたの場所に戻ってください。あそこは間違いなくあなたの居場所です、今も昔も」


 そこに込められたのは思いは、同じ王子として、魔力協会員として。国を背負うことの意味、それはとても言葉では表せられない。幾万もの人の命を人生を背負うこと、たゆまず続いてきた歴史を継ぐこと、そしてその未来さきへと繋いでいくこと。それをある日突然、突きつけられたアストルの思いや重圧は想像しても想像しきれない。


 なにも言葉を発することの無い、自身の魔力──感情の傀儡となったアストルにナーダルはひとつの決心を下す。


 本当は他の手があるなら良かったのだが、あまり長引かせられない。ただでさえロクな食事や休息もとっていないアストルの体は確実に限界に近づき、それに相関するように己の魔力により侵されていく。


 魔力は人の感情でその力を変え、ゆえに心の力と規定されている。時に人は己の感情に飲み込まれ、自分自身の感情なはずなのにその感情に支配されてしまうことがある。それが単純な感情に一時的に飲まれた状況が、怒りを自制できずに人を傷つけたり、悲しみに飲み込まれて何も出来なくなったりとよくあることであった。


 しかし、それが感情ではなく魔力となれば話は別だった。魔力はそれを変化させることで様々な奇跡とも呼ばれるような事を成す。制約や制限があるとはいえ無闇やたらに使うことでその体にかかる負荷は計り知れず、時には本人の意図せずに人を傷つけ、そして本人さえも殺しかねない。



汐栄せきえいノ神子 羽浄はじょうノ涙 瀬聖ぜせいかんざし

 風見あざみを司る風鳥

 真神まがみノ舟 雅称がしょうノ旅人

 風に揺られてうたう歌は旋律を神へと捧げる

 哀れな巫女 奇跡を信じる夢世ノ信者

 祝詞を読み上げし孤高の舵取り

 闇夜の月に思いをはぜながら愛しい人に夢で逢うことを願い

 暁の陽に憎しみの思いを奮い立たせながら命数を受け入れる今日こんにち

 自分の無力さを恨み 摂理の絶対を羨みながらも過ぎていく時間

 縁と縁は命数の管理者によって近づき離れていく

 勇姿ノ詩を心に刻みながら

 命数という名の適わぬ敵に刃を向ける愚かな自分

 情けをかける神がいるのならどうか耳を傾けて欲しい

 どうか彼の方に祝福の聖杯と永久ノ幸福を祈って欲しい 我が身が滅びようとも』


 いくつも投げつけられる魔法術のような魔力の塊の攻撃を、その手に握られた剣から繰り出される斬撃をいなしながら、ナーダルは魔力を丁寧に扱いながら呪文を紡ぐ。

 基本的に魔法術に呪文の詠唱は必要ではないが、特別な魔法術には術者の声が必要な時もあれば、対象にそれを聞かせる必要がある時もある。


 ナーダルが紡ぎ出すその言葉は呪文であり、祈りであり、願いでもあった。魔法術を発動させることなど、魔導士のナーダルにとって基本的に造作のない事だった。それは今現在、その手で成そうとしている魔術も然り。だが、あえて言葉を──祝詞を口にする。目の前のその青年に向き合うため、その人生を導くため、そして・・・。


(あなたの宿命はここではない)


 あるべきその宿命に戻るため。言葉も何も届かないアストルを見つめながら、ナーダルはそのうちに眠るアストルを探す。魔力という感情の塊に支配され埋もれているアストルに手をさし伸ばさんと、ナーダルはその魔術を紡ぐ。混沌に落ちた王子をほの手に掬わんと手を伸ばす。


 ナーダルの紡いだその魔術は「涼風ノ栞」というもので、還元・浄化・封印という複数属性を組み込まれた上級魔術だった。複雑に絡み合ったアストルの魔力を浄化し混沌とした感情を正し、その魔力を本人の中に還し、そしてむやみにその力を解き放たないように封じる。


 そして、青ノ魔力のその清らかさが相乗されることで魔術の効果は抜群に跳ね上がる。丁寧に祈りを込めながら創られた神語は美しく羅列され、ナーダルはそれを青ノ剣に織り込むように付加する。

