p.108 秘密
ルーシャの療養している病室を後にし、リルトは慣れた足取りで病院を出る。病院の敷地内にある木々が密集した静かな林に足を踏み入れ、その魔力を感じる。
空は清々しいほど青く、感じる空気も爽やかなのにリルトが感じるのは烈火のような魔力だった。魔力なので魔法術師以外は感じ取ることは出来ないが、リルトは清々しい中に揺らめく魔力の熱気を感じる。
「よっ。魔力が疼いてるな、今どき珍しい」
林の奥には地面に座り込んで目を閉じていたセトがいた。静かに深呼吸していたセトだが、リルトに声をかけられ瞳をあけてそちらを振り向く。セトがそう動くだけで魔力が揺らめき、熱気が動くようだった。
「これ戻すのめちゃくちゃ大変なんだからな。しかもこんなに暴れるのは初めてだし」
セトの赤い瞳がリルトを睨みつける。
神の庭を破壊したあと、セトの魔力はその体から少しずつ放出され続けている。少量の魔力だが、強い炎の属性を引くセトの魔力は揺らめくだけで熱気が揺蕩う。
元々ほとんど魔力を使ってこなかったセトだが、時たま強く魔力を使用すると魔力が溢れ出て止まらなくなる時がある。だいたいは魔力を使わずに大人しくしていれば時間の経過と共に落ち着くが、今回は大規模な魔法を使ったため全く落ち着く気配がないのだった。
魔法術を使っていないのに、そこに魔力があるだけで、その魔力が揺らめくだけで林の中で木々が燃え始めるのではないかと思ってしまう力が辺りに無尽蔵に感じられる。
「お前の体に似つかわない魔力だからな。成長すれば、こんなに疼くことはないだろけど、今のお前じゃ難しいな」
魔力に対し、その器である体がまだ未熟すぎた。大きすぎる力に対し、まだ小さなセトの体では魔力を収めておくことが難しい。
まじまじとその小さな体とその中で渦巻く魔力を見すえる。
「他人事だと思って」
ムッとした表情を浮かべセトはリルトを睨みつける。
「悪い悪い。今回は協力してくれた礼も兼ねて手伝ってやるよ」
「そもそもあんたなら俺の力なんて使わなくても、あの場所を壊すことは出来ただろ」
未だに納得してなさそうにセトはリルトを睨み続ける。何がという根拠はないが、セトから見てリルトはそれなりの腕の魔導士に見える。おそらく、師匠のルーシャよりもその技量は優れている。
「まあ、あそこに囚われた魔力の鎮魂だと思って許してくれよ。お前の魔力は強くて優しいからな」
困ったようにリルトは笑い、その瞳が何かを映す。神の庭の存在そのものなのか、そこに囚われ続けた罪もない人々の命なのか、それともそこを創り上げてしまった自分なのか。
リルトは座り込んでいるセトの後ろに回りこむ。そのまま膝をつき、小さか両肩に手を置く。そして、何の躊躇いもなくセトの肩甲骨を力強く両の親指で押す。
「ってぇーー!!」
突然の激痛にセトは大声を上げ悶え苦しむが、リルトがその力をゆるめることは無い。
背中を潰されるのではないかという激痛が走り、痛みとともに強烈な熱が背中に走る。突然背中に火を放たれたのかと思うほどの熱で、セトは自身の背中が焼けているのではないかと思えてならない。
しばらく後、リルトは力をゆるめる。痛みと熱さでぐったりしたセトはその場に寝転がる。吹く風が心地よく、妙な疲労感はあるが不思議と嫌な気分はしない。
ふと自分の両手を見つめ、セトは自分の変化を感じる。
「魔力が・・・」
少し前までちょっとした変化で活発に動いていた魔力が、いまは静かにセトの中に戻っている。
「魔力のツボを押した」
「そんなものがあるのか」
痛みや熱など忘れ、セトは驚いたようにリルトを見上げる。
「まあ、古い治療法だけどな。おさまって良かったな、じゃあ俺はこれで」
立ち上がりリルトは元きた道へと足を向ける。
「ありがとう」
去りゆくリルトに礼を言い、セトは再び自分の両手を見つめる。
* * *
病院での療養を終えたルーシャは無事に退院し、セトとともに魔力協会の思想本部へとやってきていた。
ルーシャが気を失い入院していた時、セトはリルトの計らいで近くの魔力協会支部で寝泊まりしていた。ルーシャの懐から最低限のお金を失敬して食べる分には困らずにきていたらしい。
今回の件でルーシャは自分に何かあった時のためにセトが生き残ることができるよう、仕事の報酬のいくらかをセトに手渡すことにした。ルーシャの仕事をセトがどれくらい手伝ったかによる出来高制の小遣いだが、自分の好きにできるお金があることでセトも必要なものやほしいものを買うことも出来る。
(マスターとの時は私が金銭管理してたからなー・・・)
こうなるまで弟子との生活をあまり考えてこなかったルーシャは少し反省する。
