p.24 リザルの手記
目の前を流れる鳥籠をぼんやり見つめながら、ルーシャは昨日のリラの言葉を心の中で何度も思い出す。もちろん、業務時間なので仕事はきちんとしているが心はここにはない。近くに立つミッシュも同じなのか、魔力探知をまだ完全には習得しきれていないミッシュはルーシャと違い仕事に支障をきたしているようで、先程から一切ながれていく鳥籠を回収している様子がない。なんの問題もなければいいのだが、欠陥商品を見逃していたらそれはそれで問題だ。
(リザル・ヨシュア・ヴェルゴット)
その名は聞いたことはない、だが知っている名前が確かにあった。
貴族や王族など高貴な身分のものは基本的に名前が長い。民族や国によって異なることもあるが、彼らは「名前・母方の名字・父方の名字」を名前として名乗ることが多い。簡略に自己紹介する場合は母方の名字をとばしたりするが、平民にはない習慣なためルーシャは不思議に感じている。そんなに家柄が大切なのかと。
(ヴェルゴットって多分、協会にお屋敷を譲った貴族のはず)
ヴェルゴット支部の名は屋敷の所有者だった貴族の名前からつけたものであり、まだ確定はしていないがおそらくリラの故郷はこの街なのだろう。なんの根拠もないため、ルーシャたちは全員暗黙の了解でリラにヴェルゴット支部のことを話してはいない。工場から支部へ行くまでの道中、街並みを見てきただろうがリラはここが故郷だと気づいていない様子だった。
二百年という長い時の流れの中、歴史は積み重なり、人々は変わっていった。技術は進歩していき、街は発展を遂げる。命あるものは天命を全うし、そして忘れられていく。当たり前な時の流れだが、リラはそこから隔絶され同じ世界に生きながらも故郷すらも分からなくなっていた。
どうすべきか、支部がリザルの家だとどう調べるべきかとルーシャたちは頭を悩ます。支部になにか家系図的なものがあればいいのだが、もはや貴族の屋敷ではなくなり魔力協会の所有となったあの建物に、果たしてヴェルゴット一族の何かが残っているのだろうか。それに名前が同じと言うだけで全く別の貴族なのかもしれない。
リラは現在、ルーシャとミッシュの部屋に置いてきている。同化魔法で姿がほかの人に見えないようにしているが、魔力協会の支部に置いてきており一人前の魔法術師にルーシャの魔法が見破られない保証など一切ない。むしろ、つたない半人前の魔法などあっさりと見破られる可能性の方が高い。見つかっていないか不安ではあるが、リラ曰くリザルの魔法が継続中なためほかの人に見つかることはない。
様々な心配事をそれぞれが抱ながら、今出来ること──バイトに精を出すしかなかった。
昼食休憩時、集まったルーシャたちは支給された弁当を片手に会議を開き、エリスがひとつの提案をする。
「前に食堂でランタンの話をしてくれた人いたじゃない、あの人に聞いてみるのは?」
支部についたその日、食堂に掲げられていた肖像画や中庭のランタンの由来を語ってくれた魔法術師がいた。今でもたまに食堂で見かけることがあり、ヴェルゴット支部で働いている人物なのだろう。
「確かに、あのおっさんならヴェルゴットについて何か知ってるかもな」
頷きながらミッシュが口を開き賛同の意を示す。むやみに支部を歩き回り痕跡を探すという手もあるが、半人前の自分たちが変に支部をうろつくと目立つ。それに立ち入り禁止区域もあり、そんなところに足を踏み入れてしまえば警備魔法や魔術に一瞬で捕まる。そんな危険を冒すのは他の方法がなくなってからでいい。
昼食休憩後、それぞれが黙々と仕事に取り掛かる。朝から集中しきれていなかったミッシュだが、やるべきことが明確化したからか今朝のように仕事をおろそかにしている様子はなかった。
業務を終えたルーシャたちは心なしか早足で支部へと戻る。もちろん目的は昼間話した例の協会員に話を聞くため。彼の名前も何も知らないルーシャたちは早くから食堂で彼が来るのを待ち構えるしかない。食堂の片隅で彼が来ることを祈りながら、ただ待つ時間は異様に長く感じられる。
(きた!)
