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ルーシャの魔法・魔術日記  作者: 万寿実
第六章 封印の城
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p.57 兄

 誓約と呼ばれるその言葉をナーダルは紡ぎ出す。それは静神とそれに選ばれた〈青ノ第二者〉が、その言葉と魔力ともって交わすものだった。そして、他の〈第二者〉と〈青ノ第二者〉が決定的に違うの唯一の点は、血をも誓約で捧げるということも。


 ここに眠る静神は最後の〈第二者〉を選ぶことを決めており、その最後の〈第二者〉には必ずルレクト家の人間をと望んだ。その最後の〈第二者〉が本当にルレクト家の人間かを証明する唯一のものが、代々受け継いできたその血だった。


 ナーダルの言葉が響き終わると、その大いなる魔力が部屋中を包み込む。激戦の渦中にいたリーシェルはその手を止め、レティルトとルーシャは蒼竜とその膝元にいるナーダルを見つめる。

 淡く赤色に染まった氷が発光し、その赤色が集約され蒼竜に吸収されていく。そして一瞬で強い光を発しその場の誰もがその眩しさに目を閉じた。



 やがて、その眩い光は収まる。先程まで部屋を覆っていた強い魔力も、フラッシュのように眩しい光もなくなる。蒼竜は相変わらず淡く光る氷に覆われ、その氷が溶けることも、蒼竜が動き出すことも無い様子だった。

 そして、誓約を終えたナーダルは膝からその場に座り込む。感じられる魔力が少なく、誓約に多量の魔力を消費したのだとすぐにルーシャは気付く。



 今の出来事にどこか呆気に取られていたルーシャだが、はっとひとつの事実に気付く。


(魔力がない!)


 あらゆる物理攻撃、魔法術からルーシャを守っていた鉄壁の防御がすべてなくなっている。簡単に破られないよう、すぐに魔力が尽きないよう強化までされていたレティルトの魔法術がなくなっていた。


「レティルトさんっ!」


 ルーシャはすぐさま駆け寄る。

 リーシェルから少し離れたところで、レティルトはうつ伏せに倒れていた。おぞましい程の血が床や壁に散り、この現場がいかに激しい戦闘のさなかであったのかを思い起こさせる。


 レティルトのもとにたどり着いたルーシャは座り込み、何とかレティルトを仰向けにする。触れただけで多量の血液が容易にルーシャの両手につき、その生暖かさにゾッとする。その生暖かさが嫌でも今目の前の現実を突きつける。


「兄さん・・・っ!」


 ルーシャの悲鳴に似た兄を呼ぶ声に、ナーダルは後ろを振り向き息が詰まる。ふらつく体だったが、今はそんなことを気にかけている余裕はなかった。何度も転びそうになりながらもナーダルは兄の元へと駆けつける。


「っ!」


 ルーシャが何とか止血を施そうとしているなか、リーシェルが二人に近づく。その静かな動作を離れたところから見るナーダルには、何故かそれがとてもスローモーションに見えた。距離を詰め手の届く範囲まで来たリーシェルは、当たり前の手つきでその両手剣を握りレティルトに向かって振り下ろす。ルーシャはハッと気付いたが、神語を構成する時間など一瞬もない。


(死ぬっ!)


 とっさにレティルトの上に覆いかぶさり彼を庇いながら死を直感したルーシャだが、その耳に届いたのは心地よい重低音の声だった。



「やめろ、リーシェル」



 その声にリーシェルの手が空中で止まる。


「マスター」


 最強の女騎士が後ろを振り返り、そう口にした。

 そこに立っていたのは黒髪、黒い瞳の長身の男だった。静かに立つその姿は不思議と人を魅了させ、その声は耳に心地よい。ジャケットにシャツ、紺色のズボンといった特に着飾った格好ではないのに、何故か黒騎士がそこにいると絵になるように見える。


