p.116 経験
新章です、短めの章になります。
まだ肌寒さが残るものの、昼間の陽光は暖かく春を感じる。冬の引き締まった空気から春の柔らかい空気へと季節が変わるのを感じながら、ルーシャとセトは別々の場所から標的を監視していた。
ルーシャたちは倒れていたリヴェール=ナイトを助け、覇者の目覚めと、そのための手続きのため魔力協会思想本部のフィルナルのもとを訪れた。リヴェール=ナイト曰く、竜の目覚めのためには決められた場所で儀式を行う必要があるという。特に期限もなく時期も定まっている訳では無いらしい。
そのことを聞いたフィルナルにより目覚めの儀式の日取りが決められた。竜の目覚めに伴い何らかの大きな変化が世界に生じる可能性があるため、それに協会として備える必要があった。世界各国の統治者たちの協力も必要であり、念には念を入れて準備に一季節を費やすことにした。
具体的な準備にルーシャが携わることはなく、主にリヴェール=ナイトとリルト、そしてフィルナルの懐刀と呼ばれる一部の魔法術師や魔導士たちが動いていた。彼らがある程度の自体の予測と対策をつめ、それに関わる組織や議会の人間に命令が下されていった。最終的には全協会員が何らかの任務を与えられて動くこととなる様子であった。
しかし、ルーシャは現時点で特になんの命令も受けていないためセトの指導に時間を費やしていた。
思想本部へとやってきたルーシャはちょうど良い機会だと、シバのもとを訪れ近況報告とともにセトのことも紹介した。手紙でセトのことを報告していたが、実際対面させるのは初めてだった。
シバは一目見てセトの実力や素質を見抜き、基礎は十分なため実践と応用を身につけるようルーシャとセトにアドバイスを行なった。
そのためシバの自宅に2人で厄介になりながら、ルーシャたちは本部へ来てから3ヶ月間ひたすら依頼仕事をこなし、ほとんどをセト1人が解決していた。ルーシャはセトの実力に合わせ仕事の内容をどんどんレベルアップさせていき、今現在は数ヶ月前から横行している連続通り魔事件の犯人を追跡している。指名手配犯の逮捕は難易度だけではなく危険性も高い。
セトは静かに風下から相手を追跡し、ルーシャはさらに離れたところから2人の後を追っていた。
連続通り魔事件は魔力協会本部や支部の近くで起きることが多く、その被害者は殆どが協会員だった。魔法術の扱える協会員だが、不意を突かれれば一般人と同じくとっさの対応が難しい。被害者の中には魔力探知に優れた者もいたと言うが、それでも被害にあっているため犯人はかなりのやり手と推測される。
今、3人は魔力協会思想本部の末端にいる。入り組んだ路地裏や、規則性のなく建築された建物が乱立している場所であり、ルーシャとセトには土地勘が一切ない。協会員を相手に被害を続出させている犯人が相手のため、下手に魔法術を使うことも出来ない。さらにいえば、セトはかなりの修練を積んでなお魔力探知がうまく出来ない。教え方の問題かと思いシバに教授をしてもらったが、それでもセトは他者の魔力を探知することが専ら苦手だった。
魔力探知もできず、下手に魔法術も使う訳にはいかない状況下でセトは何とか犯人を逃さずに追跡をしている。つい数ヶ月前までは魔力協会のことも何も知らなかった少年だったが、今は己の魔力を操り、自分の見る世界を広げている。さらには殆ど出来なかった勉強もしており、今や高等学校レベルの勉強をしている。学歴だけで言えばルーシャよりも上を行く勢いのセトに、ルーシャはただただ驚く。何となく生きていければ良いといスタンスのルーシャとは異なり、セトは上を目指して生きている。
追跡している犯人はルーシャたちに気づいていないのか、余裕のある足取りで、周囲への警戒心もない様子で細い道を歩いている。迷いのない歩き方から行先は確定していると窺える。地の利がないセトは動き出すタイミングを慎重に探る。ルーシャならば抗魔力探知魔術を織り込んだ魔法術を使用し、トラップをしかけるなり、足止めするなりの手段が使えるが、セトが今そこまで出来るかと言えば難しいところだった。
静かに相手を追跡していたセトだが、ふいに動きだす。躊躇いなくセトは追跡の速度を上げ、犯人の目の前に姿を現す。
突如現れた赤髪、赤い瞳の少年に対し相手は一瞬怯んだもののすぐに臨戦態勢にうつる。
なんの予備動作もないまま、犯人は複数の魔法術を一気に展開する。様々な攻撃や動きを抑制する魔法術に対し、セトは臆することなくそれらを避け、還元魔法を繰り出す。時間差攻撃のものまでは丁寧に捌く余裕なく、それは仕方なく炎魔法で焼き尽くす。本来ならば魔法術を燃焼させることは難しいものであり、相性次第では全く効果はない。しかし、セトの魔力は赤ノ魔力と呼ばれる特異的なもので、強い炎の力を有している。
赤ノ魔力は小さな炎魔法ですら、大規模な火災をもたらしてしまうほど強い魔力だった。天災級の魔法術を発動させることができ、制御を間違えば途端に尽くを破壊し尽くす。