全員がすぐに目的の人物を見つけ、互いに目配せをする。
「あの、すいません」
食事を手にし席についた目的の男にルーシャたち三人は話しかける。男は少し驚いたように目を見開きルーシャたちを見上げる。
「君たちはこの前の」
どうやらルーシャたちのことを覚えていたようだった。
「少しお聞きしたいことがあります」
緊張した面持ちのルーシャは強張りながらも真っ直ぐと相手を見据える。今はこの人しか何かを知り得る人はいない。願うよう、祈るように相手を見つめる。
「なんだろう。まあ、座りなさい」
首をかしげながらもそう言い、彼は同じテーブルに備え付けられている椅子を指さす。促されルーシャたちは同じテーブルに腰掛ける。
「リザル・ヨシュア・ヴェルゴットについて知りたいんです」
単刀直入にエリスは要件を伝える。不思議と男は特に驚いた様子もなく頷き口を開く。
「彼のことか。それなら支部の二階にある資料室へ行けば、彼の手記が保管されているよ」
「え?」
あっさりと答えが返ってきて、ルーシャたちは呆気に取られる。彼なら何か知っていると思っていたが、こんなに早くあっさりと答えが見つかるのはどこか拍子抜けだった。願っていたことだがどこか意表をつかれた気がする。
「突然家を飛び出したリザルは突然の事故で急死した。そのとき、彼の持ち物は亡骸とともにこの屋敷に帰ってきたからね」
そういい男は食堂に飾られている大きな肖像画を見上げる。
「まさか、あの人がリザル?」
「そう言われてる。頭脳明晰かつ優しい心を持ったヴェルゴット一族の跡取りだったそうだよ、そして魔法の鳥籠の童話のモデルとも」
聞きたいことは山ほどあったが、ルーシャたちは男に礼を言ってその場を早足で去る。魔力協会ではリザルの存在は有名なのだろうか、彼が童話のモデルなのは有名な話なのだろうか。当たり前にみんなが知っていることなのだろうか、それならリラはもっと早くここへたどり着けたのではないだろうか。いくらリザルが優秀な魔法術師だったとしても、彼よりも実力のある魔法術師や魔導士は数多く存在している。ならば、リザルの魔法や魔術が解かれていてもおかしくはない。
疑問は数多くあるが今するべきことはリザルのことを知ることだった。ルーシャたちは迷うことなく二階へ上がり、教えて貰った資料室に三人は足を踏み入れる。大きな本棚が天井まで届き、そんなものが数え切れないほど連なるそこは図書館のようだった。趣ある机や椅子が並べられ、司書らしき人物はいないが入口に使用者の名前を書く紙がありルーシャたちは素直に自分の名前を書く。巨大な本棚には協会関連の本や雑誌などが並べられている。手分けして本棚のひとつひとつを見ていくと、部屋の片隅にヴェルゴット家に関連する書物などが残されていた。屋敷を譲り受けたからか、律儀にそれらは残され、丁寧に風化防止の魔法もかけられている。
そこに、背表紙に何も書かれていない書物をみつける。ボロボロになったそれを手に取ると、ずしりとした重さが伝わる。ページをめくると今にも敗れてしまいそうなほど風化しつつある紙だが、魔法が施されているからか文字は読むことが出来た。分厚い書物の最初はリザルが魔法術師になったばかりであろう頃から始まり、ルーシャたちは順番にページをめくりリザルの生きた形跡を辿る。
誰かの物語を読むことで、その人が生きていたことを知ることが出来る。もうとっくの昔にこの世を去り、ルーシャたちが生きる前に生きて死んだ人物などよっぽどの有名人でないとほとんど知ることは出来ない。この世の殆どの人物は生きていたことすらも後世に知られることなく、その存在すらも認識され続けることなく消えていく。
知らない一人の魔法術師の人生の一部を辿りながらも、ルーシャたちは目的のページにたどり着く。今までのページでも幼馴染のリラのことはたまに出てきたが、これからはルーシャたちの知っている物語に近づく。
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今日は驚くべきことがあった。幼馴染のリラが実は魔鳥なのだと!少し不思議な雰囲気のある子だとは思っていたが、まさかそんな特別な存在だとは。僕のことを信頼して教えてくれたようだ。
驚くばかりだが、心配なのはこのことが周囲に知られなければいいのだが。協会員でさえも、特殊な種族を捕まえては裏取引で彼らを売って私腹を肥やす者もいる。貧しい集落のものがこのことを知ればリラは狙われるかもしれない。用心しよう。
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リラの秘密がバレないよう、僕達は森の中で会っている。人の姿なら構わないのだが、鳥の姿は危険だ。あれほど美しければ魔鳥と気付かれなくても捕まえられてしまうだろう。細心の注意を払わなければ。
だが、万が一ということもある。リラの避難所を作ろう。部屋にたまたま昔なにかでもらった鳥籠がある。あれに魔法を施そう。
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僕の不手際でリラが魔鳥だと皆に知られてしまった。人の姿にも鳥の姿にもなれる彼らは裏取引で高値で売買され、皆はリラを売りさばこうとしている。なんてことだ・・・・・・。
あの時、万が一のために用意しておいた魔法の鳥籠を本当に使うことになるとは。少しでも早く自体が落ち着くまでリラには申し訳ないが、あのなかで過ごしてもらおう。
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ようやく皆はリラのことを諦め始めた。もう遠くに逃げたのだと考えているみたいだ。もう少しの辛抱だよ、リラ。
ただ、騒動が落ち着いてもリラはもうここで生活することは出来ない。戻ってしまえば正体を知ったみんなに売られてしまう。近隣の町や村に行ったところですぐにバレてしまうだろう。遠くへ行く必要があること、もう戻れないことを伝えないと。
一緒に行ってあげたいけど、僕は次期当主としてヴェルゴット家を支えないといけない。こんなところで貴族であることが枷になるとは。
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駄目だ、どうやっても鳥籠が開かない。入念に調べて組み上げた筈なのに。
致し方ない、方法を探しに行くしか。ごめん、リラ。こんなことになるなんて。必ず何とかしてみせる!