 浄化に特化した魔法術は対象に触れる必要があり、今回はその魔力の根源──アストルの体の芯を貫く必要がある。


 貫くといっても、「涼風ノ栞」の魔術が体の内側から作用するだけで物理的にアストルが傷つくことはない。真っ白な刀身が輝き、その白さが一層際立つ。


「アストル王子、きっとあなたが見る現実せかいは時に残酷で信じ難いかもしれない。それでも、あなたとルーシャが生きてきた過去むかしは確かにあったし、あなたが生きる未来あしたはその手のなかにあります」


 ナーダルのその緑の瞳が見据えるのは、今にも魔力に全てを飲み込まれそうな一国の王子だった。

 アストルの濃い茶髪は無造作に伸び、その淡い緑の瞳は何も映さずただ目の前の光景を反射するだけのようだった。身につけている服はボロボロに擦り切れ、汚れやホコリでまみれており、彼が王族だとその外観からは想像さえできない。


 その足でどこを歩いてきたのか、その目で何を見てきたのかなど問うたところで答えなど返ってこない。アストルであり、アストルではない彼はその鋭い剣先を干渉してきた人間に向けているに過ぎない。


 青ノ剣でアストルの剣を受け止めながら、ナーダルはアストルの動きを封じようと魔法を発動させる。だが、アストルは魔法の発動をいち早く感知し魔法の効果外へと逃れる。ナーダルの魔法術の腕前はシバの折り紙付きであり、その神語を構成し魔法術を発動させる速度は協会でもトップクラスにあたる。そんな魔導士の魔法術をアストルは難なくかわしてゆく。


 だが、ナーダルとて諦めるわけにはいかない。アストルのこの魔力探知速度と回避能力はずば抜けており、ここで逃せば次に会える可能性は低い。

 防戦一方だったナーダルはその魔力を持って攻撃へと転じる。アストルを傷つけたくはないし、出来れば争いもしたくなかった。しかし、そんな生ぬるいことを言ってもられなかった。




 互いの攻防は続き、ナーダルもアストルも息を荒くし互いの疲労を感じる。他の誰も来ない針葉樹の静寂な森の一角でふたりは互いに引くことなくその剣と魔力を向け合う。


 ナーダルの放った炎魔法で辺りの雪は解け、足場が悪くなる。ぬかるみ滑りやすいその足場に、ふいにアストルの足が取られる。滑りかけて体勢を瞬時に整えた、その瞬間をナーダルは逃さなかった。


 アストルとの距離を一気にかけてつめ、青ノ剣の射程圏内に入り込む。「涼風ノ栞」が施された青ノ剣は眩しいほど白く、清く光り輝いている。それをアストルに目掛けて突き刺す──手筈だった。



「っく!!」



 それは突如として訪れた。

 左手首に雷が走り、息も詰まるほどの激痛がその手に蘇る。不意の出来事にナーダルは動きを止めて痛みを堪える。腕が切り落とされてしまったのではないかという錯覚さえ覚えてしまうのは、その身に降りかかったひとつの魔法術のせいだった。


(こんな時に、あの呪いがっ!)


 解けたとはいえ、まだその体と心に残っているのはルレクト家本家当主・メイルがナーダルにかけた呪いだった。

 呪いが解けた当初は何度かその痛みが蘇ってきたが、それも時間の流れと共に落ち着き最近では呪いにかかったことすら頭の片隅に追いやられていたほど。


 魔力に乗っ取られたアストルはその好機を逃さない。その何も映さない淡い緑の瞳は淡々と目の前の魔導士を捉え、なんの躊躇いもなくナーダルとの距離を詰め、その手にした剣でナーダルの体を貫く。


「っ!」


 呪いの痛みに悶絶していたナーダルだが、その痛みと衝撃に思わず声にならないが悲鳴のような声を上げる。アストルの剣はナーダルの右腹部を貫き、ナーダルの体から鮮血がおぞましい程美しく流れ出る。あまりの激痛に意識が遠のきそうになる。



 だが、ナーダルはその痛みを堪え自分の腕に力を入れ、手にしていた青ノ剣で自分を突き刺すアストルを貫く。



 眩い白さを誇る青ノ剣は、アストルを貫いた瞬間に強く発行しアストルを包み込む。そして、ナーダルが丁寧に織り込むように紡いだ神語が変化を起こし、魔術が発動する。ナーダルの魔力がアストルのなかに溶け込み、その内側から混沌と化した彼の身体せかいを変える。





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