 突如現れた黒騎士に驚くルーシャだったが、ナーダルはそんなことなど気にすることなく兄の元に駆け寄る。そして、ルーシャと反対側に座り込み兄の様子を見る。

 床に横たわるレティルトの息はすでに弱々しい。怖いほど穏やかに胸を上下させるが、それがどんどん弱くなっていくのは目に見えてはっきりしていた。流れ続ける血で辺りが真っ赤に染まるというおぞましい光景を生み出し、感じ取れる魔力が徐々に弱くなっていくことに現実を感じる。開く瞳が宿す光がいつもよりも格段に弱い。


 止血や治癒の魔法術を行おうとしたナーダルだが、すぐにその手を止める。場数を踏んできたからこそわかる、消えゆく魔力とその灯火がある。とっさにその手を握る。

 心臓が嫌に強く脈打ち、胸が張りけそうな痛みを感じる。ざわつく心を体現するかのように鳥肌がたち、妙な寒気を感じる。体全体が小刻みに震え、呼吸が苦しくなる。


「セルト」


 その名を、その声で何度呼ばれてきたのかなど分からない。物心ついた頃からその声はいつも自分に向けられ、その瞳はこちらを向いて、その手は自分を導いてくれていた。兄として頼るときもあったし、親友のように夢中になって一緒に遊んだときもあったし、悪友のように秘密を共有したときもあった。喧嘩をして取っ組みあっても一度も勝てたことなどなかった。その存在がなければ今のナーダルなどないし、いつもいてくれるだけでどれだけの安心感があっただろう。


「泣くなよ」


 弱々しくも笑うその表情がハルと重なる。どうして皆、逝くと分かっていながら眩しいほど笑うのだろう。

 分かっていた、兄がリーシェルに復讐を誓う限りこうなってしまうことがあると。リーシェルの実力は紛れもなく本物で、そう簡単にその差を埋められないと。だからといってレティルトのことを全力で止められるわけなどなかった。ナーダルにとってもリーシェルは許せない存在であり、レティルトの怒りもまたナーダルの怒りでもあった。


 それにレティルトは一度心の底から決めたことを簡単には曲げず、諦めない性分だった。その覚悟を分かっていたからこそ、止めたくても止められなかった。だが、いまこうなってしまって止めておけばという後悔がないわけではない。


「悪いな」


 お前を置いていって──そう言葉にならない言葉がナーダルにかけられる。置いて逝かれる悲しみを知っていても、それでもレティルトは自分の命をかけて、大事な弟を悲しませてまで、やるべきことがあった。


 こうして泣かせてしまうこと、悲しませてしまうことなど重々承知でこの判断をした。リーシェルにその剣を向けることがどれほど無謀な事なのか、勝算がほぼないことであることなど分かっていた。


「ルーシャも」


 そして、同じく床に座り込み涙を流すルーシャにレティルトは微笑みかける。その優しく暖かい温もりに、その気遣いに涙がとめどなく溢れでてくる。いつの間にか握ってしまっていたレティルトの手をルーシャは強く、祈るように両手で包み込む。多量の流血のせいかレティルトの手は冷たい。


 初めて出会った時はその存在に圧倒され、徐々にその優しさに触れ、気づけばとても頼りになる安心する存在になっていた。弟の弟子というほぼほぼ他人のルーシャを気にかけてくれ、そして今日はついさっきまではその高度で複雑な魔法術でルーシャを護ってくれた。そのおかげで今は傷一つなくここにいることが出来ている。


 眩しく微笑んだまま、レティルトは静かにその瞼を閉じる。まるで眠るかのように自然とその瞼が閉じられ、その表情は信じられないほど穏やかだった。身体中に深い傷を抱え、激痛を感じていたとは思えないほど彼の眠ったその顔は穏やかで美しい。