ナーダルとの旅生活の時は、ナーダルの金銭感覚がたまにおかしい時がありルーシャが度々商店と交渉していたこともあり、生活財布はルーシャが握っていることが多かった。ナーダルが元々王族だったことを仕方がないこととはいえ、今考えれば少し出すぎた真似だったのかもしれないと思うところもある。
そんなルーシャは今回の件の報告のため、フィルナルのところを訪れていた。書簡で報告しているが、今回は直接報告をするようにと命を受けたのだった。
「無事で何よりだ」
ルーシャの姿を見て早々にフィルナルはそう言う。人が報告に来たというのに、変わらず机の上で事務処理を淡々とこなしている。
「お前の弟子は?」
「ちょっとお遣いを頼みました。なにか大事なお話でもあるのかなと思いまして」
思想本部へと一緒にたどり着いたが、ルーシャは今後の旅用品や食料の補給をセトに頼んだ。
いつもは書簡での報告で事足りており、追加での報告を求められたことは無い。なにか直接あって言わなければならないことがあるのではないかと推測していた。
「ご明察だな」
そう言い、フィルナルは仕事の手を止める。
「リルトから聞いたことだが、覇者の目覚めにはそれなりの手続きのようなものが必要らしい」
魔力協会の会長は代々、黒騎士と関わりを持ってきている。そのため代々の会長は覇者のことや世界の理についてある程度知っている。元々、世界の調和を目的として設立されていることもあり、歴代会長たちは半信半疑ながらも覇者の目覚めのための準備を重ねてきた。その時がいつになるのか、自分の生きているうちになるのかも分からないまま、ただひたすらに役割を遂行してきた。
「それがどのようなものなのか、どれくらいで覇者が目覚めるのかは奴も知らんと言っていた」
リルトは七百年前のその時に生きていた人間ではあるし、ある程度の世界の情勢の渦中にいた。しかし、封印やその関係のことについては実際に関わっていた人間ではない。
「黒騎士なら何か知っていると思ったが、連絡が取れん。いつもならふらっと現れるのを待つのだが、そう悠長にことを構えてられる状況でもない。お前は最近、奴に会ったか?」
「いえ。最後に会ったのいつだったかな・・・」
黒騎士・リヴェール=ナイトに会った記憶を呼び起こすが、随分と前に会ったきりな気がする。元々特に親しいわけでもなく、何かあったら頼ればいいと生前のナーダルに言われたが特に何かを頼ることも無く今日まで至ってしまった。
「グロース・シバも知らんと言っていたし・・・。今後の動きや諸々の対策も講じる必要がある。ルーシャ、黒騎士を探し出せ」
「またまた無理難題を・・・」
ついこの間に神の庭の一件を解決したばかりのルーシャは思わず本音とため息が出てしまう。しかも、今回は場所ではなく人であり一所に留まっているとは限らない。
げっそりしたルーシャはフィルナルに一礼して部屋を退室しようとする。
「そういえば、セトには話したのか?」
「え?」
フィルナルの突然の言葉にルーシャは立ち止まる。
「お前の役割や竜の存在のこと」
「それですが・・・話していいのか分からなくて」
会長直々の質問にルーシャは困ったように眉間に皺をよせる。覇者・竜の目覚めが近いことは聞いており、ルーシャのやるべきことはこれからある。これからの時代を生きていく人々に竜や竜人ノ民について理解してもらう必要があり、それはセトも例外ではない。だが、そのことについてどう人々に伝えていくのか、どう人と竜と竜人ノ民が交流していくのかは魔力協会が主導し勧めていくことであり、ルーシャの独断で弟子だという理由だけでセトに何でも話すわけにはいかない気がしていた。
「それも含め、黒騎士には確認すべきことが多々ある」
「善処しますが期待はしないでください」
変わらず困った表情のままルーシャはそう言い一礼して会長室から退室する。
そのまま、魔力街道で買い物をしているセトと合流し新たな指令をこなすため、再び旅路につくのだった。
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神の庭が一件落着したと思ったのに、また会長直々の任務が・・・。
ほんと、会長のパシリになったなー。
そして、次は黒騎士ことリヴェール=ナイトさんを探せとは。
連絡先も交換してないし、そもそもリヴェール=ナイトさんが普段どこにいて何をしてるのかも知らないのに。
グロース・シバも知らないなら、私にはどうしようない気がするんだけどなー・・・。
一件落着し、またもや難題を突きつけられるルーシャです。フィルナルは何かにつけルーシャを信頼しており、またルーシャも真面目なので無理難題に真剣に取り組んでしまっており、その結果がルーシャの首を絞めているのかもしれませんね…。




