p.55 復讐
旧王家の秘密がある地下室で、その存在を見つめながら驚き足を止めるリーシェル。ルーシャは部屋に入ったところで同じく驚いたように、部屋の主のように存在する氷漬けされた竜を見つめる。
ナーダルはルーシャの隣にたちながら、この部屋に最も招き入れたくなかったリーシェルを見据える。
「どういうことだ?なぜ、お前がいる?」
緊張感に満ちた静寂のなか、こつりと聞こえた足音とともに一人の人間の声が部屋に広がる。頼もしく聞き覚えのあるその人物は、部屋にいる女騎士を強く睨みつけていた。
「リーシェル」
その名を呼ぶレティルトの醸し出す雰囲気はいつもより、格段に冷たく殺気に満ちていた。その空気に触れただけで何もかもを切り裂くかのような、彼の覚悟が容易にルーシャにも伝わる。あまりにも緊迫したその空気に、ルーシャはおろかナーダルでさえ身動きひとつとることを躊躇う。
「ごめん、兄さん」
部屋に入り自分の隣に立ったレティルトにナーダルきまり悪そうに兄に頭を下げる。ナーダル同様、レティルトも秘密を知るものであったし、彼もリーシェルには秘密を知られたくはないと考えていた。
「お前の口を割らせるために汚い手でも使ったんだろ」
呆れ気味に溜息をつきながら、レティルトは目の前にいる宿敵を睨む。終わったことは仕方がないとでもいう潔い対応は、さすがとしか言いようがない。こうなってしまった今でもナーダルはどこかでリーシェルをここへ連れてこなくてもいい方法があったのではないかと考えてしまう。
「レティルト王子もお久しぶり」
やっとこちらを振り向き、なんの躊躇いもなくにこりと笑顔を浮かべるリーシェル。
「どの面下げて、そんなこと言えるんだか」
いつもより格段に声のトーンも低ければ、言葉遣いも荒いレティルト。いかに彼がリーシェルを憎んでいるのか、許せないのかが言葉と発する空気で伝わってくる。すべてを引き裂くような殺気を放つレティルトにルーシャは心の奥底から恐怖を感じる。
「貴方たちが隠してきたコレは何かしら?」
くすりと笑うその笑みにレティルトの醸す空気が一層と尖る。明らかな挑発行為に乗るまいと耐えるレティルトだが、今にも鞘から刀身を抜きそうな勢いがある。
「てめぇに語ることなんて何一つねぇんだよ」
爆発してしまいそうな怒りをかみ殺すレティルトは深い一息をつく。溜まり溜まった怒りを沈めるように、静かに吐き出される息遣いが妙な緊張感をこの場に持たせる。
「セルト、お前の役割は誓約だ」
目の前のリーシェルを通り越し、レティルトは部屋の奥に佇む巨大な蒼竜を見据えて口を開く。ナーダルは静かに頷き、同じく蒼竜を見つめる。ふたりの王子が見据える先にあるそれが、ルレクト家が国の歴史と共に守り受け継いできたもの。ルレクト本家でさえも知らない、この地を収めてきた者だけに受け継がれてきた歴史であり未来だった。
「ルーシャはそこを絶対に動くなよ」
こちらを見ることもなくレティルトは同時に複数もの防御魔法術をルーシャにかける。物理攻撃を弾くもの、吸収するもの、受け止めるもの、魔法術全般を無効化するもの、そしてそれらの魔法術すべてを長時間維持するための魔法術も施される。それはまさに鉄壁の防御であり、魔力からレティルトの強さと温かさを感じる。
共に過ごした時間がそれほどなくても、感じられる魔力だけでレティルトの人柄は十分に伝わる。もし彼が王座についていたならば、こうして守るべき国民を全力で護ったであろうことは他国民のルーシャでさえ感じ取ることが出来る。
「オレは奴を叩く」
そう言い、レティルトは腰に指していた剣を抜く。
栗色の革が柄に張られ、使い続けてきた故にしっくり手に馴染む。鞘は光沢のある濃い茶色で金で細かな装飾がシンプルにもあしらわれ、それが一等品であることは明らかだった。抜かれた刀身は眩いほどの白を有し、光を反射して神々しくもある。まさに次代の王が持つに相応しい剣と思える。ロータル王国第一王子のためにあしらわれたそれを今日までレティルトは何度となく振るってきた。
「賢明な王子とは思えない判断ね」
真っ直ぐと自分に突きつけられた刀身を見据えながらもリーシェルも自身の剣を抜く。女が持つには大きすぎるような両手剣だが、彼女が持つも妙にしっくりくる。