「兄さんっ!!」


「レティルトさん・・・っ!」


 その体から何も感じられなくなる。

 先程まで僅かにでも握り返してくれた力も、上下する胸も、感じる息遣いも、何よりもそのからだを取り巻いていた魔力も・・・なにもない。


 もはや握り返してもくれない手を二人は力強く握り、声を返してもくれないのにその名を呼び、涙が頬を伝う。


「お前は席を外せ」


 無表情でナーダルとルーシャを見下ろしていたリーシェルに黒騎士が言葉をかける。言いたいことは色々あったが、今はそれを置いておく。リーシェルは何かを言いたげだったが、師匠の言葉に素直に従いこの部屋を去っていく。

 黒騎士はリーシェルの体質を確認するとレティルトの元へとやってきて、膝をつく。


「御身に魔力の正しい導きがあらんことを」


 静かに眠るその存在に黒騎士はそう、呟くように声をかけ身につけていたジャケットを傷だらけのレティルトの体に被せる。

 その存在を分かっていながらも、ナーダルとルーシャは黒騎士を見ることも礼を言うことも出来ない。今目の前でレティルトが旅立ってしまったことにしか目を向けられない。


「協会に連絡は俺がしておこう」


 そう言い、黒騎士は部屋の入口まで引き返す。レティルトの立場は何とも言えないところであり、魔力協会がその身元を引き受ける義理は本来ない。だが魔力協会はリーシェルの反乱に対し何の制裁も言及もしておらず、本来ならば永世中立機関としても、協会員の反社会的行動として組織としてもリーシェルを罰しなければならなかった。その牙をむくことを恐れるがあまり何もしなかったのだから、帰る場所も何もない元王子の引き取りくらいしてもらわなければと黒騎士は判断した。





 しばらくの後、魔力協会の人間が数名現れた。この地下室の封印は既に解いているため、魔力を頼りに来たのだろう。黒騎士は元王子のこと、ルレクト家の秘密なども考慮したため会長・フィルナルに直接連絡し、事を察したフィルナルが信頼しているものだけを派遣した様子だった。


 とりあえず、レティルトは協会員によってその身柄を協会本部へと移される。ルーシャはナーダルに「一緒について行ってあげて」と言われたため、師匠と離れ協会員たちとともに本部へと行くこととなった。姿を消していく兄とルーシャをナーダルは蒼竜の眠るこの場から見送る。



「すまない、俺がもう少し早く来れていたら・・・あなたの兄上は」



 黒騎士は険しい表情をしてナーダルに頭を下げた。


「いえ、あなたのせいではありません」


 むしろ、最後のリーシェルの一振りを止めてくれたことに感謝していた。あの時、黒騎士が止めてなければレティルトは最後の一撃をくらっていたし、ルーシャも斬られて最悪の場合は命を落としていただろう。


「リヴェール=ナイトさん」


 その名を呼ばれることはそう多くなく、黒騎士はどこか自分の名なのにむず痒く感じられた。


「最後の誓約は交わしました。あとは時間の問題です」


 まだ涙も乾いていない腫れた瞳でナーダルは静神を見つめる。それにつられ、黒騎士もその中央にいる蒼竜を見た。


「ここまで来れたこと自体が奇跡のようだ」


「奇跡に奇跡を重ねた今は・・・きっと、なるべくしてなった現在だと思いますよ」


 どこかまだ辛そうにしながらも、ナーダルは黒騎士に微笑みかけるのだった。








──────────


レティルトさんが・・・、レティルトさんが。

どうして。


自分って本当に何も出来ないんだと思ったし、本当に無力だった。

リーシェルさんに人質に取られて、見ていることしか出来なくて。


消えゆくその命を止めることも何も出来なかった。


あんなに優しくしてくれて、他人の私を気にかけて護ってくれて、レティルトさんがいてくれたからこそ今があるって言えるくらいなのに・・・。



正直、書きたくない場面でした。レティルトさんはこのシリーズで個人的に一番かっこよく、頼りになる、最高の王子様だと思っています。この人がいたからこそ、ルーシャもナーダルもここまで来れたのになーと思いながら、大好きなレティルトさんを書いていました。

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