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窮屈な鳥籠にいてもリラはなんの文句も言わずにいてくれる。本当に申し訳ない。なんとしても早く方法を探し出さないと。
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世界には様々な魔法術師がいるんだな。僕の知らない魔法や魔術もあるし、誰かの小さな研究の末に生まれた術もある。これならきっとリラを出してあげることも出来るだろう。
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いくつもの魔法術に出会ったが、いまひとつ欲しい術は見当たらない。何度みても鳥籠の神語は間違っている箇所が見当たらない。そもそも何が間違ってこうなったんだろう。魔鳥の魔力となにか相互作用を引き起こしたのだろうか。
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焦りが募る。旅を初めて3年が経ってしまったが、何の成果も手がかりもない。
一族随一の魔法術師だと言われていたのに、もはや僕の実力などその程度でしかなかったのか。とにかく少しでも手がかりを手に入れないと。
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旅をして、家を出て、僕はリラを助けるために・・・・・・いや、自分の施した魔法を解くためにここにいる。まるで鳥籠に囚われたのは僕じゃないか。安易に魔法や魔術を使わなければよかった。魔法術師であることに酔いしれていたのかもしれない。
だが、一番ツラいのはリラだ。僕の不手際で正体がバレてしまったばかりか、数年も閉じ込められている。
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随分と遠くに来た。見知らぬ土地と見知らぬ人の中にいると、同じ世界なのに異世界に来たようだ。僕らの常識が何もかも通じず、彼らの規則がここでの絶対的な支配者だ。
思想とは不思議なものだ。それ自体に力はないのに、それを信じる人々の手により絶大な権力となる。まさか、魔力を悪とみなす思想の村にたどり着くとは。
危険だ及ばないうちにここを離れよう。ここにはリラを助けるすべはなさそうだ。
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ここでページが途切れ、そこで最後なのだと理解することが出来た。リザル・ヨシュア・ヴェルゴットは確かにリザル少年であり、リラが鳥籠にとらわれる要因となった人物だった。善意で、厚意で行った事のはずが思わぬ結果を招き、リラどころかリザルまでも鳥籠に囚われてしまっていた。なんとかしなければ、リラを助けなければと。
「なあ、ルーシャ、エリス」
手記を読み終え無言の三人だったが、ミッシュが一番に声を発する。ルーシャやエリスと違い、ミッシュははじめからこの件に関しては積極的に関わっている印象はなかった。ルーシャたちが関わっているから、とりあえず適度に関わっている様子に見えた。
「二人から見て鳥籠の魔法や魔術に不備はないんだよな?」
突然のミッシュの言葉にルーシャもミッシュも曖昧に頷く。自分の判断としては神語も合っているし、明らかに変な構造はない。むしろ慎重に積み重ねられているように見えるが、なにせ経験の浅い自分の見解など合っている自信も保障もない。
「リザルも何回見ても不備はないって書いてた。じゃあ、リザルの魔法や魔術に問題はなかったんじゃないか?」
ミッシュの言葉にルーシャとエリスは首を傾げる。
「魔法も魔術も神語がすべてよ。それが正しいなら発動するし分解も簡単に出来る、でも間違ったなら絡まった鎖のように分解も難しいわ」
エリスの言葉にルーシャも頷く。
「知ってる。でも、魔力は心の力で感情で左右される。強く願えば無意識にだって魔法を使ったり、神語を書き換えることだってあるんだ」
ハッとエリスはミッシュの言葉に無言で頷く。ルーシャだけはそんなことがあるのかと驚く。妙な無言を抱いたまま、三人は古びた手記を無言で見つめる。
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リザルがヴェルゴット一族のひとりだったなんて。偶然なのかな、魔力の導きなのかな。
ずっとリラと旅して探してたんだ・・・・・・。でも、見つからなかった。文面から責任感が強そうな人だと思えたから、きっと焦りも無力感も人一倍感じていたよね。そんななか、リラをのこして旅立っちゃったんだ。