レティルトは状況がどうであれ冷静に周囲や相手を観察・分析し、最善の策を練り、それを遂行するための行動をとることが出来る。生まれ持っての才能と、たゆまぬ努力、そして周囲からの期待というプレッシャーが手本のように完璧な王子を生み出していた。
「オレは、オレの道をゆくだけだ」
すっと走り出し、レティルトは真っ直ぐとリーシェルに切りかかる。それを自身の刀身で受け止めるリーシェル。
レティルトは玉座に最も近いものとして国の軍力も、リーシェルの腕前も知っていた。彼女が最強の女騎士たる所以も、その功績の数々も、戦場での作戦指揮や本人の動きも報告書を細かく読み熟知している。そんなレティルトだからこそ、リーシェルのいうレティルトらしからぬ判断という言葉の意味もわかる。
本来のレティルトならば、明らかな実力差がありすぎるリーシェルに挑もうとなど思わないだろう。勝利するために払う犠牲を考えれば、そこまでして挑む相手なのかをまず考えるし、勝利と犠牲を天秤にかけた時に払う犠牲が大きすぎると判断する。
だが、それは王子としての判断に過ぎない。レティルト個人となれば別問題だった。信頼していた人間から裏切られ、ある日突然として両親を殺され、自分も弟も命を狙われ、居場所を失った。それが何らかの理由があるならまだしも、リーシェルは「反乱をやってみたら出来てしまった」と公言していた。戯れの一種としてリーシェルは力でもの言わせ、人々を恐怖で支配し、大切なものを全て奪った。
あまりに理不尽で自分勝手なその横暴に、レティルトは抑えようのない怒りでいっぱいだった。そんな理由で一国を転覆させたのか、そんな動機で恐怖で人々を支配し震えながら王家に剣を向けさせたのか、そんなことで人の──両親の命をあっさり奪ったのか。
レティルトは休むことなく高速でリーシェルに切りかかる。彼女はそれを両手剣で難なく受け止めて対応する。様子を見るかのように静かに剣を受け止め、反撃をする気配がない。レティルトの一太刀一太刀は確実に重く、金属同士がぶつかり合う音が嫌なほど耳に入ってくる。火花が散ってもおかしくはないレベルだった。
ナーダルは隙を見て兄とリーシェルの攻防を通り抜け、部屋の奥へと進む。
「っ!」
だが、背後から物凄い勢いでリーシェルの剣がナーダルを襲う。間一髪でそれを避けたナーダルだが、リーシェルはレティルトから距離を一気にとりナーダルを襲う。持っていた青ノ剣を抜き、それを何とか受け止めながら早くもナーダルの腕が痺れかける。予想以上に重く、腕に響く一太刀だった。
「何だか分からないけど、そう簡単に抜かせないわ」
余裕の笑みを浮かべるリーシェルの背後からレティルトが切り込む。それを紙一重で避けながら、リーシェルは再びナーダルにその剣先を向ける。レティルトをいなしながらも、リーシェルは何度も何度もナーダルを襲う。最初はそれを避けて先に進もうとしていたナーダルだが埒が明かないため先に行く足を止めた。
二人がかりで最強の女騎士に立ち向かう。兄弟王子として互いに同じような教育を受け、そのなかで相手がどう答えるか、どう動くかを見てきたレティルトとナーダルの共闘は互いに合図など出さずとも絶妙なタイミングと間合いを見せる。
レティルトが攻撃を仕掛ければ、ナーダルはその攻撃範囲から離れながらリーシェルの動きを制限させるように魔法術で遠隔攻撃を仕掛ける。逆にナーダルが攻撃をしている時は、レティルトがリーシェルの動きを制限させる。巧みな二人のフォーメーションに翻弄されながらも、リーシェルはそれらを器用に捌く。
反撃の間さえ与えない二人の攻撃を捌きながらも、リーシェルの表情に余裕がある。二人の攻撃をいなしながらも、それがまるで鍛錬であるかのような身のこなしだった。命を賭けた実戦であるというのにも関わらず、リーシェルのそれは二人との実力差を体現しているかのようだった。
二人がかりで攻撃の隙さえ与えていないのに、どこか押されているかのようなレティルトとナーダル。冷静を装いながらも二人は明らかに感じるリーシェルとの力の差をどうにか埋めようと動き続ける。