それは赤ノ魔力だけに限らず〈第二者〉の魔力はそれぞれが強い特性のある魔力であり、天変地異を起こすことさえ出来る力だった。
そんな〈第二者〉の魔力のなかでも、赤ノ魔力は抜きん出て攻撃力が高く破壊性に優れている。セトはその特性を利用し、相手の魔法術を破壊していく。しかし、相手は今までに魔法術師たちを襲ってきた実力者であり、セトの対応に臆することなく魔法術を放ち、セトとの距離を詰める。そのまま隠し持っていたナイフでセトに斬り掛かる。
紙一重でセトは相手の斬撃を避け、複数の魔法術を組み立てる。足止めのための束縛魔法、視界を奪うための闇魔法、相手の防御魔法を打ち破る還元魔法などを瞬時に仕掛ける。日々の鍛錬と実戦経験を積むことでセトの魔力コントロールは格段に上手くなっている。つい半年前まで魔力協会のことさえ知らなかった少年とは思えない。
遠くで二人の攻防を見守るルーシャは固唾を飲み、その行く末を見守る。犯人を取り逃すことは問題ないが、万が一セトが反撃にあい命の危険にさらされることになればルーシャの援護が入る。相手にルーシャの存在を悟られないよう魔力探知を控えており、相手の動きを魔力から推測することが出来ない。祈るように見守ることは焦れったく、言いようのない緊張感で胸が張り裂けそうになる。
セトの複数の魔法術に対し、相手はそれを見事に捌く。束縛魔法に捕まるが、その捕縛状態の上で新たな魔法術を繰り出し襲い来るセトの懐に斬り掛かる。無理な体勢だというのに、そのナイフの先はブレることがない。
とっさにセトは自身の魔力を集約させ、自分の剣──赤ノ剣を手にする。相手のナイフを鞘に納刀されたままの剣で弾き返す。そのままセトは力で押し切り、相手の体制を崩す。足がもつれた隙に剣を鞘から抜き出し、相手の右手を目掛けて突く。セトの手にしている赤ノ剣は細剣であり、刺突用であり斬ることはできない。
相手は体制を崩しながら、とっさに水魔術でセトに攻撃を仕掛ける。セトが相手の魔法術を炎魔法で焼き尽くしていたことから、炎魔法が得意な相手と思われたのだろう。だが、セトは構わず相手の魔力を対象に炎魔法を再び繰り出す。
セトの生み出した炎は相手の魔法術だけではなく、その神語を構成する魔力をもやし、さらには相手の体を巡る魔力にまでその範囲を広げる。
「なっ!」
予期せぬことに相手はたじろぎ、体の内から焼ける感覚に戦き焦る。今までいくつもの魔法術師を相手にしてきたが、体の中を巡る己の魔力が燃やされるということは経験したことがない。冷静にセトの魔力を打ち消す魔法術を発動させようとはするが、頭でわかっていても激しく燃え盛る炎を体の中に感じる状況下では魔力を扱うことが難しい。さらに自身の魔力が燃えており、その扱いなどしたことがなくどうすればいいのかも分からない。
パニックに陥る相手に、セトは瞬時に抗魔力魔法を発動し、それと同時に相手の魔力を燃やしている炎魔法を解除する。そのまま持っていた縄で相手を縛り上げる。
「シスター!」
一段落したセトは手を振りルーシャに合図を送る。魔力探知の苦手なセトはルーシャの居場所を割り出すことが出来ず、探してもらうしかない。
すぐにルーシャはセトのもとに駆けつける。
セトの魔法術の使い方にはやや荒っぽさがあるが、未熟な技術や経験を補うためのセトなりの方法だった。赤ノ魔力は破壊性の強い魔力であり、その荒々しい力を制御することは難しい。さらにセトはまだ成長途中の少年であり、その体に不釣り合いの力を宿していることになる。
その力を制御することを補助する役割があるのが、赤ノ剣だった。膨大かつ強大な力は本来、人の手には余る。その力に見合ったと選ばれた〈第二者〉とて、竜の魔力をその手中に収めておくことは難しい。
それを見越して作られたのが竜ノ剣だった。セトの未熟な魔力コントロールや荒っぽい魔法術に対しても、魔力が暴走せず意のままに使うことが出来るのは赤ノ剣のおかげだった。
このことは少し前にリヴェール=ナイトやシバに教わるまでルーシャもセトも知らなかった。
「なんか美味いもん食いに行こーぜ」
ひと仕事を終えたセトは満面の笑みをうかべ、お腹をさする。その仕草にルーシャも釣られて笑ってしまう。
ルーシャとセトは拘束した犯人を連れて歩く。
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はー、疲れた。
何もせずに見てるだけってのは、それはそれで精神的に疲れる。
セトはすごい速度で技術も身につけてるし、勉強もしてる。
ほんと信じられないくらい。
それにしても知らないことだらけ。
マスターとセトが持ってた竜ノ剣のこととか。〈第二者〉の証なんだろうなーとは思ってたけど、あれ自体にちゃんとした役割があったとは。
古代術とか昔の魔力構造はまったく分からないから気づかなかった。
今思うと、マスターの魔力の扱いが上手かったのは青ノ剣を持ってたことと関係あるのかな。
まあ、あのグロース・シバの地獄の教えを耐え抜いたんだから、竜ノ剣だけのおかげではなさそうだけど。