どのようなことであれ、人には生まれ持った才能がある。それが魔法術なのか、はたまた剣術なのか、それとも日常的な料理や裁縫といったものなのか、人身を掴む話術なのか・・・それは人それぞれだった。
本人が望む才能が備わっているケースなど稀で、そもそもその才能に気付くのか、そしてその才能を伸ばすだけの環境があるのか、そして本人が才能を生かすための努力をするのかは人の人生の数だけ分かれ道がある。
そんななか、リーシェルは確かに剣術の才能があり、それを伸ばすだけの才能のある師匠と出会いその能力を開花させた。ふたりの王子の太刀筋や動きに合わせながら、リーシェルは華麗に剣を振る。
激しい攻防ゆえにレティルトやナーダル、リーシェルの身体のあちこちには傷がつき、血が滴る。衣服は剣により切り裂かれ、魔法術により溶けたり焦げたりもしている。傷付いた身体が痛み、激しい攻防にそれぞれ息が上がり、一時も油断などできない緊張感が続く。
時間とともに傷つきぼろぼろになっていく二人の姿を見ながらも、ルーシャは何も出来ずにただ祈ることしかできない。レティルトが施した防御魔法術はルーシャを守るものであり、同時に線引きでもあった。これ以上先には関わるな──それがレティルトの言葉にしない意思だった。
息も上がり、二人がかりでも全く動じることの無いリーシェルにレティルトとナーダルの焦りは募る。ただでさえ実力差のある相手であり、長引けば長引くほどこちらが不利となる。しかし、一瞬の隙さえも与えずに攻撃を繰り返しているにも関わらずリーシェルは常に二人の王子を視界に入れて対応している。痛みと疲労で張り詰めていた集中力が切れそうになるのを感じ、身体の随所の痛みを無視して剣を握り魔力を練る。
止血などしている暇もないので首や肩、腕の傷から流れてくる血で剣の柄が濡れてくる。汗と共に赤色の血が床に滴り、身体を動かすどころか呼吸をするだけでも身体のあちこちが強く痛む。良く切れるリーシェルの両手剣は掠っただけで肉を切り裂き、下手をすれば骨さえも断つであろうというほどのものだった。
「アレは本物なの?だとしたら、あなたたちが守ってきたものは・・・幻獣?それとも新たな兵器?」
襲い来るふたつの剣といくつもの魔法術を受けながら、リーシェルはふたりに訊ねる。
「オレたちが守ってきたのは、単なる・・・時間に過ぎねぇよ」
どこか悔しそうにそう言い、レティルトは何の予備行動もみせず突如として広範囲で莫大な魔力の爆発を起こす。爆風と爆煙が部屋いっぱいに広がり、ルーシャの視界が一気に奪われる。レティルトの施した防御魔法術のおかげで怪我を負うことなどない。
視界が一気に悪くなったなか、ナーダルはすぐさま部屋の中央奥に走り出す。視界は悪いしどこが目指す先なのかは目で確認することは出来ないが、目指すべき先には独特の魔力がある。すべての穢れを洗い流し、とめどなく流れゆく清き蒼の魔力がそのものには宿っている。その恩恵を受けた身であるからこそ、引かれ合うようにその居場所が鮮明に分かる。今何よりもナーダルが優先すべきことは世界最強の女騎士ではない。
(ソートっ・・・!)
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レティルトさんが合流した。
前に氷の城の一件の時から、リーシェルさんのところへ向かうなら絶対に連絡をするようにってマスターに言ってたもんね。
レティルトさんの施してくれた魔法術はどれも強くて、芯があって、何よりも暖かかった。この人になら何を任せてもいいんだと思えてしまうほど。
いつも、レティルトさんのこと頼りになるし、本当に国王という器がピッタリだと勝手に思ってた。
知れば知るほど、レティルトさんがいかに自分の言葉や行動に責任を持っているのかも分かるし、何よりも人を簡単に信用しないとはいえ、いつも優しくて気にかけてくれる。
そんなレティルトさんが殺気だけで人を殺してしまいそうになるほど、リーシェルさんのことを許せずにいる。
改めて、世界最強の女騎士がやったことがどういえことなのか肌で感じた気がした。
そして・・・リーシェルさんは強すぎる。




